剣尾山月峯寺、白木谷道3
2023/6/2 作成
1.始めに
実はこの調査の前に、以前にお世話になったFさんにアドバイスを貰いに行ってます。
その内容を挙げておきます。
1. 10丁は石仏地点です
2. 9丁は残っています
3. 8丁は無くなりました
4. 下から6丁へは分かり難いがほぼ道なり
5. 5丁はそれらしい地点に復元した
6. 1丁は日月岩の上
3. 10丁辺りの石仏の横
4. 9丁は下部のみ
5. 三角おにぎり岩
6.本日はここから
9.上から見つけた6丁
倒木の根元辺りに立つと道では無かったが、更に20m程下が歩けそうに見え、半分滑りながら下っていくと、更に下に丁石が見えた。真っすぐ進むと落ちそうなので、一度右(西)の谷側へ進むと、何と道らしき所に出たではないか。冷静だったと思ったが、この間の写真を撮り忘れていた事は、アセッテいた証拠でしょう。
本当は、一目散に6丁丁石に駆け付けたのですが、ここは後に参道とした経路で来た振りをして、時間を前後させた写真でお見せします。
10.待望の6丁丁石
11.近接移設の6丁
念願の6丁丁石を見た後は、現5丁から真っすぐ南に下る、地理院地図にのる「徒歩道」と何処で合流するかを確認します。前回の調査で多分ここであろうとした地点(6丁への分岐)に出るのでしょうか。
12.登山道に合流し5丁へ
尾根筋直登道と合流しました。予想通りの地点でした。写真では合流地点のやや上から尾根筋道を南に見下ろしています。右端の木の下から来たことになります。
尚、今回の「三角おにぎり岩」過ぎから、誤進入の谷も含め、6丁丁石前を通り、崖崩れ上部を横断して、左の写真の合流地点までのルートは地理院地図には描かれていません。ご注意願います。
13. 5丁再訪
ここまで来ると前回に通った道になり安心して登る事が出来ました。後は5丁を再見して、1丁岩を確認するのみです。
【後日、この後大切な地点を確認すべきであったのだが、この時には気が付いていません。この件は次の項で詳しく述べます。】
14.K-3のたわへ
5丁から約1丁(109m)のK-3地点で、前回の訪問で写真を撮り損ねていた「たわ」の倒れた案内地図を撮影し、1丁へ向う。
K-3地点とは、写真の赤い火の用心標識の下にある記号の事で、緊急連絡時等に使われるものと思われます。明確なのでこれを使わせていただきます。因みにK-4地点はこの西、行者山より剣尾山山頂への道との合流点にあります。
尚、ここの地形は、峠、鞍部、乢(たわ)等として表現されると思うが、道の状態としては四辻です。ただし、南への道は非常に分かり難い。どこでも行けるし、何処にも無さそうでもある。
15.白木谷道合流点
さて1丁岩を目指します。4,3,2丁が無いのは前回確認済みなので、日月岩までドンドン登ります。ただ途中の地理院地図にある5丁手前から北北西に直登する道が、これから行く北西への尾根筋道と合流する地点だけは押さえておきたいと、探しながら進みました。地図上ではK-3地点から110mと見えます。地図では直線に描かれていますが少し西(左)に向きを変えた階段道が10m程で北(右)に折り返す地点があり此処であろうと見当を付けた。地図ではその先で繋がっている様に書かれているので次の折返し点迄見に行ったが無かった。先の地点に戻って撮った写真がこれです。
16. 1丁岩へ
17. 1丁からの参詣道
鐘楼跡の東をかすめ、本堂南東端に出るようには参詣道を付けないでしょう。本堂へは正面から入ると想像すれば鐘楼南側を西に進み、北に折れて本堂とすれば直進より20mほど増え、ピタリ1丁の距離になります。
即ち、現登山道(K-4地点経由)は参道ではなく、不動岩、日月岩、1丁岩、鐘楼、本堂が参道であった。この様に考えると、後世遊び半分で見えない所にいたずら心で「1丁」を彫ってみた等とは考えられない。失われた25丁丁石が紀年銘を持ち起点となる為、特別な意匠であったとするなら、この1丁岩は参道を締めくくる事を示し、石ならぬ岩に刻んで相応しいものと言えるでしょう。
白木谷道の現存丁石は一応これで終わりですが、この後別項を一つ設けます。