西宮(有馬道)

「有馬道」はどこで武庫川をわたったのでしょう。1800年大坂から有馬へ湯治の旅で、宝塚市桜ガ丘26の三ツ辻にきました。(西宮市内からではなくです。)
いきなり、質問でもうしわけありません。生瀬宿を歩こうとしたときに事前の予備知識(聞きかじり)がわざわいして、生瀬橋を渡るのか、宝塚から来た有馬道を道なりに真っすぐ川を渡らずにすすむのか、迷ったのです。車で行くならR176生瀬橋東詰め交差点を直進するのにためらいはありません。でも一昔前には西に折れる道しかない三ツ辻でした。近世生瀬宿は近隣の村と「間道(抜け荷の道)」問題で多くあらそったと聞いています。間道は生瀬を避けて木元村へとおっていたようで、それは武庫川の左岸(北東岸)を進んだ(青野道)とする考えです。少し探った結果、引き込み線、神戸水道局などの候補はあったが見つけられなかった。(青野道は別項参照とします。)
やはりここは西へ生瀬橋を渡り、私の記憶では対岸に赤い柱の工場の北側だったと思う四辻にでます。今では西へ村中に上るせまい道がありますが、明治の地図や、延宝5年の村絵図では北から南へ崖を上る道が描かれ、生瀬橋西詰を北に折れるのが正解でしょう。現R176バイパスの高架橋下から登る道であろう。
近世で武庫川を越えるとき舟渡しもあり、橋が架かっている時期もあったようだがいずれの跡も見つけられなかった。西宮市域に入ってからの距離を書き出してみる。宝塚市桜ガ丘26の三ツ辻から、180mで生瀬橋西詰交差点、北に130mで高架下分岐点、坂の上村東端まで190m、JR生瀬駅前まで560m、R176西宝橋交差点まで270m、交差点を左(西)折れして230m、多田(おた)川の橋を渡って三ツ辻であったが、最近R176改修工事により川の東手前から左折する交差点に変わったことを確認しました

生瀬集落へ登る旧道を北西に見る、高架は現国道

小浜自治会所蔵の古絵図
生瀬村近辺

明治5年生瀬村絵図

青野道跡か左水道局へ

塩瀬町生瀬の道標を西に見る
左へ有馬道(蓬莱峡)
奥、R176木ノ元へ

多田橋西詰の辻西部に「塩瀬町生瀬の道標」が立っていました。今は工事中で安否不明です。南面に「左、有馬道」とあるので西折れし川沿いに進みます。ただしこの道標の施主の住所から「郡区町村編制法施行」明治12年(1879)以降の作と思われ近世にこの道標は見れなかったと思います。又、天保国絵図等を見ますと生瀬村から川を渡らずに右岸(南岸)をさかのぼることから分岐の辻は川より手前(JR生瀬駅側)にあったかも知れません。 ここから西は「四十八瀬」となり道筋は分かりません。川沿いを行くわけにもいかないので現県道51号の距離を書いておきます。

2021年10月工事中不明

2017年3月北西向きに

有馬道、左は宝塚方面行きバス停
しるべ岩は右ガケ下

ガードレールの切れ目、しるべ岩への進入口
鉄柱にロープが有り伝って下りる

西の橋からしるべ岩を見る
中央やや右下木の中にかくれる

太多田橋分岐から1.9㎞に「しるべ岩バス停」があります。有馬方面へのバス停を降りて、西へ20m左(南)にガードレールの切れ目があり、谷にころげ落ちると「しるべ岩」があります。文字通り「ありま」への「みちしるべ岩」で「右、ありま道」としてあります。少しウロウロしましたが「左」や「すぐ」に該当しそうな道はみあたらなかった。
「摂津名所図会」に小多
々渓(おたたかわ)四十八瀬、屏風巌(岩)、座頭谷、抛(なげ)岩、はのるが「しるべ岩」はない。
小浜自治会所蔵の古絵図では、太多田川下流域は右(南)岸、しるべ岩あたりからは左(北)岸に道が付いていた様にもみえるが、正しいかどうかは分からない。

しるべ岩から座頭谷を見る

しるべ岩をやや上から見下ろす
岩の前が歩ける

しるべ岩の下部を見上げる
右端の木の右を登り岩の前に

山口町上船坂の道標を東に見る
左奥、現県道
右奥、旧道

しるべ岩から「右へ、がけをよじ登り」県道へ、ヘアピンカーブを数回過ぎ3.5㎞、船坂の村中へ入らず県道で村西はずれの三ツ辻に出ます。現県道は昭和42年地図に始めて現れるので戦前にはなかったとおもわれます。もちろん近世には辻が無かったと思われる地点に「山口町上船坂の道標」が立っています。「右、西宮/左、宝塚、大阪」、「大正四年五月建之」となっているので、移設されてきたことが分ります。元位置は南東の村中に二ヶ所が考えられます。近世の旅ですので見なかったことにしましょう。尚、村の手前(道標から430m手前)から左(南ヨリ)に旧道に入ると「湯山古道案内板」を見ることが出来ます。

船坂村内にある
湯山古道案内
旧道の地図有

この後、旧道分岐の三ツ辻船坂山王神社前まで50m、県道82号(大沢西宮線)との船坂交差点まで120m、道なりに西へ白水峡の十八丁川まで1.6㎞となる。橋の西辺りが市境では無いかと思う。

西宮北部の道標、有馬道(紫色)、生瀬ー白水峡が西宮市域

この後は神戸市北区有馬町となり、「ありま」を案内する道標はなさそうです。町内に入ってからの道標は「有馬温泉」の項にゆずりますが、そこまでの道のりをここにあげておきます。
十八丁川を越えた地点からです。現県道51号(宝塚唐櫃線)は明治の地図と比べ屈曲が少なくなっている。近世の道を明治の地図で追ってきましたが、ここへきて今の地図を使わせていただきます。道なりに西に1.2㎞、南に向きを変えて芦有道路の出口の交差点になりますが、明治の地図では当然、辻自体がありません。現県道はここを右(西)折するようですが、南へ直進し大きな駐車場を通過して270m地点の四辻に出ます。明治の地図に左(東、瑞宝寺方面)の道は無く、右(西)は分岐して有馬駅方面ですが、主要道は直進(南)200mで有馬川の「杖捨橋」に下ります。
橋の北詰三ツ辻南東部に「杖捨橋東詰の道標」があります。橋を渡り右(北西)折れし有馬川にそって90m下ると左に分岐する三ツ辻が有り、この分岐する細い道に入ります。
雪国神社北を通り60m先の三ツ辻の右手(北西)崖下に「有馬町1134の道標」がありますがここへは移設されたものとおもいます。今のままでは「右、六甲山」の案内が一致しませんが、「すぐ、京、大坂」が有馬道であることを示しています。
ここから320m道なりに土産物屋さんの間をぬって金泉前の「有馬町道路元標」で終点に到着とします。

杖捨橋東の道標を北に見る
左奥、船坂へ

道標を西に見る、奥金泉へ
この東辺りが東門だったらしい

元標は案内板の左、左へ大坂道
明治の役場は右へ温泉寺の下

2021/8/17 作成済