久しぶりの箕面になりました。以前山から転げ落ちて、印象の良くない所なのですが、見るべきところは幾つも有ります。
その中の一つ、以前から気にはなりつつ、放っておいた「対面石」を改めて探しに行くことにしました。その経緯を報告します。
面白い結果が出ました。
先ず、「対面石」或いは「対面岩」について。
図書館で資料の確認と共に、対面石の場所を確認。
「対面石」の場所をwebに求めると。ヤマップの山行記録にヒットし、活動データの地図に写真が示され「対面岩」とあり、位置も同定出来ます。箕面観光ボランティアガイドの「箕面大滝・勝尾寺古参道コース」図にも載るが、目安程度である。
以前から、これであろうと思っていた、場所と石(岩)でした。ただ、この場所が気に入らないのです。
先に挙げた資料の中に、明確に位置を書いたものが有り、それには「十八町中」としています。
現在の丁石は多くが移設されており、上記書の18丁が現在の丁石のどれに当るかは難しいのですが、幸い『絵図』が残されており、これを直接見たわけではないのですが、箕面市立郷土資料館に展示されている地図がありこれに丁石の位置が書き込まれています。絵中に丁数は書かれていないのですが、その数を数える事により想像できます。但し、丁石以外の石造物も同じように書かれており、これを見分ける必要が有ります。詳しくは「勝尾寺の表参道丁石一覧」を参照下さい。
現在、史料館は箕面駅前から、船場西3-8-22に移転したようで、改めて確認に行きました。
赤穂浪士萱野三平特別展が開かれていましたが、勝尾寺参詣道に関する新たな資料と、あわよくば道標に関する資料が無いかと訪れました。
前のと同じか分かりませんが、参詣道の大きなパネルが廊下に展示されており、丁石の情報が読み取れる様に、拡大撮影して行きます。有難い事にここの資料館は撮影可能との事でした。
家に帰り資料を見ていると、過去に作成した同様のものが出てきてしまい、スッカリ忘れていたようです。
ただ、出典元が分かりません。図書館に行くことにします。
図書館で資料を漁ると共に、相談窓口で「対面石」の位置に関する情報をお聞きした所、過去にも質問があった様で、その他の資料も追加確認したが、位置を明記したものは見つけられなかった。
現地に行く事にしました。
丁石確認ではないので、山登り口に直行します。府道6号(箕面池田線)の帝釈寺北交差点から、北に90m進入し、「26丁丁石」から始めます。
尚、マイマップ「箕面市の道標」にある「丁石」の位置は地理院地図から想定して登録したものでした。今回はスマホで現在位置を確認し、修正するつもりです。スマホ、グーグルマップのスクリーンショット(S.S)の黄緑の■印が、想定位置を示し、青●印が現在地点を示します。
26丁丁石です。タイミングよく雲が太陽を隠しました。遠くには青空、丁石や道標の写真を撮るには絶好の条件です。でも今日はスナップショットだけです。
尚、現26丁丁石は、近世の参道にあっては二十九丁と二十八丁の中間辺りであろうと思われます。
丁石案内に従って、左側の道を北に進みます。多分右は行ったことがないが、行止りかと思う。
現26丁丁石から170m(1.6丁)、現27丁丁石が現われる。距離も適当なら、設置の順番も誤っていると思われ、置くなら25丁丁石でしょう。
次に現れる丁石の数字が楽しみです。(実は知っていますが。)
現丁石の右(東)は、貸家庭農園になっている様で、いつも多くの方が作業されています。この為か、丁石回りには、原チャリや自転車等がよく置かれているようです。
一本道なので、道なりにすすみます。
現27丁丁石から130m(1.2丁)、奥土池北東部の土手下に、現28丁丁石が現われる。これも距離は適当、設置順番も誤っているでしょう。これを移設した人(指示した人)は、丁石の数は進んだ数字を示すと考えたのでしょう。新しい丁石には時々見られるが、参詣者には有り難くない。残距離が分かってこそ頑張れるのです。
近世丁石の二十七丁が奥土池南東部と思われるので、その北60m地点と思われ、近世であれば、二十六丁半となりそうです。
一本道なので、道なりに進みます。
この後、害獣除けと思われるゲートが設けられていますが、開いたままになっていました。
現28丁丁石から140m、大畑下池の東土手上に丁石が置かれている。丁数は?。
何んと、23丁です。
ここへ来て初めて丁数が減りました。今迄の丁数増加パターンなら29か30丁が置かれるかと思いきや、23丁です。ひょっとすると、近世の参道から余り移動されていなかった為、元位置近くに残ったものでしょうか。
いえ、いえ、近世ならば二十五丁より少し遠い辺りになります。
一本道なので、道なりに進みます。
すぐ上に大畑中池、古絵図では上池があるが、山道に掛かり良く分らなかった。
現23丁からは270m程度と思われる地点の三ツ辻に出ます。休憩地点になっており、南東方面の眺望がすばらしい。この三ツ辻西側に道を塞ぐように、現22丁丁石が建ち、右(北)横に「C1」地点とする案内板が立ちます。緊急連絡時の目印のようです。当分変わらないと思うので地点名として使用させて頂きます。
このC1地点が、旧参道と古参道の分岐点になっている様です。(ただし、新参道或いはただの参道が何処を指すかは知りません。)
資料館の元禄二年とする古絵図には三本の道が描かれており、今言う古参道が二筋描かれ、もう一本北に分岐する細い道があり、これが旧参道に当るのではないかと思われるが、先は繋がっていない。古参道側に書かれる二筋の道は尾根を挟んで進むように見え、現17丁手前で再び合流するが、西側の道に多く丁石が描かれることから、今言う「古参道」に当る道であろうと思う。私は勝手にこの道筋を「表参道」としました。
尚、旧参道にあたる道より、古参道(二筋)の方が尾根筋に近いと思われ、道の維持に関して優位であったと考えます。
古絵図では二十二丁丁石は、古参道側二筋分岐後の西寄りの道の少し先(上)に有ったようです。丁石側に進みます。
現22丁から250m、西から南へ回り込もうとする直前に19丁丁石が、左手(南)側に建ちます。古絵図では二十丁に近いと思われます。
17丁のS.S
現19丁から200m強、左手山側の大きな木に隠れる様に17丁丁石が、建ちます。古絵図では十八丁と思われます。
ここが、今日一番の調査ポイントとして挙げていた場所です。古絵図と箕面市史の記述から、「対面石」の存在する場所です。
丁石の確認と、グーグルマップの現在位置をスクリーンショットで記録し、周りを窺います。古絵図からして進行方向の左手に有ると思われます。道からは明確な石は見あたらない。山側(西)へ登ってみます。幸い丁石の西(右)側が登り易くなっています。少し分け入ると、石らしきものが見え、期待が膨らみますが、少し小さいようにも感じます。動き易さを考え、一度参道に戻り、リュックサックを下して、再度石の左端から近づきます。山の傾斜に合わせ、東が下端の石のようで、南側には回り込めないが、切取ったような石の面が見える。右(西)へと登りつつ確かめると、一部にクラックが入り、上には土が載っていて分かり難いが、一つの大きな石であると思われます。
何んとか、石らしい全体像が撮れないかと試行錯誤するも、木々で写真が写せません。 中間辺りの一本の木を強引に捻じ曲げてみると、名前を付けたくなるような石(岩)が見えました。この時点でこの石が「対面石」である事を確信しました。
全体が見えず、石の向きが微妙ですが、東西に長い石と見なして、以下方向を書いてゆきます。西が高く東に向かって下がっていく、一つの石と思われます。丁石の西に位置し、参道の左手上部となります。
古絵図ばかりを見て歩いている為、北西に向いている参道の左手(南西)に有るとばかり思っていましたが、現地17丁丁石前では参道は西方向になり、ここを過ぎて北西に進行方向を戻す様になっています。この為現地では方向感覚が間違っていた事に、帰ってから気が付いた。
参道左手は間違いないが、方向で言うと、17丁丁石の西に有る。となります。
対面石を見つけたので、後は「誤、対面岩」を確かめに行ってみましょう。
対面石の位置情報として、web以外では図書館にあった『勝尾寺旧参道歩き・み・ふれる』に載る古絵図に「対面石」と手書きした上で、矢印を引く資料がある。これは前に述べたwebの位置と同じ地点を示している様です。何方が先かは分かりませんが、挙げておきます。資料は1995年12月4日(月)とあり、現地学習会などの折に配布されたパンフレットの様にみえなす。
これに石の絵があり、
今日の目的は終わりました。
結論として、多分、web等で「対面岩」としているものは、箕面市史にある「対面石」ではない。「対面石」は現17丁丁石の立つ西上10m程にある。
ここまで来たら、現10丁丁石を見て帰る事にします。本来なら1丁迄行きたいところですが、時間がありません。
C2ポイントまで240m、現10丁迄290mと思われます。過去の丁石訪問時に見落としがないかを注意して歩きます。
C2ポイントからは西に向きを変え登るが、尾根に出ると再び北に向かいます。
ほぼ平坦な道を進むと、左(西)の山側に、現10丁丁石が出てきました。引き返そうと思っていたいた五輪塔型丁石はまだ先の様です。
現10丁から109m(1丁)の地点では下り坂となりますが、9丁丁石は見当たりません。同様に8丁想定地点にも丁石は見当たりません。
過去の経験で7丁丁石(C17ポイント)へは、10丁から250m程の地点で北に水平な道に分かれなければならないのですが、ここに案内板等が在りません。古参道はここへ来て、道なりに進むとどうなるのかと、北東に進む事にしました。いきなり下り始めます。高低差では10m以上下ったでしょうか、谷筋道に出ます。
これを左(北)に登り返すと遠回りですが、C17ポイントに着きます。先の分岐点に案内が欲しいと思います。
10丁から250m程で乢(たわ)に出ます。前述の古参道を上手く分岐すると、まるでダムの堰堤上を歩くような感じで北に渡る事が出来ます。登山用語は良く分りませんがナイフリッジと呼ぶのかも知れないが、斧リッジ程度か。
乢の北部分、現7丁丁石が右手(東)に建ち、20m程先に、C17ポイントの案内板が見えます。
七丁丁石は、今まで見て来た丁石と外観が異なります。所謂、五輪塔型の一番下「地輪」部分に丁数がかかれています。
詳しくは「粟生間谷表参道の七丁丁石」参照
案内板等にある「古参道」「旧参道」では無く、私が勝手に名付けた「表参道」に関する一覧を見て頂ければ、距離等の様子も分かり易いと思います。「勝尾寺の表参道丁石一覧」へ。
以上で今日の予定は終了です。見落としが無いか同じ経路を引き返す事にします。
再び、今では間違いなく「誤、対面岩」を通過します。
帰りには、『勝尾寺旧参道歩き・み・ふれる』の「人宿り場」の説明にある「急坂の尾根を登り切った所は、若干の平坦地であるが・・・、勝尾寺参詣者の利便に供した施設・・・」とし古絵図が添えられている、地点を確認する事にしていました。この位置が今回の「誤、対面岩」の1丁南辺りを指しているようで、平坦地なら現在も残るかもと、これを探すべく尾根筋に登ります。
「誤、対面岩」南100mを南端とするやや開けた場所が、参道西側の尾根筋に有ったが、確証は得られませんでした。
当然、『勝尾寺旧参道歩き・み・ふれる』が言う、「五間四方森の内にある石仏」も見つからなかった。
C1ポイントまで戻り、ほぼ山道が終わりました。一服する事にしました。
現22丁丁石の東面が気になり、写真を撮っておいたところ、前回読下し不可とした部分が読めた。「施主 小嶋屋」が確定しました。
改めて古絵図の正確さを教えられた気がする。これを基に、現在残る丁石を建て直してはどうか、とも思える結果でした。上部の古い丁石は史蹟指定等の関係で難しいかも知れないが、少なくとも下部の丁石の順番ぐらいは直して欲しいものです。
蛇足ですが、元禄二年の古絵図には名称こそ書かれていませんが36基の丁石と、その他石造物が描かれています。新しい資料館に大きく展示されています。土地勘のある方なれば、無くなった石の手掛かりとなるかも知れません、一見をお勧めします。