京都で古本市が開かれている様で、一度見に行く事にしました。摂津・山城の国境まではあまり苦にならないのですが、京、となると少し身構えてしまいます。神南邊道心の石造物で、仁和寺の丁石を見に行って以来と成ります。
が、今日はその話ではなく、途中に立ち寄った茨木市の道標の話です。
以前に、読者であろうと思われる方より、メールでご教示いただき、そのままになっていたものです。三件の情報を頂き、一件解決、二件目は存在確認だけは出来たのですが私有地内で未調査。三軒目のこちらは無くなった道標に成ります。
解決したのは「茨木市東福井2-13の道標」と、未完の「茨木市中穂積2の道標(未調査)」です。
「戸伏町にある戸伏神社(素戔嗚尊神社)前に2015年の中頃まで道標があった」とあり、今なら「グーグルマップのストリートビュー」で存在が確認出来るとの指摘です。確かにそれらしい石が写っています。
更に「東西南北の順番で、
「すぐそうじ寺」
「すぐかちをうし」
「すぐ大坂道」
「すぐ妙見山」と書いてあったようです。」と教えて頂きました。
その場所は一度も訪れた事が無い地点ですが、近所は何十回となく通っています。京都への途中立ち寄る事にしました。
以上です。因みに此処から何処で西国街道に戻れば良いのでしょうか、結局、高槻城下の南を通り過ぎて、大山崎辺りで合流する事にして、普段あまり通らない道を選ぶことにしました。
これが、災いしたのか、普段の行いが悪い為か、昼にもなっていないのに夕立に有ってしまった。御陰で新幹線の桧尾川鉄橋高架下で雨宿りをし、小一時間ロスをしてしまった。京都に着くのでしょうか。
道標には関係が無いのでこの後は書きませんが、帰りにも恐ろしい程の夕立に出合い、淀川堤防上で隠れる所も無くズブヌレになり、シャツの水を絞る等、今度は1時間も雨宿りをする事になるのを知る由も有りません。濡れても良い服装であった事が救いでしたが、パンツの替えを持っていなかったので、何処かで脱ぎ捨てようかとも考えましたが、街道は人通りがあり、中々難しいのでした。