伊丹2(有馬道)

神崎の渡し

有馬街道とは
道標で「ありま 道」とあれば、その地から「ありま」へ行く最適な道を示すのであるが、ここでは現在風に一本の主要経路に対して付けられた街道名として、神崎の渡しから伊丹町(郷町)を通り有馬に行く道を表すものとして述べる。神戸市や、三田近辺などでも使われるが、それらとは別の街道である。

上で定義した有馬街道をたどるなら、神崎(尼崎市)の渡しからが適当であるが、市域別にしているので、猪名寺の「寛政五年東有岡道標(尼崎市杜若寺道標)」から始めることにします。
なに、「猪名寺は尼崎市ではないか」と、たしかにそうかたいことは言わず。

有馬温泉

有馬道(左)、尼崎道の分岐点
左踏切を渡り70mの右側に入口

墓地入口門を北に見る。右に道標
左50mに三ツ辻とJR踏切

現在この道標は「杜若寺」の墓地入口に隠れるようにたっているのですが、案内の内容から伊丹市内となる尼崎道と有馬道の分岐点に建っていた事が分かります。よってこれからとしました。神崎の渡しから猪名寺までは尼崎の項を参照して下さい。
最寄駅はJR猪名寺かJR伊丹駅、阪急新伊丹からが近いかもしれません。道標もわかりにくければ、行く道も分かりにくい所です。一番迷わないと思う行き方です。JR伊丹駅(快速も止まる)を降りて改札口を出ます。一つしかないので迷はないでしょう。改札を出てを右(東)に進み階段を下ります。この東口を利用する人は少ないです。出ると正面が公園、右(南)に折れて線路の東側をひたすら南に進みます。高い高架道路をくぐり、某酒造蔵を左にみて、駅出口から970mで三ツ辻に出ます。右(西)はJRの踏切、左前方(南東)に続く細い道が「有馬街道」大坂方面です。この三ツ辻の左(東)が杜若寺です。南東に曲がって50mの右手(南側)に墓地入口の小さな門があります。この門の内側左(東)の木に隠れて立っています。駅の出口から15分はかかると思います。

右(南東)踏切渡り猪名寺村中へ、
奥(北)大坂道(有馬街道)

東有岡センター西側の
旧大坂道の解説碑
天保15年地図

墓地の門を出て左(北西)の踏切への道が有馬街道です。踏切を西に越えた地点が元位置であるとしました。現在では四辻に成っています。踏切北西部に「旧大坂道」の石碑があり進む方向も示されています。道端の色が変えられていてこれに沿って歩くと、踏切から560m右側に天保15年の「大坂道」を解説した石碑があり、120m北の左側に西宮道の分岐、そこから270m北に道なりに進み三ツ辻に突当ります。伊丹町内の幹線道は解説されていないが、近かくの村々への出入り口はしめされており、そこへ「有馬街道」をあてはめると、突当りを西に100m今の郵便局前交差点を北折れし220mの「伊丹2丁目南交差点」を西折れ、130m西の四辻を北折れ、「アイフォニックホール前交差点」を越し270mで稲野神社鳥居に突当ります。ここは左(西)へ曲がるしかなく後は道なりに伊丹町を抜ける。この道を前述の天保地図では「中山道」と表現している。即ち伊丹町の人にとっては「大坂道」から「中山道」が有馬街道となったのでしょう。

右(東)、金剛院
左奥、稲野神社

道順の説明では飛ばしましたが、「アイフォニックホール前」交差点北側から90mの右(東)側に「金剛院境内の町石」が有ります。移設されたものに違いないのですが、古い紀年を持ち、よく似た道標が近隣の町にも見られ、何らかの関係があるものとされるようです。謎ときには最適かもしれません。

金剛院境内の町石
「永正十四年、十二丁」とある

「伊丹2丁目南交差点」
大坂道の曲り角の
道路元標(右端)

さらに、その前の地点になりますが、「伊丹2丁目南交差点」を西折れして5m、南側の大きな喫茶店の植込み中に「伊丹町道路元標」が建っています。大正の頃はここが主要道の交差点であったものと思われます。最近までは酒造会社の本社があった場所で、北側には酒蔵とそれを利用したレストランが有り、ランチなども採れるようです。

余裕のある方は稲野神社を参拝して、奉納された神馬像などを見るのも一興かと思いますが、ここは先を急ぐことにします。有馬街道(中山道)は西から大きく弧を描き北西に進みます。方向を変えるあたりから、チョットした登りになり、やがて大鹿村に到着します。ここで、前の節でお話しした「西国街道」と交差します。稲野神社鳥居から750mの距離になります。当然この辻には道標が建ち、今から進む北西への道を「すぐ、中山/ありま」と案内しており、中山道はありま道でもあります。

大鹿の辻、右に道標
奥(北西)に「ありま道」
左右が西国街道

大鹿の辻から北西に330mで現在のR171(西国街道)に突当り、国道より北は区画整理により旧道は無くなって言いますが、それに近いであろう真っすぐな道をそれとして歩くことはできます。ただし現国道を横断する事は出来ず、一度60m程西の現大鹿交差点を渡る必要があります。旧道らしき道は瑞ヶ池の南西端から再び現れますが、先ほどの旧道に近いであろう道を歩いているとこの道には繋がりません。旧道は一本東寄りの道になっています。東に筋を変える地点は、横断できなかった国道の北側辻から600mの四辻、ここでは有馬街道は西に向きを変えているので、これを右(北)折れし30m先の三ツ辻を左(西)折れし池の土手下に沿って進む道が旧道と思われます。この「ありま道」も200m程で無くなります。池沿いの道も旧道で中山寺、川西や「丹波道」に続くが、有馬街道とはできないでしょう。この道が無くなった地点に道標が建っていたらしく、伊丹博物館にある、下図10.「瑞ヶ丘3の道標」ではないかと思う。

伊丹博物館「瑞ヶ丘3の道標」

まだ見たことが無い
「鴻池宮ノ前道標」と
想像の元位置(写真上)

途切れた「有馬街道」は伊丹スポーツセンターの前から始まりますが、広い道路に呑み込まれておりその面影はありません(スポーツセンター前から560mの間)。二つの県道が交差する鴻池交差点をほぼ西に直進する辺りから旧道の雰囲気が残ります。80mで公園に突当りますが左(西)へ曲がり道なりに鴻池交差点から400mで再び新道で分断されます。南西に折れ天王寺川を渡り押しボタン式の交差点を川沿いに北西に迂回し旧道に復帰する事になります。復帰地点は向林橋の西詰の四辻でここに「安倉南4の道標」が建ちますが天王寺川以西は宝塚市域となります。 伊丹市内の有馬道はここまでですが、迂回地点のすぐ南東60mの四辻に「鴻池宮ノ前道標」平成18年博物館収蔵が有ったのではないかと思われるが、博物館でも実物は見れていません。

天王寺川の向林橋を伊丹側から西に見る

橋西詰の「安倉南4の道標」、左右が有馬街道