国会図書館デジタルアーカイブに
著者:喜田川季荘 編、
著者:喜田川、守貞、1810~
出版社:写
並列タイトル:近世風俗志
巻1~巻30(2、17欠),後集巻1~4
とあります。季荘と守貞の関係は分かりません。
別に、『近世風俗志』岩波文庫、宇佐美英機校訂に依ると
「巷間『守貞謾稿』『守貞漫稿』『類聚近世風俗志』『近世風俗志』などさまざまな書名」
「守貞は当初『古今風見草』の題名とするつもりを、『守貞謾稿』に改めた。」
としている。
著者については、
「文化8(1810)年6月浪華で誕生、本姓は石原、天保11(1840)年9月に江戸に移り北川家の養子。」
「喜田川は北川の借字であろう」
「本名、庄兵衛、号は舎山月光庵、と思われる」
「守貞が「季荘尾張」「季荘尾張臣」「季荘尾張部」自ら称す」
「「喜田川」は「喜多川」とも書く」
とあります。
本、自体について、『近世風俗志』文庫本では「第一次購入本」(他三冊参考本)としているが、デジタルアーカイブのものがそれかどうかは、知らない。が、それであろうとしてみる。
「題箋の付けられた表紙があるが、元は無く白紙の紙が表紙ではなかったか」「綴糸の補綴がされている」「図書館の各巻の配列順に疑問がある」
次が大切な所ですが長いので要約してみます。
「天保8(1837)年から書き始めたが訂正や追書に備え往々白紙が交る、嘉永6(1853)年戦乱(ペリー来航による対米間)を恐れ急遽編集し川越の親族に預ける」「最終的に慶応3(1867)年5月に目録の最後に加筆し、完了」「原本の目録と後篇目録の墨色、追筆や上書きを見ると編集は一度になされたのではない。」
等を見ると、巻数の変更や並び順の移動もあったらしい。
ただし、文庫本とデジタルアーカイブの各巻の対応はとれており、文庫本の巻数からアーカイブの参照に問題はなく、頁が一致しないのは、手書きと活字版組の違いによるものとして止むを得ないが、ある程度、機械的に求められそうである。
さて、内容ですが『守貞謾稿』の目次を挙げておきましょう。表紙を除いたアーカイブのコマ数は1,318あり、頁数にすると2,636頁となる。『近世風俗志』文庫本では1,963頁となっている。
右の写真は、文庫本から『守貞謾稿への索引』を使い、デジタルアーカイブを参照するイメージ図です。
国会図書館デジタルアーカイブの同書から一部引用を含む。
1.時勢:何を書こうとしたか良く分らない。 2.地理は欠落。 3.家宅は住居のこと、江戸城城郭図もある。 4.人事は農家、年寄、家主、奉公人等の解説。 5,6.生業は商売に関し各種小売り、料理や果ては蝋燭の流れ買い等興味が尽きない。 7.雑業となると神道者から大道芸など、犬拾いに至っては仕事でであろうか。 8.貨幣は言わずもがな金銀の話、両替屋・質・富くじ、博奕まである。
9.男扮とは男の「よそおい」の事らしい、髪型の話が多い。図もタップリある。 10,11,12.女扮は髪型、お歯黒、紅、櫛かんざしと多数勿論図入り。 13,14,15.男服にはふんどしや、頭巾もある。
16.女服、十二単から始まり袖口で終っている。 欠けている17巻があれば相当な誌面を費やしたと思われる。 18.雑服・雑事は小袖から始まり丹前、蚊帳、は分かるが紙衣以降の雑事に当る部分はメモ程度と思う。 19.織染はやはり図が多い。 20.妓扮は江口の君の図から始まり今世(江戸後期)遊女の普段着の図で終る。 21,22.娼家上下は昨今憚れるところであるが相当な紙数を割いている。 23.音曲には浄瑠璃の系図や三味線長唄等、…節の歌詞も載る。
24.雑劇は歌舞伎から興行街の地図や絵図等、守貞が好きであったと想像させる。 25.沐浴は風呂屋の話、一人前八文等料金の他髪結等も載る。 26.春時とは時節の事で、正月からの行事を三月迄書き留めている。 27.夏冬と文庫本はしているが、原文では春を除き三季を記す。四月朔日衣替えから六月江戸牛頭天王祭、同二十五日大坂天満天神祭、十二月二十六日の江戸日本橋の年の市で終る。 28.遊戯はデンデン太皷、凧、コマ、手毬、羽子板等の他、かくれんぼ、芋虫ゴロゴロ等動きを説明したものもある。中に赤本・青本とあり今の絵本に当るものが載るが、私の知る赤本は受験用だったと記憶する。 29.笠だけで一巻をなすが、今で言えば帽子に相当するか。今に名残を残すは麦藁帽のみか。
30.傘・履は雨傘・日傘、雪駄・下駄の事である。 後集1.食類はお膳・食器の話から、調味料・銘酒、刺身・田楽・茶・菓子等話題は多数、最後は獣肉とあり、横浜開港後は豚肉まで売っていたとあるが、牛肉は書かれていない。 後集2.雑劇補は本文から拾うと、劇場、芝居、狂言、雑劇、俳優、雑言とあり、やはり演劇が好きであったと思われる。熟字(熟語)無きは私意の文字を用いたとし梳夫(理髪師か)、浴戸(風呂屋)を上げている。 後集5.遊戯拾は欠落としここに挿入。後集3.駕車は文字通りカゴと車の話であるが、輿も含んでいる。車は自動車で無いのは勿論で、牛が牽く車と人が引く代(大)八車である。 後集4.雑器・袋は文庫本は雑器・嚢としており、挟箱、きんちゃく、タバコ入れ、キセル、守袋、銭入れと身近なものばかり挙げ、それらに使用したものか革が出てきて最後は蒔絵で終ると言う「謾稿」に相応しいものである。
尚、文庫本は『謾稿』の「後集巻之.劇場・芝居」を「後集2.雑劇補」として置き換え、その後に後集5.遊戯拾(欠)を表題のみ挿入している。理由は知らないがそれに合わせた。多分守貞の本意を活かそうとしたものと思うが、翻刻としては良くないと思う。後集5.とするなら、後集4.の次において欲しい。又、同様の移動が他にも見られ、お勉強する人にはツライのです。これは「ママ」としておいて欲しい。
最後に私の大きな勘違いを挙げておきます。
デジタルアーカイブの『守貞謾稿』は木版刷りと思っていたが、ドウヤラ手書きであるらしい。文庫本解説に「諸本について」とか狩野氏寄贈本、小栗仁平氏旧蔵本、とかあり、表紙と装丁の具合、図の描写等から印刷物とばかり思っていたが、加筆修正等があり、又損紙の裏に書かれた様な部分が有る等を考えると手書きのものと思われる。アーカイブ書誌情報の「出版社:写」が手書きで写したことを示しているのかもしれません。当時の本がどのような経緯で世間に出回るかは理解していません。
注)、文庫本に「明治34年10月28日(書林朝倉屋久兵衛より)購求の印が捺してある自筆本について若干記しておきたい。」とし、巻24.の項に「なかで、3~7丁は木版刷りをそのまま利用」とある。自筆本が他に2部もあるのか、写筆本なのか不明。