2025/3月中旬、豊中の中桜塚の「瑞輪寺笠塔婆台座の道標」に変化を見つけ、近辺の道標を確認する事にしました。
「瑞輪寺笠塔婆台座の道標」はほぼ案内部分が隠れ、見えなくなっています。石造物としては残っている為、現状の写真を載せるだけとします。バリアフリーの為のスロープ設置によるものと思われますが、ドウヒョウフリークにはハイ・バリアとなっています。
2025/3月中旬、この後、近辺の他の道標を4基見に行きましたが、無事残っていました。一回目はここまでです。
その他は、日を改めて見に行くことにします。
2025/3月下旬、二回目の調査です。変化の有った道標をあげておきます。
先ず「豊中市上新田3道標」
行方不明となった「豊中市熊野町4の道標」。
元は仏眼寺山門南部階段下に南面して建っていたのであるが、寺改修と共に寺域も大きく変えられた様で、石垣や階段が変わると共に当石も消えていた。石垣が大きく南に迫出しており、昔の石段が無くなっています。その辺りからは寺の駐車場に登る取付道ができており、そこに残す事は出来なかったものと思われます。新たな石段がやや西に広くなり設けられていますが、登り口にゲートが付けられており、その上の山門も大きくなっている気がします。
寺と言うより、要塞の趣です。これでは気軽に訪ねることは出来ません。
お寺の事もあり、何処かに移設された可能性は高いと思うが、元の地点、及びその周辺には見当たりません。取り敢えず報告まで。
豊中では約30件ほどの「道標一覧」を挙げています。この度は10件程の再訪のため、残りも近々チェックする事にします。
今回確認した内、従来通りであったものを挙げておきます。
引き続きの記述とします。
豊中南部を見て回りました。結果から言うと、1基が無くなっていました。加えてですが、私の「服部西町3豊島小学校道標」からは形が変わっているとしなければならないのが1基ありました。
「服部西町3豊島小学校道標」は2016年当時と比べて、上部火袋部分が無くなっているとなります。児童の安全に配慮したものでは無いでしょうか。2021年には現状と同じで有ったと思われますが、校内の為今回も詳細は確認出来ていません。柵外からの写真を載せて置きます。
西隣の民家が新しくなっており、その時に無くなったのではないかと思う、元位置には残存の石が残っているかも知れず、上部も北側に埋められているかもしれない。元々道標であったかも明確でなく移設されたとは考え難い。遺失とします。
常楽寺の寺域内の北西部に有る為、入るには寺にお願いする必要が有ります。今回は失礼して西側土塀の上から適当に写したものの一枚を挙げておきます。石の背面しか見えませんが、変わりはないと思います。
29.服部寿町2の常楽寺道標
2017年の写真、右端が当道標
25.小曽根3の道標
2025年北向きに撮影、
像は東を向いている
小曽根3の道標は、見易さを考えてか、旧の南面を90度反時計回りに回し東面としている。堤防上から馬頭観音像が正面に見える。この状態で左右の道案内は勿論意味をなさないが、初めて訪れた2014年当時であっても移設されていたと思われ、左右に該当する道は有りませんでした。建立当時の位置はもう少し南の三ツ辻としたので、2014年当時の方が元の向きを保っていたように思われる。「小曽根3の道標」の記事は方向に関して訂正する事にします。
今回は豊中北部を回ります。今日で終らせようと必死の形相?であったかも。
1.刀根山元町10の地蔵台石道標
右の写真に写る祠の中に置かれる地蔵の台石の南面
2.刀根山元町10の花立石道標
右手前に当道標、左奥に下り中環側道へ
北を向き右側(東)に大道標、左に小道標が建つ。二基ともに変らず。
11.柴原町4道標
石垣上に当道標、左奥に下り中環へ
以上をまとめると、
1.無くなったもの2基
・28.豊中市熊野町4の道標
・24.小曽根1-6の道標
2.見えなくなったもの1基
・5.瑞輪寺笠塔婆台座の道標
3.移設されたもの2基
・17.豊中市上新田3道標
・25.小曽根3の道標(向きが変わった)
4.以前と同じもの25基
私邸にある1基を除き、豊中市で合計30基とします。