波豆から県道68号(北摂街道)を東に進み、千刈ダム湖の清之瀬橋を渡ると、三ツ辻になり県道は大きく左(北)に曲がっていきますが、これを直進し小さな峠を越え大原野に出ます。T字路に突当るので、東(右)へ折れ160mで広い三ツ辻に着きます。
寄り道一つ目、「宝塚市大原野紙屋の道標」が三ツ辻東部に「西谷村道路元標」と共に石段の上に建っています。何度もこの道標を見るのですが、満足に読める事がありません。今回も同様です。一応写真に撮り、気になっていた南西の少し高い位置を通る道が旧街道の可能性があるか確認に向かいます。運よく黒豆を干す作業中の農家の方に話が聞け、「南西側の道は昔よく使っていたが、街道ではなかったと思う。道標は現在とほぼ同じ位置に置かれていたと記憶する。当時は細い道の辻で、道路拡張により移されたのは確かです。」との事でした。
次に向かいます。道標の「左 多田院妙見」の方向、即ち北から北東方向に進み、大原野の中心部を抜け、川沿いを道なりに1km進むと、県道33号との交差点、同道橋前の信号のある四辻に出ます。これを横断して直進すれば良かったのですが、御遊びでグーグルマップの「ナビ」に従っていた所、「右に曲がります」との指示、これに従い近辺をウロツクこと暫し、農家の庭先を通過したり、畦道で行き止まりに成ったり、どうも現在位置を取得できないようです。但しギブアップはしないようで、これが最悪です。ナビのプログラマーに文句も言えず、元の交差点に戻り、自身の記憶で進みます。辿り着いたら現在地は正しく示していた。
「宝塚市大原野茶谷1の道標」と名付けた上部を撮影します。
相変わらず「右左」の字はよく見えませんが、その下の「ハ」の字からは綺麗に見えます。「大原野茶谷1の道標」の詳細に「ハ」が漏れていた事が分かり、急いで訂正する事にします。
又、その下のひらがなには濁点が打たれていないとし、「きんさん」も同時に修正します。行先は「ぎんざん(銀山)」「あたご(愛宕)」でよいでしょう。蛇足ですが、「代」の様に見える字は「能」をくずした変体仮名で「の」、「さ」の横棒がない字は「多」の変体仮名です。偶然「能勢」の場合「能」が一致しますが二字ともかなとする方がよいと思いました。
「宝塚市大原野茶谷地蔵台石の道標」と名付けましたが、これも読み難い石です。移設された位置が悪く雑木などでよく見えません。今回も条件は悪いようです。アプローチ部分は綺麗に草刈りがされているが、右(東)側に空間がありません。この部分に確認したい紀年銘が有るのですが、体を入れるどころか、頭さへ入り難くカメラを使う事ができません。
仕方なくスマホで位置のログだけ取ろうとして、ポケットから取り出し気が付きました。スマホなら差し込めるのではないか。前回来た時にはこんなツールは持っていなかったのです。
イザやってみると、本体は差し込めるのですが、何が見えているのか分かりません。シャッターボタンをどう押せば良いのでしょう。ピントは任せるとして、セルフタイマーか。ブルートゥースでリモコンが使えるとは知っていますが道具が有りません。ここは一番ヤミクモに押す(触る)戦法を選びました。撮ったものを見るとほとんどが落葉です。落葉を掻き出し、多少枝をちぎりするも、私有地の可能性もあり、そこそこにします。再度トライ。ギブアップ。何とか写った一枚を下に載せる。
東面の紀年部分を撮りたかったが、年号部分は写らず、左側の月日が何とか撮れた。前回より条件は悪くなっている。
次に向かうべく、持参の地図を確認すると、先の「宝塚市大原野茶谷1の道標」にもどり、「右、銀山」を進むのが本来の様であるが、それを進んでも、ここから道なりに100m先辺りで合流する為、戻る事を止めました。地蔵西の道が市道4055号線で、茶谷1道標からの道が市道1506号線で、合流地点からはこの1506号線となり芝辻新田へ続くようです。その後、長坂峠に向かいます。
市道1506号線を東に進み、明治の地図で猿山とある地点を過ぎると小さな峠を越え、大池の三ツ辻に出ます。大原野茶谷地蔵台石の道標」からは600m程の距離と思われますが、途中道幅が狭くなると共に雑木も迫り少しの登りになるだけなのに、長く感じます。一見三ツ辻ですがよく見ると、広い北西から南東への道を横切り、東に続きすぐに右に折れる細い道があります。後で分かったのですが、これが市道1506号の様です。
説明が長くなりましたが、辻の北西部に二基の石造物が置かれています。北を見て左が供養塔、右(東)も基本供養塔であるが、左右に道案内が有るので道標とします。「宝塚市芝辻新田オシケ芋の道標」とします。
この石が苔が付き読み難いのです。前回あまり力を入れていなかった為か、読下しが中途半端です。今日はもう少し頑張ってみようかと思いますが。
施主の住所は天保国絵図と同郷帳から、「大原郡」と「西」に該当するものは「西日登村」しか無いと出来ます。そう言われれば「登」に見える。但し「豆」の上が「入」のようにしか見えない。
施主の名前は「行者」以降はやはり読めず「…ヱ門」とし、参考資料の「(嘉右)ヱ門」を候補としたが、別の資料には「喜左ヱ門」とするものもある。見た感じ「行者」のすぐ下の字の、横長の線の下が「口」よりは「加」のくずしに近いと思えます。その下は「右」でも「左」でも良さそうだが、「ロ」の様にも見える事と、使用頻度から「右」とすれば、最初の候補がよいと思っています。
是非、読下してください。
次に向かう表題に掲げた「長坂峠」にはこの道標の南に向かう広い道路をゴルフ場に向け登らなければならないのですが、その前に一件確認したい道標があります。そこで、変則的な四辻の東の細い道(市道1506号)へ進みます。
辻東の小川を渡ったとたん、道は川に沿い上流へと曲がりますが、すぐ(220m)に突当り、左(北)に曲がります。曲がって20m、民家への進入道も含め四辻を、右(東)に折れ20m、左手(北側)やや開けた所に道標があります。よく見ると、この開けた場所は三ツ辻に成っており、道なりに進むのが市道1506号の様です。この1506号が旧道の様です。
この「宝塚市芝辻新田ナギ町谷通18の道標」は「廣芝茂兵衛」と銘があり、関連の「廣芝銘道標一覧」を作成する時にも来たと思い、存在だけを確認するつもりでしたが、季節外れの紅葉の美しさにもう一度見ておくことにしました。
一応グーグルマップの現在位置を確認しておきます。やはり正しく表示されません。新田オシケ芋の道標から正しく示さなくなりました。
グーグルの地図では、この道標からはどちらの道を進んでも行止りになっています。地理院地図では市道1506号は徒歩道と有ります。そこで「宝塚市芝辻新田オシケ芋の道標」まで戻ります。
グーグルでは広い一本道でもあるし、峠でもあるので電波も拾うと思い、ナビに従う事にし進むと、ゴルフ場の駐車場に到着、しばらく道を探しウロウロするが、ゴルフ場内を突っ切る訳にもいかないので、クラブハウス辺りから峠に出る道がないかと北の端を窺うが、施設内に入り込む様で止めます。泣く泣く戻って一度下ります。ゴルフ場入口のロータリーから東の道に折れます。クラブハウスが右(南)上に見える、公道か私道か分からない道を進むと、峠のテッペン辺りはクラブハウスより低く、三ツ辻状になっている。一つは施設への道と思われ、右南への道が切通しと成って下り始めます。すぐの頭上にはコース間をつなぐ橋が高く架かっており、潜る感じも無く舗装路を一気に下っていきます。
表題に揚げた「長坂峠」は峠とも見えない地点になっていた様だ。写真も撮り忘れている。
この後は、道なりに下るのみで見るべきものも無く期待外れでした。峠から谷筋に沿って南へ下る道は東に向きを変え、1㎞でT字路に突当ります。辻の手前は橋に成っており、ここまでは舗装路でした。ナビはダンマリを決め込んでいます。地図を覚えていなかったので何方に進むか迷い、橋の上から水の流れを確認します。下りが正解だと思うが、突当った道の勾配が分かりません、平らにみえてしまう。地図では道なりに見えるのだが、完全にT字路です。右(南)に水が流れているのを確認しそちらに折れる。ここからは未舗装区間になります。軽四トラックなら通れそうですが、乗用車はキツイかも知れません。轍だけは綺麗に残っているガタガタ道を下ります。
T字路から沢の左岸を370m下った地点で、右の沢に下る(多分)道が分岐しています。明治の地図では銀山から西、ソエ谷峠に続く道への分岐に見え、行きたい衝動に駆られるが、時間を考えると寄り道は出来そうも無く、諦めます。本当はシンドイから。疲れや、心細さで写真も何も無しです。
さて、長坂峠は過ぎたのですがこの後は猪名川町に入ると思うのです。ではどこが市境なのでしょうか、この後の状況を載せるページの都合も有ります。グーグルの地図で確認してみます。
どうやら、上記の道迷いのT字路からは猪名川町に入ったようです。長坂峠を越え南に下り、大きく東に向きを変えた舗装路が市境で、T字路を境に谷筋を北に進み池を分断し、大日山山頂へ続く境界線が見えます。
依って、一応ここで記述は終え、続きは別ページとします。
続きは銀山の道標数基と「猪名川町広根神子ノ辻」の確認だけです。