神戸市山間部

神戸市山間部

敢えて独立させたのは、行きにくい場所で調査が遅れた為である。本来は何れかの区に含めるべきであろうが、灘区等を例にとると北方の面積が広く所在場所を地図にプロットする時、市街地域が重なって見ずらくなってしまう事も避けたいと考えました。
ただし、山岳部も六甲山頂付近、摩耶山、再度山、高取山、須磨、丹生山、の様に飛び飛びでもあり、ぼちぼち回るつもりにしています。

1.六甲山頂付近の極楽茶屋跡

区としては灘区になる様で、東から行くと最高峰を越えて、尾根筋にある極楽茶屋跡の有馬への分岐辻に自然石道標があり、ローマ字が刻まれた珍しいものです。当然近世のものでは無いでしょうが、明治後半以降としても私の知る限り二つ目の道標になりますが、芦屋にあったもう一つは最近無くなったようです。

「ARIMA」の道標

奥(東)、宝塚方面へ

車で行くことにして、阪急の逆瀬川駅の北のややこしい交差点から県道16号(明石神戸宝塚線)で六甲最高峰を目指し逆瀬川を登ります、宝塚ゴルフ倶楽部を抜けると、県道82号(大沢西宮線)旧道との「甲寿橋」交差点を直進し、新しく付け替えられた82号(西宮から来るならこの道)と合流後、盤滝トンネル東交差点から分岐する形で旧道のような16号に進みます。後は道なりに芦有ドライブウェイの料金所の北を抜け一本道です。芦屋方面からなら「芦有」を使うことになるでしょう。
後はカーブ№を一つづつ詰めていきます。芦有を過ぎると№119,山頂一軒茶屋から2㎞で№93,このヘアピンに近いカーブを出ると200m程で海側に駐車場のある極楽茶屋跡に到着です。逆瀬川から14㎞、高低差850m程と思われます。

右端、西から駐車場に出てくる縦走路

サンライズドライブウェイからみよし観音への入り口50m先左に道標

2.六甲山頂付近のみよし観音の道標

極楽茶屋跡を西に1.4㎞県道を進むと、高山植物園前の三ツ辻となり、県道から南東に分岐し六甲ケーブル山上駅(サンライズドライブウェイ)に向かいます。分岐から350m進むと西へ曲がる三ツ辻から北東に向かう一応舗装路があり、これに入るとすぐに道幅が狭くなり50mで六甲山系縦走路の山道となり車は直進出来なくなりますが、北西に折れると元の舗装路に出るロータリーの様な構造になっています。この縦走路入口の左手(北部)に道標が有り、手前右(南)に「みよし観音」と慰霊碑が有ります。

左角に道標、右奥へ縦走路

3.摩耶山辺りの道標と丁石

六甲山頂付近とは日を改めて行きました。丁石も含めて見たいので車では行けません。予定では青谷道「二十二丁」丁石から登り、摩耶山天上寺跡、掬星台、北に下り徳川道、引き返して天上寺跡から上野道下山、途中ケーブル虹の駅折返しを含め、上野道開始となる「十七丁」とケーブル駅の「十八丁」で終り。としましたが現実には二日かかってしまいました。青野道の丁石が「m標石」も含め多く残っており、位置の確認も含め時間をくってしまったとしておきますが、健脚で写真を撮る程度ならいけるのかも知れません。

丁石の詳細は別項にして、ここでは主な道標を紹介しておきます。

4.上野道参道
現在の上野道を摩耶ケーブル駅の階段西の
「十八丁」丁石を起点するなら、ケーブルを利用するのが前提と思いますが、歩いて登るとなると「十七丁」丁石と「道標」のある登山口が起点として良いかと思う。

此の道筋の丁石については、「摂津名所図会」にも書かれた十八丁(基)の丁石の残存と思われる近世のものと、大正期のケーブルの開通に伴う、新しい参道に建てられた丁石5基とが混在するようです。旧参道と合流する峠の茶屋跡から上は、旧丁石が見当たらず大正期の丁石だけが残っている様に思われます。

5.青野道入口は「二十二丁」丁石です。
ここへは、「妙光院」を案内する道標を見に来た時についでに回ったので、西谷線の松蔭高校の北西角交差点から北に妙光院の前を通り、青谷川を東に越えて来るのが分かりやすいと思います。

この参道の行者堂跡の入り口脇に「青ケ谷35行者堂跡の道標」あるが、これに「是より八丁」と刻まれていたとする資料があるが、現在(2022年)ではセメントで読めなくなっている。この石は純粋な丁石ではないと思うので道標に距離が書かれたものとして扱いました。この石の10m程手前で布引方面からの「旧摩耶道」と合流しており道案内の必要な地点でるのは確かでしょう。

6.現在の仁王門南には、上野道参道の大正期の丁石の起点と分る「仁王門前の道程標」と、その西数メートルに昭和の同様石があり、青野道の「二丁」丁石からも距離的に見て起点となりそうである。ただここから今は無い本堂まではまだ3丁程度の距離があり、一般的な丁石とは少し異なるように思う。距離を短く表現したかったものであろうか。

7.南方の参道ではありませんが、北方面からの参拝者には帰りの案内となる「掬星台西の道標」があります。ただこれにある案内が「有馬」しかなく、谷上や小部方面からの参詣者がこの道を利用したかどうかは分からない。

8.上記「掬星台西の道標」に繋がる「シャクナゲ穂高湖西の道標」を見てみましょう。
上記の「右有馬」の案内に従い北東に進むとすぐ(20m)に鞍部に出て、北に下ると桜谷道に繋がり1.4㎞程で徳川道に出る。この辻の東1.1㎞程の徳川道に「穂高湖西の道標」が建っており徳川道から分岐する道に「すぐ摩耶(南西を指す)」と案内があることから東の有馬方面からは「桜谷道」を使うことはなかったかと思うが、徳川道の西の小部からは参詣道として利用されたでしょう。
又、徳川道の西、現在の五つ辻辺りで北狼谷(旧山田道)に向かえば、上谷上に出る事も可能ではあるが、距離的には遠くなり、徳川道を北に横切り生田川上流部へ進み、獺(かわうそ)池か石楠花山を通り、炭ヶ谷を下れば「山田町上谷上61の道標」へ続いていおり、これが案内する「右、摩耶山」に一致しています。途中
獺池か石楠花山としたのは、明治の地図では獺池に道が描かれていない(大正12年には有り)為です。