「川西市西多田平井田筋の道標」が案内する、「右ハわかみや」、「左ハまんぐワんじ」の道筋を確認していませんでした。
これを確認してきました。まだ遅い桜が残っている時期でしたが、まとめは更におくれた事になります。
本来宝塚市域の「丹波坂」を調べた帰りに、若宮からこの道標に出て、湯山台から満願寺に引き返えすつもりでいましたが、叶わず、今回に至った次第です。
時間の関係上、満願寺への道を峠迄確認し引き返します。その後、若宮の丹波道に向かい、帰りに「川西市けやき坂1の道標」等が無事であるかを確認します。
アプローチの関係上、萩原台西から川西明峰高校の前を通り、登山道?(湯山台から満願寺への旧道)を探します。本来なら「川西市西多田平井田筋の道標」からスタートすべきものですが、宅地開発で大きく移設されたと思われ、住宅街をトレースする必要もないとしました。
湯山台登山口(左図の第1候補)に向かいます。
その前に川西市南野坂2丁目38辺り(第2候補)から南西に登る道が明治の地図では有るように見えるのでこれを確認。
続いて2丁目20の第1候補地点を確認。
明治の地図では山裾を西にほぼ直線で今回の進入口にいけるが、現在は池があり立入ることが出来なかった。仕方なく一度隣の宅地に接続する道に150m程東に下り、湯山台に進入する事にします。南野坂の宅地開発業者とは異なる為であろう、宅地最上部どうしを連絡せず、少し下部で連絡しています。沢にかかる橋ではないが、窪んだ様な接続道を北へ10m程進むと、湯山台に入ります。この小さな四辻の北西角に、左矢印板に「満願寺へ」とする、多田丘陵ハイキングコースの案内柱が見えます。これに従い左折(西)し180m登ると正面にフェンスがあり、そこが登山口のようです。舗装路は右へと曲がって続きます。
630m地点で峠のテッペンに達します。ここまでは以前反対側から来たことがあるので、満願寺へ間違いなく繋がる事が確認出来ました。寺側へ少し下りかけた右(西)はゴルフ場の高いネットで遮られ、ボールの飛来の心配はないようです。左手山側は高い石垣になっています。
偶然左手(東)からご婦人の登山グループの方が降りて来られ、石切山からの帰り道である事が分かりました。登り口には案内看板が建っていました。
時間が無いので、次の若宮への道に向かう為、今来た道を引き返します。
さて、湯山台の山道入口に戻って来て、ここからは、明治の地図に有る道を進みたいのですが、宅地開発されてしまい、旧道に近い道を選び進みます。
「川西市西多田平井田筋の道標」の私が勝手に元位置とする川西市湯山台2丁目84-2、に着きました。
民家の北側から西に登る道は、狭いながらも舗装がされており、明治の地図で聯路として描かれている事、も納得できる。
明治の地図では、二つ目の池の北側を過ぎて三つ目の池の南側を通るとしているが、現在はゴルフ場となり、三つ目の池から西は当時無かった北側の道に成っている。現地理院地図には南の道も描かれているが、行きそびれてしまった。昭和33年の地図までは明治と同じであったようだ。因みに、ゴルフ倶楽部開設は昭和35年であったらしい。
峠から480m、馴染みの有る辻に到着しました。ここが満願寺の西の丹波道の丹波坂を下って来た辻になります。
これで、今日の第一目的は果たしました。「川西市西多田平井田筋の道標」の案内は私の想像する元位置に、建っていたとしても、矛盾しないようです。
この辻に昔の道標は有りませんが、力士の墓標が置かれています。これに案内が有っても良いのですが、設置位置の関係であろうか、無さそうです。代わってその北側に建つ現代の案内板が何とも不思議な案内となっている。右(東)を指し「西多田」今来た道、左(西)を「多田神社」としています。西多田から西に来て、更に西に進むのに、東に有る「多田神社」に行けるのでしょうか。
そうなんです。この道は、中央に大平山があり、東端の多田神社から出発し、山の南を回り、若宮から北へ回り込んで、芋生から多田神社へと戻る周回道になっています。
この辻の20m西に「川西市若宮の道標」があります。
前回来たのが2023年11月だったようで、1年半振りとなります。その様子は「丹波道の丹波坂」を参照して下さい。
この「川西市若宮の道標」も三ツ辻に建っており、「左、池田、伊丹、大坂」が満願寺の西へ、「右、中山、西宮」は多分、中山寺の東の中筋への道、を案内すると思われ、寺への参詣にも役立った案内とも思われる。
北に180m進むと、県道325号(切畑多田院線)にぶつかり、若宮の集落は西に進みますが、右(北東)に折れ、多田院へと下ります。県道ですが川西のハイキングコースにもなっている様に、山中の道です。
芋生まで来ると左右が開け、貸農園のようなものが多く見受けられます。北の山を一つ越し、柳谷に確認したい「柳谷寺ノ下廻りの道標」が一基あり、直線距離では600m程しかないと思うのですが、道が分かりません。今日は止めておきます。多田院西を目指します。
県道12号(猪名川渓谷ライン)の多田院西2丁目交差点の50m南、けやき台への取り付け道路(府道より広い)に合流する直前に小さな祠が左手(西側)に建っています。この中の地蔵像が道標になっています。
「川西市けやき坂1の道標」無事でした。
無事としましたが、実はこの像、写真の赤い前垂れの上辺りでポッキリと折れており、元の位置も大きく変わっていると思われる。案内からすると、上記の多田院西2丁目交差点に有ったと思われます。
「多田院1の道標」を西に見る、右上に舗装路、左下(南)は川原
多田大橋西詰に進み、この橋を東に渡ります。渡り終わって30mの三ツ辻を南の細い道に下ります。多田院を西から訪ねる形に成ります。多田院境内の道標も見ておきたいのですが、時間が無いので止めにし、南門、石段下を通り過ぎ、現在工事中の御社橋から150m東地点に進みます。細かく見れば筋違い四辻、一見すると一本道。舗装路から右手(南)の川に下る幅3m程の石段があります。2,3歩降りて右側(西)少し離れて石垣になった下部に、埋め込まれて道標があります。
「川西市多田院1の道標」これも無事でした。
「丸の内町5道標」 を西に見る、左手警察署
さて、今日の最後になります。どうしても好きになれない、県道12号(猪名川渓谷ライン)の多田銀橋西詰交差点から、能勢電滝山駅間をやり過ごし、川西警察署の北側で止ります。歩道西側の植込みに隠れ「丸の内町5の道標」があります。
「丸の内町5の道標」これも無事でした。
以上未踏査の道筋確認と、川西市の道標の一部現存確認でした。
旧い写真を見直して気が付いた事を一点挙げておきます。「川西市西多田平井田筋の道標」の道筋確認の内、満願寺への道は以前通った事が発覚しました。日付を見ると、2016年3月となっていました。9年前を忘れるなんて残念でなりません。