丹波道の丹波坂
1.始めに
最明寺滝東の道標の続きとなります。愛宕原ゴルフ倶楽部北端から川西市「若宮の道標」の間が未踏区間でした。ここを明治の地図で見ると、「丹波坂」とあります。丹波道の道標を語る上で抜かす事の出来ない名前では無いでしょうか、これを埋める為川西市満願寺から出発です。
2.前回の続きへ
満願寺山門の南の変則的な五つ辻に有る「川西市満願寺町8の地蔵道標」を西(大聖不動明王参道)に進みます。満願寺は川西市の飛び地にありますが、宝塚市の平井からの続きなので、宝塚系のサブページ(ここ)に載せています。
3.丹波道の道標
アップにすると、この様に見えます。「左、たんばみ」と書かれています。辻でもないのに左右の案内が有るのが不思議ですね。左の道は有りませんが取敢えず来た道を北に引き返しましょう。
4.途切れる旧道
60m進むと、左手に門扉が有り進入出来ませんが橋を越えて右岸(西)に続く道があります。『今昔マップ on the web』明治の地図を見るとこの辺りで道が分岐している様に見えます。ここに上の道標が建っていればどうでしょう。「左、丹波、右、満願寺」の案内に従って左に行きます。鉄柵で行けません。仕方なく対岸らしき地点を探しに行きます。先の三ツ辻に戻り西に橋を渡り、左、左、と川沿いに下ります。橋西詰から190mで鉄の門扉で行止りとなります。電柱には「満願寺町14」と有りました。資材置き場か何かの様です。これが無ければ道が繋がっている事は明白です。
今日の出発点、満願寺門前南まで引き返します。旧道トレース趣味で無い方は、ここまでは無かった事にして下さい。
7.山道の丹波坂
防獣用の門扉からティーグランドの北端までフェンスを西に廻り込み、北に直線的に登ります。谷か切通しか、良く分りませんが左右の視界は無くなります。120m程進むと峠になり、後は下る一方です。
地図に有る丹波坂の峠を北に見る。切通しに成っている、ロストボールが有ったりする。
9.期待を裏切る力士墓
防獣柵を出てから790mで、東の湯山台から来る道に合流する三ツ辻に出ます。現代の道標が右手に建ち、左山側に力士の墓石があります。これに道案内が有るかと草刈りをして覗くが有りませんでした。よく似た「川西市柳谷寺ノ下廻りの道標」が近くにあるのに残念です。
10.若宮の道標
合流三ツ辻から20m西に三ツ辻があり南側の石垣を背にして「川西市若宮の道標」が建ちます。今日の目標地点です。久しぶりなので変わりが無いかもう一度確かめておきます。
13.ふじガ丘東部
峠を越し、愛宕原ゴルフ倶楽部も抜け、行きしなに確認しなかった、立入禁止札への丹波道を調べてみます。前述の橋を右に渡り、右岸側を進みますが、広い道(ゴルフ場の作業道か)は車も通るようで、下る様子も無く南に向かいます。やがて廃土置き場の様な広場に出て道は途切れます。西上に住宅が見え、南下に道らしいものが見えるが急傾斜で下りれません。戻りながらその道への進入口を探した写真が右のものです。禁止札地点に繋がりそうだが、出れないと分かっているので下る事はしません。
14.境内道標の確認
最後に、満願寺境内の「満願寺町8の参道の道標」の安否確認にいきます。
相変わらず北面は赤かったが、少し薄くなった様だ。この調子なら無くなる期待も持てる。
15.終りに
明治の地図で「丹波坂」を頼りに若宮まで来ましたが、この後「たんば」はどう続くのでしょう。多分、京、大坂等と同じように特定の場所(町・村)ではなく国・地域を示すのでしょうが、若宮から北を目指すのか、北西を行くのか、悩む所です。近辺に道標があれば良いのだがあいにく見つからない。多分北西が近いような気がするが分かりません。
依って「旧丹波道」の追跡はここで終わりとします。
尚、参考になるか分かりませんが、摂津国内における道標で、丹波・篠山を案内する約50基の「グーグル、マイマップ」を作っています。ボタン等から参照下さい。
北西方向で次に丹波の案内を持つ道標は「玉瀬前田4の道標(現、たんばは埋る)」となりますが、直線でも7.5㎞程離れており、その次は北へ3㎞の「大原野茶谷地蔵台石の道標」の「ささやま」の案内となります。道標不毛地帯です。
丹波道のヒント。
「宝塚市切畑鳥ケ脇」に関して、「2001年、宝塚市山手台から長尾山トンネル開通、榎峠からの道と合流。この道が丹波道で中山寺奥の院、三田の花山院、播州の清水寺へと続く巡礼道でもあった。茶屋もあったと言い、交通の要所。」とするような記事がweb上に見られ、榎峠が不明ではあるが、県道325号(切畑多田院線)の若宮から鳥脇への道が、「丹波道」となりそうです。