川西市霞ヶ丘の道標

1.始めに

2023年8月、川西市の市街地に見逃していた道標を訪れました。三基の道標がありました。

霞ヶ丘2-1道標を北東に見る

現県道12号(猪名川渓谷ライン)は、昭和34年頃の私の記憶では、もっと東寄り能勢電に近い辺りを通ていたと思います。その後能勢口駅の開発と同じ頃に現ルートに変わったものの、火打からは滝山へと一本道であったと思っていた所、何時の頃かは知らない内に「火打1丁目交差点」から北に分岐し、萩原台から清和台に続く道に代っていたようです。
 その「火打1丁目交差点」の南160mに、北に分岐る10m幅程の道(車道は4m幅)があります。この北への道を20m進むと西に道が分岐する三ツ辻となり、その北西部角の歩道に、本日一つ目の道標がありました。

2.川西市霞ヶ丘2-1の道標

ここの所、丁石探訪が多く久々の道標です。
 一見して新しいものである事が分かり、紀年銘を探すと西面に「昭和三十四年」と在り、『摂津の国の道標』の対象外となりますが調べておきます。

霞ヶ丘2-1道標を南に見る。
奥は県道12号

霞ヶ丘2-1道標上部を北西に見る

特徴としては、角柱型で、「左、右」の文字の外に指差像が線刻されている事から、明治・大正期によく見られるタイプといえます。施主の道標のイメージを具現化したものであろう。

霞ヶ丘2-1道標南面

霞ヶ丘2-1道標東面

3.あやしい行先

霞ヶ丘2-1道標東面、拡大

行先(案内先)を見てみましょう。地名を指示せず、学校、ゴルフ場、神社、寺(2ヶ所)と施設名をあげ、此の為距離が明確に書かれています。但し「丁」で表現されている為、「半丁」単位の表現となり許容誤差は50m程度となるでしょう。
 川西中学校校門前までなら440m(4.0丁)、グランド南東端なら340m(3.1丁)となり、道標の3.5丁(381m)は良しとなる。
勝福寺へ2.5丁(273m)は、現状480mもあり2丁程も誤差があり不可。
八阪神社へ3丁(327m)も、勝福寺西の参道階段下を指すとしても510m(4.6丁)となり不可。
南面の「日本山妙法寺へ3丁(327m)」は、現「妙法寺」寺標まで420m(3.9丁)で不可だが、その手前にある同施主の建てた「妙法寺スグ西」道標とするなら、370m(3.4丁)でOKでしょう。
最後に、花屋敷ゴルフ場はこの道標の建てられた昭和34(1959)年に開場し、昭和47(1972)年に移転したようで通常なら正門までの距離を示すであろうが、位置が何処であったか分からない。『今昔マップ on the web』の昭和42年修正地図で最も近い候補地(市立花屋敷グランド入口の東60m三ツ辻)までが、970m(8.9丁)もあり道標の5丁(545m)は不可である。

少し先走りますが、案内の距離に関しては、この後同一施主の二基を含め当てには成りません。移設を考える上で最も頼りとなる距離なのですが余りに感覚的すぎて残念である。
 尚、当道標は昭和42年修正地図から見て移設は無いと思われます。

4.妙法寺への案内

私の勝手な解釈では、日本山妙法寺への道標であるとして、「左(西)」へ進む事にします。

霞ヶ丘2-1道標を左奥(西)へ進み、妙法寺へ

花屋敷荘園3道標を北西に見る

道はすぐ細くなり北西に向きを変えつつ登ります。南側は桜が丘小学校の様です。北門前を道なりに真っすぐ進み260m地点で右(東)から登って来る広い道に合流し、110m進むとT字路に突当ります。その正面に道標が建っていますが、右横には「宝塚市」と書いた標識があります。左の「この先行止り」とある電柱や南側の住居表示を見ると、確かに「宝塚市花屋敷荘園三丁目…」となっています。右下には川西中学校があるので市境と思われます。

5.寺の近く、宝塚市花屋敷荘園の道標

花屋敷荘園3道標拡大、北西向き

花屋敷荘園3道標南面

早速道標を確認します。南面に左と指差し像の下3行目に「日本山 妙法寺 スグ西」とあり距離ではなく「スグ」なのです。地図上では「妙法寺」寺標まで50mありました。

花屋敷荘園3道標

6.ここも怪しい案内先

その他の案内先と距離を確認してみましょう。
「花屋敷ゴルフ場へ0.3キロ」「石切山へ0.2キロ」「日本至誠会へ0.4キロ」となっています。日本至誠会は分からないのでカットしますが、ゴルフ場方面へ300mでは「花屋敷荘園自治会館」が東に有りますが住宅地の坂の途中で、前述の想定位置まで170mを残します。
石切山が山頂を示すものなら直線距離でも1kmあり不可。

7.妙法寺は民家風

妙法寺を北西に見る。
右下に20m下り寺標へ

妙法寺寺標を西に見る

道標から左へ50m登ると、左へ折れる三ツ辻になり、辻の右手に寺標が立っています。山門がないのでここが到着点と出来るでしょう。本堂へは右に曲がり40m程ありそうです。

8.ゴルフ場を探す

一基目に戻り北を見る

最初の道標から、花屋敷ゴルフ場を探すべく、右(北)に進んでみます。
100m先の四辻に出て、火打1丁目交差点からくる広い道に西折れします。
左(西)折して40mに三ツ辻が有り、辻の南西部の歩道上に道標があります。

9.川西市霞ヶ丘2-の道標

霞ヶ丘2-2の道標を南西に見る

霞ヶ丘2-2の道標を南に見る

この道標は移設された可能性が感じられる。
 理由は「ここは霞ヶ丘町二丁目」とあるが、二丁目の中途半端な位置にあり、かつ道標が欲しい地点でもない。三基の道標の案内先までの距離が「怪しい」としてきたが、この道標を案内が欲しいと思う西へ70mの三ツ辻に持っていくと、「右、川西中学校へ0.1㎞」が学校の南東端に一致し、疑問点が一つ解決する。
 この時、同方向となる「花屋敷ゴルフ場0.4㎞」は現在の松ヶ丘団地辺りになりそうである。ただ、「霞ヶ丘2-1」の道標にある中学校3.5丁とゴルフ場5丁の差1.5丁(160m)が、300mに増えている点で、「怪しさ」は変わらない。

ゴルフ場は何処に有ったのでしょう。
『今昔マップ on the web』の昭和42年修正地図にある花屋敷ゴルフ場の南部に描かれる黒塗り建造物をクラブハウスと見立て、その南の平坦地(現宝塚市花屋敷グランド)が駐車場であったとし、そこに続く道にゲートがあったと考えると、宝塚市花屋敷荘園3-10-14の三ツ辻辺りを示すのではないかとした。

10.ゴルフ場は不明

現道標の案内方向と、上記で述べたゴルフ場入口跡を探しに出発します。
 道成りに西に進み、川西中学校へは向かわず、宝塚市花屋敷グランド前(坂がキツク写真撮り忘れ)を過ぎ、北雲雀きずきの森を通り、県立西明峰高校に下ったが、手掛かりも無く帰途に着きました。

11.終りに

この三基の道標は同一施主の手になるもので、二基には明確に紀年銘が刻まれ、且つその時の年齢と思われる「八X翁」が刻まれ誕生日が1877(明治10)年と想像できるのだが、三基目に限り紀年銘がなく謎が生まれる。又、一基目は「丁」が使えたのに、二基目以降は「キロ」としなければならなかった点を見ると、時代の移り変わりが感じられる。
 蛇足ですが、「」の代わりは「キロメートル」と思うのですが、当人には「キロ」が距離を表す単位だったのでしょう。チョッと意地悪して「おじいさん、体重は何貫ですか」と聞いてみたかった。
参考、wikiによるとメートル法への完全移行は「1966(昭和41)年4月1日」とあった。

霞ヶ丘2-1道標、「八二」
昭和34(1959)年

花屋敷荘園3道標、「八八」
昭和40(1965)年

霞ヶ丘2-2道標、紀年なし
推定昭和44(1969)年~