川西市霞ヶ丘の道標
1.始めに
2023年8月、川西市の市街地に見逃していた道標を訪れました。三基の道標がありました。
2.川西市霞ヶ丘2-1の道標
3.あやしい行先
行先(案内先)を見てみましょう。地名を指示せず、学校、ゴルフ場、神社、寺(2ヶ所)と施設名をあげ、此の為距離が明確に書かれています。但し「丁」で表現されている為、「半丁」単位の表現となり許容誤差は50m程度となるでしょう。
川西中学校校門前までなら440m(4.0丁)、グランド南東端なら340m(3.1丁)となり、道標の3.5丁(381m)は良しとなる。
勝福寺へ2.5丁(273m)は、現状480mもあり2丁程も誤差があり不可。
八阪神社へ3丁(327m)も、勝福寺西の参道階段下を指すとしても510m(4.6丁)となり不可。
南面の「日本山妙法寺へ3丁(327m)」は、現「妙法寺」寺標まで420m(3.9丁)で不可だが、その手前にある同施主の建てた「妙法寺スグ西」道標とするなら、370m(3.4丁)でOKでしょう。
最後に、花屋敷ゴルフ場はこの道標の建てられた昭和34(1959)年に開場し、昭和47(1972)年に移転したようで通常なら正門までの距離を示すであろうが、位置が何処であったか分からない。『今昔マップ on the web』の昭和42年修正地図で最も近い候補地(市立花屋敷グランド入口の東60m三ツ辻)までが、970m(8.9丁)もあり道標の5丁(545m)は不可である。
少し先走りますが、案内の距離に関しては、この後同一施主の二基を含め当てには成りません。移設を考える上で最も頼りとなる距離なのですが余りに感覚的すぎて残念である。
尚、当道標は昭和42年修正地図から見て移設は無いと思われます。
5.寺の近く、宝塚市花屋敷荘園の道標
7.妙法寺は民家風
8.ゴルフ場を探す
9.川西市霞ヶ丘2-2の道標
この道標は移設された可能性が感じられる。
理由は「ここは霞ヶ丘町二丁目」とあるが、二丁目の中途半端な位置にあり、かつ道標が欲しい地点でもない。三基の道標の案内先までの距離が「怪しい」としてきたが、この道標を案内が欲しいと思う西へ70mの三ツ辻に持っていくと、「右、川西中学校へ0.1㎞」が学校の南東端に一致し、疑問点が一つ解決する。
この時、同方向となる「花屋敷ゴルフ場0.4㎞」は現在の松ヶ丘団地辺りになりそうである。ただ、「霞ヶ丘2-1」の道標にある中学校3.5丁とゴルフ場5丁の差1.5丁(160m)が、300mに増えている点で、「怪しさ」は変わらない。
ゴルフ場は何処に有ったのでしょう。
『今昔マップ on the web』の昭和42年修正地図にある花屋敷ゴルフ場の南部に描かれる黒塗り建造物をクラブハウスと見立て、その南の平坦地(現宝塚市花屋敷グランド)が駐車場であったとし、そこに続く道にゲートがあったと考えると、宝塚市花屋敷荘園3-10-14の三ツ辻辺りを示すのではないかとした。
10.ゴルフ場は不明
現道標の案内方向と、上記で述べたゴルフ場入口跡を探しに出発します。
道成りに西に進み、川西中学校へは向かわず、宝塚市花屋敷グランド前(坂がキツク写真撮り忘れ)を過ぎ、北雲雀きずきの森を通り、県立西明峰高校に下ったが、手掛かりも無く帰途に着きました。
11.終りに
この三基の道標は同一施主の手になるもので、二基には明確に紀年銘が刻まれ、且つその時の年齢と思われる「八X翁」が刻まれ誕生日が1877(明治10)年と想像できるのだが、三基目に限り紀年銘がなく謎が生まれる。又、一基目は「丁」が使えたのに、二基目以降は「キロ」としなければならなかった点を見ると、時代の移り変わりが感じられる。
蛇足ですが、「丁」の代わりは「キロメートル」と思うのですが、当人には「キロ」が距離を表す単位だったのでしょう。チョッと意地悪して「おじいさん、体重は何貫ですか」と聞いてみたかった。
参考、wikiによるとメートル法への完全移行は「1966(昭和41)年4月1日」とあった。