能勢町については沢山書かなければならないのだが、取り敢えず最近の「妙見山」と「妙見山奥ノ院」の丁石を載せておきます。2022/12/30
能勢町域にあって、妙見山は南東端に当り、奥ノ院はその北3.6㎞に位置します。寺院かお宮さんかの区別などはよく分からないのですが、子供のころから「みょうけんさん」と聞いているので「妙見さん」だと思っていました。詳しくはhp等を参照いただくとして、町域の参道にある丁石を探してみました。
妙見山は、摂津名所図会を見ると絵が載り、野間中か野間大原野の上空辺りからの風景として南東を望むアングルで描かれているようです。又説明には「麓より…」とある様に北から登る参道が紹介されています。現在の阪神間から訪れる道筋とは異なっており、最初は違和感を持ちました。
この北からほぼ一直線に南に登る参道は、途中本瀧寺を通ることから「本瀧道」と呼ばれるようで、7基の丁石が残っています。明治期以降の建立と思われ、進んだ距離を示す丁石であり、妙見山本殿近くでは野間口からの清滝道に建っていたと思われる丁石と合わさっています。誰も注意深く見ないので混同する事はないと思いますが、こちらは残存距離を示す一般的な丁石であったと思います。
妙見山に関して三本の参道を挙げていますが、上に述べた本瀧道の起点となる丁石は、銘の刻み方から「五丁」が最初で「十二丁」が最後となり、その後かなりの距離をとり目的地の本殿となりそうですが、何とも奇妙である。ここでは、野間中の四辻にある「道標」から出発する事にします。ここへは西からと、北からの道を集めて東に向かいます。
道標の案内に従って右(東)へ進みます。この道標の道を挟んで南側にも道標二基が隠れています。急ぎでなければ見ていって下さい。何れも妙見山を案内しています。
ここで大切なお知らせ、
右上の写真の木の根元の洞(うろ)に、スズメバチの巣が有ります。
十一月の中旬でしたが、手袋の上から刺されてしまいました。体型からクマと間違えたのかもしれません。南面の汚れをブラシで落としていただけなのに。仕方なく長焦点で写真を撮り、スキを見て計測はした。
痛さに負けず?早々に参道を登ります。
【参考】
丁石の多くは開始の石に、目的地、講名、施主、紀年等を書き、中間は丁数(複数施主時は施主名)のみとし、最後に又講名、世話人等を入れて中間の石と差別化を図っている。文字数の都合か最初と最後は大きい事が多いが、一連の石の形態(様式)は統一されている。一度に建設される様であるが、遺失を補う形で建てる事も見受けられる。目的地までの残距離を書くことが多いが、進捗距離を示すものもある。
道標に書かれる距離数に比べ、段違いに精度は高く、新旧が並ぶ場合などもその位置関係は変わらず置かれる事にもなる。
感想ではあるが、谷側に置かれるより山側に建つことが多いと思う。同じく、神社にあっては鳥居迄、寺院では本殿又は舎利塔を到達点(0丁)とするように見える。
二基の道標を少し説明しておきます。
先ず背の低い方、近世作と思われる道標ですが、これには南東面「右京亀山」が妙龍寺を経て野間口(東)へ下る道(清滝道)を示し、南西面「左園部笹山」が今登って来た本瀧道を指していると思う。
清滝道の野間口には箕面や茨木方面からもアクセス可能であるが、案内にはない。
二基目、背の高い方が明治に建てられたもので「西、左奥之院迄四十五町」「本瀧迄十丁」「神力橋迄十五丁」とあり奥ノ院への案内が主と思われる。「本瀧」が寺を示したものか、名所図会の瀧の説明「妙見宮より…下十一丁目あり」、図では「妙見瀧」を指したかは分からない。
二基の道標から南をみる。
同じ地点から南を見る、奥開運殿(本殿)へ一丁程。左から清滝道が合流して来る。石段左に「三丁」丁石があり、更に左端の木の左に「壱丁」丁石がある。この二基は清滝道の道標と思われ、直行する本瀧道と石段下で合流し南へ。
開運殿(名所図会では本社)から半丁の距離は郵便局の前辺りになります。何故半丁にこだわるかと言うと茨木市の文化財資料館に「妙見山半丁」の丁石が存在するからです。半丁は妙見口の方から来る新滝道側にも存在するが、施主の芥川からの参道となれば、清滝道合流後の本瀧道側に有った可能性が高いと考えられる。左の写真は郵便局過ぎから本殿方向を写したものです。高い桁の上に乗るのは多分絵馬堂か、名所図会にも清水の舞台を想像させるような桁が描かれています。
国会図書館デジタルアーカイブ『摂津名所図会』より妙見山本社部分。
中央やや左の鳥居に二基の道標があり、図左へ「京、亀山」、下へ「園部、笹山」を案内している。現在の祈祷待合所辺りは清水の舞台の様にも見え、参拝客が景色を楽しんでいる。
池田へ出る「大坂道」は現在の星嶺や山門を迂回し、展望デッキの下を通り広い駐車場近くの鳥居に出たものと思われる。
妙見山奥ノ院への本瀧道下りと、その後の今谷道は項を改めます。
参考として妙見山と奥ノ院を案内する道標を掲げておきます。この地図を見ると阪神間からは「新滝道」、茨木・高槻方面からは「清滝道」、能勢町北部からは「本瀧道」へ繋がることが明白である。しかし三田方面からは「本瀧道」に繋がるはずですが途中の経路が良く分りません。又、猪名川町の広根辺りからは畦野に出るか、一庫に出るか微妙な様に思います。皆さんで結論をお出し下さい。
尚、妙見山参道を三本としましたが、旧参道とされる「上杉尾根コース」、池田市古江町から北東へ尾根筋を進む妙見道(長尾街道)のゴルフ場部分と吉川での参道への取り付き部分が未調査である事をお断わりしておきます。