草木が伸びない内に行こうと決めていた道に再挑戦したものです。前回はシダに阻まれ諦めて帰りましたが、今回はどうなるでしょう。地理院地図には記載されていない経路であるため、進め無くなれば引き返すと、軽い気持ちで行きます。
結論から先に書いておきます。
1.明治の地図に有る清荒神の鉄斎美術館辺りへの道は途中で途切れます。
2.地理院地図にある中国自動車道下の参道へは出る事が出来ましたが、大きな問題点があり、一般的には繋がっていないといえます。大きな問題点とは、途中に上部に有刺鉄線が付いた高い金網があり、これを越す必要があります。多分松茸ドロボウ除けかと思いますが、フェンスの終わりが分かりません。尚、この障害物が無かったとしても、一部道の痕はありますが、ヤブ漕ぎならぬ、枝打ち、倒木蹴倒し、猪ヌタ場越え、等があり道は無いと結論します。
自己責任の名をもってしても、山行はお勧めしません。
前回と重複しますが、売布きよしガ丘1-17、住宅の東端から進入します。尚、今日はスマホの現在地点が正しく出ていそうです。住宅地内なので当然でしょうが、これが続くことを祈り、スクリーンショット(s・s)を撮っていきます。
この道標が、そもそもの始まりです。北面に「右かうじ(ん)」とあり、明治の地図にも道が載っています。旧道マニアではありませんが、元位置決定の為、ここから右に道が有るかを確かめます。
金網に沿って西に折れます。
明確ではない踏み跡は金網から離れそうになり、金網沿いを行くか、離れるか、迷う。三ツ辻の様にも感じる場所である。右は尾根筋を離れる様である。しばらくウロウロする。グーグルマップでは地形が分かり難い。こちらへ進もうと思うのだが。kimg5553のストックが指す方向。
振返って見ると、なんだか左(西)に分岐する道が有るようにも見える。ただ現位置では明治の地図にある清荒神への道とは考えにくい。もう少し(100m程か)南の尾根と思われる。kimg5555
ここから北西に分岐し谷へ向えば、清澄寺東の川に着くと思われます。少し前に諦めた明治の地図の道にも合流しそうです。
勇んで進みますが、始めこそ踏み跡はシッカリしていますが、谷筋でもあり、すぐに明確な道跡はなくなり、滑らないように足場を選んで下ります。涸れた沢に出会うと、下って来た左(南)側は進めなくなります。沢の向かいに道跡かと思えるものがあり、この沢を越えました。
念のため地図を出して、右岸か左岸か判断しようとしますが、読み解くことができません。取り敢えず行けるとこまで行ってみよう。残り百メートル程の距離のはずです。
右岸に移り沢沿いをほんの少し下るも、それ以上は行けず、北を見とやや空間が有る様で、そちらに迂回するとしました。もはや踏み跡どころではありませんが、枝から枝へ、猿の様にはいきませんが伝い歩きです。足元はシダ(ウラジロ?)で見えない。時々誰かが足を掴みます。此処へ来てイバラが無い事だけが救いです。
ヌタ場を振返って北を見るkimg5609
ここまで来ると、引き返すのもシャクなので、清荒神参道へ下る事を次の目的に代え、南の金網沿いの方面に進む。
三ツ辻からは金網を少し離れますが南に続く踏み跡を辿ります。宅地内を通らずに南への道が有る様です。ほんの少し下ると、多分猪のヌタ場と思われる所に出ました。kimg5609
此処も三ツ辻風に成っており、南金網沿いの道と、西に大きく下る踏み跡が有りました。後で考えると。この西に分岐する道が明治の道に続くかもしれないが、この時は直前で谷に下り込んでおり、その可能性があるとは思わなかった。
帰りを急ぐ気も有って、ここを真っすぐ突き切って南に進みます。
目の前に金網が出てきました。当然左手も今までたどって来た金網です。正面の金網には右側に続くような踏み跡はありません。が、よく見ると正面金網の向う側に踏み跡が見えます。脚立等も倒れており、これを越せば道は続くようです。出入口か、切れ目が無いか、金網に沿い右(西)側に少し進むが無さそうです。kimg5617
迷ったあげく、鉄条網が気になりますが・・・。
どの様に越えたかは想像にお任せします。
少し手前で白色に変わった東側の金網は、今迄より少し南に向いて続いていくようです。地図を見ると住宅地の境界に沿って立てられていると思えます。
これで今日の目的は完了です。中山寺奥の院から下り、夫婦岩からやや西に分岐し「売布きよしガ丘北の道標」から、「右かうじ(ん)」に従い、悪戦苦闘を繰返せば、明治の地図に有る最短経路では清荒神に行けないが、中国自動車道高架下の一般的な参詣道に出ることが、出来るかもしれない。
老婆心ではなく、行かない事を願います。