長坂峠を訪ねた折、存在確認の為にチョコッと見るだけのつもりで撮った写真の内、「大原野茶谷地蔵台石の道標」東面が上手く撮れていなかった。東面に字がある事は知っていましたが読めないと諦めていたので、手を抜いていた。帰宅後、見直してみると、デジカメの写真では分からなかったが、スマホのものは一部読取可能と分り、なぜもっと撮らなかったのかと悔やみました。旧記事の年月日の内「月日」が確定出来たのでその部分のみ訂正した次第でした。
ここで確認の為、web上を検索していると、年号を明記する資料に出くわしました。リンクの可否が書かれていませんのでサイト名も挙げませんが、近世以前の土木・産業遺産とする一覧表形式の「兵庫県」の中で『大原野の地蔵道標』として「宝永5(1708)」と記されている。出典に「WEB(神戸の道しるべ)」とあるが、現在は見当たらないようです。
これは大変、私は多分「寛政四」としているのに。
前回の東面
見に行きましょう。
今回は、「スマホを差し込み、リモートシャッタで撮りまくるぞ」と自撮り棒を買いに100均に走りました。売っていません。カメラの置いてある家電量販店に向かいます。カメラ売り場が無くなっていました。ウロウロしていると三脚売り場があり、そこに目指す三脚兼用自撮り棒がありましたが、予算が合いません。
帰って、「道標お掃除セット」の剪定鋏を研ぐことにしました。
今日はお天気が「晴れたり曇ったり」で絶好の日和です。ですが、地蔵の回り、特に東と北は写真を撮る状況ではありません。
先ず東(右)面下の落葉を掻き出します。細い竹、或いは笹が邪魔をします。地蔵の高さ辺りは、潅木、竹、ツル(葛か)がシッカリとガードします。落葉をとればスマホで何とか対応できるかと思っていたが・・・。
何んとか体を差し込む分だけ広がったが、他に生えている竹は背で押さないとカメラが構えられません。撮った写真がこちらです。
距離が取れず、アングルもままならないので綺麗に撮れたものは有りませんが、字の確認だけは出来ました。
「寛政五癸丑季」「九月三日 示」は「寛政五、みずのと・うし、九月三日、季示」と読み、後ろの「季示」はトキ、シメスと読むのではないでしょうか。建立年月日と思います。1793年10月7日、月曜日になると思う。
銘で見る「季示」は初めてで、多分「維時」や「干時」と同じような使い方では無いかとした。「季」には「スエ」等の意味もあるようだが、その年の九月であることから、年末とは取りにくい。
これで「大原野茶谷地蔵台石の道標」紀年銘は解決した。この後、近辺の道標が変わっていないかを見る為に、幾つか廻る事にします。
紙屋の道標、東面
「俗名常盤山吉右衛門」
「太機活用禅定門」
紙屋の道標、北面
「文化十癸酉天九月日」
次に、何度来ても上手く写真が撮れない「大原野紙屋の道標」に向かいます。いつも来るのが午後遅くになり光線の具合が良くありません。今日は昼過ぎで、天気も曇りがちな為、違って見えるかもしれません。
が、東面は苔で何時もの如くほぼ読めません、北面は若干よく見え、紀年銘が読みやすく思います。
尚、ここに東の大原野阿弥陀寺の方から来る道は、道なりに大きく南に曲がっており、辻にはほぼ南向きに突当っている。ただこの曲りが感じられないため、西に突当った感覚になり、方向感覚が狂わされる辻である。
この後は、三田に確認したい道標があり、久しぶりに訪ねますが別項「三田広沢ポンプ場の道標」とします。