剣尾山月峯寺、白木谷道2
2023/5/23作成
1.もし20丁から辿る時
今回は14丁丁石から始めます。養鶏場からの参道を通らず、東寄りの送電線保守用と思われる舗装道路で14丁を目指します。
尚、1、2回目の記事の様に私道を通行出来なかった場合には、14丁迄登らずに、途中下記写真3.の三ツ辻(林道分岐から400m)で左に入り砂防堰堤北側を渡渉し、首無し地蔵四辻から南の20丁を訪ね、折返し北に進み19~15丁を抜けて下記写真5.に出る工程を採ってください。
右岸に移ってからは北にほぼ一直線となります。旧参道は23丁から以降は渡渉することなく右岸を一貫して登ったものと思われます。この考え方はこれ以降の行程にも適用でき、渡渉の必要は無いと出来るでしょう。
3. 14丁丁石
美的と言えば横から見た時である、この様式の特徴でもある正面が上部にかけ少しづつ後退し庇部の出っ張りにつながり額縁部がやや湾曲し頂部に至り、背面へは舟底型に連続して削られている。かと言って地蔵光背型の様に全体が薄くにはならず、左右面との稜線は角を丸める程度にし上から見れば角柱となり、強度も考えられつつ手間も省ける造りである。正面に庇を持つ為、銘が保護される効果も大きいと思われる。
この様式は、近世に入ると少なくなるようです。やはり手間が掛かる掛かる為でしょうか。或は宗教的なものが関係するのか、こちらに関しては一切知見がありません。
4. 13丁丁石
13丁では、折れている事を幸いに断面を見ておきましょう。巾20x奥19㎝と角柱であることが分かります。正面との角は面取り程度で、背面との角が多く削られ丸味感が出ています。又基礎部が少し浮き上がっているので巾が4㎝広く、奥行きが1㎝厚くなっていることが分かります。建て方を見ると、礎石に嵌め込む形式ではなく、四周を平らな石で固める様にしており余り強固ではない。丁石であれば仕方のない事であろう。
碑面の文字「十三町」は真っすぐに書かれており、施主も無いと思うが、「□左」とする資料がある。この「左」が丁石右下の基部のすぐ上であるとすると、「十三町」からは離れすぎ、且つ正面下部に近すぎて文字の配置バランスが良くないと思うので、文字では無いとしたが念のため。
5.いよいよ参道へ、12丁~
結論から先に、12,11丁は見つかりませんでした。
最近覚えた恥ずかしい話。スマホのグーグルマップはオンライン状態でなくても現在地点が出るらしい(タイムラインは論外)。スマホのハードコピー(スクショと呼ぶらしい)が撮れるらしい。(スマホカメラのexifの位置情報は使い物にならない。)
依って今回マイマップに想定地点を登録しておき、現在地点が其処を示す様になるまでウロウロすることにしました。今迄は歩測一辺倒でした。歩測はルートさえ分かっておればほぼ間違いなく丁石を探せるのであるが、この道には適さない、即ち何処でも通れる状態。
6.本当に10丁ですか
10丁石の残欠とされている石らしいのだが、この時は丁石と出来ず立ち去る。
8. 6丁への分岐点を求めて
この時点では、6丁への分岐地点を探す事に集中していたところ、ケルンの様な石を見つけたので、まだ地図に有る徒歩道を進んでいると理解した。webハイキング記事で6丁へは5丁から下るとあった為、下からでは6丁に向かう道は通常ルートになっていないと判断した為です。
9. 6丁どころか迷子に
間違えた谷に進入後、6丁へ向うべく東に転向する地点を探し続けて登るが見つからず、15分程後ようやく右に行けそうな場所を見つけ、周りを見ると道を誤ったと気付く。右に向かっても北方向に進む様で東に向かいそうも無く、谷筋が西に曲がっていた様である。一応四周の写真を撮り(12:36)、引き返そうと下を見るが「これは下り難い」と判断し、北に向かえば最悪尾根筋に出るであろうと、6丁丁石は諦め谷筋を離れた。こうなると後は歩き易い(滑り落ちない)所を木に掴まりながら進むのみでした。
道を間違えたのが12:22、尾根に出たのが13:361時間以上道なき道を登った事になりますが、体感30分程だったのは必死だった為でしょう。
多分おにぎり岩を20m程先に進み、崖崩れを眼前にして左が正解であろう。即ち地理院地図の破線で書かれた北へ直登する歩道からは、知らない間に分岐していた為と今では考えられる。
10.参道に復帰
この間違いルートの経緯は「能勢町剣尾山月峯寺丁石一覧」には載せていません。何食わぬ顔で5丁へ進んでいます。
11. 1丁岩も見つけられず
12.本堂跡も見落とし山頂へ
鐘楼跡、井戸跡、剣尾山山頂と進みました。
あれ、本堂跡は見過ごしたようです。帰りに見ましょう。