平尻道の未踏部を歩く
「三田道」の一部、西宮市域の「平尻道(へんじりみち)」の未踏査部分を道標を探して歩きました。中間部分は名来の神社から東に登る道から容易に行けたのだが、その東側の船坂川方面と、北西側北区道場町平田方面を残していました。
一時期、旧道を三田街道として整備されたようであるが、現在はほぼ人が入らないようです。危険な部分は有りませんが笹・雑草が多く、冬場がやや歩き易いかと思う。・・・が余りお勧めできない道でもあります。
2022/11/7 忘備録として。
『平尻道の地図帳』(写真①)と西宮市の地図情報の1/2500地形図を頼りに、未踏査区間であった「西宮市山口町名来」近辺の山道部分を歩いてきました。神戸グランドヒルGC南西部の中国縦貫側道、MapFanで名来649-2、グーグルマップで(N34.838489 E135.249153)辺りの畑の西から谷筋を登り、地蔵道標を中間点として、北西の同名来728(N34.844594 E135.240394)墓地の東の三ツ辻まで、地理院地図で片道1,270mを往復した。
尚、距離は地理院地図での水平距離を用い、実距離はこれより長いと思います。又場所は帰宅後の記憶を地形図の特徴により想定している為、錯誤はいなめないでしょう。(GPSなど持っていない。)
11:30出発、11:50道間違い、12:20向坂地蔵、12:30鍛冶ノ辻、12:40沢に逸脱、13:55旧道復帰、13:05到着
帰りに鍛冶屋跡の搗臼(つきうす)を10分程探した時間と向坂地蔵の袋小路確認の10分程を含め、休憩なしで1時間強であった。道を誤らず歩くだけなら片道50分程度と思われます。出発点の標高240m、最高地点260m、到着地点200mの様で、帰りの方がやや登りが多いが高度差60m程なので道さえ良ければ気軽なコースなのだが…。
鍛冶屋跡探し中に長年使った短いシャーペンを紛失しガッカリ、その後、往路に落としていたと思われる手袋の右を偶然に回収できたのは嬉しかった。このヤッケのポケットはボタンをしていても物がよく無くなる。
1.始めに
行きは大阪方面から丹波へ向う道筋になり、明治の地図では平尾から平田への最短道です。
今回出発点とした前回の山口町徳風会が建てた「丹波街道」木標への進入路が、まずは分かり難くなっていた。東の三ツ辻は農道として車の轍もしっかりついているのだが、山裾に取り付くまでの道が草に覆われどう進めば良いか分からない。取り敢えず地形図にある様に北西へフェンス沿いに、畔道?を進んだが、木標の獣害防止扉下まで進むものの平地部から登る道がなく、少し戻り、柵らしき物へ強引に西に5m程よじ登る。靴紐が緩み締め直す。帰りに分かったのだが、三ツ辻から西に出て山裾にぶち当たってから木立の中を進み「丹波街道」木標に行き着くのが本来(写真㉕)で有ると思うが、山裾手前にさびたドラム缶等が多数転がりこれを避けて通るのは勇気がいる。
尚、『平尻道の地図帳』ではこの出発地点を「平尻坂の出入り口」としており、東部の平坦部を下平尻、その東を上平尻としている。
2.出発点
ようやく出発点に着きました。前述のように防獣扉を開け「丹波街道」木標を起点にします。
多少草が枯れているかと思いきや、前回よりヒドイ様です。今日はここを歩くだけの目標で来たので進むしかありません。すぐ谷筋を登ります。笹が邪魔をしますが辿れなくはありませんが、いきなり倒木があり気勢を削がれます。80m程で大きく折返し10m程で再び折返し西に進みます。ほぼ平坦(本日の最高点260m辺り)になり200m地点でフェンスの角の三ツ辻に出て「火の用心」の立て札(写真⑤)が見えます。多分関電の送電塔の番号であろうと思われる「№」がマジックインキで書かれています。これを道なりに右(北)№58に進めば良かったのですが、地図の読み違え(進んだ距離を短く認識し)て、まだ西に進むべきとし左に折れてしまいました。70m程下り右手に太陽光発電、左手(南)に高速道があり、過ちに気づき戻る。地図では太陽光発電施設の上部をかすめる。
3.送電塔№59、正しい道から再出発
上述の200mフェンス角(写真⑤)から再出発。道はほぼ北向きとなり、保守道であるらしく草が刈られており快適な道になります。道が西に向き右手(北側)すぐに鉄塔があり、「火の用心」札(写真⑥)には「←№60、№58→」とあるのでこれが№59なのでしょう。この先北向きに方向を変え330m地点で三ツ辻(写真⑦)となり、整備された道は右(東)方面に折れていますが、ここを北に「ここが道かな?」と疑う方へ直進します。草だらけですが道跡は間違えないと思います。すぐに西向きに方向を変え、更に北向きに向かい始めると、出発点から500m辺り、前回の進入あきらめ地点の送電鉄塔(写真⑧)に出て、未踏査部前半が終わります。
4.向坂地蔵道標は、中間点
何回か訪れた名来山中の地蔵道標近辺に来ると一安心。
先の鉄塔から「西宮市山口町名来の道標」(写真⑩)までは既知の部分ですが往路の続きとして書いておきます。鉄塔の敷地内(西)はフェンスで囲われているのはわかるが、右側もフェンスがあり空地となっていて興ざめする(写真⑧)が間を抜け590m地点の左(西)側の一段高い所に「地蔵」(写真⑨)が祀られている。何時も綺麗に花が供えられているのは感心します。この少し手前を「丹波街道」木標(写真⑪)に従い右(北東)へ広場風の辻を横切り50m程の正面の三ツ辻(650m地点、写真⑫)に、何やら怪しい白い案内板が竹にくくり付けられている。広い道は東と北に続くのだがよく見ると10m程北に竹藪の中を西に下る道(660m地点、写真⑬⑭)らしきものがある。筋違いの四辻であるようだ。ここからは下りになり、未踏査部の後半になります。前回は詳細に地図を検討していなかったので、下から攻めようとしてあきらめた地点です。
今日は行きます。地形図も拡大して持ってきた来た。
5.鍛冶ノ辻から下る、未踏査部2の始まり
竹藪に入るとすぐに前回は気づかなかった、「丹波街道」木標が右(北)側に建っています。安心して下る事が出来ます。暫らくは尾根筋を下ります。「火の用心」札(写真⑮)が白色(二系統の送電塔があるようだ)に代わり№274、№273を過ぎていきます。道がやや北向きに変った、多分860m地点辺りで水の無い沢に出会います。地理院地図では沢の記入が無く同定出来ず、より詳細な地図(1/2,500)でも同様です。竹藪中のここ(写真⑯)を右側に少し登って沢をかわせばよかったのですが、1/2,500地図ではこの先、「水の有る沢沿い左岸を行った後、右岸に渡渉後沢沿いに下る」と読み取らなければならないのに、間違って書かれていると考えてしまい、この涸れ沢右岸に沿って下る(写真⑰)事にしました。
これが失敗でした。この後わずか4、50m程悪戦苦闘したが恥ずかしいのでその様子は書きませんが、この先で東から水の流れる沢が合流して一本の沢に成っている事が分かると、最初の西側の水の無い沢は地図に載らない沢に出合っていた状況であったと思う。
帰りの為の、今となっては誤りのルートに目印を付けたりしながら進むうち、少し大きな沢(写真⑱)に出合い、道は対岸(右岸、東岸)に続く様に見えます。飛び越す自信は無く、やや下流に丸太が二、三本、沢に落ちているのが見え(写真⑲)、ここを渡る事にします。
6.折返し点直前の悪路
沢を渡ってからは少しの間快適だが、すぐに道が草に覆われ、笹は勿論、茨や、雑木の小枝、ツルなどにより散々で、特に下部に行くほどひどい状況になるのが不思議である。猪の掘り返した跡を踏みながら地形図上の池(確認出来ず)の東側を過ぎ、排水溝のコンクリート縁に出るとホッとする。が又すぐに草だらけとなり1.11㎞地点で前回引き返した見覚えのある場所(写真⑳)に到達した。この後、今日の終点三ツ辻(写真㉒)まで平坦な農道を進むと1.27㎞となる。
8.鍛冶屋跡を探す
上記5.の筋違い四辻手前の「丹波街道」木標(写真⑭)奥15m程に鍛冶屋跡があり立派な搗臼が有るらしいのだが、やや手前北側の竹林の平坦部分なども含め探したが見つけられなかった。屋敷跡であるから山側と思い込んでいた為、谷側を探せば見つかるのかも知れない。
尚、『平尻道の地図帳』ではこの四辻を「鍛冶ノ辻」(写真⑫⑬)としている。辻のやや北には「祠」とあり、これも捜したが見つからなかった。又、50m程離れた地蔵を「向坂の地蔵」と呼んでおり、「以前はもう少し南の字上明用地内の道路沿いの小高い所で西向きに祀られていた。向坂の道(山口村道22号)を登り詰めた正面」とあるが、場所が特定できない。多分現道標の有る東側(写真⑪)であろうと思うが、此処に西向きに建っていたなら「右、清水」が南を指し矛盾する点が気になる。
9.帰路、地蔵道標での注意点
上記地蔵道標の三ツ辻は南への道が二本並行して走り(写真㉓)、復路は左(東)側の広い道に入りがちであるが、私有地の様で鉄塔下のフェンスで行止りとなる為、来た時の様に右(西)側の細い道へ入らなければならない。
11.最後に
新しく道標を見つけることは無かったが、現行では是非案内が欲しい地点として№3(写真⑦)を挙げたい。ここに道標が無いのは昔は道が分岐していなかった為であろう。
又、『平尻道の地図帳』で非常に気にしておられる、北側の開始地点は今回の踏査範囲には入っていないが明治19年の地図で見る限り、神戸市北区道場町平田に道なりに繋がっており、有馬-三田道に合流している。行政単位の境界に達していない云々の議論等は必要のない事と思われる。圃場整理・治水等による道の付け替えや、廃道はある意味日常茶飯事で、今は道が消えている、や、拡張吸収されてしまった等で良いでしょう。
尚、有馬道との合流点(写真②の左上)、神戸市北区道場町平田420の三ツ辻には「北区道場町平田の道標」が立っていたと思われ、「振分」の東側、上記で歩いた道の平尻道(三田街道)が、「京、大坂」道でもある事が分かる。
①『平尻道(へんじりみち)の地図帳』~そのルートの確認を中心として~、平成24年発行、橋本芳次(名来郷土史研究会顧問)なる本(非売品)。西宮図書館 にあり。
㉘副読本とした『源右衛門蔵』(げんよみさん)宝塚の古文書を読む会編、「平尻道」(へんじりみち)は23巻(左)に載る。宝塚中央図書館にあると思う。
因みに20巻には「猿甲部周辺と青野道界隈彷徨」が書かれ、10巻には「生瀬村内を通る二つの道」石川道子、に詳しい記述がある。
㉙下の図は行程メモ。1/2,500地図は「にしのみやWebGIS」で見ることが出来ます。リンクの可否が無いので上の「」内の文字列で検索して下さい。「白地図」、「道路認定路線網図」が分かりやすいでしょう。
㉙1/2,500地図メモ