『わがまち茨木』(道標編)を先生にしてしている私としまして、未確認の道標が余りにも多く、これを何とかすべく頑張ってみました。2022年6月からです。
既に通番の№69まで進んでいましたが、見つけられなかったものが30件以上も残っていました。
同書に添付されている地図を頼りに廻ったのですが、読みが浅いのか、よそ見をしていたのか、いずれにせよもう一度調べる事にしました。見つからないところも写真と場所をハッキリさせておけば、「違いますよ!」の指摘もしてもらえるかもと考え載せる事にしました。又、他の同好の方の記事等もWeb上を検索しまくり手掛かりとしました。その結果5基ほどを見つけることが出来ましたが、内三基は学校内のもので、路傍に建つものは二基でした。
コロナに配慮し学校は控えていましたが、実際に訪れると親切に入れて頂きました。感謝の至りです。
尚、私邸内の道標については、道から見える範囲内としたので、見えていても「未調査」としています。
石塚から100m程で舗装された農道から東に旧道(東海自然歩道)が山中へ分岐する(写真左)。この三ツ辻から240m程で道が左右に分かれる辻の正面に現代の木製案内板と共に建つ道標が現われる(写真左下)。
№7. 神社北東の道標
№8.は案内の無い右の道から、道標の案内する「左、妙見山」の道を見たものです。倒木等あるが綺麗な道が続き途中西側には池が有る様に思えた。300m程先まで進んだが眺望が無く下り始めたので引き返した。このまま下れば多分府道110号(余野茨木線)から多留見峠に向かう道(№9の右奥)に出られたようだが、地図を覚えていなかったので根性なく引き返してしまった。
府道に合流後№10.写真の道を北西多留見峠に進むと遺失した「多留見峠の道標」に着き、それには妙見山67丁(7.3㎞)と記されていたらしい。
それでは2番目、無くなった「多留見峠の道標」を探しに行きましょう。
本当は別の日に行ったのですが、上記№7道標から道なりに来ると№10の左の細道を上がり府道110号と合流します。ここで180度ターンし北西に向かいます。写真№10の右側に石碑(№11に拡大)が見えますでしょうか。これには「南無妙法蓮華経妙見大…」とあり道標ではないが妙見山へはこの道を通ることを示しているでしょう。
府道110号に戻り南に下り、3番目の泉原バス停南の遺失道標を目指します。
府道の№13.の写真の辻から2km程で「キリシタン遺物資料館←0.8㎞」の道路標識がある旧道分岐の三ツ辻となります。ここには「泉原56の道標」が有りますが、まず気が付かないでしょう。今は直進します。
次の目的地までの間にもう一つ「泉原4大峰供養の道標」があります。№20.の辻から600m強の府道43号が西から合流する三ツ辻です。よく見ると四辻で東の山中へ登る細い道がありその登り口に建っています。古く一町田の道標が案内した「左、泉原」の出口?にあたります。急がない方は見ていって下さい。
「泉原56の道標」から丁度1km、『わがまち茨木』№85では「泉原バス停南300m」としている。バス停の位置は時々変わるが、今なら清渓駐在所になると思います。左の写真を見ても分るように現府道は崖を削って広げられていると思われる。移設されたのであれば崖上を探さないといけないかもしれません。
次の4,5番目も無くなった道標です。『わがまち茨木』では№26,№27「古老よりの聞き取り」として紹介されています。こう云うものは是非見つけたいですね。
「梅原の西方」とあるので「免山」のバス停の南辺りから西に入る心算をしていましたが、新名神の下まで来ると右に上る道が見え此方を進んでみる事にした。府道から見えるヘアピンカーブを廻り込み300m程で絶景のポイントに出ただけでなく、5番目「梅原西奥の道標(遺失)」の目的地のすぐそばである事がわかりました。
梅原集落の西部奥に出たので、下りながら4番目「梅原西の道標(遺失)」を探すが、旧道を見つけられない。何度か登り下りし共同墓地に続くそれらしい道を見つけたが、道標設置に相応しい辻が分らない。同書添付の地図に近いと思われる辺りを載せておく。
次の6番目は、上記二基とまとめて記述される「免山(めざん)の道標(遺失)」になります。
№25.の写真にある現在の案内に従って「免山バス停」を目指します。東に進む事70mに三ツ辻があり、どう見ても直進と思われるのに「左(北)免山バス停0.3㎞」の案内が立ちます。巾2m程の道が北の山に突当り西に曲がるように見えます。だまされたつもりで進みましょう。40m進み山に突当る少し手前の右側電柱に隠れて案内棒が立ちその北面に「左(東)免山バス停 鉢伏自然歩道」とあります。なんとここからは道幅1mに、右水田を過ぎると崖沿いに北に廻り込むこと260mで府道110号にでます。案内は正しかったようです。
府道を横切り佐保川の免山橋を渡りすぐに右折、教願寺の東を北に廻り込むと突当り風の三ツ辻になります。ここを右、丸型滑り止めがあるコンクリート舗装の急坂を北東に登り、道なりに150mで鞍部の切通しに着きます。二本の水道が切通しの上部に架かり二本目北側に西に分岐する道がある。ここかその北西40mの三ツ辻に有ったと思います。
この三基の失われた道標はいずれも「泉原」を案内するのが主の様に思えます。なぜ府道110号から離れているのでしょうか。土地(在所)の人に対して案内は不要と思うので、南方や東方から来た人を案内していたものとして間違いないと思います。今なら府道へ出ることを案内するはずが、どうも尾根筋道を案内していたのでは無いかと感じられます。
私なりの答えを一つ。佐保川沿いの谷筋道は歩きにくかった、歩きやすい尾根筋で行きましょう。
明治(44年)の地図では現府道と同じ辺りを通る達路以上の道が描かれ、『わがまち茨木(道標編)』では「亀岡街道」とする様に主要な道ではあったと思うが、江戸時代ではどうだったのでしょうか。天保の摂津の国絵図を見ると府道のルートに相当する道が描かれておらず山中を通っている様に見えてしまうのですが…。又、『わがまち茨木(街道編)』では「前記福井から佐保川に沿って清渓を縦貫する区間の道路は、明治25(1892)年からの新道で、」とあるように、それ以前には道が無かったのかも知れない。
上記東福井3の道標までに、4基(7,8,9,10番目)の未調査分が多分1ヶ所に有るのではないか。
免山橋に戻り、府道110号を南下します。言い忘れましたがこの橋の上手に茨木駅方面への「免山バス停」が有ります。
ここから3.8㎞左手(東)に視界が開けてしばらくの三ツ辻を左(東側)に分岐します、多分府道の旧道と思います。分岐から150mの三ツ辻を右(南)に折れて30m程で突当りに門扉が有ります。この門内西部に「私邸内の道標」の内の1基が見えます。多分他三基もこの邸内かと想像しています。案内を請おうとしましたが留守であったようです。後日の為、詳細は4つ作成しておきました。下記ボタンより。
上記の「東福井3の道標」を見て府道110号沿いの二次分捜査は終わります。今回は西谷の1基を見つけ出す事ができ、私邸内の1基も存在の確認は出来ました。
門前を東に真っすぐ100m路地を下ると、旧府道と思われる道に突当り右折れ(南)して道なりに220mで大きな三ツ辻になります。途中右手に無量寺、福井橋を渡り三ツ辻が府道114号(忍頂寺福井線)との合流点です。最近できた東福井3交差点はさらに90m南ですが「二、三年前にはこんな所に東西の道は無かったのに」と東を見れば、東の丘が無くなっているような。もしかすると「珍しい道標が消えたかも!」、続きは別項で。