先ず、教えて頂いたのは去年の12月であったと思います。すぐには行けず、グズグズしている内に年も変わるどころか、二月も下旬となってしまいました。
茨木市内では、他にも未調査物件が山積みしているのですが、欲張らずに今回はこれだけを目的に行きます。
東面、「弘化丁未四年四月廿五日 井上 久左衛門 …」とあります。
何時もの通り、右側に回り込みます。
北面「すぐ 大さか、」
西面に回り込めないないので、南面へ
南面「左、まなご、」
ここで、変体仮名に手こずりながらも「まなご」心当たりは有りますが、何処でしょう。
さて、周辺の道を、明治の地図と比較する為、ウロウロします。「玉櫛1の道標」も再確認します。東墓地の北側から南を見ると、墓地に突当って、直角に東に曲がらず、壁沿いに南東に進む細い道が見えます。自分もここを通って来たのですが、学生さんも通り抜けていきます。明治の地図を改めて見ると、この曲り具合が、キチンと表現されています。
そうなると、墓地の記号も納得がいきます。では少し南の南東へ分岐する道の三ツ辻は、何処になるのでしょう。もう一度「玉櫛1の道標」へ戻ります。
外周りに新しいものは無く、従来の物にも変わりはないようです。館内の様子も見てみましょう。
そして、図書閲覧室に向かいます。係りの方が居られ、墓地内の道標に関する資料は有りませんか、とお尋ねしましたが、得る物はありません。
そこで、今回の行先で唯一怪しい「まなご」をお聞きした所、「真砂(マサゴ)」をこう呼びます。問題解決です。
後日調べたところ、他でも「真砂」と書いて「まなご」と呼ぶ土地もあるようです。特殊ではなく、漢字の当てかたの問題でしょう。天保国絵図でもこの字を用いています。
今日も、一応満足の内に帰る事が出来ました。
後日の反省点として、スマホの「カメラ」を勉強しなければなりません。