何時もお世話になっている清荒神さんの宝塚図書館で、「マチ文庫」展が開かれていました。ケース中に納められた以外に中身を見れる本が幾つかあり、その中の『懐かしい栄町・戎町の風景』を見てみました。表題通りなつかしい写真が納められたA5サイズの小冊子ですが、終わり近くの道標が写り込んだ写真に眼が止まりました。小さい写真ですが印刷の質がよく、案内の文字も読めます。
「左こくてつ」とあり、前に探し回った記憶の有る道標です。現在はソリオ宝塚の吹き抜け地下広場に置かれる道標でしょう。宝来橋の東詰めから15m程、二軒の旅館の間を北東に進んだ四辻、料理店でしょうか「琴月」とある店の角に建っていた事が分かります。冊子には昭和61(1986)年7月17日とあり、当時の地図も『今昔マップ on the web』で確認出来ます。
建設時の銘が無い為、最初からここに建っていたかは断定できないものの、阪神急行電鉄が大正7(1918)年以降とされるようで、「はんきゅう」へのアプローチを考えるとこの地が相応しく思えます。尚、「はんきゅう」の呼び名からでなく、私個人の考えとして文字の彫り方、即ちノミではなく、サンドブラストによるとして、「昭和40(1965)年頃より遡る事はないと想像する」としています。
撮影場所を示す同書の地図と写真㉕からは、宝来橋の東詰めから15m程、二軒の旅館の間を北東に進んだ四辻、料理店であろうか「琴月」とある店の南西角に建っています。
『今昔マップ on the web』昭和60年修正地図を使って、元場所を比定すると
N34.809357 E135.341769
辺りと思われ、
現在では商業施設により、道が無くなっていますが、現在地より東に15m程離れた辺りになるのではないかと思う。当然地表に建っていたので下にも移動した事になるでしょう。