丹波道、最明寺滝東の道標

丹波道の「最明寺滝東の道標」の懸案であった「右、満願寺近道」を探しに行きます。2023年11月、近道は有ったのでしょうか。

明治の地図、「たんば道」は右側の茶色、満願寺近道は?

1.始めに

ここで言う「丹波道」とは、現代では一般的な街道全体に対する名称でなく、「たんば」と言う地名を指した道標が案内する道、即ちこの辺り伊丹、宝塚南部から、宝塚市平井山荘を通り、川西市若宮へ抜ける道とします。この名称が妥当か保証できませんが、少なくとも『今昔マップ on the web』の明治の地図にある「丹波坂」は認めざるを得ないでしょう。但しweb上を検索してもこの名前にヒットするものは無かった。

平井2の大宝寺を北西に見る。階段上右の小祠中に道標がある。左、寺の壁際を通る路地を進み、北の満願寺へ

2.その前に

先ず、伊丹市にある(有った?)「伊丹市荒牧5道標」から出発すれば良いのでしょうが、都合により宝塚市平井からの出発とします。

丹波道からは少し西に外れますが、平井2の大宝寺の道標から始めます。旧丹波道は300m程東になります。二度程シンドイ目をしているので、住宅街の中は楽そうな道にしたかったのです。
 又、見ておきたい道標があるのでこれも変わりが無いか見ておきたい。移設問題をおいても、これも「満願寺」を案内する。

門前の東に有る小祠の中の地蔵さんの台石の西面にあります。変わりなそうで写真だけで出発します。お寺の下の道を西に巻いて登ります。

台石の西面の右「みぎ/満願寺」

3.たんば道、登山口

旧丹波道の入口を北に見る。電柱に「平井山荘20」の住居表示

今日の本題となる道標に向かいます。なにせどれだけ時間が掛るか心配なもので。
 大宝寺から宝塚市平井山荘の最上部まで、住宅街の中を最も楽だと思われる舗装道を選んで上がります。後で思ったのですがこの住宅街が最もキツイ。平井山荘20と住居表示のかかる電柱の辻を30m北に進むと、民家階段横(東)に登山道入り口があります。

民家下の登山道?入口を北に見る。看板右へ。ここから楽。
N34.829676 E135.390984

50m地点燈明山への分岐を北東に見る
N34.830082 E135.391297

登山道としましたが、家族連れハイキング道程度です。近世では丹波への往還道であったはずで険しくはありません。緩やかに林中を登ります。50mで「燈明山」を案内する札が木に吊り下げられ、左(北)側へ登る道がありました。これを直進します。

左側の燈明山への道は、直に九十九折れに成っていた様に思います。

4.№20標識(道標元位置か)

№20標識を通り越し南に見る。右奥、登山口へ。
左奥、谷東側の「岩ヶ谷道」ではないかと思う
N34.831725 E135.391751

燈明山の裾を東から巻きながら北に進み、入口から240m地点に「火の用心№20」と書いた赤い標識があります。ここはよく見るとK字状の辻に成っている様で、道なりに北に直進する道が「たんば道」だと思います。

この地点の説明を少し。『源右衛門蔵(二十一)』宝塚の古文書を読む会編等から、「西側の道は元の丹波道で「白坂道」と呼び険阻な為、谷東側に「岩ヶ谷道」を新設したところ、村間の訴訟になったが、明和三(1766)に和解し両道とも使われた。」とあり、今登って来た道が「丹波道」である。

「K」字状の左の縦棒を「丹波道」とするなら、右下への道が「岩ヶ谷道」(現在は城丸川砂防提に出る道か)となる。では、右上への道は「???」。
 今は縦棒部分を下から上に登っていきます。

5.№19標識

№19標識を北西に見る。左上に登ると燈明山、丹波道は右(北)へ直進
N34.832092 E135.391588

この辻から30m程北に、今度は「火の用心№19」と書いた赤い標識が左手(西)に建ち、そこにも「燈明山」を案内する札が有ります。ここがこの道のピーク地点で、切通しとまでは行きませんが右手(東)が一段高くなっています。右手数10m先に倒木が二三本転がるその上部に「最明寺滝東の道標」が建っていますが、道から見つけるのは非常に難しいと思います。

№19標識より右上を見ると、道標が見えるかもしれない。これは周辺の草を刈った後の写真。此処からは登り難い。

尚、「火の用心№19」の№は多分、送電鉄塔の番号を示していると思われ、標識の先が尖っているいることから、その番号の鉄塔へ進む方向を示す標識ではないかと思います。依って他の道筋が有れば同一№を持つ標識もある事を注意してください。
 ただし、ここでは位置を区別する為、その番号が書かれた標識と受け取ってください。

登山道より西に登り、道標を北東に見る

倒木を踏み台にしても上に上るのは難しく、少し北に進み、傾斜の緩くなった地点から折り返す様に潅木をつかんで登りました。5m程上は割と平らで道跡の分岐と見ても良さそうな場所に南面して道標が建ちます。

№19標識の北20m、ザレ場(左)への分岐点を南東に見る。道標へは真中を登る。
N34.832331 E135.391681

道標を北に望む。草刈り後で見えているが通常は多分見えないと思う
N34.832148 E135.391731

久しぶりの再会で、急いで草刈り開始です。いつもの事ながら時間はかかりますが、今回は20分程で終える事が出来ました。最近誰かが手入れされた様に感じました。

南面、直射光を避けて撮る

早速碑面の文字確認と写真撮影です。その後、寸法計測、方向確認、今回はグーグルマップによる位置の確認も行いました。マイマップで登録してあった道標位置と現在位置が大きくヅレています。帰って気が付くのですが、前回の経緯度を地理院地図より求めたのですが、燈明山への進入道が此処より北に一本描かれているだけで、その分岐点と読み違えたようです。写真は下部参照。
 『今昔マップ on the web』で明治の地図と現、地理院地図を参照できます。現図に道が一本しか描かれていない事が分かります。

道標の南面上部、右側「右満んく…」、左側「左満んく…」

同中部、「…んじ近…」「…んじ大道…」

同下部、右「近道坂」、左「道た?」

道標を北に見る。右後ろに道があるようだが通行不可

地図には無い、「右、満願寺近道」の捜索です。上に書いたようにここは旧道分岐点にも見えるので、右側に少しは進めます、が5mも行くと進めません。左は先ほど強引に登って来た場所を経て現ハイキング道に出て「左、満願寺大道坂…」は問題ないでしょう。

近道の読みが間違っていないですか?の答えはくずし字の写真や最明寺滝東の道標を参照下さい。

道標南面右側の「…道坂」

『くずし字用例辞典』児玉幸多編より、赤丸が近い

7.「右、近道」を探す

№19北20m三ツ辻を南東に見る。左ザレ場へ。右奥№19標識へ
N34.832331 E135.391681

では、右の道を探すことにします。「火の用心№19」標識に戻り北に20m進むと三ツ辻になり東への分岐がある。これを右に進むとザレ場に出ます。
 実は前に二度程登ってはいるので、道がある事はあまり期待していません。が絶対に無いかと聞かれた時に「ありません」と断言出来る程探した訳では無いので、今日はそれを第一の目標として来ています。

今回事前に地形を確認し、ザレ場の北にある無名の山(明治地図では高250m)の東を通過するルート、又はその西側の少し谷部と思われるルートの二本しか無さそうだと考え、これに繋がる道を何とか探そうとの魂胆です。

ザレ場10m程手前で東を見る。足元は既に砂石状

この、「火の用心№19」標識北20m三ツ辻は、ザレ場へは最短ルートなのですが、どうも旧道には相応しく思えない。
 だが、道標から二三ヶ所は10mも行かない内に阻まれて、此の道しか有りません。そうなるとこの三ツ辻に道標が建っていた事になるが。兎に角行きます。

始めに東側ルートを探ろうと、ザレ場の中段辺りから右手、東・北東方向へ進みますが、藪になりそれらしき踏み跡等も見えません。東はやや深い谷になって可能性は低いと判断し中央部へ戻る。

ザレ場中段から北東を見る。無名山の東ルート方向。右に向かうと平坦なやや広い地点で藪になる。

ザレ場上部近くで北西を見る。30m程でピークか

ザレ場なので道跡は良く分らないのですが、ほぼ北に向け登ると、くずれ残った三角型の岩の上に松が一本だけ生える塔の様に目を引くものが有ります。ピークに向かうため、この尖頭岩?のを目指し、それを西側に越え右(北?)に折り返すと、何となく道らしくなり、右(東?)からの道らしき合流点を左(北西?)に登るとザレ場のピークに達します。

8.近道?撤退

ピーク西より北を見る。ほぼ平坦

ピークの西側に、これからまだ北に続く道らしきものが見え、山火事注意看板の様なものが転がり、道の崩れを防ぐかのように木が置かれていたりするので登山道であろう。これを進みますが、20m程で藪に阻まれます。その先を窺うと少し谷間部分に続くように見え、これを進めば最短で満願寺の南に達しそうです。

20m程北に進むも、シダとイバラで撤退。
N34.832979 E135.392219

ザレ場上部から北西を見る。中央、宝塚ロックガーデンか。

撤退地点の現在地をグーグルマップで確認し戻る事にします。ピークでは北を除き見晴らしが良いのが救いです。

ザレ場を少し下りて、西側辺りを探るも北への道は見つからない。仕方なく元のハイキング道(丹波道)に戻りその先で右に分れる道が無いか見る事にします。「火の用心№19」標識が峠(鞍部)の最上部ですので、道は下りになります。急坂では無いのでブラブラと右側を見ていきます。

№19三ツ辻から谷筋を進むと徐々に西に方向を変えつつ、右手に沢(涸れていた)が現われ、これを越える小さな丸太が渡された橋(三ツ辻から120m辺り)を越えると、これ以降は北側の山に道を付けれそうな雰囲気は無くなる地形になります。

丸太の橋を北に越える。
N34.832865 E135.390577

大聖不動明王への分岐点を北に見る。左手前へ。奥(北)満願寺へ

小さな丸太橋を過ぎ北向きに方向を変え、100m程の左手に、南に鋭角的に折れる大聖不動明王への分岐が現われ、これを北に直進40m程で満願寺から最明寺滝へ下る広い道に合流します。峠(№19標識)以降右に分岐する道は見当たらなかった。

9.最明寺滝道に合流、帰路

引き返し地点を南東に見る。左丹波道へ、右大聖不動・滝へ

満願寺から少し西に進み、南折れ後、井植山荘を経て最明寺滝下に出る道は、ハイカーがよく通る道の様で、山荘が有る為か車も通れる程広く、合流後のこの道沿いからは、近道とする道標元位置探しは不要でしょう。依って引き返す事にしました。

ついでに「大聖不動明王」碑を確認して戻ります。

大聖不動寺標を南に見る、石柱は無事変わらず。右、滝への道は通行可。

きた道を帰りにも、分岐の見落としが無いか注意しながら進むがやはり有りません。「火の用心№19」標識で、燈明山側に少し登り、標識と道標がワンショットで撮れないか試みるも、知っていればこそすれ、写真には収められません。

11.道標元位置か、№20

№20辻を南東に見る。右、登山口へ。左奥、谷東の道へ。正面に立看板あり

№20辻をに見る。左奥、№19標識へ。右脇から北東への道がある。

道標は往路に撮ったのでパスします。「火の用心№20」標識迄戻った時、左(東)方向への分岐は下り方向だけだと思っていて、それを確認するために少し入ってみた所、なんと分かり難いが北東へ登る道らしきもの見えます。

落書き風の地図、「始末」の文字右上辺り「此の看板」が当地点に当たる。

立看板を背に北東を見る。枯木に挟まれた道が真っすぐ延び、ザレ場に続く

先にも言ったようにここはK字状の道になっていて、東に5m程から北東方向に登る様な道が有り、これを「右、満願寺近道」としてもよいでしょう。登って来た時には気が付きませんでした。分岐点南部に立掛けてある看板の落書きに気を取られていた為かも知れません。其の落書きは割に広範囲の道を示したもので、三ツ辻として描かれ、この北東への道は書かれていない。

そこに書かれていない北東方向への道を進むと、案の定ザレ場に出ます。前述の№19北からの分岐道に出会う地点はザレ場の為、明確に決める事は出来ませんが、やはりピーク迄進み、上記の引き返し地点に到達します。こちらの道の方が歩き易く、この№20標識の辻に道標を置けば「右、満願寺近道」に相応しいと思います。
 依ってここを元位置とします。『たからづかの道標』(昭和61年刊)の元位置も此処を示していると思われる。

ザレ場中程から南を見る。

ザレ場から南の街並みを眺め、満足して下る事にしました。K字辻迄戻り、道の状態が上手く表現できる写真を撮ろうとしますが、上手くいきません。
 又。K字の南東方向への道も行きたかったのですが、地理院地図に明確に載っていないのと時間の都合で行きません。こちらは「最明寺滝東の道標」の詳細にも書いた「新道」と思われ城丸川砂防堰堤の下、平井山荘2辺りで「丹波道」と合流すると思われます。

12.道標位置等、訂正

今回、「最明寺滝東の道標」の経緯度と南面左側の下部の読みを訂正しました。経緯度については地図の読み間違いに起因するもので、60m程度北西(赤印)を示していました。スマホのグーグルマップの現在地(青丸)を正解として訂正します。申し訳ありません。青印の経緯度は、N34.832148 E135.391731
 読みについては、何と勝手な解釈ですが「左、満願寺大道、たん…」、即ち「左、満願寺、丹波」を案内しているものと考えました。

赤印が誤っていた位置、訂正後の位置は青丸印

満願寺側の宝塚市長尾台1-18-21民家北の進入口を西に見る。西50m辺りから南へ

満願寺側の宝塚市長尾山6の西進入口を西に見る。電柱を左(南)に登る

13.北からの近道は

最後に、満願寺側から南に登り、このザレ場の上部に出る道が無いかを、日を改めてですが、二日に渡り調べました。
 結果、切畑長尾台1の進入口近くに二ヶ所、切畑長尾山6の西から一ヶ所、南に繋がりそうな道はあるが、何れも、藪に阻まれ敢え無く引返しました。薮の写真ばかりで省略します。
 偶然ご近所の方のお話が聞けて、それによると「平井に出る道は明確には有りませんが、何年か前女性の方が難儀をしながら南から越えて来られた事は有りました。」との事でした。冬場なら多少歩き易くなりそうですが…。
 地図で確認すると未踏部分は200m程の距離で、ほぼ直線的に谷筋を北に進むように見えます。参考のために折返し地点の経緯度を載せて置きます。もし道を御存知の方は教えて頂きたい。
 以上で「右、満願寺近道坂」の探索は終了します。

満願寺側の引き返し点。進入口から西へ50m、南へ90m登った辺りで南西を見る
N34.834672 E135.393369

平井山荘20-5の民家西階段上部より南を見る
N34.827562 E135.390799

14.終りに変えて

余談ですが、旧丹波道を平井に下ると此処を通る事になります。写真では掴みにくい急坂ですが、十分その雰囲気は出ているでしょう。旧国道176号の平井6丁目交差点から登って来た場合はこの階段を登る事になります、住宅街の中が登山道よりキツイと言う、変な道です。昔はどうだったのでしょう。