嬉しい事に、未調査の道標に関して情報をいただき、梅雨前に一度訪れていたのですが、ボンミスで失敗。
他の石を見ていた事を、再度教えて頂き、雪辱戦です。別項「茨木市中穂積2の道標(未調査」参照。
例年、梅雨時は出かけるのを控えており、今年もそれに倣いましたが、気象庁の梅雨明け宣言の発表は当てにせず、自身で「つゆあけ―!」と叫び出発しました。
今日も、亀岡街道を宇野辺から北上していきます。リハビリを兼ねてのお出かけなので、一ヶ所だけの予定とし、余裕を持って進めます。途中、馴染みの道標に変わりが無いか確認しつつ、吹田市から茨木市に入りました。私が「吹田市青葉丘南1の道標」としている辻あたりから、写真を撮り始める事にしましょう。
「吹田市青葉丘南1道標」を北に見る、右へ進む
さすがにガードが堅く無事でした。これを「右/たんば・妙見道」に従って右側にすすみます。因みに「左、山田道」となっています。
明治の頃に大阪府がつけた「亀岡街道」の影響はまったく及ばない道標なのでしょう。「亀岡」おろか「亀山」さえ案内していません。「たんば」を目指す事にします。
「茨木市中穂積2の道標」を西に見る
更に、「茨木市中穂積2の道標」とした大阪府の建てた道標まで来ました。これも撮っておきます。これを西に折れ目的地は近いと思われます。
道標南面に「左、中穂積」とあり、こちらへ進みます。むかしの中穂積集落の中心地はもう少し西にあったようです。
外から写真を撮っておき、お庭に入れてもらえるかお聞ききする為、家を探します。「勝手口」なので呼び鈴は付いておらず、表門がわかりません。北側はアパートの様で個人宅ではなさそうで、母屋が見えません。
実は、前回の時にアパート西側のお宅の庭と確認しているので、西に回ることにします。
インターフォンを押すもお留守のようです。今回も残念な結果になってしまいましたが、またこの次にしましょう。
本日の予定はこれまでです。
折角なので、北にある神社を見ることにします。
解説の地図に「茨木市中穂積2の道標」が書かれていました。
春日神社本殿の西に市が建てた解説板がありました。城址の跡であったかもしれないとしています。木々が無ければ眺望は良さそうである。
これ以降写真はありません。
神社の下に戻り、明治の地図を見ると、西国街道の豊川辺りへ続く道が見え、これを追跡する事にしました。この道が「茨木市中穂積2の道標」に案内されている「左、中穂積」道の延長上になると思われますが、さきの道標には書かれていません。主要な道ではなかったのかもしれません。
ゴルフ場南部まで来ると、旧道から外れているいるようで、追跡をあきらめ、山田へ出る道を見ようと南へ折れました。
が、これも住宅地を抜ける新しい道を進み、万博の外周道路に出て頓挫。千里の山は旧道マニアには楽しくありません。
外周道路を経由して、山田の集落内へ出る旧道を確認出来たのみでした。出た先は小野原街道、あるいは山田街道であると思います。最近はトントご無沙汰していますが、これで終わりとします。
日焼けだけの収穫となりました。