神戸市北区南部

北区部の範囲。

東は有野町の唐櫃より西側、北は山田町坂本の丹生山以南山田町衝原から山田町藍那辺り西端とし、南端はひよどり台南町辺りまでですが、兵庫区の里山町と須磨区の白川も含めました多くは神戸電鉄沿線で南湯ノ山街道の系統ですが、六甲越えの山田古道と有馬道、西側の烏原谷越えや鵯越道、北部の帝釈山では藍那古道(白辺路しらべじ)、くつかけ峠、志久峠、黒甲越え等、思っていた以上に多くの道があった。山岳部は未調査であるが、一部の旧主要道でさえ廃道、もしくは薮道となり写真を撮る前の草刈りが大変であったが、それでも楽しい地域であった。


下調べで、道標の集中するゾーン毎にまわったので街道沿いに順番に記述出来ていません。

有馬道を有馬口から蓑谷へ

有馬温泉から出発すべきでしょうが都合により神電有馬口駅から現県道15号を南西に有野川を左に見て進みます。旧道を県道51号の水無バス停から歩かれる方は、駅の南方に有る「有野町唐櫃361の道標」と「同335の道標」(北区東部に記載)を見た後、唐櫃台を経て県道15号唐櫃大橋交差点に出て下さい。
 
有馬口駅から1.8㎞進むと神鉄六甲駅北側の交差点になります。六甲北有料道路唐櫃ICをくぐって200mほどですが、駅舎が小さいので最初は見落としたほどです。ここを南に分岐し橋を渡ると六甲山方面の登りとなります。

旧有馬道の起点か、畑山踏切

県道から分かれ駅北東10mの六甲踏切を南に渡ろうとすると電車が来た、有馬行か。

三田のわかれを北に望む


県道からの分岐の前に一点確認するのを忘れていました。北区東部に書いた「唐櫃335の道標」や「唐櫃361の道標」で少し述べた「三田のわかれ」を押さえておきましょう。南西から来た有馬道が三田に分かれる地点を表した呼び名で一般的には追分とされる辻であるとして、明治の地図を見ると、まさに六甲北有料道路唐櫃ICの下に辻があったようです。有馬へは唐櫃台を経て水無バス停に出る道です

左から流れ込む川の向こう側辺りから右橋脚の向こう(橋の東詰め)に道が続いていたようで、それが有馬温泉への旧道と思う。三田へは現県道を進む。尚川筋も直線的に付け替えられている。六甲北有料道路は昭和44年地図に見え始める。

山王神社を西に見る

踏切を越え220m少しきつい坂を登り変則四つ辻の右(西)側に「上唐櫃山王神社」の鳥居があり、その右(北)に大きな石灯籠があります。これを見ておいてください。
 鳥居から道なりに490mで小さな平見橋を越え620m地点の三ツ辻南東部に道標が北面して建ちます。六甲山へは左(南東)の細い道を登ることになります。摩耶へは尾根(前辻)に出て尾根筋を
西に進むことになるでしょう。

道標を神社の方(北)に見る。右はシュラインロードから六甲山へ。道標は「左、摩耶道」とする。

有野町唐櫃2436の道標は元、左の写真の後方の小川のその後ろの道に、山王神社に移設された大きな石灯籠と共に置かれていたとお聞きした。邪魔になるので今の位置に移したらしい。

大池駅の道標、右は有馬方面へのホーム

道標を南西に進めば400m程で大池の古々山峠から繋がる尾根筋(東大池3丁目)を越え、道なりに2㎞程で現県道15号の出合橋交差点の40m東に繋がるが、神鉄大池駅前の道標を見る事にします。
 道標から南に70mの三ツ辻を右(南西)に入り、250m地点で川を越え、360m地点(北区東大池3丁目14)の三ツ辻を右(西)の広い一直線の道に折れて、そこから410mの変則四つ辻をほぼ真っすぐに進み、道なりに坂を下り250mで神電大池駅西の踏切を渡り5mを右(北東)に折れて50mの右(東)の駅舎に接して道標が建つ。

道標は駅舎改築等にも耐えて残っているようで、神電と関係があるかも知れない。西側出口から北東150m、県道15号北側歩道上に建つ「大池聖天参詣道」碑との関係は分からないが、これには現神戸電鉄の前身の会社と思われる銘が「昭和十五(1940)年」と共に刻まれていますが、駅の道標はこれより古く見えます。Wikiによると有馬線の開通が昭和三(1928)年とあり、これ以降のものかもしれないですね。

大聖天参詣道碑

明治の地図の有馬道を南西に進みましょう。前に書いた参道碑の辺りが古々山峠の頂上あたりで、ここから山田町に入り南西に下り道となります。昭和60(1985)年修正地図までは見える「大池」は今は無くショッピングモールになっているが、この池を起点にしていたと思う山田川(源流は地獄谷や石楠花谷らしい)の右岸(北)を進みます。
 一つ気がかりなのは「天保国絵図」で郡境(東は菟原郡、西は八部郡)の
辺りで道が大きくうねっている点で明治の地図のほぼ直線状とは少し違うのではないかと感じるところです。

大池大聖天参詣道碑から1.6㎞下ってくると、県道15号出合橋交差点の北40mで左(東)から小さな出会橋を渡って合流する三ツ辻となります。東大池3丁目の峠を越えてきた時の旧道の合流点だと思います。
 右の写真の撮影地点の道も明治の地図では聯路として描かれ上唐櫃への主要な道であると共に現在のシュラインロードに繋がる道でもある。

出合橋を西に見る、左右が県道15号

左の写真は出合橋から300m程南西の新幸陽橋から北東を見たもの。この辺りに有ったとされる「花山ドライブインの陰にある上谷上の道標」は見つけることが出来ませんでした。

出合橋交差点から県道を200m進むと新道は直線に、旧県道は右に分岐する三ツ辻となり、明治の有馬道は右(北より)に進みます。分岐三ツ辻から850m右岸を進むと、左(東)に径3㎝ほどの鉄パイプを手摺とする小さな橋が架かっています。『神戸の道標』では「上ノ原橋東詰」とあり、この橋を左岸(東岸)に渡ります。最初に訪ねた時は突当りかと思いましたが、草をかき分けるとT字路の様で、橋の北東部に丸い石が見える気がしました。
 何時ものように草刈りをすると「山田町上谷上61の道標」が出てきました。

旧道850m地点

上ノ原橋を南東渡る

北東詰の様子10月下旬

現れた道標を北東に見る

明治の地図では右岸に有馬道が通っていますが、「天保国絵図」では左岸(南東岸)を通り北東の有馬・三田へ向っており、この辺りで南東へ分岐し炭ヶ谷へ入る道が描かれている。炭ヶ谷の後は、杣谷越えし森村への道、と生田川沿いに布引の滝に向かう道が分かれている。摩耶山へは生田川沿いの道で三枚岩辺りから尾根筋道を進むのではないかと思う。

現在「すぐ、ありま」に当る道は新県道に出てしまい旧道は無く、「右、まや」の道は背後へと進む道に相当すると思われる。多分辻の形状は大きく変わってしまったのだと思う。

ここで少し寄り道をします。橋を戻って旧県道を260m西に進むと現県道と合流後に神電を潜った右手(北)に三ツ辻があり北西角はラーメン屋さんです。ここを北に廻り込み坂を登り60mの三ツ辻を北の沢沿い道に入り150m地点ですこし太い道の三ツ辻に出ます。左手(西)にお地蔵さんがあり、辻を北に進むと浄光寺に突当ります。県道15号からは220mの距離ですが、相当な登り道で他のルートでも良いでしょう。

浄光寺下の三ツ辻

浄光寺門前左(西)へ

西40m三ツ辻右上へ

200m墓地を右へ

360m、道標が見えるか

浄光寺北の道標を北西に見る

浄光寺門前からはほぼ一本道ですが、一応説明します。門前三ツ辻を左(西)に折れ、ほぼ路地と思われる道を40m進むと谷筋に下りる三ツ辻となるが、これを北に上る道に進みます。200m地点で墓地入口となるがこれを右(東)に廻り込み地道となるが360m地点の左(西)側に苔むした石が転がっています。これが「山田町上谷上浄光寺北の道標」です。気を付けていても見落とすかもしれないが、この先30m程で道が無くなるので引き返しながら探してください。目印としては、東側に段々畑があり下から三段目の北西部で道がやや広くなっており、道標のすぐ西は沢状です。
 この道標は北を案内するものでは無く、ほぼ180度回転して置かれていたと思われ、「右、兵庫」「左、摩耶」と南方への道を案内するものである。詳細は下記ボタンから参照下さい。

浄光寺北道標から有馬道に戻る

赤いマンション左後が県道の信号

道標を後にして、来た道を引き返します。浄光寺南40mの地蔵のある三ツ辻迄来たら、登って来た細道でなく南西への広い道を進みましょう。60m進むと三ツ辻があり左(南)の細い道に折れて、道なりに150m下ると県道15号に突当ります。県道に戻ってから西に70m信号のある三ツ辻を南に渡り、そのまま南へ40m進むと山田川(志染(しじみ)川)にかかる極楽橋北詰の右手(西)に「谷上東町の道標」が有ります。

道標を西に見る

「神戸の道標」の写真では橋から離れ両面が読み取れる状況に見えるが、現在では周囲の手摺が邪魔になり背面の「すぐ、ありま、三田道」が読み難い。現在の人に混乱させない為わざとそうしたのかもしれないが、残念である。特にこの石が何処に建てられていたかを想像する手掛かりが無くなってしまうと思うのですが。

ここで再び寄り道です。南の山中へ踏み入ります。山が苦手な方は飛ばしてもよいでしょう。二基の道標があり、その内の一基「谷上南町南方の道標」はここから橋を渡り、神電を渡り阪神高速北神戸線の下をくぐり一山を超えると近いのですが、高速の側道から山道にかかったとたん、藪がひどく引き返してしまった。 そこで別のルートからいくことにしました。もう一基の「下谷上丸山谷の道標」から先に見る事にし「古山田道」とされる谷上駅西の谷を目指します。

あきらめた山道、左高速

 極楽橋北詰から40m北に戻り県道15号に出て、そこから西へ720m志染川にそそぐ丸山川に架る「向井橋」の手前を左折(南折れ)川沿いに320m進むと丸山川の丸山橋に着きます。途中90mで神電を、230mで阪高を潜ります。丸山橋の北側にはちょっとした休憩所があり、ここからハイキング風の道になります。現在の道案内(森林植物園3.3㎞)があるのでこれに従えばよいでしょう。一言で言えば「丸山橋から南へ山道を登り丸山堰堤を過ぎ670m地点の三ツ辻南東部」となります。堰堤の上に出るまでは少し登りがキツイ事と、堰堤上の砂溜まりを過ぎたあとの沢渡渉地点の下りと登りの足場が良くない事を除けば特に問題は無いでしょう。

230m阪高の下、森林植物園の案内通り奥へ

320m丸山橋を北に見る、この位置から左へ

500m地点振返って、丸山堰堤から北望

670m下谷上丸山谷の道標、左奥に小さな滝

道標を北に見る

二基目とした「山田町下谷上丸山谷の道標」です。紀年が「昭和三(1928)年十一月」とありその頃でも主要な道で有ったことが分ります。今でもハイカーは沢山通り過ぎますが、この道標を読む人はほとんどいないようです。又、この道標が案内する「右、上谷上」を現在の道案内は「行止り」としており、もう一基の道標へは行けないのかも知れないと思ったが、運よく通りがかりのハイカーさんにお聞きした所「むかしは行けたよ、今も大丈夫と思うが」に勇気づけられ行くことにしました。
 尚、
昭和三(1928)年御大典は昭和天皇の即位式の事と思います。

30m程進むと東から流れ込む沢(多分本流)との合流点となり、北東へ進めそうな道は少し高い岩の上に有るようだが、沢中の飛び石もとぼしく渡るのに手間取ったが、越えてしまうと穏やかな登り道で右手(南)の沢からは徐々に遠ざかっていくようです。ただ藪がひどいのは覚悟してください。沢を渡ってから300m程ほぼ直線状でった道が左(北か)に大きく折れ曲がります。曲がって30m先の左手(西側)に「山田町谷上南町南方の道標」が建ちます。よく見れば三ツ辻で右(南東)にほぼ水平に続く道があった。

丸山谷の道標を右下へ案内杭では「行止り」

30m沢合流部を東(左上)に渡る

330m谷筋から始めての屈曲

360m到着、一応、三ツ辻

谷上南町南方の道標

この道標には「右、再度山神戸」「左、山道」とあり、右は前述の道標への案内であることは明白で紀年も施主も同じであればペアーで建てた事に疑いはないが、こちらの道標は彫が浅く読み難い。書き手が異なるのでしょう。
 又、現在の位置と向きでは具合が悪く、移動されているに違いない。

この道標から北に尾根を越せば多分2~300mで、進入をあきらめた高速の側道に出ると思われるが、地理院地図に書かれていないので引き返す事にした。(平成8年地図には載る。)
 取り敢えず、
丸山川に架る「向井橋」の県道迄戻ってください。

皆森交差点北東部

下谷上の道標の南面

明治の地図では旧有馬道は志染川の対岸(右岸、北岸)を通っていますがこれを通らず、現県道15号を西に進みます。1.2㎞の皆森(かいもり)交差点北東角の歩道上に「山田町下谷上の道標」が有ります。

この道標も「昭和三年」の銘があり上記の二基の道標と同じ時期である。移設されたもののようだが「郷社八幡宮、十八丁」が何処を示すのか不明な点もある。
南面に「右
有馬三田」「左三木淡河(おうご)」とあり追分道にあったと思われる。現在地でもこの面だけは正しい案内となるが。

元位置とした三ツ辻を北に見る、左原野へ、右皆森交差点へ

一般的にこの辺りで呼ばれる「有馬道(街道)」はこの道標の元位置から南に曲がり、国絵図にある「天王谷越」を通り東小部村へと向かうようです。
では「南、湯乃山道」はどうなるのでしょうか。西の播磨国方面から有馬温泉への道とすれば、現山田町原野から国道428相当の道で「下谷上の道標」の元位置まで南下して来て、ここで北東に折れて
有馬道として東行したのでしょう。

久保橋南詰めから西を見る

ただ現蓑谷ICのある場所は東から西に流れる志染川と北流する蓑谷川に挟まれた三角形の扇状地のようで、逆三角形の北辺となる志染川左岸(南岸)を直行する方が近いと思います。現在の道路管理機構上では許されないであろうが、近世の事なれば現志染川に流れ込む蓑谷川に架かる「小橋」から、志染川の「久保橋」南詰辺りに繋がるほぼ直線の道「南、湯乃山道」としたいがどうでしょう。明治の地図では小径として描かれいるが道標等は残っていない。

有馬口から蓑谷までの有馬道を一つのゾーンとしてまとめました。
 これを全て徒歩で回ると一日では無理であろうとおもいますが、ひとくくりとしました。