藍那の七本五輪塔
1.始めに
丹生山丁石の関連として、藍那にある五輪塔を見てきました。果たして、丁石予備軍でしょうか。
2.長田神社から
今回は神戸市長田からアプローチします。長田神社東から長田蓑谷線を登り、ひよどり台、しあわせの村入口を越えて、星和台4丁目交差点を西折れし、星和台7町目の徳川道の分岐を確認した後、「山田町藍那21の道標」等の無事を確認し、藍那村集落に下り、神電藍那駅北を目指します。
夢野白川線で「里山町鵯越駅の道標」に寄るルートも捨て難いが、こちらは帰りにでも時間が有れば寄るとしましょう。
3.藍那進入口
長田神社から途中は省略します。
徳川道分岐地点に着きました。星和台7-20-3民家の西側三ツ辻です。「藍那進入口」としておきます。これから進む道は明治の地図にある「鵯越」道の延長と見え、藍那集落の南を通り、北西にほぼ一直線に木津に続く道です。藍那の里公園入口までは快適な道が残っています。そこに「あいな里山公園口の道標」が有り「三木」を示すが、先は不明です。
4.徳川道
徳川道の痕跡を探します。何せ全線踏破をするつもりは有りませんので所々押さえておきます。
資料によると、写真三ツ辻の西側に分岐する道が徳川道の跡らしいのだが、道が見当たりません。訳ありなフェンスがコの字型に張られているだけです。駐車場でないのは分かりますが、道跡かと聞かれると心もとない。フェンスの向うに、消えた案内板、と道跡らしい空間は見つかりましたが、何処から入ってよいか分かりません。西に谷筋を下った後、公園内を進むように思いますが、「徳川道」にはあまり興味がありませんのでこれ位にしておきます。理由は多分使われた事が無かった道であろうと考えるからです。
【参考】徳川道路線図はwebより参照しましたが、リンクの可否が無い為、ご自身で『神戸・兵庫の郷土史Web研究館』の「徳川道(西国街道往還付替道)を辿る」で検索してみてください。
徳川道は、有りそうに見えるが、行けそうも無いとしておきます。
5.藍那周辺の道標へ
webで手に入れた「藍那の旧跡」図により、観光地点を探しつつ「相談ヶ辻(そうだがつじ)」を目指す。「徳川道案内板」は消えていて読めず、「椎の木塚」も見つけられず、1㎞もせぬ内に、二度ほど来た「相談ヶ辻」に出てしまった。
相談ケ辻は藍那進入口から下り坂830m程度と思われます。この先は勝手知ったる場所なので、道標が無事であるかどうかを確認しておきます。やはり、何基かはマズイ状態です。ここ数年の経過だけでも劣化が激しく、「藍那字伝庫西の道標」等は間もなく剥離で読め無くなりそうだし、物に依れば崩れ落ちるかもしれません。道標マニアの皆さん(いるのか)、早く見ておく事をお勧めします。特に大正時代に建てられた新しいものが石質的に危ないようです。
下の「山田町藍那21の道標」から北に下れば早いのだが、グルと時計回りに一周して藍那駅を目指します。
集落の東を廻り込み、神電のガードを潜って県道57小部明石線を東折れ、藍那駅を通りこした所の左上(北側)に見えます。
6.藍那七本五輪塔
今日の目的「七本五輪塔」に到着です。国立国会図書館の『山田村郷土誌』91頁 の「七本卒都婆」は、説明にもなっていませんが、一応見ておくべきか。
今日の目的「丹生山丁石の予備説」の根拠を求める為には、どれくらい似ているかが第一の調査点です。
早速掃除ですが足場が悪く難儀します。足を置く平地がないのです。こんな所に誰が建てた。いえいえ道路側の土が削れ落ちたのでしょう。道路拡張のせいかもしれません。等と頭の中で会話しています。が何とか掃除も終わり、撮影と計測です。
五輪塔の特徴を捕まえるには、各部の大きさが重要となり、測定に時間が掛ります。又背が高いものがあるので、手が届きません。「どないすんねん!」。「ン!」一石でない五輪塔もあるゾ。
スッタモンダ、一人でつぶやきながらなんとか計測終りました。結果は別項「七本卒都婆(道標では無い)」を参照して下さい。
では、写真撮影に取り掛かります。立地条件のせいでマトモに取れる石は有りません。西端の西面でさえ距離が取れずに全体像はむりです。丁石でも、まして道標でもない事が判明したので、撮影に余計力が入りません。
取敢えずは、何枚か並べておきますが全体像が撮れず見難いものばかりです。
梵字が多く刻まれているようなので、少しだけウンチクを、「五輪塔に梵字が彫られる場合、一面だけの時と四面の場合が有り、一面の場合は上から、空(キャ)、風(カ)、火(ラ)、水(バ)、地(ア)とするらしい」これは受け売りで真意のほどは保証できません。多くの石は複数面に刻まれているようです。
数が多い分随分時間を費やしてしまいました。あわよくばこの後探しに行きたいものが有ったのですが、日を改める事にします。