記事の先入観を捨て自分なりに解釈してみました。詳細は「大阪市東淀川区瑞光町2の道標」を参照いただくとして、元位置の考察部分を少し此方で述べてみます。施主の住所や名前からすると近世(江戸時代)の作と思われ、当時の道の様子を明治の地図から類推する為、上記の地図を挙げておきます。この地図で瑞光寺に向かう道は点線で書かれた道も含め4本しかありません。この内主要な道(聯路)から分岐する地点が寺の南に3か所あり、大阪市内から来た場合に最も近い場所は一点しか有りません。依って自ずから場所が決定出来ます。またその大坂寄りには同じく瑞光寺を案内する「菅原1の道標」もあり、参詣道であった事が分かります。