巡礼道
巡礼道とは
此処で言う巡礼道は、西国三十三ヶ所の内、総持寺(22番)から勝尾寺(23番)、中山寺(24番)を巡る道筋を指します。明治の地図にはJR池田駅の北側に「巡禮街道」とある道に該当しますが、これと完全に一致するかは分かりません。私なりに単純に寺だけを順に巡った場合に最短と思われる道筋としました。
『大阪府史』明治36年刊、昭和36年復刻にある道路の情勢に二等補助里道「順禮街道」が載るが藤井寺のもので混同の無いようにお願いします。
市域別巡礼道の地図
少し手前の箕面から
巡礼道の内、箕面の坊島5の道標(中山へ三里)から、中山寺迄を実測した記事を「9.箕面市新稲5の道標」に書きましたが、ここにも転載しておきます。
『「中山寺へ二里」を実測してみた。サイクルコンピュータ(車輪の回転数から距離を計算)を使用し、この道標の東「箕面市坊島5の道標」の「中山 三リ」から継続して測りました。
勝尾寺から中山寺を目指す場合に、どの下山路(参道)を利用しても、当地を通過するのは間違いなく、ここを通過後、池田城跡北側から市内を抜ける間は少し分かり難い道であるが、呉服橋を渡り、現川西池田駅を過ぎると明治の地図に「巡禮(礼)街道」と記されている。同市寺畑に入って旧道が無い部分はR176号(数十m短いか)を走り、中山寺門前迄が9.08㎞(2.3里)となりました。道標の表現として「二里」で問題はないでしょう。(尚、走行距離の為、実距離よりは長くなる。)
前述の道標からは3.11㎞(0.8里)の距離で1里よりは短かかった。
今昔マップon the webで当地の旧道を確認できます。』
と書きました。その箕面市との境からスタートすることにします。
巡礼道東端
畑4丁目の道標
市内東端となる「2.池田市畑4の道標」が有ります。寛文十二(1672)年の銘を持つ古い道標です。為か読み難いですが、東面に「南無阿弥陀仏」と書き、北面に「右中山道」とありほぼ直進の道へと案内しています。「巡礼道」に相応しい道標です。
左の写真は三ツ辻を西に望む。
右写真は北面「右、中山道」
畑4丁目の道標を右(ほぼ直進)に採ります。旧道の雰囲気が残る道を350m西に進むと、突如として新しい道標が左手(南側)民家入口に現れます。なんと案内先は「東、京・江戸、西、日向高原」と遊び心満点の道標です。一応写真を撮っておきます。
そこから390m西で現府道9号上渋谷交差点に合流し、府道を進みます。交差点から430m、途中山之手公園前あたりから登りがきつくなり、丁度登り切った地点の三ツ辻になります。この左前方(南西部)に横岡公園があり、公園内に道標があります。
公園の入口は西に50m程下った地点にもありますが、そこよりも、上記三ツ辻を南に折れ100mの公園南東端の入口から廻った方が楽だと思います。何方から入ったにせよ目指すのは公園北東端、上記三ツ辻のすぐ上方になります。
横岡公園の道標
「3.五月丘2の公園内石仏手水石道標」です。
当然移設であるのは違いないでしょうが、元位置は旧道も無くなっていて分かりません。現府道の北側にそれらしい道は残っている様にも思えます。此の道と距離が「中山へ58丁(6.3㎞)」と書かれているので、これを根拠に決めればよいかも知れないが、丁石でない為難しいでしょう。上記の解説には元位置の考察を少し述べています。是非参照下さい。
無くなった最も巡礼道に相応しい道標
公園から元の三ツ辻(五月丘バス停の西)に戻ったとします。府道9(箕面池田線)を西に460m進み、変則四つ辻(南東部コンビニ駐車場)を南の旧道に折れ90m地点の三ツ辻を右折(西折れ)するのですが、この三ツ辻が解り難い。此処を逃すと今から先の更なる難路には戻り難くなります。よって少し目標を書いておきます。三ツ辻左(東)に「あくたがわクリニック」が有り、右手(辻北西部)は「あすぱあと」デイサービスの石垣(上にカイズカイブキ)になっている。
この石垣を西に廻り込むと正面60mが行止りかと見えるが、左(南)へ道なりに折れ、すぐを右(西)にクランク状に進むと、五月山体育館南東のつり橋?南詰に出会う。ここを左(南)に30m進んだ一つ目の三ツ辻(池田城跡公園入口の北40m)を右(西)に折れ、城跡北側を一気に下ります。道は曲がりくねっていますが一本道で迷うことはないと思います。三ツ辻から280mの「池田城山町交差点」に出ると、町中の大きな交差点で「旧道は何処?」と言いたくなりますが、今下って来た道から真っすぐ前を見ると道というより路地が見えます。路地右手(西側)には地蔵祠があり旧道を示します。路地を南に30m進むと東西の路地に突当り、中山寺へはこれを右(西)に進むのですが、この三ツ辻北東部に実は道標があったのです。
ようやく目的の「6.池田市綾羽1の道標」地点です。
市域西端の道標
「7.池田市西本町5の道標」が市内巡礼道の西端になるでしょう。上記の無くなった道標からここまではまるで路地裏をたどるようですが、昔はレッキとした街道であることを裏付けると思います。
左奥は猪名川を渡る国道176号の呉服橋。渡ると川西市。
巡礼道を東へ
では、巡礼時に言われる「逆打ち」はどうでしょう。
逆打ちとは、札所番号の大きい方から小さい方へと廻る巡礼です。此処の場合は中山寺から勝尾寺を目指す事になり、勝尾寺を過ぎれば総持寺へとなります。
既に勝尾寺への案内が一基しかなかった事は述べました。ではその先、総持寺を指すものはと見ると池田市内では一件も無い様で、これからすると逆打ちする人に対して案内は不親切であったと出来るかも知れない。
ただこれは、巡礼道上の道標に限った話で、この近辺には「勝尾寺」への案内は沢山あります。そこで別項に「勝尾寺を示す道標」を設けています。「勝尾寺」の書き方を見るだけでも楽しいと思います。
巡礼道池田市域はここまで。川西市へ続く。