川西市多田院社務所西の道標

多田神社南大門を北西に見上げる。道標はみつかるか

1.始めに

長らく忘れたままになっていた、「大水に舟わたし」の道標を探しに行くことにしました。理由は川西か猪名川町か分からないが「カイモリ峠の道標」の情報をwebで探しているうちに、古い能勢電のハイキング募集ポスターに行き当たり、見た事があるなーと思いつつも見ていると、多田院の上記道標が眼に入り、これも見ていない事を思い出したからです。

そのポスターは載せられませんが、元位置と共に現在位置が多田院としている様に見えます。前に一度諦めていたのですが、再度挑戦です。

元の辻を南に見る。左右が旧県道12号

2.元の辻はここか

先ず、元位置の確認から。
 ここは何度も通過するのですが撮った写真の数は少なく、『川西の歴史散歩』ではなく『かわにしふる里散歩、3』(川西図書館にある)の写真と同じアングルで撮る事にしました。

「ふるさと散歩3」と同じ写角と思う、ここで「右」は現県道を西に進むことになる。

元辻より北を見る、多田神社へは河原へ出て猪名川を渡る。

実際に現地に立ち少し低い位置から見ると、遠景は上記本によく似ています。やはりここが元位置として良さそうです。本の発行が昭和52年以降と思われるので、建設当時の元位置となると不確定ですが、『今昔マップ on the web』の明治の地図を見ますと、辻の状態は変わっているもののほぼ同じ位置として良いでしょう。ただ昭和の写真では案内面の向きが変わっているような気がします。「右 大水尓ハ舟有」が北の猪名川河原を指さず、県道を西に進むと受け取れるからです。
 国会図書館の『摂津名所図会』巻七コマ33に、猪名川を渡る橋が描かれている。

現在ではこの先に進むと川を渡れないので、県道を西に150m進み御社橋交差点から、北に折れ御社橋を渡ると正面に多田院の門を見上げる事が出来ます。能勢電多田駅から徒歩の場合は川の左岸(北)を来るので川を渡る事はありません。

御社橋から北南大門を見る。

3.不明の道標を探す

見逃しが無いようにと、東門から一周する事にし階段を昇らず東に回り込み、次の三ツ辻で北に折れるとすぐに「東門」が左手にあります。右柱に小さく「東門」とあります。左右の境内をウロウロしながら西へと進みます。
 宝仏殿前を過ぎ、南大門からの中央の道に合流し、右折(北)し本殿へ向け進む。鳥居を潜り、延宝四(1676)年建立とある随神門を過ぎ、拝殿、本殿周りをぐるっと探すも見つかりません。

東門を西に見る。

宝仏殿前を西に見る

中央の参道に出合い、北拝殿方向を見る

南大門北側の文化財解説板、本殿等多くは寛文七(1667)年建立とある。

随神門の西側の像、豊磐間戸命(とよいわまどのみこと、矢大神)、仁王門なら吽像が置かれるか

拝殿、本殿周りの境内を探しまくり、社殿の写真を撮り忘れる。
 この辺に無いとマズイのだが。

探しているのはこんな所ばかりです。

南大門を北に見る。入って左に曲がると社務所方向へ

東側半分を見終わった時点で見つかりません。やはり無くなったのかなと思いつつ、南大門へと引き返します。先の鳥居を南に出て、先の東からの道を北に折れた地点に戻り、今度は西の境内駐車場の方に進みます。社務所南のムクロジの巨木回りに玉垣があり、紛れていないかチェックです。有りません。

境内駐車場北から東を見る。左は田尻稲荷神社の赤い鳥居か

社務所?西壁下(中央やや左の壁際)に倒置の道標を北東に見る

4.東半分は探し終えた

境内駐車場に出てしまい壁際をグルリと探すも無く、駐車場を北に進み田尻稲荷神社の鳥居前に来ると、北側の社務所の西の壁際に長い石がみえます。「有った!」と直感で判るのは経験の賜物でしょう。途中からは走っていたかもしれません。

前に「№34.猪名川増水に渡し船の道標(不明)」としていた名前を「多田院社務所横の道標」変更しました。

「左、満願寺」は南を指していたと思う

「右、大水にハ舟有」は北の河原を示すでしょう。

5.見つけた道標は

4、5枚写真を撮ると、何んと電池切れ。「アアーどうしよう」と思った時に、スマホを思い出しました。こちらの方が画質も良いのですが、なぜか写真はカメラ(写真機)で撮らなければならないと思い込んでいるのです、が背に腹は代えられません。申し訳ありませんがここからはスマホの写真になります。

倒れた状態では右面となる側に「左、大水尓ハ舟有」とくずし字で書かれる

「渡し」の案内は時々見かけますが、「大水に舟有」は多分これのみでしょう。
 ただ、近世の川では徒歩(かち)渡しが主流であったようだが、増水時には舟渡となる所も多かったと聞きます。有名な大井川の「川留め」の様に、舟による代替手段がない方が珍しいのではないか。

北岸の「多田院1の道標」を見る。左の木の右辺り、その道標は満願寺を案内する。即ち当道標の元位置へ案内する。

見つけた道標は折れていました。再建の可能性は低いかも知れないが、遺失の恐れは少ないでしょう。「道」の字の下部で折れて一部欠けている。

神社の方に伺うと、何時の頃からかここに持って来られて、その時には折れていたようです。元位置等は詳しく分らないとの事でしたが、お若い方だったのでお年寄に聞けばハッキリするかも知れません。

6.満願寺への道は

先に書いたように「左、満願寺」は現在の旧県道12号を鶯の森から川西市街へ向うのではなく、今の湯山台から愛宕原ゴルフ倶楽部の東をかすめて満願寺奥ノ院に続く最短経路を示していると思われます。但し、湯山台の北側を通るか、南側ルートの現県道12号の西多田2丁目交差点辺りを抜けたかは不明である。北側経路には「西多田1の道標」「西多田平井田筋の道標」が残りこちらの方が有利になる。
 『今昔マップ on the web』の明治の地図検討してみてください。

7.終りに

この後、残りエリアも捜し、西門より南へ出て、外の駐車場を見た後南大門から階段を下りて東門に戻る間に、目ぼしいものは無かったが、この道標だけで満足しました。
 その後、「緑台4の道標」が健在かの確認と、未見の「東谷村道路元標」を探しに行くが、この項はここまでとします。

緑台4道標を南に見る

東谷村道路元標を南に見る