川西市多田院社務所西の道標
実際に現地に立ち少し低い位置から見ると、遠景は上記本によく似ています。やはりここが元位置として良さそうです。本の発行が昭和52年以降と思われるので、建設当時の元位置となると不確定ですが、『今昔マップ on the web』の明治の地図を見ますと、辻の状態は変わっているもののほぼ同じ位置として良いでしょう。ただ昭和の写真では案内面の向きが変わっているような気がします。「右 大水尓ハ舟有」が北の猪名川河原を指さず、県道を西に進むと受け取れるからです。
国会図書館の『摂津名所図会』巻七コマ33に、猪名川を渡る橋が描かれている。
現在ではこの先に進むと川を渡れないので、県道を西に150m進み御社橋交差点から、北に折れ御社橋を渡ると正面に多田院の門を見上げる事が出来ます。能勢電多田駅から徒歩の場合は川の左岸(北岸)を来るので川を渡る事はありません。
4.東半分は探し終えた
境内駐車場に出てしまい壁際をグルリと探すも無く、駐車場を北に進み田尻稲荷神社の鳥居前に来ると、北側の社務所の西の壁際に長い石がみえます。「有った!」と直感で判るのは経験の賜物でしょう。途中からは走っていたかもしれません。
前に「№34.猪名川増水に渡し船の道標(不明)」としていた名前を「多田院社務所横の道標」に変更しました。
5.見つけた道標は
4、5枚写真を撮ると、何んと電池切れ。「アアーどうしよう」と思った時に、スマホを思い出しました。こちらの方が画質も良いのですが、なぜか写真はカメラ(写真機)で撮らなければならないと思い込んでいるのです、が背に腹は代えられません。申し訳ありませんがここからはスマホの写真になります。
「渡し」の案内は時々見かけますが、「大水に舟有」は多分これのみでしょう。
ただ、近世の川では徒歩(かち)渡しが主流であったようだが、増水時には舟渡となる所も多かったと聞きます。有名な大井川の「川留め」の様に、舟による代替手段がない方が珍しいのではないか。
北岸の「多田院1の道標」を見る。左の木の右辺り、その道標は満願寺を案内する。即ち当道標の元位置へ案内する。
神社の方に伺うと、何時の頃からかここに持って来られて、その時には折れていたようです。元位置等は詳しく分らないとの事でしたが、お若い方だったのでお年寄に聞けばハッキリするかも知れません。
6.満願寺への道は
先に書いたように「左、満願寺」は現在の旧県道12号を鶯の森から川西市街へ向うのではなく、今の湯山台から愛宕原ゴルフ倶楽部の東をかすめて満願寺奥ノ院に続く最短経路を示していると思われます。但し、湯山台の北側を通るか、南側ルートの現県道12号の西多田2丁目交差点辺りを抜けたかは不明である。北側経路には「西多田1の道標」、「西多田平井田筋の道標」が残りこちらの方が有利になる。
『今昔マップ on the web』の明治の地図で検討してみてください。