東大寺の道標再訪
1.始めに
webを見ていると東大寺の道標に落款(印)があるとの事、いったい今迄何を見て来たのかと自身に腹を立て再度見に行くことにしました。最近は山間部が専らでしたが、久しぶりの平野部です。その顛末です。
2.高槻氷室町は復活しない等
4.百山稲荷の道標ではなかった
5.東大寺の柳谷道標、再見
さて、いよいよお目当ての東大寺柳谷道標の刻印部分です。過去に5、6回は来ているはずなのに?見落としていたようです。
今日は念入りに見ます。何故かと言うと、落款を持つ道標は極めて少ないからです。ただ、落款=書家となり、建立者自身が書いた道標では無くなる事を示し好きにはなれません。私は、普段書き慣れていない字を道標のために苦心しながら書き、建てたであろうと想像できる様な道標が好きです。が、落款を持つという珍しい点では掛替えがなく、書家の名前等から別の情報が得られるかもしれません。
因みに、落款を持つ道標は他に「高槻市霊仙寺町の道標」、「神戸市北区有馬町端宝寺北の道標」、「大阪市北区中津7の道標」があります。私の知る限りでは4基目です。
6.落款は「廬山」
道標東面「…道」の下、署名と印
落款の書体はほぼ篆書と決まっており、彫が明確なら読下しも幾分楽なのであるが、彫の深さが浅く線の繋がりが読み取れません。
そこで右横のくづし字に頼る事にしました。上にも書いたように「鷹山」としたのだが、『くずし字用例辞典』児玉幸多編、東京堂出版を見ると少し違うように見える。聞き覚えのある号で期待したのであるが、何か違う。途中の経緯は省きますが結果「廬山(ロザン)」としました。
「廬」は「庵」と同じで「いおり」のことであるらしい。
これを「廬山」地名とするとwikiに「中国江西省九江市南部にある名山」とあり有名な名勝地であるらしいが、知りませんでした。中国の地名を号にはしないと思いますが、如何でしょう。
京都には「廬山寺」があるらしく、天台宗の寺院で同じくwikiに「明治維新までは宮中の仏事を司る御黒戸四箇院の一つであった。1872年(明治5年)9月に天台宗の寺院となる…」とあり、柳谷観音の浄土宗とは結び付きにくいと思う。
そこで「廬山」をwebで探して見ると「遠山廬山」文政6(1823)年~明治37(1904)年、京都の人、行書に優れる、とありこの方の可能性はある。読みは「ろざん」とありました。
発起人の中に「京」と有るので、知人などの伝手で頼んだ等と考えるのは楽しい。或は廬山さんが柳谷観音を信仰されていたのかも知れない。
7.落款を持つ他の道標
先に挙げた、落款を持つ「「高槻市霊仙寺町の道標」、「神戸市北区有馬町端宝寺北の道標」、「大阪市北区中津7の道標」には2~3の印があり、一般的には書の落款は三ヶ所が多いようですが、この石には一つしか見付けられなかった。見落としかも知れませんので探してみてください。
8.浄谷越え道探索
明治の地図で見当を付けた道を進みます。
9.水無瀬の滝
10.浄谷越え道は宿題
11.東大寺柳谷観音の道標西面
強引に読み下しました。無理やりですので誤りが多いと思います。
1、□□東垣□行□□山城加茂□□辻大坂 伝法山講四安 寺西秋造 福講西□□福 江講 大原正太郎
2、摂津川辺神心 治講 河内岩口信心講 大坂北月参講 山城北川講七神田川□□□町 山西講 田辺仙次郎
3、摂津岸部 并請講河内□住信心講 亀宮観音講 大坂□□常吉 大坂野里□安守□ 佐□講 塩田重左エ門
4、摂津今福 福壽講 河内元 福田講 大休 大福講 大坂□辻宮分 大坂 □□□一□ 山城戸講 佐野昌太郎
5、摂津今福 福井講 亀崎橋 観音講 福組信力講 大坂 田花の 大坂 □福□□ 丹波出氏保條鶴太郎
6、山城□□講一 心組 摂津山田 信心講□□近栄講 大坂 秋山□スヘ 京 藤本平郎□ 摂津□光江羽□小三郎
7、摂津海老江 信神迎講不揃□津 満願講 大坂片町 天□ 大坂山田□□ 山城 袖□□□郎 京先斗□高□□□□
8、□□蔵神埼月参講 大坂中村 月参講 山□福□ 中川本定介 大坂 辻□□仰 講 有 志 中
これを、地名・講名、地名・個人名で書かれているとし、地名が共通する場合は講名を連続させ、個人名は地名を略することもある。として読みやすく分かち書きすると。
1、□□東垣□行□□、山城加茂□□辻、 大坂・伝法山講、四安寺西秋造・福講、西□□福江講、 大原正太郎
2、摂津川辺神心治講、河内岩口信心講、 大坂北月参講、 山城北川講、 七神田川□□□町・山西講、田辺仙次郎
3、摂津岸部・并請講、河内□住信心講、 亀宮観音講、 大坂□□常吉、 大坂野里□安守□・佐□講、塩田重左エ門
4、摂津今福・福壽講、河内元・福田講、 大休、大福講、 大坂□辻宮分、 大坂□□□一□・山城戸講、佐野昌太郎
5、摂津今福・福井講 亀崎橋・観音講、 福組、信力講、 大坂 田花の、 大坂・□福□□、 丹波出氏保條鶴太郎
6、山城□□講一心組、摂津山田・信心講、□□近栄講 大坂 秋山□スヘ、 京・藤本平郎□、 摂津□光江羽□小三郎
7、摂津海老江・信神迎講、不揃□津・満願講、大坂片町・天□、大坂山田□□、 山城・袖□□□郎 京先斗□高□□□□
8、□□蔵神埼月参講、大坂中村・月参講、山□福□、 中川本定介、 大坂・辻□□仰講・有志中
(□部には一文字が書かれているとする。)
(「組」が二ヶ所に見えるが、「講」内に属するものか、「講」と対等のものか知らない。)
12.変わりの無かった道標達
以上、ほとんど成果の無い一日でした。帰りは高槻市街の道標に変わりがないか、少し見ていきました。気になっていた「高槻市上本町10の道標」も無事に真っすぐに建て直されていた。
多分施主であろう中に、「山城」「京」とするものがあり、この方達からの参詣道としては北の長岡天神の方面からが近いと思われるので、この地以外にも同様の道標が建てられたのではないかと思う。