【参考】清滝は何処に有るの?、昔、阪急バスの停留所に「清滝口」、「清滝」が有ったようでHPを見ると「2019年7月13日より『清滝口』停留所は廃止しております。」とある。Mapionでは見る事が出来、清滝口は妙龍寺入口、清滝は今回踏査した妙見標石の近くになると思われます。ただし、滝が有るかは不明です。
先ずは、野間口道標です。道標自体に変わりはなかったのですが、南側にあった建物が無くなっておりサッパリとしています。これ幸いと南側からの写真を撮ります。
ついでに周りも少し撮って、これから進む目標のアンテナも確認しておきます。鈴生りの柿も上手く撮れるでしょうか。写真ではアンテナは見えず、隣の送電鉄塔が見えています。
ここから先は山道になり、砂防ダムの堰堤を右(北)に越えると、すぐにトレースも分かり難くなります。清滝道がいかに使われていないかを示すものでしょう。
前回見つけた「妙見山」標石に着きました。
十日ぶりなので埋ってはいなかったが、枯葉をのけ、10㎝程掘起こすと、寄附主の下部が見える様になりました。「美濃笠松」と有りました。
寄附主の住所などから、開運堂近くにある「壱丁」「三丁」の丁石と同じものと思われます。詳しくは「妙見山清滝道丁石一覧」を参照下さい。
意味があるのか、ゴミか分からない塩ビのパイプが出てきてこれ以上は掘り起こせない。
この石はこれ位にして、もう一つの確認に向かいます。
上部の府道に出て、鳥居の残存物を確認する。
明治の地図にある道路を横切る一本の記号を探ろうとしています。これが鳥居をしめしており、この残存物が元の場所にあるとしたなら、清滝参道の位置の同定は確実となるからです。
尚、最初に書いた【参考】の阪急バスの旧「清滝バス停」がこの辺りと思われます。
明治の地図にある、怪しげな記号が鳥居を示すもの、とする為に、手持ちの地図を拡大してみました。道に対して直角に線が描かれています。キズや汚れではないでしょう。
川に対して書かれていれば滝や堰堤になるのでしょうが、明らかに道を塞いで書かれている。
明治の地図の地図記号の決まりに、鳥居の形をした記号があり、それは今と同じく神社を示し、鳥居自体を示すものではありません。
依って、道を塞ぐ記号は、この様な構造物(鳥居)が、ここにある事を示している、と考えたものです。
尚、現在の清滝参道にある大正五年の鳥居の位置には、それらしき記号は描かれていませんが、妙見山山頂近くの鳥居の位置には、同様の線が見える。(地図の「妙見山」の下、破線にも見えるが)
行場の反対側に境界石があったが、文字は無かった。
下りながら目ぼしいものを探していると。
グーグルマップでは丁度「妙瀧寺」とマーキングされている辺りです。
何んと、丁石が出てきました。
勝手に「妙瀧寺三丁丁石」としました。
妙見山の丁石としなかったのは、過去によく似た形のものが無く、「三丁(327m)」とあれば、山頂近くに置かれるべきであり、むしろ、この辺りでは妙龍寺の滝行場まで一丁となり、この石を、少し下(東)に移せば、妙瀧寺を示すに相応しいと考えたものです。
今日の第一目標は達成しました。清滝参道の未踏査区間は無くすることができました。
上に挙げた明治の地図の橙色で示した道は、妙瀧寺から旧阪急バス清滝バス停(現アンテナ施設)迄は、荒れてはいますが、全行程歩けることが分かりました。
前に言っておいた、亀岡方面からこの清滝参道への合流点を探すべく、戻ります。
第一候補は昔調べており、そこに違いないと思っているのですが、地図上ではもう一つの可能性がある道がみえるので、それを進んでみる事にします。集落の最も山寄りとなる道です。
それに進むと、若干住居はあるものの、集落中を通過せず、山の中腹へと上がってしまった。集落の最高地点辺りまで来てしまいました。建物が足元に広がります。亀岡方面からの進入口は覚えているので、そこを目指して最短距離を下る事にしますが、分かりやすい道筋ではありません。民家に迷い込みそうになったり、山に突当りそうになったりします。
牧の道標から北西を見る、左上に進み清滝参道に続く道があるかを確認した
さて、この後少し時間が有ります。久々に郷土資料館の道標安否確認に行きましょう。
何んと、見易い位置に移設されているだけでなく、北隣には新しい道標も置かれていました。
既知の道標は前に置かれていたより、10㎝ほど深く埋められており、下部の確認が出来ない状況です。ただし見易くはなりました。
一見新しそうな道標を北に見る
資料館入口の北側に二基ならんでいました。その内の北側の道標です。
石自体は非常に綺麗で新しい道標であろうと思いました。
さあ、ここで一仕事です。
正対する北西面の写真から、「右、大坂」「左、京 伏見」とあります。
オ、「伏見」は珍しいかも。嬉しくなって、パチパチと写真。
右に廻り込んで、距離が取れないのでやや上方から全体像を押さえ、文字はと見ると「大正」の様に見えたが、よく見ると、「文政四…」。
エ、結構古いヤナイカ。
この後興奮一しきりでした。
是非とも石の由来を聞きたかったが、資料館はあいにく閉館していました。後日訪れる事にし、満足して帰る事にしました。
今日は、成果イッパイの一日でした。