6
瞼の裏の明るさが増したとき、ようやくジョージは自分がまだ生きていると思った。そう確信したのは、歌声のせいだった。甘く軽やかな鳴き声。ルゴシで耳にした虫たちの鳴き声だった。
そう思いながら、ジョージは眼を開いた。
自分がまだ生きているという信念は、かなり揺らいだ。ジョージは自分が白くて美しい世界の中で宙づりになっていることに気づいた。周囲では虫の甲高い鳴き声がしている。今や、鐘がチリンチリンと鳴る音も耳にすることができた。
頭をめぐらそうとすると、身体が装帯のようなものの中で揺れ、それが軋んだ。虫たちの静かな鳴き声がためらいがちになり、リズムが乱れた。ジョージの背中に燃え上がるような痛みが走った。背骨だ。それよりも激しい痛みを片方の脚の下部に感じた。釘の打ち付けられた棍棒にやられた箇所だと、ジョージは思った。さらに、頭蓋骨も割れるように痛い。ジョージは叫び声を上げたが、自分の喉からは耳障りなカラスの鳴き声が漏れた。
額を手で撫でられた。ジョージはそれを感じたが、見ることは出来なかった。指が傷つき打たれた額のそこかしこで止まりながら、皮膚を横切っていく。気持ちがいい。猛暑の日の冷えた飲み物のようだ。ジョージは両眼を閉じた。そして、恐ろしいことを考え始めた。この手が《灰色の民》だったとしたら。
「静かに」若い女性の声が言った。ジョージが最初に思った人物は姉のゾフィだった。唯一の家族。
「どこだ・・・どこに・・・」
「静かにして。動いてはなりません。まだ早すぎます」
ジョージは口を閉じ、額を撫でる小さくて冷たい手に意識を集中した。
「静かに、神父様。神のご加護がありますように。まだ、ひどい状態です。じっとしていて。傷を治すのです」
背中の痛みはおさまっていたが、ジョージは再び低く軋る音に気付いた。それは馬を繋ぐ縄か、あるいは何かその手のものを想起させる。再び、恐ろしい考えが脳裏をよぎる。
絞首刑の縄。そんなことは考えたくもない。
いまやジョージは、自分が吊り網の中にいるのではないかと思った。そして、少年時代のあることを思い出した。病院の一室で、灯油でひどい火傷を負った男が今のジョージのように吊るされていたのだ。ベッドに横たえられることに耐えられなかったからだ。
指がジョージの眉間のしわを撫でながら、額の真ん中に触れた。器用で滑らかな指先でジョージの思考を拾い上げて読み取っているかのようだ。
「あなたはよくなります。神がそうあらしめれば」手の持ち主が言った。「時は神に属するもの。あなたにではありません」
やがて手が滑るように去っていき、ジョージは歌う虫と軽やかに鳴り響く鐘の夢のような音色から遠ざかっていった。
再び意識を取り戻すと、身体は弱っていたが、精神はいくぶんしっかりしていた。瞼を開けたときに眼に入ってきたのは、天井が高く奥行きのある巨大な部屋だった。漠とした意識の中で、ジョージはニカイア風建築の教会だと見当をつける。
細心の注意を払って首をめぐらし、部屋の大きさを計ろうとした。少なく見積もっても、端から端まで約200メートルはあるに違いないと思った。建物の幅が狭いことから、教会の身廊のようだ。
室内は黄昏時のような灰色に染まっている。陽射しが壁に嵌められた花柄のステンドグラスに発散している。
身廊の中央に通路があり、その両側に多数の寝台が信徒席のように列をなしている。いずれも清潔な白いシーツが敷かれ、白い枕が置かれている。寝台は通路の向かい側におそらく40はあり、みな空いていた。そしてジョージがいる側にも40は並んでいる。だが、2つの寝台がふさがっていた。ひとつはジョージの左隣の寝台である。
そこに横たわっているものに眼を向け、ジョージは驚いた。
少年だ。水桶に漬かっていた少年。
7
ぞっとして両腕に鳥肌が立ち、ジョージは猛烈に迷信的な恐怖に駆られた。眠っている少年をさらにじっと見た。
じっくりと観察したおかげで、ジョージは少年の胸がゆっくりと上下するのを見え、寝台の脇に垂れている指が時おり引きつることにも気づいた。また、少年の首の周りに聖ヨセフのメダルがかけられているのを眼にした。《灰色の民》に襲撃される前、ジョージはそのメダルを少年の死体から取り、ズボンのポケットに入れたのだった。それなのに、今は誰かがジョージからそれを取り戻して少年の首に返したのだ。
素晴らしく冷たい手の持ち主がそうしたのだろうか。彼女はつまるところ、僕のことを死体から物を盗む人でなしとでも思っているのだろうか。そんなふうには思いたくない。
通路をはるかに下ったところ、少年とジョージのいる場所から、おそらく何ダースもの無人の寝台を隔てたところに、ジョージは3人目の入院患者の姿を見た。その男はかなり長い髭を生やしており、その先端は胸のところで不揃いに二股に分かれている。顔は真っ黒に日焼けし、左頬から鼻梁にかけて太くて黒い線が走っているが、ジョージはそれを傷跡と見た。
髭を生やした男は、ほの暗い空気の中でかすかに輝いている白い包帯によって、寝台から1メートルほどの高みに吊るされていた。白い包帯は互いに交差し、一連の八の字を形作って、男の身体の周りを取り囲んでいる。男は紗のような薄く透き通った白い寝間着を身にまとっていた。
ジョージは今一度、頭を左に向けた。そうしたとき、自分の胸の上で何かが動くのを感じた。
きわめて緩慢に動きながら、ジョージは右手を支えている吊り帯から外した。背中の痛みがざわついた。痛みがそれ以上ひどくならないことを見きわめてから、手を再び動かした。すると、見事に織られた布に行き当たった。絹だ。そして顎を胸骨まで下げ、自分が髭を生やした男の身体を覆っているのと同じ寝間着を着ているのを見た。
ジョージは寝間着の襟の下に手をやり、そこに純金の鎖を感じた。さらにもう少し下に手を伸ばすと、指が丸い金属と出会った。慎重に手を動かし、背中のどんな筋肉をも使わないようにしながら、その金属を引き出した。黄金のメダルだった。痛みを気にせず、そこに彫られている言葉を読める高さまでメダルを持ち上げた。絵柄は幼い主を抱いた聖ヨセフの肖像だった。
『エミール 家族に愛されし者 神に愛されし者』
メダルを寝間着の中にたくし込み、ジョージは隣の寝台で横たわっている少年に眼を向けた。シーツは少年の肋骨のところにまで被せられているだけだった。
髭を生やした男に眼を向けると、ジョージはとてつもなく奇妙なことを眼にした。男の頬と鼻にあった太くて黒い傷口が消えていたのだ。おそらく鋭利な刃物によって付けられた切り傷が、治りかけた桃色の傷跡に変わっていた。
《覚悟しておいた方がいいぞ》
その声はジョージが気を緩めたり、仕事をごまかそうとしたりすると、常に聞こえてきた。ジョージのかつての師匠の声。ジョージは胸の内に師匠に答えた。
《ぼくの思い違いですよ》
《違うぞ、ゲオルグ》師匠が言った。師匠はいつもジョージの名前を古風に「ゲオルグ」と呼んだ。《お前が思い違いするなんてことはない。自分でも分かってるだろうが》
ちょっとした動きが、ジョージを疲弊させていた。おそらく考え過ぎたせいだ。虫の鳴き声と鐘の軽やかな音色が溶け合い、心地よい子守歌となっていた。ジョージは眼を閉じると、今度こそ眠りに落ちた。
8
再び目覚めたとき、最初にジョージは、自分が悪夢を見ているに違いないと思った。
かつて、ジョージはヘクセという名の正真正銘の魔女を知った。いま自分は5人のヘクセを見ていると思った。鉤鼻と灰色の皮膚。昔日の記憶が蘇っているのだ。
5人のヘクセは白い修道女の衣服を着ていた。5人の年輪の刻まれた老婆顔は顎まで包む白い被り物に囲まれていたが、その肌は旱魃した大地のように乾燥して灰色だった。白髪をおさえている絹のバンドから、小さな鐘の連なりを魔除けのようにして吊り下げている。白い衣服の胸の上に、青い薔薇の刺繍がある。それを眼にして、ジョージは思った。このヘクセたちは本物だ。
「目覚めたわ!」ヘクセのひとりがおぞましく媚びた声で言った。
「ワーオッ!」
「アーッ!」
ヘクセたちがカラスのように騒ぎ立てた。真ん中にいたヘクセが前に進み出る。
前に出たヘクセは他の者より背が高く、眉が太くて、わずかに突き出ている。そのヘクセがジョージに屈み込むと、額に房飾り状に垂れている小さな鐘がチリンと鳴った。その音色はジョージの気分を悪くし、どういうわけか身体が以前よりも衰弱したような気がした。薄茶色の双眸は強固な意志に満ちていた。ヘクセがジョージの額に触れると、感覚が麻痺していくようだ。
「目覚めたんだね、美しいお方。そうなんだね。よかった」
「ここは・・・?」
「私たちはルゴシの救世修道女会の者。私はシスター・ベルタ。こちらはシスター・クリスタとシスター・ギーゼラ、シスター・ゼルマにシスター・マティルデ」
ヘクセたちは、ジョージが吊るされて横たわっている白い装具を取り巻くようにして近づいてきた。ジョージがひるんで身体を動かすと、再び背中と負傷した脚に激痛が走り抜けた。ジョージは呻いた。吊り下げている包帯が軋んだ。
「痛むのね!」
「包帯が痛めつけている!」
「ひどく痛むんだわ!」
ヘクセたちは、さらに近づいてくる。まるで、ジョージの痛みに魅せられているかのようだ。そして今や、ジョージは魔女たちの匂いを嗅ぐことが出来た。干からびた大地の匂い。シスター・ギーゼラという名のヘクセが手を伸ばしてきた。
「立ち去りなさい!彼に近づかないで!前にも言ったでしょ!」
魔女たちはこの声に驚き、飛び上がった。とりわけ、ベルタがむっと顔をしかめ、寝台から退いた。その際、ジョージの胸に乗っているメダルに一瞥をくれた。最初に目覚めたとき、メダルを寝間着の中にたくしこんだはずだが、今それは外に出ていた。
6番目の修道女がベルタとゼルマを左右にぞんざいに押しのけながら現れた。
血色のよい頬と艶やかな肌、そして黒い瞳の持ち主だった。白い衣服は風をはらんでうねり、胸の上の青い薔薇の刺繍がくっきりと浮き出ている。
「行きなさい!彼にかまわないで!」
「あらまあ!」修道女マティルデが笑っているとも怒っているともつかぬ声で叫んだ。「小娘のヴェロニカのお出ましだよ。彼女、彼に恋しちまったんじゃないの?」
「そうよ!」クリスタが声に出して笑う。「小娘は彼にメロメロなのよ!」
「そうよ、そうよ!」ゼルマが相槌を打った。
ベルタは唇を真一文字に引き締めてヴェロニカに振り向いた。
「あなた、ここに用はないはず。生意気な小娘が」
「私があると言えば、あることになるんです」ヴェロニカは返答した。修道女の頭布からはみ出した黒髪が額に垂れ下がっている。「さぁ、行きなさい。彼はあなたたちの冗談の相手になれる状態ではありません」
「指図するんじゃないよ」ベルタが言った。「私たちは冗談など言ったことはない。あんたも承知してるでしょ、シスター・ヴェロニカ」
「行きなさい」ヴェロニカはくり返した。「まだ、そのときではありません。他にも看護すべき人はいるでしょ?」
ベルタはじっくり考えているようだった。他のヘクセたちは見守っている。ようやくベルタはうなづき、ジョージに微笑んだ。
「じっとしているのです」ベルタがジョージに言った。「少しの間、私たちと一緒にいなさい。そうすれば、私たちが治してあげますから」
他の修道女が笑った。その化け鳥じみた笑い声が薄明かりの中に響いた。マティルデがジョージに投げキスをした。
「さあ、淑女たち!」ベルタが叫んだ。「少しの間、ヴェロニカを彼と一緒にさせておきましょう」
そう言うと、ベルタは他のヘクセたちを引き連れて中央の通路を下って行った。衣服の裾をなびかせるその姿は、まるで五羽の白い鳥が飛び立っていくようだった。
9
「ありがとう」
ジョージはヴェロニカを見上げた。ヴェロニカがジョージの額に触れると、ジョージは冷たい手の持ち主がようやく分かった。
「あの人たちは、あなたに危害を加える気は無いのです」
「ここは、どこ?」
「私たちの住居」ヴェロニカはそっけなく答えた。「町の広場に続く通りの半ばに教会がありましたでしょ。その裏手にある修道院です」
「修道院じゃないな」ジョージは空いている寝台の列を見ながら言った。「診療所。違いますか?」
「病院です」相変わらずヴェロニカはジョージの額を撫でながら言った。「私たちは医師に仕え・・・彼らもまた私たちに仕えてます」
ジョージはヴェロニカのクリーム色の額にかかっている黒髪に魅せられていた。手を伸ばせるものなら、触れてみたい。
「あなたたちは地獄の侯爵イブリスを信奉してるのか?」
ヴェロニカは驚いたような表情をしたが、やがて陽気な笑い声を上げた。
「いえ、違います。私たちは慈善宗教の団員です」
その昔、青い薔薇を刺繍した白衣を制服にしていた「青薔薇救世会」は地獄の侯爵ことイブリスを信奉する結社として、教皇府から異端とみなされていた。国立銀行の重役に化けていたノスフェラトゥが「イブリスが来る」と白状したことを思い返していた。
「あなたが看護師ならば・・・医師は?それに、町の人々は?」
ヴェロニカは唇を噛みしめながら、まるで何かを決断するかのようにジョージを見つめた。ジョージは相手を女性として見つめていることに気づいた。
「本当に知りたいの?」
「もちろん」
ジョージは少し驚いて言った。いささか胸騒ぎも覚えた。
「思うに、あなたは」ヴェロニカはため息まじりに言った。額の上で小さな鐘がチリンと鳴った。「約束しなければなりません。叫び声を上げて、隣の寝台の少年を起こさないと」
「以前に叫び声を上げてから、かなりの歳月が経っている。麗しき聖女よ」
ジョージの呼びかけに、ヴェロニカの頬がみるみる真っ赤になった。
「ちゃんと見ることの出来ない相手を、麗しき聖女などと呼ばないでください」
「なら、その頭布を取ってほしい」
「いえ。それは許されておりません」
「誰に?」
「修道女長」
「自分のことをベルタと呼んでる女か?」
「そうです」
ヴェロニカはジョージの寝台から離れ始めたが、立ち止まって肩越しに振り返った。
「約束を忘れないで」
ジョージはうなづいた。薄明かりの中、ヴェロニカは衣服の裾を揺らしながら、髭の生やした男の寝台に行った。寝台の奥に回り、吊り下げられている男の脇に近づいた。おかげでジョージは、捩じれて輪になった白い絹ごしにヴェロニカの姿を追った。
ヴェロニカは男の左胸に軽く手を置き、その上に屈み込むと、頭を横に振った。同時に額に連なっている鐘が音を立てた。ジョージは今一度、おぞましい痛みを背中で感じた。
次の瞬間、喉元に絶叫がこみ上げてきた。ジョージはそれを抑えるために唇を噛んだ。意識のない男の両脚が動いたように見えた。実は、動いているのは両脚の上に乗っていたものだった。
虫たちの黒い波が両脚を下っていた。その群れは、さながら行進して歌う軍隊のように激しく鳴いている。そして、ジョージは虫たちが自分の身体にもいることに気づいた。背中を虫の大群が這い回っている。自分の身体がかすかに震え出すのを感じる。
虫は吊るされている男の爪先へ下ると、やがて波打って飛び立った。そして素早くひとつの有機体となり、下のまばゆい白いシーツに着地すると、1メートルほどの幅の大軍と化して床へ下り始めた。おそらく虫は蟻の2倍ほどの大きさで、蜜蜂よりは小さい程度だとジョージは思った。
男の両脚を覆っていた虫の群れが減り始めたとき、男は震えて呻き声を上げた。ヴェロニカが男の額に手を当ててなだめている。ジョージはいささかの嫉妬を感じた。
自分が眼にした光景が本当におぞましいものか、ジョージは落ち着いて考えてみた。ウスルなどの古代文明では、ある種の病に蛭が使われていたという。それでも、虫の群れには何かおぞましいものが感じられた。無力な状態で吊るされている自分の背中に、虫が這い回っていることは想像するにも忌まわしかった。
男の呻き声が小さくなった。虫の大軍は床を横切って、石壁に向かい、やがて影に入ったので、ジョージは虫の姿を見失った。
ヴェロニカが心配そうな眼をして戻ってきた。
10
「よくがんばりましたね。あなたの気持ちは分かります。顔に出てますから」
「医師たちか」
「ええ、彼らの治療能力はすごいの。でも・・・」ヴェロニカは声を落とした。「あの兵士は彼らにも手の施しようが無かったようです。両脚はだいぶ良くなったし、顔の傷は治ったけど、医師たちの力に及ばない箇所を怪我してました」
ヴェロニカは自分の腹部を撫でで、その怪我の箇所を示した。
「で、ぼくは?」
「あなたは《灰色の民》に襲撃されたのです。かなり激しく彼らを怒らせたに違いありませんが、殺されはされなかった。その後、あなたは縄にくくられ、引きずられました。同じ頃、クリスタとギーゼラとゼルマが薬草採りに出かけてたのです。彼女たちは《灰色の民》があなたをいたぶっているのを眼にして、止めさせたのです。けれど・・・」
「あの連中は、あなたたちの言う事を聞くのか?シスター・ヴェロニカ」
ヴェロニカは微笑んだ。
「いつもとは限りません。今回は言う事を聞きました」
「さもありなん」
「背中の皮膚はほとんど剥がされてました。うなじから腰まで真っ赤に。傷は少し残るでしょうが、医師たちが治してくれました。鳴き声がもう聞こえませんでしょう?」
「ああ」ジョージはあの黒い虫が背中の剥き出しになった肉の上に這っていたことを思うと、やはり吐き気をもよおした。「世話になった。この借りは必ず返す。ぼくに出来ることがあればなんなりと・・・」
「ならば、まずお名前を。ぜひともお聞かせください」
「ジョージ・ロトフェルス。神父だ。黄金色の銃を持ってた。見てないか?」
「火器は見ておりません」
ヴェロニカは眼をそらした。優れた看護師かもしれないし、美人ではあったが、嘘をつくのが下手だとジョージは思った。
「ヴェロニカ!」病棟の端から叫び声が聞こえたので、ヴェロニカはびくりとして飛び上がった。「こちらに来なさい!あなた、二十人の殿方をたっぷり楽しませるほどお喋りをしたわよ!さぁ、彼を休ませてあげなさい!」
「承知しました!」ヴェロニカは呼ばわってから、ジョージに向き直った。「医師たちをあなたに見せてあげたことを漏らしてはなりません」
「秘密ということか?」
ヴェロニカは唇を噛みしめながら立ち止まると、厳しい表情で言った。
「もうひとつ。あなたが身に着けている黄金のメダルですが・・・それはあなたの物だから、そこにあるのです。分かりますか、ジョージ?」
「ああ」ジョージは隣の寝台で眠る少年を見やった。「エミールはぼくの弟だ」
「他のシスターたちに聞かれたら、そう答えてください。違うことを言うと、このヴェロニカが困ったことになります」
「ヴェロニカ!」これまで以上に苛立った叫び声がした。「瞑想の時間よ!」
「今すぐにまいります!」
ヴェロニカは片手でスカートをつかみ、身廊の中央を走る通路を流れるように立ち去ってしまった。その顔からはすでに薔薇色は失せ、頬と額は灰色になっていた。ジョージは他のヘクセたちの貪欲な表情を思い出した。
ジョージはどうしてヴェロニカが自分のポケットから聖ヨセフのメダルを取り出して、首にかけてくれたのか分からなかった。しかし、ヴェロニカのそうした行動が他のヘクセたちに露見すれば、ルゴシの修道女たちはヴェロニカを殺すかもしれない。
虫たちの静かな鳴き声によって今一度、ジョージは眠りに誘われ、眼を閉じた。