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警視庁110番受理台に赤ランプが灯った。「人が倒れてる。助けて、助けて!」という悲鳴が入る。受理台の係官は即座に通話を作戦指揮台に流し、ゆっくりした声で「落ち着いてください」と応え、「事故ですか、事件ですか?」と言った。
「とにかく人が倒れてるんです。早く来て!」
「男の人ですか、女の人ですか?」
「男の人です。死んでるみたいです」
「男性の死体ですね。あなたが現在いる場所に何か目印はあるでしょうか?」
「池袋の西口の広場から少し入ったところなんですか・・・」
同じフロアの作戦指揮台では、係官が眩しく輝く都内全図の道路網を仰いだ。現場は、豊島区西池袋1丁目の路上。所轄は池袋南署になる。
「警視庁から池袋南。110番受理中。重要案件の模様」
「池袋南署です、どうぞ」
「豊島区西池袋1丁目の路上に、男性の変死体がある模様。関係各部署は至急、確認を願いたい。警視庁から池袋南署。警視庁から二機捜本部」
「池袋南4号了解。現場に向かいます、どうぞ」
「二機捜本部了解」
「池袋南署。指揮台どうぞ。池袋駅西口交番より1名、現場へ向かいました」
津田昂生は交番から外へ出て、ちょっと闇を仰いだ。じっとりしたボタン雪が乱舞のように振り続いている。今冬一番の低気圧のせいだった。無線のイヤホンを耳に装着し、奥の部屋で仮眠を取っている同僚に「ちょっと行ってきます」と震えた声を出した。
警視庁の通信指令センターに通報があったのは、12月18日午前2時57分のことだった。西池袋1丁目の路上、正確には東京芸術劇場の傍に、男性の変死体が倒れているので確認してほしいとのことだった。それを受けて、津田が配属された池袋駅西口交番に出動命令が下った。そのとき交番にいた2人の警官の内、1人は仮眠中だったので、津田が出ていくことになった。
足元に気をつけながら、現場まで駆け出す。冬の平日の夜ということもあってか、人通りはほとんどなかった。
現場の近くに到着すると、不意に緊張感が膨れ上がった。心臓の鼓動が耳のそばで聞こえ始める。
ベージュ色のトレンチコートを着たサラリーマン風の若い男が、劇場の西側にある小さな階段のそばに青い顔で立っていた。津田の顔を見るなり、「あそこ、あそこ・・・」と消え入るような声で、暗がりを指さす。
津田は懐中電灯の光を暗がりに向けた。丸い光の中に、ただならぬ光景が浮かび上がった。
黒いダスターコート姿の中年男が階段の上に仰向けで倒れていた。その顔面は真っ赤に染まり、光を失った黒い双眸が虚空を睨んでいた。
こみ上げてくる胃液をどうにか抑え、現場を丁寧に見回す。状況を十分に把握すると、津田は無線に口を当てた。
「警視庁どうぞ・・・死体は男性。仰向け状態で倒れており、時間が経過しているようです。年齢は40歳から5-歳くらい。黒いコートを着ています。以上」
「警視庁了解。死体に外傷はあるか、どうぞ」
「頭部、顔面ともに創傷多数。どうぞ」
「警視庁了解。捜査専務が到着するまで、第1発見者の確保と現状保存に留意願います。どうぞ」
無線が切れると同時に、機動捜査隊の覆面車が現場に到着した。私服を来た3名の捜査員の姿を見ると、ふっと何かが脳裏で切れるのを感じ、津田は地面に吐き出していた。