〇瓦礫と鉄の要塞
10月5日、スターリングラード正面軍副司令官ゴリコフ中将が第62軍司令部を訪れ、スターリンの命令を伝えた。「市を守り通し、ドイツ軍に占領された地区を奪回せよ」との命令だった。チュイコフはその命令を無視した。第62軍の各師団は大きな損害を被って疲労も蓄積している上に、弾薬が底についていたからだった。しかし、エレメンコの説得もドイツ軍の更なる攻撃のせいで問題にならなくなった。
10月6日、第6軍は「ジェルジンスキー」トラクター工場に対し、猛攻撃を開始した。第14装甲師団は南西から、第60自動車化歩兵師団は西から迫った。一方、第16装甲師団は工場群の北にあるスパルタコフカを攻撃し、ソ連軍の生き残り(第112狙撃師団と第124狙撃旅団)を撃退しようとしていた。西岸沿いのひどく狭まった地区に第62軍は押し込まれ、最後には河に追い落とされると思われた。
10月8日、パウルスはヒトラーに責め立てられていた。ヒトラーの意向に基づき、B軍集団司令部から下された命令は、14日までにスターリングラードの北部にさらなる攻勢をかけよというものだった。パウルスと参謀たちは、第6軍が受けた損害の大きさに愕然とした。予備兵力は第305歩兵師団(シュタインメッツ少将)しかなかった。
10月の第2週になると、戦闘は小休止した。チュイコフはいぶかった。ドイツ軍は増援部隊を得て、総攻撃を加えるのでないか。第62軍の情報部はドイツ軍の捕虜を徹底的に聴取して、敵の目標がトラクター工場であるという結論を得た。
チュイコフは危険ではあったが、「ママイの丘」の周辺から北部の工場地帯へ部隊を移動させた。このとき、「最高司令部」はスターリングラード正面軍への砲弾の割り当てを減らすと通告した。チュイコフはこの通達に驚いたが突然、ある憶測が浮かんだ。大反撃の準備が着々とすんでおり、自分たちは今や巨大な罠の中の囮でしかないのではないか。彼の気持ちは暗澹としたものになった。
10月14日、第6軍は狭い前線で、北部の工場群に対する攻撃を開始した。第4航空艦隊は可能な限りすべての急降下爆撃機を出撃させた。砲弾はソ連軍の退避壕に炸裂し、焼夷弾は残っているすべてのものを焼き尽くした。
戦闘は「ジェルジンスキー」トラクター工場への攻撃から始まった。北から進撃してきた第14装甲師団に対し、チュイコフはためらわず第84戦車旅団を差し向けた。工場の守備隊は死に物狂いの抵抗を行なったが、次々とドイツ軍に陣地を突破されてしまう。ドイツ軍の戦車部隊は第37親衛狙撃師団(ジョルデフ少将)と第112狙撃師団を切り離して孤立させた。
10月15日、第14装甲師団はついにトラクター工場の背後でヴォルガ河に到達し、第62軍司令部は工場の守備隊と通信ができない状態に置かれてしまった。
ドイツ軍の攻撃がこれまでとは違う規模で展開されていることを悟ったチュイコフは、慌てたように司令部の一部を東岸へ渡河したいと、スターリングラード正面軍司令部に要請した。しかし、エレメンコとフルシチョフはこれを拒否する。
10月16日、第14装甲師団はトラクター工場の掃討を終え、北から「赤いバリケード」工場に向かって進撃を続けた。ソ連軍は東岸からカチューシャ・ロケット砲の一斉射撃を行い、瓦礫の中に隠されていたT34が火を噴いた。あるドイツ兵は手紙にこのように書き記している。
「こんな地獄で人間が耐えていけるのか、僕には理解できない。それなのに、ロシア兵は廃墟や穴、地下室、元工場の鉄の骸骨の中にしっかり腰を据えている」
この日の夜、第138狙撃師団(リュードニコフ大佐)が東岸から増派され、「赤いバリケード」工場の北にあるあやふやな前線に投入された。船を降りて前進するとき、増援の兵士たちは「桟橋に向かって這ってくる大勢の負傷兵」の上を踏んでいかなければならなかった。
増援部隊を輸送した船と一緒に、エレメンコが杖を突きながら第62軍司令部を訪れた。自らの眼で戦況を確認するためだった。埃にまみれた司令部の掩蔽壕で、チュイコフとともに守備隊長のジョルデフの報告を聞き入っていた。
兵員のほとんどを過酷な戦闘で失ってしまったジョルデフは報告の最中に、感極まって泣き崩れてしまった。それにも関わらず、エレメンコはチュイコフに対し、第62軍の部隊に配られる弾薬の数はさらに少なくなるだろうと警告した。
〇命運
10月17日、チュイコフはまたしても司令部を移動させた。ドイツ軍がトラクター工場から南へと「赤いバリケード」工場の防衛線に向かって進撃してきたからである。結局、司令部を「ママイの丘」と同じ高さの北渡船場に近い河の土堤の陰に移動させた。
10月18日、「ママイの丘」から第100猟兵師団は「赤い十月」金属加工工場への進撃を続けていた。昼前までには第193狙撃師団の北翼を突破し、隣接する第308狙撃師団を包囲しようとしていた。チュイコフはグルチエフに対し、後退するよう命じた。
10月19日、ドン正面軍と第64軍によって牽制攻撃が開始された。第62軍は牽制によって出来たわずかな休息を用いて、崩壊寸前の部隊を東岸に移送させ、増援を加えて再び戦闘態勢を整えた。
10月22日、パウルスは工場攻撃の支援に第79歩兵師団(シュヴェーリン中将)を送り、この師団は夕方には「赤いバリケード」工場のソ連軍陣地を突破した。第6軍は「赤い十月」工場の北西の一角に到達し、翌23日の夕方までに「赤いバリケード」工場の3分の2を占領した。
10月25日、第94歩兵師団はスパルタノフカにいるソ連軍の守備隊に対する攻撃を再開した。住宅地区はドイツ軍に占領され、守備隊は河岸まで後退した。この後、ソ連海軍のヴォルガ艦隊が応援に到着し、強力な艦隊砲撃によってドイツ軍は押し返された。
10月27日、「赤い十月」工場に突入していた第79歩兵師団が、ソ連第39親衛狙撃師団の司令部に迫ろうとしていた。チュイコフは急いで軍司令部衛兵隊の1個中隊を派遣して、この急場を救った。しかし、応援部隊はチュイコフの司令部に戻れなくなり、そのままジョルデフの指揮下に入った。
「赤いバリケード」工場と「赤い十月」工場の周辺では、壮絶な消耗戦が続いた。ドイツ軍のある将校によると、第305歩兵師団の大隊司令部では「敵がすぐ迫っていたので、電話の向こうで『ウラー!』と叫ぶロシア兵の声が連隊長に聞こえた」という。
最も多く死傷者を出したのは、経験豊かな将校と下士官だった。独ソ両軍どちらを見ても、最初から残っている兵士はほんの少数だった。「あれは、我々が8月に戦った連中とは違うドイツ兵だ。我々の方も違っていた」と、ソ連軍の古参兵は書いた。
この間に、ドイツ軍の機関銃部隊が「赤いバリケード」工場と「赤い十月」工場の間を通り抜けて、ヴォルガ河から400メートルもない地点に進出していた。
チュイコフは第62軍に残された最後の渡船場を確保するため、第45狙撃師団(ソコロフ大佐)を増援に呼び寄せた。ソ連軍の先鋒は西岸に到着した途端、機関銃の容赦ない銃撃にあって攻撃を阻まれたが、30日まで戦闘を続けた。最後には、ドイツ軍も大きな損害を被って撤退した。
この時点で、第62軍の各部隊はもはや中隊、小隊規模でしか存在していなかった。これらの部隊は「ママイの丘」、工場の建物のいくつかに立てこもり、ヴォルガ河の河岸にしがみ付いていた。その長さは数キロに及ぶが、幅は数百メートルしかなかった。
ドイツ軍の攻勢は11月初旬には、部隊の疲労と弾薬不足のために先細りになっていた。11月7日の「十月革命記念日」はソ連軍の総攻撃があるのではないかという憶測が飛び交ったが、大した戦闘は起きなかった。
11月8日、ヒトラーはミュンヘンの地下ビアホールで、自身の傲慢さを露骨に示す長広舌をふるった。
「私はヴォルガ河に達したかった。正確に言えば、特定の都市の特定の場所に達したいと望んだ。たまたまその都市はスターリンの名を冠している。しかし、それだけの理由でかの地に進軍したのではない。それが非常に重要な位置にあるから進撃した・・・これを攻略したかった。諸君に分かるように、我々は満足している。我々はそれを手に入れたも同然である。残っているのは、ほんのわずかに過ぎない。『なぜもっと迅速に戦いの歩を進めないのか?』と言う者がいる。そのために第二のウェルダンとなっては困る。むしろ小規模な襲撃隊でこの仕事をするのが好ましい。時は今や重要ではない。これ以上、一隻の船もうヴォルガ河をのぼらないだろう。それが決定的な問題である!」
〇凍ったヴォルガ
11月9日、スターリングラードを本格的な冬空が覆う。気温はマイナス18度まで下がり、ロシアでは最後に凍るヴォルガ河は船を通さなくなった。従軍記者のグロスマンはこのように書き記している。
「流氷は互いにぶつかり合い、砕ける。軋むようなその音は岸からかなり離れていても聞こえる」
チュイコフの気持ちは暗澹としていていた。最も恐れていた「二正面戦争」の時期に突入したからだった。ヴォルガ河は凍り、物資や増援の輸送はますます厳しくなってくる。ドイツ軍の砲兵部隊は容赦しなかった。再び彼らはヴォルガ河の渡河点に対し、集中的に砲撃した。
11月11日、ドイツ軍の最後の総攻撃が始まった。第71・第79・第295・第305・第389歩兵師団から新しく編成された戦闘集団は、工兵とともに残る抵抗拠点を攻撃した。第8航空軍団(フィヒビ中将)の爆撃隊も攻撃を援護したが、工場の煙突を破壊したに過ぎず、塹壕や地下室に潜むソ連兵に何の損害も与えることが出来なかった。
この攻撃におけるドイツ軍の目標は、「赤い十月」金属加工工場の南にあるラズール化学工場と、「テニスラケット」を呼ばれる鉄道待避線であった。第305歩兵師団と工兵は主要な拠点を占拠しながら進撃したが、第284狙撃師団との激しい戦闘に巻き込まれ、拠点は全て奪回された。その北では第138狙撃師団が「赤いバリケード」工場を必死に防衛していた。
その夜、第95狙撃師団はドイツ軍の撤退を妨害するために、「赤いバリケード」工場の南東から攻勢に出た。ドイツ軍はひどい損害を出していたにも拘らず、凄まじい砲撃をソ連軍に加えて、その攻撃を頓挫させた。
11月12日、ドイツ軍はさらなる部隊を攻撃に繰り出し、ソ連軍守備隊の間に楔を打ち込もうとしていた。このとき、第62軍の兵站はさらに絶望的な状況に陥った。流氷がヴォルガ河を下ってきたからである。
11月14日、蒸気船「スパルターコヴェッツ」号は「赤い十月」工場のすぐ後ろの西岸に兵士400名と補給物資40トンを運んだ。帰りは銃火をくぐり抜けて350名の負傷兵を搬送した。しかし、ほとんどの船舶は流氷で身動きが取れなくなると、容易にドイツ軍の標的となった。
第4航空艦隊司令官リヒトホーフェン上級大将はこのように記した。
「ヴォルガが凍結し、スターリングラードのソ連軍が深刻な物資不足に見舞われるまでに厄介な作業を終えなければ、勝ち目はない。しかも日は次第に短くなっており、天候も悪くなる一方だ」
チュイコフが「二正面戦争」に苦しめられている一方、パウルスは「スターリンの名を冠した都市を占領する」という象徴性に取り憑かれたヒトラーからの重圧に喘いでいた。軍医からは神経衰弱になると言われていた。
第6軍の参謀将校たちは、来たるべき勝利を案じていた。単純に計算しても、こんなに死傷者を出していればそう長く持ちこたえられるはずがない。ほとんどの歩兵中隊の人員は50名を割り、隊を統合しなければならなかった。
11月16日、ヒトラーは次のような新たな指令を発表して、パウルスにさらなる追い討ちをかけた。
「スターリングラードでの戦闘の困難さと戦力の低下は理解しているが、ヴォルガ河の凍結でソ連軍も苦しんでいるはずだ。我が軍がこの機に乗じて攻撃すれば、後に多量の血を節約できるだろう。第6軍はかつて示したような勢いを取り戻し、すみやかにスターリングラード全域を完全に占領することを望む」
11月17日、パウルスは市内に展開する第6軍の指揮官を集めて、ヒトラーの電文を彼らの前で読み上げた。麾下の指揮官たちは「操縦手をも歩兵として召集せよ」という命令に、ヒトラーの気違いじみたものを感じ取った。しかし、ヒトラーの狂ったような人命消費に誰も反対することができなかった。結局、彼らは予備の操縦手、通信兵、衛生兵、炊事兵までも歩兵として招集した。
11月18日、予備兵で増強された第50・第162・第294・第336工兵大隊と第305歩兵師団が、ソ連軍の最後の防御地点を占領しようと攻勢に出た。兵士たちには自分たちの周りでとてつもない計画が進行していることを考える時間も与えられなかった。
〇プロローグ
ソ連軍のスターリングラードにおける総反攻計画は、前年の冬にモスクワ全面でスターリンが示した短兵急な計画に比べると、異常なほど長く温められた計画だった。
その計画が初めて議題に上がったのは、9月12日のことだった。この日はパウルスがヴィンニッツァでヒトラーと会見した日であり、スターリングラードに到達した第6軍の北翼に対するソ連軍の反撃が失敗に帰した日であった。
最高司令官代理ジューコフ上級大将はスターリングラードの郊外でドン正面軍による反撃の指揮を執ったが失敗に終わり、苦い気持ちを噛みしめたまま、クレムリンに出頭した。参謀総長ヴァシレフスキー大将とともにスターリンの執務室に入った。
ジューコフは失敗の要因をひとしきり説明させられ、兵力不足の3個軍が戦車や火砲の援護もないまま攻撃を命じられた事実を淡々と述べた。ジューコフの説明を聞いた後、スターリンは口を開いた。
「反撃には何が必要なのか?」
「完全編成の1個軍、それを援護する1個戦車軍団、3個戦車旅団、少なくとも400門の火砲、これらすべてを援護する1個航空軍が必要です」
ヴァシレフスキーもジューコフの意見に賛成した。
スターリンは黙ったまま、机に地図を広げて1人で検討し始めた。ジューコフとヴァシレフスキーは部屋の片隅に移って小声で相談を始めた。その内、ジューコフは「他の解決策を考えなければならない」と小声で漏らした。
耳聡いスターリンは2人の将軍に顔を向けた。
「他の解決策とはどういうことかね?」
驚いた2人の将軍を尻目に、スターリンは続けて言った。
「参謀本部へ行きたまえ。スターリングラードで何をすべきか、慎重に考えてほしい」
翌日の午後10時ごろ、ジューコフとヴァシレフスキーは立案を完了した作戦計画書を携えて再びスターリンの執務室に入った。2人の将軍が驚いたことに、スターリンは2人の手を硬く握った。
「それで、どういう結論を持ってきたのかね?どちらが報告する?」
「どちらでも。我々は同じ意見ですから」
ヴァシレフスキーがそう答えると、スターリンに反攻計画を描き込んだ地図を見せた。
「これは何かね?」
スターリンは、スターリングラードから150キロも離れたドン河流域の湾曲部に書き込まれた兵力を見つけて質問した。
「それは新しい正面軍です。スターリングラードの敵兵力に大打撃を与えるには、これを編成する必要があります」
その後、ジューコフがスターリングラードの枢軸国軍に対する反撃計画を説明した。ソ連軍の3個正面軍でドイツ軍の1個軍を包囲するという、大胆かつ野心的な作戦計画の詳細を聞き、スターリンはその壮大な計画にあまり乗り気ではなかった。
「こんな大きな作戦を行うのに、現有兵力だけで充分なのかね?とりあえず、ドン河の東岸で攻撃に留めておいた方が、良くないだろうか?」
「その点は大丈夫です。11月中旬までには、必要な兵力と燃料、弾薬を用意できます。それに、反攻をドン河の東岸に実施すれば、スターリングラードにいるドイツ軍の装甲部隊がすぐに対応できるので、十分な効果が望めません」
ヴァシレフスキーの報告を聞き終わったスターリンはこの反攻計画を承認し、計画の実現に向けた準備に取りかかるよう命じた。
「ただし、この反攻計画については当分の間、われわれ3人以外には知らせるな」
この反攻作戦は、秘匿名称として「天王星(ウラノス)」と名付けられた。