2
私が店に入った後、しばらくして入ってきた男女が奥にいる。ミニスカートのスーツを着て髪を長く伸ばした若い女と、中年のサラリーマンふうの男の組み合わせは、どちらもちっとも楽しそうな表情でないのが印象的だ。流行のオフィス・ラブなら、もう少しにやけた顔をすればいいし、別れ話なら、もっとムードのある場所を選んだらいいものを。
その男女の席から空のテーブル3つをはさんで、私と同じタブロイド紙を広げている男がいる。コートにスーツ姿だが、サラリーマンではないのは顔を見れば一目で分かった。左の眉毛に、大きな切り傷の跡。指に大きな指輪をはめ、ノーネクタイ。マフィアというところか。こんな場末の喫茶店で、コーヒー1杯でねばって何をしているのか。
マフィアと背中合わせのテーブルでは、これまた素性の知れない中年の男が独りでコーヒーを啜っている。隣の空いた座席に小ぶりのアタッシェケースを置いているのだが、そこからおもむろに取り出したのが、遠目にも裸の女性と分かる写真が表紙を載っているポルノ雑誌だった。人目が恥ずかしくないのか、それを眼の高さに掲げてページをめくりながら、ときどき腕時計を覗いている。ごく真面目な風貌とそつのないビジネスマンの身なりなのだが。ポルノ雑誌を手に、いったい誰を待っているのだろう。
通路をはさんで、店の中央寄りのテーブルの方にも2人いる。1人は女。いま喫茶店の中で、私と同じ東洋人の顔をしているのはこの女だけだ。ブランド物らしい紫色のスーツを着て足を組み、煙草をつまんでいる指先の爪が赤い。化粧も濃い。まだ20代だろう。これも、誰かを待っている顔だ。おおかた、クラブでひっかけた男かマフィアの情婦か。
そしてもう1人、女の隣の席に、5分ほど前に得体の知れない男が座った。ジャンパーとジーパンにローファーという身なりで、歳は私より少し若いように見える。30前ぐらいか。短く刈った髪は清潔で、顔貌はなかなか精悍な男前だ。私は道路に面したガラスに映っている像で、それらの客の姿を見ていたのだが、そのときは思わずちらりと振り向いたものだ。
紙袋を足元に置いた後、その男は突然、片手いっぱいに握っていたらしい小銭をテーブルにジャラジャラと置いた。次いで、ジャンパーの内ポケットから財布を取り出し、小銭を1枚ずつ数えながら財布に収めた。やがて、コーヒーが運ばれてきたが、男は手もつけず、ジャンパーから名刺を2枚取り出した。名刺を1枚ちぎって灰皿に捨てた。
次に、ジャンパーのポケットからボールペンを取り出して、残りの名刺1枚に何か書きつけた。それをしばらく眺め、財布におさめる。男はやっとコーヒーを一口啜り、今度は紙袋からタブロイド紙を広げた。よく見ると、私が広げているのと同じ新聞だ。新聞を読み始めると、男はしばらく動かなくなった。生業が何であるのか、人を待っているのか休憩しているのか、全く想像の及ばない人間というのも不気味だ。
喫茶店にいる最後の客が、私の座席と背中合わせの位置に座っている。さかんにタバコを吸い、全国紙からタブロイド紙まで雑多な新聞をテーブルに置いて、椅子に斜めに座り、ガラス窓の縁に肘をついている老人だ。ウェイトレスを片手で呼んで、「水、お代わり」と言うその様子から、常連かも知れない。
私と同じ時間に同じ店に居合わせたのは、そのような客たちだった。たった今、もう1人増えた。入口から男が1人入ってくる。さっき私を尾けていた中年のオッサンだ。
男は地味なコートとスーツ姿で、書類カバンをかかえている。ざっと店内を見渡すと、さっさと私とは反対側の奥の方へ向かい、あの不倫の男女と通路ひとつはさんだ席を陣取った。カバンからタバコを取り出し、火をつけ、一口吸った煙草を灰皿でもみ消した。
ちょっと首を伸ばせば、私の方が真っ直ぐ見渡せる位置だ。私はしばらくガラスに映った男の挙動を見張ったが、男は用心深くなり、こちらを窺う素振りは見せなかった。あらためて見ると、これもどういう人種かいっこうに分からない。サラリーマンでもなし、公務員でもなし、女に縁のありそうな顔でもなし。
観察に飽き、私は眼を新聞に戻した。ジャンパーから小銭を取り出した男も、今はタブロイド紙で顔が隠れ、顔に切り傷のあるマフィアの兄さんも同じ新聞を広げて、片足で貧乏ゆすりを続けている。店の奥にいるオフィス・ラブの男女は相変わらずむっつりと睨み合っているし、クラブの女は欠伸をしながら虚空を見ている。
時刻は午後6時50分。レベッカはまだ店にいるのだろうか。
3
私は1か月近く会っていない妻の顔を思い浮かべようとした。だが、実は浮かんできたのは、妻のものではない別の女の顔だった。その顔貌が瞼に現れると、激しい動悸を覚えながら、私はひそかに歯を噛みしめた。
87年2月のことである。私は情報調査局で中国課員と一緒に、共産党内で改革派と見られていた胡耀邦が改革派、保守派の双方から批判され、総書記解任にまで追い込まれた旨の分析を連日徹夜でまとめあげている最中だった。
「天羽、天羽正徳はいるか?」
大声で呼ばれて顔を上げると、島村武彦が局の出入口のドアに立っていた。島村は中・東欧課員でプラハの大使館から戻ってきたばかりだった。
「何だ?コッチは仕事中だ」
廊下で顔を突き合わせて、私は言った。
「それはもう終わりだ。結城から《別件》の連絡があった。はやく上着を取ってこい」
私は島村の言葉を訝しく思いながらも、脱いでいた上着を羽織った。結城は同期の中で一番の出世頭で、今は北東アジア課で首席事務官を勤めている。課の中で、課長に次ぐポストだ。断れるはずがなかった。
本省を出ると、霞ヶ関は生暖かい風がそよ吹く小春日和だった。私は思わず「あぁ」と声を漏らした。
「情けない声を出すな」島村が言った。
近くの路地に停めてあった車に一緒に乗り、島村がハンドルを握った。助手席に座った私は行く先を訊ねたが、島村は何も言わなかった。島村は万事こんな調子で、答えを諦めた私は欠伸をひとつして、眠りに落ちた。
眼が覚めた時は、車が都電の早稲田の駅を通り過ぎていた。山手線の高架下をくぐり、島村が「着いたぞ」と言うなり、車を新目白通りに停めた。そこから北へずいぶんと歩かされた。
島村が入ったのは、和洋折衷の古い屋敷だった。屋敷の主を島村は明かさなかった。中年のきれいな女性に案内されて、庭に面したガラス戸を開け放った和室に通された。
2人の男がお茶を飲んでいた。岸部篤と結城徳郎だった。家具は高価そうな漆塗りの和卓だけ。畳はすり切れ、そこかしこで沈んでいた。
「やぁ、お2人さん、元気か」
岸部は国際法局で、時々刻々変わる条約・条文を覚えて国会議員の答弁に備えるために徹夜で条約課に詰める日々を送り、眼の下にくまをつくっていた。
こうして同期入省の4人が集まるのは、久しぶりだった。本郷の帝都大学法学部出身で、周囲からは《カルテット》と呼ばれていた。元は専門職員採用のノンキャリア同士、私と島村と岸部が知り合い、上司を馬鹿にするのも、先の異動先を賭けてトトカルチョをするのも、新橋のバーで飲むのも何でも一緒だった。ある日偶然を装って、結城が店に入ってきた。寂しがり屋だとわかったのは、ずっと後のことだった。
私と島村が腰を下ろすと、中年の女性が茶を配った。ひと口ふくむと、こくのある旨い日本茶だった。岸部の弁では、結城がいれたのである。
「天羽のとこは、3人目だって?」結城が言った。
「奥さんから?」
私の妻と結城の奥さんは同じ名門女子大の先輩後輩で、亭主の知らぬ間に双方の家の個人的な事情が筒抜けだったりするのだ。
「島村、お前はまだだよな?」私は言った。
「頭のボケた爺さん、抱えてるんだ。子どもを作るヒマがない。昨晩も徘徊しやがった。それより、岸部はいつ身を固めるつもりなんだ?」
「ああ。久しく女と付き合ってないな」
「まさか男が趣味ってわけじゃないだろうな」
「たまたま、いい女に巡り合わないだけさ」
岸部はにやりと口角を緩める。
「さあ、《別件》を言うぞ」結城がまるで演説を始めるみたいに言った。「北朝鮮の外務官僚が亡命を希望してる。今から、その検討を行いたい。まずはこれを読んで欲しい」
結城は何通かの手紙のコピーを配った。手紙の差出人の氏名は、崔景姫(チェ・キョンヒ)。宛先は全て、崔霜成(チェ・サンソン)となっている。
4
「崔霜成は、景姫の父親」結城が言った。「日本名は、北村紘一」
「その名前、聞いたことがあるな・・・」私はつぶいた。
「パチンコ、金融」島村が言った。「食品加工、船舶までやってる北陽興業の創業者」
崔は咸鏡北道出身の朝鮮人でありながら、戦時中に日本の陸軍士官学校を卒業した陸軍大尉だった。終戦間際、ソ連軍が迫るハルビンから命からがら逃げ出し、その後は大阪で一大企業を起こすという立志伝中の人物。脳裏で、そこまでのデータを思い出していた。
結城の話は続いていた。
崔景姫はハルビンに生まれ、終戦時は2歳だった。母親、つまり崔霜成の妻は1946年に死亡。景姫はその後、大阪で育ち、高校を卒業した1962年に単身、日本から北朝鮮に帰った。景姫は当時、19歳だった。
景姫が帰国した前後というのは、社会主義宣伝が攻勢に出ていた時代で、在日の若いコリアンたちは祖国の建設に意気軒昂と馳せ参じていったのである。
「俺には、わからんね。あんな荒廃した祖国に戻るなんて」岸部が口をはさむ。
「あのころはまだ、実情は伝わってなかったと思う」私は言った。
「男だろ」島村が吐き捨てるように言った。「小娘ひとりで帰ろうだなんて、考えられるもんか。男だよ、駆け落ちに決まってる」
景姫から父に宛てた最初の手紙には若者特有の覇気が漲っていたが、それも長くは続かなかった。数年を経ずして文面はよそよそしくなり、物の無心ばかりが目立った。サッカリン200キロ、毛布50枚、布地を送れるだけ。北の実情が次第に明らかになり、起業した崔は稼ぎを、朝鮮総連を通じて祖国へ献金した。
海外からの最初の手紙は79年3月、アムステルダムから届いた。景姫は突如、海外勤務を命じられた。外務省に登用されたのだ。崔は自身の献金のお蔭だと思っていた。
「崔景姫が、《北》の外務省の職員であるかどうかは確認事項である」結城が言った。
「偽装だな」
島村が言わずもがなのことを言った。
景姫の手紙は欧州のあらゆる都市から投函されるようになった。80年4月はハンブルク、83年7月はコペンハーゲン。検閲が無いためか、文面にユーモアさえ漂いはじめ、いかなる権力に屈しようとしない意志が垣間見えてきた。
86年10月にウィーンから投函された手紙は、決定的な時期に差しかかっていることを父親に確信させた。景姫は手紙の中で、欺瞞に満ちた社会と監視国家を呪い、お粗末な強硬路線を嘲り、経済政策の致命的な欠点を弾劾し、そして偉大なる《領袖》を『希代の詐欺師』とこき下ろしていた。
そこで崔霜成は外務省に接触して、娘を亡命させたいと言ったのだった。
「この手紙それ自身が一級の資料的価値を持つだろうか?」
結城がラングレーを含めてどこかに売りさばく可能性を示唆して問いかけた。
「手紙だけでは安手の反共宣伝にしか使い道はない。しかし、当人の身柄と合わせれば、南に間違いなく売れる。北になら、もっと高く売れる」島村が言った。
岸部はもっと冷ややかで、「こんなものメロドラマじゃないか」とにべもなく言った。
私はどちらかと言えば島村の見解に近かったが、その意見をあえて聞こうという者はいなかった。ともあれ4人が一致したのは、景姫は必ず落ちる、ということだった。
そこで、結城が警告を発した。
「われわれが北の実態を把握する上で、必要不可欠な事実は語られてるか?」
手紙のコピーを振りかざした。
「役職名、階級、所属部署、指揮系統、何も語られてない。明記されたのは、偉大なる《領袖》。この一言だけだ」
「何が言いたいんだ?」岸部が言った。
「接触を求めてきた敵の離反者が必ずやるように、彼女はこの手紙で国家の機密を明かすつもりがあることを少しでも仄めかしているのか?違う。これは何を意味しているか?彼女は革命への裏切りと腐敗を断罪しているが、われわれへの愛は打ち明けてはいない。亡命は至難になるだろう」
結城の懸念は現実のものになった。今となっては、あのとき結城はどこまで予測していたのだろうかと、いぶかるばかりだ。
5
島村が欧州に派遣されたのは、3月末のことだった。結城の指示で経済局に配属され、GATT(関税と貿易に関する一般協定)に関する欧州各国の動向を調査するという名目で出張した。島村は欧州の在外公館を拠点に、とりわけ彼が独自に東欧で構築した情報網を活用して、手紙の人物を特定した。
約1か月後に帰国した島村の報告によると、崔景姫は欧州において日本人拉致およびリクルート作戦を展開する対外情報調査部の将校。現在はウィーンを拠点とする部隊のナンバー2。組織上の偽名を趙龍洙といった。
崔景姫は予想外の大物だった。作戦名はギリシャかぶれの結城らしく《トロイア》。敵の手から《ヘレン》こと景姫を奪おうというのだ。岸部が副領事としてウィーンの日本大使館に派遣され、私は《ヘレン》を誘い出すための囮だった。北朝鮮の諜報機関に拉致される役である。
私は囮を務まる自信がないと漏らしたが、結城は「お前の任地、どこだった?」と切り返してきた。
「ルクセンブルク、ガボン、イランの総領事館。調べてもらえば、分かる」
「《北》からすれば、お前はCランクがいいとこだ。実際に拉致されてしまうことなんて絶対にないから安心しろ」
結城はそう力説したが、私は苦笑を浮かべるしかなかった。
私の海外出張の名目が見つからないので、強制的に休暇を取らされた。自費による短期集中語学研修のための休暇である。本省の人事課で手続きを済ませ、新宿に寄った後、世田谷の官舎に帰った。夕飯も食わず、官舎に着いたのは午後10時前だった。
「あら・・・帰ってきたの。今夜は夜勤だって、朝言ったわよ」
妻にそんなことを言われた。
「具合でも悪いの?」
「そうだな。いろいろと結城から怒られたし」
突然、妻がふっと華やいだ表情になって笑いだした。
「何がおかしい?」
「あなたでも怒られることがあるのかと思って」
亭主の当惑にもかまわず、妻は機嫌よく笑っていた。
「子どもたちは?」
「もう寝てるわ」
私はリビングと隣り合う和室の引き戸を静かに開けた。布団に包まっている小学生の2人の息子、聖治と崇の寝顔を確認する。
「あなたもヘマをやることがあるんだというのは大発見よ」妻が言った。「あたしはひょっとしたら、機械と結婚したのかと思ってたんだから」
「機械で稼ぎが悪けりゃ、言うことないな」私は戸を閉めた。
同じ外交官ではあるが、私のように専門職員採用された者と、結城のような国家公務員試験をうかった者は別の道を歩んでいる。1週間ほど前に妻から3人目の懐妊を告げられた時は嬉しくもあり、少し複雑な気持ちになった。いつかは手狭になるこの官舎を出て広い家に引っ越すべきだが、これから先の出世を考えても、先立つものに不安を感じる今の身分だった。
「手に持ってる紙袋はなぁに?」
「出張用の背広と、お前へのプレゼント」
結城から仮払いをうけ、新宿の百貨店でネズミ色の背広を買っておいたのだった。あらためて着てみると、袖も裾丈もひどく短かったが、それが却って田舎者風の観光客を強調することがわかった。
姿見の前で、2人で立ってみる。お上りさんみたいな私の隣で、妻は白いブラウスの首元に、プレゼントに買ったチェック柄のスカーフを巻いた。我ながら、きれいだと思った。
妻がニヤニヤし始めたので、私も一緒にニヤニヤした。
「あなた、今日はやけにハンサムよ」
私は欧州のいくつかの語学学校への留学手続きを取り、入手した学生証に旅行保険の書類を添えて岸部に渡すと、3日後には「小林英市」名義に書き換えられて戻ってきた。同名義のパスポートもついていた。
日本列島に秋雨前線がどっかり腰をすえていた9月下旬、私は本人名義のパスポートを使い、シンガポール航空南回りでロンドンに向かって発った。
6
私はロンドン市内の安宿に泊まり、島村が作成したマニュアルに従って、学校に通って授業、食堂、求人掲示板の前をうろついて何らかの痕跡を残していった。
10日後、マドリードのオスタル・ドゥルティに小林英市名義のパスポートで投宿した時には、過去数か月間、ロンドンの国際英語学院周辺でさ迷っていたという偽装を何とか身にまとっていた。
学校と銀行以外には足を向けず、まれに外出したとしても市内の日本食堂か中華料理屋だった。ある日、夕食から帰るとホテルの入口で街娼につかまり、暗がりに引きずりこまれそうになったところを片言の日本語を話すアジア系の絵描きに助けられた。絵描きは華僑系のマレーシア人で、チャンと名乗った。チャンの部屋で交換した名刺には、『クアラルンプール・ナショナル・アート・ギャラリィ館員』とあった。
チャンは官立のギャラリィの運営費を捻出するためにマレー半島の珍しい蝶の標本の通信販売を始めたところで、欧州の金持ちのコレクターのリストを作成する仕事があるんだが、手伝ってくれないかと誘った。
こうした勧誘が《北》の諜報機関の偽装のひとつであることは、島村からレクチャーは受けていた。報酬が高額な上にビジネスで欧州各地を回るという夢のような申し出だったが、私は臆病さを丸出しにし、あいまいな返事をくり返して最後まで心を開かなかった。
私は手応えを感じてマドリードを発った。地中海を遊覧した後、シチリア島からイタリアに渡り、ベネチアから鉄道を使ってオーストリアに入った。
寒い日だった。ウィーン南駅に降り立った私は、パスポートと国際学生証を盗まれていることに気づいた。盗まれたのは、小林英市名義のパスポートだった。駅のベンチに腰かけてしばらく考え込んだ後、日本大使館に盗難届けを出すことに決めた。
「再発行には3週間かかる。渡航証明を発行するから即刻帰国せよ」
ヘースガッセの日本大使館で知らない顔の三等書記官の罵倒に耐えていると、別室につがなるドアから手を振る者がいた。岸部だった。別室に招き入れられると、島村もいた。私は2人に事情を話した。
「パスポート専門の国際的な窃盗団がいるんだ」岸部が言った。「東欧における顧客の最大手は《北》だ。奴らは数日中に闇市場でお前のパスポートを手に入れるはずだ」
「そんなことだろうと、思った」
「ホテルにチェックインしたとたん、お前は監視下に入る」島村が言った。「向こうは必ず接触してくる。それを待て」
さらに若干の説明を加えて、打合せが終わると裏口から去った。
大使館で仮の身分証明書を作ってもらった。三等書記官は神妙な顔でホテルまで一緒に来て支配人に事情を説明してくれた。事情も知らされぬまま、島村にこっぴどくどやされたに違いなかった。
事態は島村の言葉通りに進展した。2日目の夜、ホテルの私の部屋に電話が入った。低めの女声で、コウと名乗った。コウはくせのない流暢な日本語をしゃべった。「マドリードのチャンが推薦してきました。あなたはとても幸運です。すぐ仕事にかかれますか?」と、なんだかダイレクトメールみたいな言い方だった。
私は指示された通り、優柔不断に受け答えした。「できるだけ長く話せ」と島村が言っていたので、私はウソの身の上話をぐずぐずと語った。コウはやたら相槌を打ち、結論は急がないと言った。ただし滅多にないチャンスだからと、事務所の電話番号を告げた。その晩、ホテルのバーで私は1人で祝杯を挙げた。
翌日、私は市庁舎前広場で島村と会った。
「コウの次の接触、あるいはこちらから連絡するまで待て。それまでは敵の監視に身をさらせ。そして、耐えろ」
7
長い語学研修は4週目に入り、プラナタスの葉がすっかり色づいたウィーンには、駆け足でやってくる冬の足音が聞こえてきた。コウを名乗る女からはもう興味を失ったかのように何も音沙汰もなく、島村も大使館の岸部も姿を消していた。
監視というのは相手が見えても見えなくても不安をかきたてるものだ。島村に言われるまでもなく、敵に身をさらすのが自分の任務と分かっていながら、私は次第に耐え切れなくなってきていた。
ひと晩じゅう眼が覚めていて、精神が高ぶってまどろむことが出来なくなった。もはやこれまでかと覚悟を決めたところで、ちょっとした変化に出会った。
部屋の前の廊下に、きらりと光ったピンク色のハガキが落ちていた。ハガキには、ピンクの薔薇と〈ロゼ〉というバーの名前が印刷してあった。正確な住所と《ハンス・シュミット様》という隣の部屋番号と住人の名前がボールペンで書いてあり、文面は同じ筆跡で『お元気ですか?また寄ってね。待ってるわ。エミより』となっていた。
待ってるわ、エミ。
あらためてハガキに書かれた〈ロゼ〉の住所地番を見ると、地下鉄駅の向こう側だと分かった。歩いても十分とかからない。
それ以上考える忍耐を失くし、私はハガキをジャケットのポケットに入れ、〈ロゼ〉へ向かった。
侘しいネオンの続く路地をふらふらと歩いて、交番で〈ロゼ〉という店の場所を訊ねた。お巡りが「そこ」と顎で示したところに、〈ロゼ〉のピンク色のネオンがあった。
仄暗いカウンターに並んだ五つ六つのストールは、全部カラだった。カウンターの中で立ち上がった女が、私へ首を突き出して「誰?」と言った。
「お客だが」
「あ、ごめんなさい。こんな時間に来る人なんて、滅多になくて。よかったら、座って」
女は早口にぼそぼそと言い訳をした。壁の時計は午後7時過ぎだった。確かにバーに来るには早すぎる時間だろうが、一見の客の顔を見て「誰?」とはひどいなと思いながら、その若い女を眺めた。
年齢は30を越えていない。東洋人という程度の見当しかつかなかった。黒髪を後ろで無造作に束ねているために、余計に細く見える淡白な顔立ちだった。きっと性格もそうなのだろう。こんな素人っぽい顔で、よく水商売が勤まってるなと余計なことを考えた。
「ウィスキー。氷はいらない」
女は黙ってその通りにした。何も気にしないようでいて、結構気を使っている結果の沈黙だと感じた。カウンターの上に出されたグラスの中で、琥珀のウィスキーがちらちらと揺らめいた。私は眼を細めてそれを眺め、ほんのひと口に舐めた。
「国は?」
「8か月前に、北京を出たの。香港から貨物船に乗って」
「俺と似たようなもんだ」
女が1メートル離れたところで、カウンターに肘をつき、遠慮がちに私を見ていた。
「お勤め?」
「なんで」
「マフィアとか商売人だったら、見たら何となく分かるわ。お住まい、近所?」
私はホテルの名前を告げた。
「ああ・・・あそこ。前、時どきここに来てくれた人が、あそこに住んでるの」
「ハガキ、出したか?」
「なんで知ってるの?」
「私の部屋に届けられた」
「ほんと?」
「正しい部屋に届けておいた」
「あのハガキね、あの人が書いてくれって言うから書いたのよ。2週間くらい前、すごく酔って言ってたんだけど、自分が1か月ぐらい店に来なかったら、書いてくれって。ハガキが届いた頃にまだ店に自分が来なかったら、死んでるか国に帰ったと思ってくれって。よく分からないけど、こういうの命綱っていうのかしら。でも、アタシ、この間ベックマンガッセの近くで、あの人を見たの。ちゃんとしたスーツを着て道を歩いてたわ」
「いい年して、バーの女を命綱に使えるような男だと自分で思ってるのか、そいつは」
「悪い人じゃなかったわ。普通のビジネスマンだと思うけど。もう年配の人だったし、いろいろと事情があるんでしょうけど」
「そんな奴は死んでしまえ」
それは、女に向かって言ったのではなかった。思わず、自分で不用意に吐いてしまった言葉だった。私は空のグラスを突き出して、「お代わり」と催促した。
「奥さんはいるの?」
「瑛美っていう」
「あら、やだ」
「本名は?」
「レベッカよ。レベッカ・ラウ」
「いい名前だ」
見ず知らずの女とこんな話をするのは、これが最初で最後だ。私はひと口舐めた。こんなに軽いアルコールは、これまで知らなかった。ひと口ごとに自分も軽くなり、さまざまな重みから解き放たれたようになり、私は自分とレベッカのために微笑んだ。最後のひと口を味わい、私はストールから腰を上げた。
「勘定たのむ」
「大丈夫・・・?真っ青よ・・・」
「大丈夫だ。まだ、仕事があるんだ」
8
ほとんどつんのめるようにして、私はずんずんと歩いた。ホテルに駆け戻ると、一気に階段を上がった。立ち止まったら、腹の重みが脚まで沈んで動けなくなる。
脳裏に言葉がひとつひっかかっていた。ベックマンガッセは、北朝鮮大使館の近くだ。
自分の部屋に戻ると、何か得物は無いか探し回ったが見つからなかった。諦めに似た気持ちで、隣の部屋の前に立ち、ドアを控えめにノックした。午後10時10分前だった。
部屋の中から足音がし、「はい」と声がした。初めて聞く声だった。
「隣の302号室の者ですが」
「はあ、何か・・・」
「落し物を拾いまして」
ドアを開けて出てきたのは、派手な縦縞のスーツに身を固めた男だった。鼻にかけた眼鏡から鋭い一瞥を投げかけた。厳しい顎と大きな骨格があたりを睥睨していた。
「落ちてましたよ」
私はレベッカが書いたハガキを手渡した。自分の部屋で電話が鳴っているのがかすかに聞こえた。
「ありがとう」
男はそう言ってドアを閉めた。
私は胸中でホッと息をつき、自分の部屋に戻った。電話が鳴っていた。受話器を取ると、誰の声か分からなかったが、相手は「特別にパスポートを再発行するから、大使館に出頭せよ」と告げた。
大使館には岸部と島村の他に、日本から結城も来ていた。崔霜成はすでに待機していると前置きした上で、「やっと《ヘレン》のパターンを見つけた」と島村が言った。
今まで手を焼いていたのは、《ヘレン》こと景姫の単独行動が極端に少ないことだった。単独と見えても、部下か上司が監視している。「相互監視が奴らの常態だ」と、島村が付け加えた。
ところが、景姫が情事を愉しむ時は部下が退けられる。相手がウィーン駐在のトップである柳永春(ユ・ヨンチュン)だからだ。柳は欧州ではちょっと名の知られた男で、「洗脳の達人」を自称している。欧州各国にいる日本の若者を邪悪なブルジョア思想から救済して主体思想に染め上げるというのだが、実態は相手が怖じ気づいたら拉致するまでだった。柳は今年の春までハンブルクのキャップだったが、景姫に入れ揚げてウィーンまで追いかけてきた。現在の偽装身分は景姫と同じく、北朝鮮大使館の文化アタッシェ。
島村が景姫との接触を説明した。
「2人は金曜日のランチを事務所でとる。その前に、工作員が全員集まってその週の総括報告をする。決裁が終わると、工作員たちは休暇に出かけ、柳は景姫を連れて大使館へ行く。柳は本国へテレックスを打ち、景姫は経理課で精算を済ませる。その晩は2人でオリエンタルダンスなんぞを観ながら、ディナーを楽しむことになってる。ところが、柳は本国からの返答を待たねばならない。景姫が1人で先に大使館を出る。それが午後4時ちょっと前。この3週続けて時間はピッタシ。他の工作員は休暇に出かけてるから、景姫への監視はなし。それから、ディナーまでの正味3時間が景姫の自由時間になる。たいていはショッピングか一人でお茶を飲むだけ。淋しくもあるが、まぁ可愛いもんだ」
結城が続きを引き取った。
「その貴重な時間を一度だけ、われわれのために割いてもらう。いや、景姫本人のため、崔霜成のために」
「明日が金曜日だ」岸部が言った。「その時間を狙って電話をかける」
「誰が?」
私がそう言うと、結城が私の肩をポンとたたいた。
「お前に決まってるだろう」
「『マダム・コウをお願いします。仕事の件です。小林です。電話を頂きたいのです』と言うんだ。スラスラ言う必要は無い。いつも通りに。緊張感が伝わってもいい」
島村が脅すような口調で言った。
「お前の電話は奴ら全員が聞くことになる。これが肝心なんだ。コウが電話に出たら、『今日、ぜひ会いたい。明日はアテネに向かう予定だ』と言え。絶対に譲るな。お前は融通の利かない田舎者を演じろ。同級生にも、そんな奴がいるだろ。景姫は仲間の手前もあるし、自由時間を仕事に当てることになる。そして、われわれと接触する」
9
市立公園の裏手、ヤーコバーガッセは道の両側にレストランやバーが立ち並ぶ、どちらかと言えば夜の盛り場だった。けばけばしいネオンで飾り立てたバーの脇の路地を入ると、食料品店の隣に小さな薄汚れたレストラン〈ラグーン〉がある。
店の前に積んであるジャガイモの袋に腰かけて、でっぷりと太った店主が包丁でジャガイモの皮を剥いていた。たまに入口のドアに手をかける人が来ると、包丁を邪険に振って追い払っていた。
金曜日の午後3時。人通りが少ないこの時間帯では目立ちすぎて、接触の場所としてはあまり相応しくなかったが、島村も岸部も土地勘のない割に最善を尽くしたと言えよう。
「天羽さん、娘は来るでしょうか?」
崔霜成が静かに言った。腰の低い言葉づかいだが、官吏におもねる響きではなかった。私は崔と向かいあって座っていた。店内は私たちの他に、人影はなかった。岸部が店主を買収したからだろう。
「大丈夫ですよ」
私は入口をちらっと見てから言った。私の眼の前にいるのは、ヒグマを思わせる大男だが、顔の骨格も体型もどこか丸みを帯びて優しい雰囲気を漂わせていた。崔は私が懐いていた韓国人の父親像とは違っていた。その茫洋とした風貌には、女房と子どもに夜逃げされた経験があるんじゃないかと勘繰らせたりもした。
「おたくの結城さんには、大変お世話になりまして・・・」
「はぁ」
崔霜成は「朝鮮籍」だった。「朝鮮籍」は旅券を持たない日本在留外国人であり、海外渡航をする際は法務省に再入国許可を申請し、その許可が下りると、それに付随して出入国管理局の「局長証書」という旅券の代用品が支給された。
崔が景姫の亡命を支援するためにウィーンへ旅立つには、この「局長証書」が必要だった。渡航地・渡航目的には厳しい制限が設けられることが多かったが、担当部署への根回しに結城が随分と苦労したのは耳にしていた。
景姫を脱出させるためには、パスポートが必要だった。景姫を書類上、日本人に帰化させた上で、日本政府発行の真正パスポートを用意した。大使館で岸部から手渡されたパスポートの名前の欄を見やり、私は眉をひそめた。
「松岡聡美?誰の名前だ、これ?」
「気にするな。偽名なんだから」
「なぁ、景姫は本当に崔霜成の娘なのか?」
「・・・」
「そもそも、崔と結城はどこで知り合った?この亡命、大丈夫なのか?」
岸部はしぶしぶ白状した。
「松岡聡一郎が仲介したんだ。崔と結城をな」
「崔と松岡の関係は?」
「崔が陸士(陸軍士官学校)時代の上司だった松岡に手紙を見せて、娘を亡命させたいと言ってきた。それで、松岡は外務省に話を持ちかけた」
「松岡聡美は、聡一郎の娘・・・?」
「景姫を《北》の追跡から匿うための偽装。結城がそう説明した。これ以上は知らん」
ドアが開く音がして、外の喧騒が入りこんだ。私は顔を上げだ。景姫だった。店主がドアを閉めた。崔が身をよじって娘を見ていた。
景姫は黒っぽいスーツを着て、入口で崔霜成を見据えていた。父に似て大柄な女で、細身ではあるが成熟した女のふくよかさを湛えていた。軍人風ではなく、ごく自然にすっと背筋を伸ばした姿勢に人の心を打つものがあった。ひどく若く見えたが、とてつもなく長い人生を経ているようにも思え、微かにねじれた口許が知性と意志の強さを感じさせた。
私は席を立ち、景姫の傍らをすり抜けた。景姫とは視線を合わせなかった。
裏口から出た私が知っているのは、そこまでだった。景姫の表情に貼りついている不可思議な悲しみが、私の心に残った。タクシーを拾って国際空港へ行き、ミュンヘン行きとフランクフルト行きの便を予約して待った。
しかし景姫も崔も現れず、結城も島村も現れなかった。