1943年11月、ダグラス輸送機が1機、英米外交使節との会談に臨むソ連外交団を乗せて、モスクワからイランの首都テヘランへ向かった。搭乗者の一人はヴァレンティン・ベレシコフ。独ソ開戦の直前に、ベルリンで駐独ソ連大使の通訳を務めた人物である。
「我々は無言で窓に顔を押しつけていた。雪の中に点在する家々が最初に視野に飛び込んでくる。やがて信じがたいほどに無茶苦茶な光景が広がった。半ば倒壊した建物や塀の残骸、がらくたの山。煙突ばかりがあちこちにぽつんと立っている」
テヘラン会談の席で、チャーチルは国王ジョージ六世が注文して製作した「スターリングラードの剣」を「ソ連人民」に贈呈する。刀身には献呈の辞が刻まれている。
「英国国民の敬意のしるしとして、鉄の意志を持つスターリングラード市民に捧ぐ」
両手で剣を受け取ったスターリンは、押し戴くようにしてその鞘に口づけした。次いで剣をヴォロシーロフ元帥に渡す。
テヘラン会談では、この先の戦争に関する連合国の戦略が決定された。西側諸国は1944年春に主力をヨーロッパの北西部に充て、第2戦線を展開すると約束を交わした。しかし、この戦略に従えば、東部および中央部ヨーロッパは完全にスターリンに掌握される。チャーチルはこの戦略がもたらす結果を強く懸念したものの、ルーズベルトはスターリンと交渉が出来ると考えていた。赤軍の損害とソ連国民が味わった恐ろしい苦しみの故に、スターリンはいつでも「流血の罪」をタネに西側諸国を脅すことができた。西側諸国の損害はソ連の犠牲に比べれば、微々たるものだったからである。