〇ソ連(ソヴィエト)軍
1918年に創設。正式名称は「労働者・農民赤軍(RKKA)」。「ソ連軍」という名称は1946年以降から使われ始めるが、内外では「ソ連軍」という名称は広く使われていた。本作では「赤軍」と「ソ連軍」が出てくるが、特に意味があって使い分けてはいない。ソ連の「軍」は、ドイツの「軍団」に規模が相当する。
〇国防軍(Wehrmacht)
1935年に創設。ドイツ三軍(陸・海・空)の正式名称。1940年からは武装SSもその指揮下に加わる。将校、特に参謀には爵位を持つ旧プロイセン系の貴族出身者が多い。国防軍総司令部(OKW)の下に、陸軍総司令部(OKH)・海軍総司令部(OKM)・空軍総司令部(OKL)が置かれる。東部戦線の推移に伴い、陸軍総司令部は東部戦線の参謀業務で手一杯になり、1942年より国防軍総司令部が西部戦線・アフリカ戦線の参謀業務を担うようになった。
〇正面軍&軍集団
ソ連では、野戦軍3~4ないし8~9個、戦車軍1~3個、航空軍1~2個その他を統轄する総合司令部が置かれた。これが「正面軍」である。ドイツ軍で「正面軍」に対応するのが「軍集団」であり、野戦軍2~4個、装甲軍1~2個その他で編成された。
〇戦車・機械化&装甲(部隊)
どちらも独ソ両国の戦車を中核とした部隊のこと。本作ではソ連軍を「戦車・機械化」、ドイツ軍を「装甲」と使い分けている。ちなみに日・米軍には「機甲」(部隊)があるが、同様の部隊を指している。
〇狙撃&歩兵(部隊)
どちらも独ソ両国の歩兵部隊のこと。本作では独ソ両軍を区別するという意味で、ソ連軍を「狙撃(兵)」と使い分けているが、スナイパー(狙撃手)だけの部隊という意味ではない。歩兵部隊は基本的に徒歩による移動だが、トラックや軌道車によって迅速に移動できるようにしたのが「自動車化狙撃」または「自動車化歩兵」部隊である。
〇親衛師団
ソ連では1941年9月から、特に功績を挙げた4個狙撃師団に「親衛師団」の名称を付与したのが始まり。一般の狙撃・戦車・騎兵師団に比べ、給与、弾薬の支給が格上げされている。
〇親衛隊
1925年に創設。ヒトラーの私兵集団である「突撃隊(SA)」の中から生まれた準軍隊組織。長官はハインリヒ・ヒムラー。本作では全て「SS」と明記する。SSの武装部隊が「武装SS」である。
〇NKVD
「内務人民委員部」の略。長官はラヴレンティ・ベリヤ。独自の軍隊組織を持ち、その前線警備歩兵連隊は各正面軍司令部に配属されるが、赤軍の指揮系統には入らず、スターリンとベリヤに直属する。
〇打撃軍
文献によっては「強襲軍」「突撃軍」と訳されるが、本作では全て「打撃軍」と明記する。ソ連では1941年から1942年の緒戦時に、急きょ5個軍を創設した。一般の軍に比べ、戦車、砲兵、騎兵軍団などが増強されている。
〇機動集団&支隊
文献によっては「作戦集団」「機械化騎兵集団」と訳されるが、本作では全て「機動集団」と明記する。ソ連では特に1941年から1942年の緒戦時には数個の狙撃師団や戦車師団、1943年ごろからは機械化軍団と騎兵軍団をまとめて部隊として編成した。規模としては「軍」の約半分。突破で開けられた穴を塞ぐことや、ある街を奪回することを目的として編成された。ドイツ軍で「機動集団」に相当するのが「支隊」や「戦闘団」であり、1942年の冬から1943年にかけて運用が始められた。
〇指揮官&階級について
階級は独ソ両軍に大きな点で異なる箇所はない。師団・軍団・軍・軍集団(正面軍)司令官の序列順に並べると、少将・中将・大将・上級大将・元帥である。
文献によっては階級の前に「歩兵」「砲兵」「装甲兵(戦車兵)」「SS」などの兵科名がつく場合があるが、本作では省略している。またドイツ軍のみに関して、貴族出身を表す「フォン」は省略している。