高知県 津呂山258m、室戸岬灯台140m 2018年8月15日
地図散策
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室戸岬まで行ってみると、海岸まで大勢の観光客が歩いている。紫色の花はビランジ?灯台は崖の上らしいので車で向かう。
お遍路第24番の最御崎寺(ほつみさきじ)の遍路道から灯台へ。柵で隔てられたほぼ目の高さに巨大なレンズが空をにらんでおり、柵のところにはハートマークに「恋人の聖地」というロゴが貼ってある。恋人を見守ってくれるということかな。ロマンチックな演出。お遍路道に戻り、仁王門から最御崎寺にお参り。
電波塔の少し先に高岡園地というのがあり、そこから木の階段を登ってみると、果たして津呂山の頂上標識と三角点があった。思いがけずこんなものを見つけられ、やや興奮。ダイモンジソウ。
津呂山の展望台に登るとまた「恋人の聖地」のハートマーク。今度はカメラスタンドのところにカギがたくさんぶら下がっていた。これも恋人たちの演出かな。遠景は霞んでいたが、四周は開けていて開放的。
休憩のために立ち寄った羽根崎付近の駐車場には花がいっぱい。赤いハイビスカス。駐車場の反対側にあった石碑は紀貫之の歌碑だった。そういえば彼は土佐日記の作者だった。
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野根山街道の西の起点の奈半利から南へ、室戸岬まで行ってみる。30㎞くらいだから、たいした距離ではない。先端に灯台があるだろうと行ってみると、遊歩道があり、海岸まで大勢の観光客が歩いている。ここにもいろんな花。紫色の花はビランジ?雨は止んでいたが、海は霞んでいた。中岡新太郎の巨大な像が立っていた。灯台は崖の上らしいので車で向かう。
お遍路第24番の最御崎寺(ほつみさきじ)というのがあり、そこの遍路道から灯台に行けるらしい。駐車場に真っ赤なムクゲ。お遍路道は長い石段で、そこを辛抱強く登り、少し下ったところに灯台があった。柵で隔てられたほぼ目の高さに巨大なレンズが空をにらんでおり、柵のところにはハートマークに「恋人の聖地」というロゴが貼ってある。恋人を見守ってくれるということかな。ロマンチックな演出。だが灯台そのものは、ほとんど目の高さなので、迫力がいまいち伝わらない。灯台はやっぱり見上げるのでなくちゃなあ。なお、「光達距離26.5海里(約49km)は日本一。また、日本に5箇所しかない直径2.6メートルの第一等フレネル式レンズを備えた第1等灯台でもある」(wikipedia)とのこと。お遍路道に戻り、仁王門から最御崎寺にお参り。「ヤッコソウ」の案内があり、ギンリョウソウのような寄生植物で、シイの木に寄生するらしいが、それらしきものはみあたらなかった。お遍路道の周回路にいったん入るが、遠くに行きそうだったので往路を戻る。
せっかく岬に登ってきたので、一番高いところに行ってみることにする。岬の尾根沿いに車道が通じており、GPSを起動してみると、少し先の電波塔のあたりに三角点があるようだ。電波塔の少し先に高岡園地というのがあり、駐車場と展望台がある。そこから木の階段を登ってみると、果たして展望台の下に津呂山の頂上標識があり、展望台の下には三角点があった。しかも二等三角点。思いがけずこんなものを見つけられ、やや興奮。来てみてよかった。ダイモンジソウ。津呂山の展望台に登るとまた「恋人の聖地」のハートマーク。今度はカメラスタンドのところにカギがたくさんぶら下がっていた。これも恋人たちの演出かな。遠景は霞んでいたが、四周は開けていて開放的。
奈半利方面に戻る途中、休憩のために立ち寄った羽根崎付近の駐車場には花がいっぱい。また赤いハイビスカス、黄色いのはマーガレットコスモス?ガザニア? 白くて細いスイセンのようなのはシロバナキツネノカミソリなのだろうか?駐車場の反対側にあった石碑は紀貫之の歌碑だった。そういえば彼は土佐日記の作者だった。文人は誰しも都を歌う。
(室戸岬・海岸)
中岡慎太郎の像
野根山街道の西の起点の奈半利から南へ、室戸岬まで行ってみる。30㎞くらいだから、たいした距離ではない。先端に灯台があるだろうと行ってみると、遊歩道があり、海岸まで大勢の観光客が歩いている。ここにもいろんな花。紫色の花はビランジ?雨は止んでいたが、海は霞んでいた。中岡新太郎の巨大な像が立っていた。灯台は崖の上らしいので車で向かう。
ビランジ?
青い花(ハマゴウ)
タービダイト層の説明
白(砂)と黒(泥)のシマシマの地層(タービダイト)は、約1,600年前に深海にあった。室戸は1,000年あたり1~2m程度隆起し続けているため、深海の様子を身近で観察できる。隆起するさい地層は大きく傾いた。タービダイト層は①河口付近に砂や泥が降り積もる、②砂や泥が地震や台風が引き金となって起こる土砂崩れや激しい水流によって深海に運ばれる、③深海に運ばれた砂と泥は、粗い粒の砂が先に海底に降り積もり、後で細かい粒の泥が降り積もる、というできごとが何度も繰り返してできた。一枚の砂の層をよく見ると、下から上に向かって砂粒が次第に細かくなっていくようすがわかる。
室戸岬海岸
室戸岬灯台と海岸
(最御崎寺と室戸岬灯台)
赤いハイビスカス
お遍路第24番の最御崎寺(ほつみさきじ)というのがあり、そこの遍路道から灯台に行けるらしい。駐車場に真っ赤なムクゲ。
最御崎寺(ほつみさきじ)境内案内図
室戸岬灯台
お遍路道は長い石段で、そこを辛抱強く登り、少し下ったところに灯台があった。柵で隔てられたほぼ目の高さに巨大なレンズが空をにらんでおり、柵のところにはハートマークに「恋人の聖地」というロゴが貼ってある。恋人を見守ってくれるということかな。ロマンチックな演出。だが灯台そのものは、ほとんど目の高さなので、迫力がいまいち伝わらない。灯台はやっぱり見上げるのでなくちゃなあ。
恋人の聖地のロゴ
なお、「光達距離26.5海里(約49km)は日本一。また、日本に5箇所しかない直径2.6メートルの第一等フレネル式レンズを備えた第1等灯台でもある」(wikipedia)とのこと。お遍路道に戻り、仁王門から最御崎寺にお参り。「ヤッコソウ」の案内があり、ギンリョウソウのような寄生植物で、シイの木に寄生するらしいが、それらしきものはみあたらなかった。お遍路道の周回路にいったん入るが、遠くに行きそうだったので往路を戻る。
室戸岬灯台の説明
四国の南東端に位置する室戸岬灯台は、明治32年(1899年)4月1日に完成しました。 その後、昭和9年(1934年)の室戸岬台風と戦災、昭和21年(1946年)の南海地震で灯台のレンズが破損し修理を行いました。 鉄造りの灯塔はほとんど被害はなく、建設当時の姿を残しています。光源は最初石油を使用しておりましたが、大正6年(1917年)12月に電化されました。
光り方 単閃白光、
光の強さ 160.0万カンデラ、
光の届く距離 26.5海里(約49キロメートル)、
高さ 地上から灯台頂部約15.4メートル、水面から灯火約154.7メートル
仁王門
最御崎寺(ほつみさきじ)
(津呂山)
ダイモンジソウ
せっかく岬に登ってきたので、一番高いところに行ってみることにする。岬の尾根沿いに車道が通じており、GPSを起動してみると、少し先の電波塔のあたりに三角点があるようだ。電波塔の少し先に高岡園地というのがあり、駐車場と展望台がある。そこから木の階段を登ってみると、果たして展望台の下に津呂山の頂上標識があり、展望台の下には三角点があった。しかも二等三角点。思いがけずこんなものを見つけられ、やや興奮。来てみてよかった。ダイモンジソウ。
津呂山・頂上標識
津呂山・三角点
津呂山・展望台
津呂山の展望台に登るとまた「恋人の聖地」のハートマーク。今度はカメラスタンドのところにカギがたくさんぶら下がっていた。これも恋人たちの演出かな。遠景は霞んでいたが、四周は開けていて開放的。
(羽根崎)
また赤いハイビスカス
奈半利方面に戻る途中、休憩のために立ち寄った羽根崎付近の駐車場には花がいっぱい。また赤いハイビスカス、黄色いのはマーガレットコスモス?ガザニア? 白くて細いスイセンのようなのはシロバナキツネノカミソリなのだろうか?駐車場の反対側にあった石碑は紀貫之の歌碑だった。そういえば彼は土佐日記の作者だった。文人は誰しも都を歌う。
シロバナキツネノカミソリ?
ガザニア?
マーガレットコスモス?
白い花(フウチョウソウ)
紀貫之歌碑
羽根崎と紀貫之の歌碑・説明
羽根崎は室戸阿南国定公園の西入口で小室戸崎と呼ばれ大小の岩礁が美しく釣り場でもある。 古くは紀貫之が土佐日記に承平五年(925)一月10日奈平の泊りに泊し、一行は11日昼頃羽根崎を過ぎる。幼童の羽根という名を聞いて、
まことにて名に聞く所
羽根ならば
飛ぶが如くに
都へもがな
と詠まれている。
昭和34年に地元の十兵衛会により建てられた。 室戸市教育委員会
オオハンゴウソウ