銭壺山、琴石山、石城山(いわき)、烏帽子岳 雨の日の情景

山口県 銭壺山540m、琴石山546m、石城山362m、烏帽子岳697m 2012年11月17日

(銭壺山、琴石山、石城山、烏帽子岳)中国百名山

269

☂☂☂☂☂

岩国の近くの周南丘陵にある銭壺山と大将軍山に登った時は本降りの雨だった。眺望ゼロだったが、銭壺山には丸い小さな地蔵尊と周囲の山々を描いた方位図があり、大将軍山の頂上には紅葉のいろどりの大きな神社があった。

琴石山の頂上からは、瀬戸内海と対岸の周防大島、大島大橋が見えた。そこに立つ嘉納山は雲で見えなかったが、雨が少し弱まり、雄大な風景を少しだけ楽しむことができた。天女が降りて琴を弾いたという琴石はどれだろう。頂上標識の立っていた岩だろうか。

石城山(いわきさん)には、神籠石(こうごいし)という古い砦を囲った跡があり、その中に五つの峯がある。最高点の高日峯には神社が立ち、琴石山を見ることができた。三角点のある月ノ峯には案内表示がなく、赤リボンの踏跡を辿ってヤブの中の頂上に立つ。

山口の烏帽子岳の頂上は紅葉の林の中の二等三角点のみの簡素な頂上。一方、すぐ隣のピーク、大将軍には祠があり、眺望もよい。南西にある赤松ヶ平は更に眺望がよく、方位盤もたくさん。散歩するのに良い山に違いない。

 銭壺山と大将軍山に登った時は本降りの雨だった。眺望ゼロだったが、大将軍山の頂上には紅葉のいろどりの大きな神社があった。
 銭壺山には丸い小さな地蔵尊
 琴石山頂上:天女が降りて琴を弾いたという琴石はどれだろう。頂上標識の立っていた岩だろうか。
 石城山神籠石は、巨石を一列の帯状に並べて、山の中腹から八合目あたりをはち巻状に取り囲んでいる古代の土木工事の遺跡である。明治42年に発見されるまでは九州にしか存在されていないとされていた。谷間を横切る場所に水門を設け、北水門、東水門、南水門、西水門が発見されている。
石城山の最高峰、 高日峰は林のピークで、高日神社の社がある。さっきの日本神社と比べると、まるで簡素な雰囲気。
 行く手に烏帽子岳が見えてきた。雨もすっかり止み、青空が見えている。
 大将軍には祠があり、眺望もよい
 赤松ヶ平の夕日
 石城山・高日峯の南東が開けていて、琴石山と柳井市街が見える。琴石山は奥に見える周防大島の嘉納山と対峙し、市街と海を見下ろしている
(銭壺山)  8:38 駐車地点1発  8:39 銭壺山540m  8:40 駐車地点1・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・往復2分  9:21 駐車地点2発  9:22 大将軍山432m霧峰神社  9:24 駐車地点2・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・往復3分
(琴石山)10:56 駐車地点3発11:14 弁慶のお山530m11:17 琴石山545m11:23 弁慶のお山11:37 駐車地点3・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・往復41分
(石城山)12:37 駐車地点4発12:49 高日ヶ峰362m・最高点12:58 東水門13:15 石城神社13:23 西水門13:49 月ノ峰350m・四等三角点13:58 駐車地点4・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・周回1時間21分
(烏帽子岳)15:16 駐車地点5発15:31 大将軍680m15:46 烏帽子岳697m15:56 駐車地点5・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・周回40分16:23 駐車地点6発16:25 赤松ヶ平16:30 駐車地点6・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・往復7分

ZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZ

岩国の近くの周南丘陵にある銭壺山と大将軍山に登った時は本降りの雨だった。眺望ゼロだったが、銭壺山には丸い小さな地蔵尊と周囲の山々を描いた方位図があり、大将軍山の頂上には紅葉のいろどりの大きな神社があった。

明け方前から雨が降り出し、本降りになっていた。岩国の海岸から山側に登る道に入り、稜線のあたりで銭壺山と大将軍山の分岐をまず銭壺に向かう。この間、工事中の車道を三度通過。この雨なのに工事ご苦労さん。

本降りの頂上駐車場の案内を車の中で確認し、頂上に一番近いところに車を停め、車の中でレインウェアを着て登山靴を履き、出発。少し登った先の銭壺頂上には絵で描いた方位図があり、中央の高台に丸いやさしい感じの地蔵尊と二等三角点。晴れていれば大展望らしいが、視界なし。

(案内)銭壺山は「目舞ヶ岡」と形容される展望の山で、海賊の銭壺埋蔵伝説。大将軍山は、霧峰神社のある海上鎮護の山。

車に戻り、銭壺頂上から次の大将軍に向かう。本降りの駐車場には自転車の二人がやってきていた。今日は土曜だが、仕事だろうか、運動だろうか。大将軍山へも狭いが舗装路が続いていて、頂上へは更に狭い舗装路を車で登り、NHKの電波塔のある駐車場に停め、今度はバッテリーを入れ替えたタフを持って出発。コンクリの階段を登ると真っ赤な紅葉。頂上には大将軍霧峯神社の社。立派な社で、反対側に表参道の階段がついている。周防太守大内氏が大将軍を祈願して戦勝したことから祀り始めた、とある。

(案内)大将軍: 大内軍は敵情を偵察したが濃霧のため目的を達せず、そのとき一心に八将軍のひとつ大将軍に祈念したところ、たちまち霧が晴れ、敵情を知ることを得、船を進めて河野軍を撃つことができたことから、戦後、大内氏はこの山に大将軍を祀り、神の加護を謝した。

大将軍から降り、海岸沿いの車道を南に下る。嘉納山のある周防大島(屋代島)に渡る大島大橋の下をくぐり、山側に右折する。更に大橋に向かう幹線道から外れ、西に向かう脇道に入る。斜面だが住居がたくさんあり、その間を抜けていく。やがて集落を抜け、稜線近くに達するが、琴石まであとわずかなところで林道が通行止め。海岸に向かって下る。住居のあるところまで降り、斜面を西に向かう道を進むと、琴石山への案内図を見つける。それに沿って舗装路(広域農道)を進み、琴石山らしき姿を見る。車道の途中に登山道表示あり。そこから歩いて登れるのだろう。竹林の中で車道に倒れた竹をどかし、先に進む。終点は琴石グリーンパークや琴石城跡などの案内のある駐車場になっていて、そこから少し戻ったところにある登山道を登る。

「琴石山登山道700m」の表示があり、歩きやすい遊歩道になっているが、「琴石山グリーンパーク」の案内図には頂上に至るルートが明記されていない。「弁慶のお山545m」の先にある「琴柱眺望の丘」というのが琴石山なのだろうか。結局、どちらも確認できず。遊歩道は稜線に達し、ベンチのあるところから稜線歩きの道となる。稜線を進むと眺望が開けてきて、行く手の稜線のピークが見える。そこに頂上標識のようなものが見えるので、恐らくあれが琴石山頂上なのだろう。雨と霧の向こうに海と港と発電所が見える。柳井港と柳井発電所。それに笠佐島。稜線は標高を増し、途中にベンチのある小ピーク。標識は無かったが、たぶん「弁慶のお山」だろう。そこからは対岸の周防大島への大橋が見える。行く手には紅葉の琴石山。


(案内)・「天人降来して琴を弾ぜし石あり。是を琴石と云」との江戸時代文献。旗差し穴が三角点の東側の岩にある。城跡、茶臼山古墳あり・琴石山の山頂には弥山様や妙見様が祀られ、昭和50年には「山口の自然100選」の第一位に選ばれている。琴石城跡はかつて毛利氏が豊後の大友氏の侵攻に備えた山城。頂上部が本丸跡。・山名の由来、(1)頂上に琴石という岩があり、天女が舞い降りてこの岩の上で琴を奏でたので琴石山と名付けた、(2)南の海岸から見ると琴に糸をかけた形に見えるので、琴石山といわれるようになった、(3)室町時代の終わりごろ、この上に「事能要害」(ことよし)という砦があって、谷間に板をかけたり木の枝に着物をかけて多くの兵がいるように見せかけて勝つことができた。そこでこの山を事嘉山(ことよし)と名付けたのが、後になまって琴石山といわれるようになった

琴石山の頂上からは、瀬戸内海と対岸の周防大島、大島大橋が見えた。そこに立つ嘉納山は雲で見えなかったが、雨が少し弱まり、雄大な風景を少しだけ楽しむことができた。天女が降りて琴を弾いたという琴石はどれだろう。頂上標識の立っていた岩だろうか。

(広い琴石頂上で見たもの)・説明標識: この山の頂上に琴石という岩があり、天女が舞い降りてその岩の上で琴を奏でた、など山名由来の諸説が書いてある。・岩室の中に納められた三つの祠・標高545.5mの頂上標識。・方向指示の標識に三つの山と距離が書いてある: 高照寺山645m、氷室山563m、銭壺山540m、三ヶ岳487m、石城山359m。・誰かの詩碑: 文字は読めない。・方位図: 対岸の周防大島の嘉納山、大島大橋、柳井発電所などが描かれている。・二等三角点

石城山(いわきさん)には、神籠石(こうごいし)という古い砦を囲った跡があり、その中に五つの峯がある。最高点の高日峯には神社が立ち、琴石山を見ることができた。三角点のある月ノ峯には案内表示がなく、赤リボンの踏跡を辿ってヤブの中の頂上に立つ。

(案内)台状の山上に小さな峰が五つあり、最高峰は高日峰360mだが、四等三角点は350m峰に設置。山口県唯一の古代朝鮮式(神籠石式)山城。八合目付近を全周にわたって大きな岩(神籠石)が帯状に囲み、石垣や水門を構築。

琴石山への車道を海に向かって下り、海岸沿いを西に走り、途中で右折して山間に入る。石城山への案内を発見し、それを辿ると、鳥居があり、そこから狭い舗装路となって山を登っていく。高度が上がり、東に琴石山と瀬戸内海が見える。石城山への舗装路の終点は駐車場になっていて、ミニバンが一台。車の中から案内図を見て、マップと照合してルートを検討。マップによると、五つの峰があり、四等三角点峰は350m、最高峰は高日ノ峰360mとある。少なくともこの二つには登りたい。駐車場の案内図によると以下のとおり。


高日峯362m鶴ヶ峯358m大峯356m月ノ峯(築山)350m(四等三角点)星ノ峯341m

タフに持ち替えて出発。まず東水門方面へ、高日峯を目指す。車道から舗装された歩道に上がって進むと大きな日本神社というのがある。表参道は別にあり、登山スタイルでは場違いな感じの手入れの行き届いた建物なので、中には入らず、裏にある道に進む。四季桜というのがまばらに花をつけていた。登山道の雰囲気になった道を進むと、道沿いに社が並んでおり、それぞれに神社表札が掛けてある。なんでこんなにたくさんの神社があるのだろう。その先に高日峰の案内。高日峰は林のピークで、高日神社の社がある。石標やらがあるが、古くて文字は読めない。さっきの日本神社と比べると、まるで簡素な雰囲気。南東が開けていて、琴石山と柳井市街が見える。琴石山は奥に見える周防大島の嘉納山と対峙し、市街と海を見下ろしている。登山道に戻り、東水門まで下ってみる。登り返しが不安になるほど下る。石城山には神籠石(こうごいし)という石垣が山頂を囲んでいるが、その石垣に東西南北の水門がある。東水門はその一つで、大部分を修復したものらしい。石垣沿いの道のところに石が一つ外されていて、穴があいている。「山姥の穴」と言うらしいが、排水口だろうか。


(案内)・神籠石: 集中豪雨で石垣が崩落したため、平成17~18年度にかけて保存修理事業を実施。ここに配置している石は崩落石のうち修復工事に使用できなかったものです。・石城山神籠石は、巨石を一列の帯状に並べて、山の中腹から八合目あたりをはち巻状に取り囲んでいる古代の土木工事の遺跡である。明治42年に発見されるまでは九州にしか存在されていないとされていた。谷間を横切る場所に水門を設け、北水門、東水門、南水門、西水門が発見されている。

駐車場に戻り、西の石城神社へ向かう。まず茅葺屋根の門(随身門または仁王門と言うらしい)をくぐるが、その手前に神籠石(こうごいし)の説明がある。それは大きな石を一列に並べたもので、谷間では石垣を築いているとある。その先の石城神社(いわき)は、日本神社ほどではないが、整備されている。ただし、その先の広場は雨で泥だらけ。月ノ峯への案内表示はなく、マップを見て、西水門に向かう。月ノ峯のピークを左から巻いていき、東側の展望所に出て、そこから下って西水門。ここでは斜面の段差が低いためか、神籠石は石垣でなく、並べられているだけ。

さて、月ノ峯はどこだ?何度かいったりきたりし、展望所のところから月ノ峯へ登る踏跡と赤リボンを見つける。案内表示は何もないが、これだろう。灌木の中の狭い踏跡を辿ると、果たしてその奥に三角点があった。月ノ峯350.1mの小さな頂上標識もある。諦めずに探してよかった。

山口の烏帽子岳の頂上は紅葉の林の中の二等三角点のみの簡素な頂上。一方、すぐ隣のピーク、大将軍には祠があり、眺望もよい。南西にある赤松ヶ平は更に眺望がよく、方位盤もたくさん。散歩するのに良い山に違いない。

石城山から北西に向かうと、行く手に烏帽子岳が見えてきた。雨もすっかり止み、青空が見えている。北側には「鶴の里」というのがあり、駐車場があり、登山スタイルの人もいるので、そこに車を停めてみたが、どうも違う。鶴の飛来地のようだ。車道に戻り、東に向かうと、烏帽子岳登山口の標識を発見。右折する。しかし、その道は徒歩専用らしく、車では先まで入れない。引き返し、更に東に向かうと、烏帽子岳ウッドパークへの林道入口がある。

林道には「赤松ヶ平頂上まで4.7km」という表示があり、烏帽子頂上への案内はない。不安だったが、カーナビで烏帽子頂上を確認しながら前進。着実に近づいていく。そして烏帽子岳への登山道が記載してある案内のある駐車場に着き、そこから歩き始める。15時過ぎ。「大将軍」という表札のかかった鳥居をくぐって稜線への登山道を登る。頂上まで520m。雨は上がっている。道は稜線に達して左に曲がり、稜線を登る。ドウダンツツジの標識があるがもう花はない枯れた潅木。黄色の目立つ林の道を行くと分岐があり、まず右折して大将軍を目指す。大将軍への最後の登りには手すりの階段がついていたが、振り返るとこんもりした紅葉の烏帽子岳が見えた。ここからはエボシじゃないな。大将軍の頂上は東と南が開けた眺望のよいところで、祠と石灯籠に石の頂上標識やベンチ、なぜか赤い郵便ポストがある。見渡す限りの山々の同定は難しいが、南東の平らな山がたぶん石城山。琴石山や銭壺山はその向こうに霞んでいる。

(案内)二等三角点のある山頂よりも展望の良い大将軍の峰の方が人気がある。

道を戻り、分岐を烏帽子に向かうと、紅葉が美しいが、烏帽子頂上は深い潅木の中に二等三角点があるだけだった。静寂の頂上。もう花も葉も落ちたドウダンツツジにシロモジというなめらかな細い幹の潅木。車に戻り、林道を更に先に進んでみる。魚切の滝400mの標識があったが、行くのは止めておく。八代口下山路1,050mの標識。赤い頭巾をかぶった地蔵。車道の終点に車を停め、その先にある赤松ヶ平に向かう。レインウェアの代わりに白い上着を着ていく。赤松ヶ平の頂上は電波塔に広場があり、石造りの頂上標識は日時計を兼ねている、それに方位盤がたくさん。夕暮れ前の山々を同定してみる。西の温見ダムの方角は曇っていて同定不可。南には熊毛町と下松市の市街。南東には石城山の記載はあるが琴石はない。夕方で暗くなり、ぼやけていたが、そこには大将軍から見たあの平らな石城山が見えた。

さて、四日目の雨の山旅も4つの山に登り、麓に下って幹線路を行くと、真っ赤な夕日。山口宇部空港に近い「道の駅ららあじす」に向かう。阿知須というのは、幼少の頃に住んでいたところで、名前だけは平仮名で覚えているが、漢字も場所も全く記憶がない。もっと山奥だと思っていたが、こんな海岸沿いだったのか。住宅地が広がり、昔とは隔世の状況なのだろうが、とにかくなつかしい。説明表示を見ると、人口9,000人の町とある。翌日の山口空港発10時前なので、山に登るのは無理と思っていたが、翌日は晴という天気予報を見て考える。秋吉台の龍護峰ならば、早朝に道の駅を出て戻って来れるだろう。そこで、携帯のアラームをセットする。

 銭壺山

銭壺山

岩国の近くの周南丘陵にある銭壺山と大将軍山に登った時は本降りの雨だった。眺望ゼロだったが、銭壺山には丸い小さな地蔵尊と周囲の山々を描いた方位図があり、大将軍山の頂上には黄葉のいろどりの大きな神社があった。

銭壺山

明け方前から雨が降り出し、本降りになっていた。岩国の海岸から山側に登る道に入り、稜線のあたりで銭壺山と大将軍山の分岐をまず銭壺に向かう。この間、工事中の車道を三度通過。この雨なのに工事ご苦労さん。

銭壺山頂上

本降りの頂上駐車場の案内を車の中で確認し、頂上に一番近いところに車を停め、車の中でレインウェアを着て登山靴を履き、出発。少し登った先の銭壺頂上には絵で描いた方位図があり、中央の高台に丸いやさしい感じの地蔵尊と二等三角点。晴れていれば大展望らしいが、視界なし。

(案内)

銭壺山は「目舞ヶ岡」と形容される展望の山で、海賊の銭壺埋蔵伝説。大将軍山は、霧峰神社のある海上鎮護の山。

地蔵尊

紅葉(ハウチワカエデ?)

車に戻り、銭壺頂上から次の大将軍に向かう。本降りの駐車場には自転車の二人がやってきていた。今日は土曜だが、仕事だろうか、運動だろうか。大将軍山へも狭いが舗装路が続いていて、頂上へは更に狭い舗装路を車で登り、NHKの電波塔のある駐車場に停め、今度はバッテリーを入れ替えたタフを持って出発。コンクリの階段を登ると真っ赤な紅葉。頂上には大将軍霧峯神社の社。立派な社で、反対側に表参道の階段がついている。周防太守大内氏が大将軍を祈願して戦勝したことから祀り始めた、とある。

黄葉(ハウチワカエデ?)

大将軍山・霧峰神社

(案内)

大将軍: 大内軍は敵情を偵察したが濃霧のため目的を達せず、そのとき一心に八将軍のひとつ大将軍に祈念したところ、たちまち霧が晴れ、敵情を知ることを得、船を進めて河野軍を撃つことができたことから、戦後、大内氏はこの山に大将軍を祀り、神の加護を謝した。

 琴石山

大島大橋

大将軍から降り、海岸沿いの車道を南に下る。嘉納山のある周防大島(屋代島)に渡る大島大橋の下をくぐり、山側に右折する。更に大橋に向かう幹線道から外れ、西に向かう脇道に入る。斜面だが住居がたくさんあり、その間を抜けていく。やがて集落を抜け、稜線近くに達するが、琴石まであとわずかなところで林道が通行止め。海岸に向かって下る。住居のあるところまで降り、斜面を西に向かう道を進むと、琴石山への案内図を見つける。それに沿って舗装路(広域農道)を進み、琴石山らしき姿を見る。車道の途中に登山道表示あり。そこから歩いて登れるのだろう。竹林の中で車道に倒れた竹をどかし、先に進む。終点は琴石グリーンパークや琴石城跡などの案内のある駐車場になっていて、そこから少し戻ったところにある登山道を登る。

水車の里

「琴石山登山道700m」の表示があり、歩きやすい遊歩道になっているが、「琴石山グリーンパーク」の案内図には頂上に至るルートが明記されていない。「弁慶のお山545m」の先にある「琴柱眺望の丘」というのが琴石山なのだろうか。結局、どちらも確認できず。遊歩道は稜線に達し、ベンチのあるところから稜線歩きの道となる。稜線を進むと眺望が開けてきて、行く手の稜線のピークが見える。そこに頂上標識のようなものが見えるので、恐らくあれが琴石山頂上なのだろう。雨と霧の向こうに海と港と発電所が見える。柳井港と柳井発電所。それに笠佐島。稜線は標高を増し、途中にベンチのある小ピーク。標識は無かったが、たぶん「弁慶のお山」だろう。そこからは対岸の周防大島への大橋が見える。行く手には紅葉の琴石山。

琴石山

(案内)・「天人降来して琴を弾ぜし石あり。是を琴石と云」との江戸時代文献。旗差し穴が三角点の東側の岩にある。城跡、茶臼山古墳あり・琴石山の山頂には弥山様や妙見様が祀られ、昭和50年には「山口の自然100選」の第一位に選ばれている。琴石城跡はかつて毛利氏が豊後の大友氏の侵攻に備えた山城。頂上部が本丸跡。・山名の由来、(1)頂上に琴石という岩があり、天女が舞い降りてこの岩の上で琴を奏でたので琴石山と名付けた、(2)南の海岸から見ると琴に糸をかけた形に見えるので、琴石山といわれるようになった、(3)室町時代の終わりごろ、この上に「事能要害」(ことよし)という砦があって、谷間に板をかけたり木の枝に着物をかけて多くの兵がいるように見せかけて勝つことができた。そこでこの山を事嘉山(ことよし)と名付けたのが、後になまって琴石山といわれるようになった

琴石山

琴石山の頂上からは、瀬戸内海と対岸の周防大島、大島大橋が見えた。そこに立つ嘉納山は雲で見えなかったが、雨が少し弱まり、雄大な風景を少しだけ楽しむことができた。天女が降りて琴を弾いたという琴石はどれだろう。頂上標識の立っていた岩だろうか。

 琴石山頂上からの眺望: 瀬戸内海と周防大島、笠佐島

琴石山頂上

(広い琴石頂上で見たもの)

・説明標識: この山の頂上に琴石という岩があり、天女が舞い降りてその岩の上で琴を奏でた、など山名由来の諸説が書いてある。・岩室の中に納められた三つの祠・標高545.5mの頂上標識。・方向指示の標識に三つの山と距離が書いてある: 高照寺山645m、氷室山563m、銭壺山540m、三ヶ岳487m、石城山359m。・誰かの詩碑: 文字は読めない。・方位図: 対岸の周防大島の嘉納山、大島大橋、柳井発電所などが描かれている。・二等三角点

 石城山

石城山案内図

石城山(いわきさん)には、神籠石(こうごいし)という古い砦を囲った跡があり、その中に五つの峯がある。最高点の高日峯には神社が立ち、琴石山を見ることができた。三角点のある月ノ峯には案内表示がなく、赤リボンの踏跡を辿ってヤブの中の頂上に立つ。

(案内)

・台状の山上に小さな峰が五つあり、最高峰は高日峰360mだが、四等三角点は350m峰に設置。山口県唯一の古代朝鮮式(神籠石式)山城。八合目付近を全周にわたって大きな岩(神籠石)が帯状に囲み、石垣や水門を構築。

石城山の駐車場

琴石山への車道を海に向かって下り、海岸沿いを西に走り、途中で右折して山間に入る。石城山への案内を発見し、それを辿ると、鳥居があり、そこから狭い舗装路となって山を登っていく。高度が上がり、東に琴石山と瀬戸内海が見える。石城山への舗装路の終点は駐車場になっていて、ミニバンが一台。車の中から案内図を見て、マップと照合してルートを検討。マップによると、五つの峰があり、四等三角点峰は350m、最高峰は高日ノ峰360mとある。少なくともこの二つには登りたい。駐車場の案内図によると以下のとおり。


高日峯362m鶴ヶ峯358m大峯356m月ノ峯(築山)350m(四等三角点)星ノ峯341m

日本神社

タフに持ち替えて出発。まず東水門方面へ、高日峯を目指す。車道から舗装された歩道に上がって進むと大きな日本神社というのがある。表参道は別にあり、登山スタイルでは場違いな感じの手入れの行き届いた建物なので、中には入らず、裏にある道に進む。四季桜というのがまばらに花をつけていた。登山道の雰囲気になった道を進むと、道沿いに社が並んでおり、それぞれに神社表札が掛けてある。なんでこんなにたくさんの神社があるのだろう。その先に高日峰の案内。

四季桜

さざれ石

磐山神社

高日峰頂上(高日神社)

高日峰は林のピークで、高日神社の社がある。石標やらがあるが、古くて文字は読めない。さっきの日本神社と比べると、まるで簡素な雰囲気。南東が開けていて、琴石山と柳井市街が見える。琴石山は奥に見える周防大島の嘉納山と対峙し、市街と海を見下ろしている。

石城山・高日ヶ峰付近からの眺望: 琴石山、柳井市街、周防大島

琴石山

東水門の神籠石と山姥の穴

登山道に戻り、東水門まで下ってみる。登り返しが不安になるほど下る。石城山には神籠石(こうごいし)という石垣が山頂を囲んでいるが、その石垣に東西南北の水門がある。東水門はその一つで、大部分を修復したものらしい。石垣沿いの道のところに石が一つ外されていて、穴があいている。「山姥の穴」と言うらしいが、排水口だろうか。

(案内)

・神籠石: 集中豪雨で石垣が崩落したため、平成17~18年度にかけて保存修理事業を実施。ここに配置している石は崩落石のうち修復工事に使用できなかったものです。

・石城山神籠石は、巨石を一列の帯状に並べて、山の中腹から八合目あたりをはち巻状に取り囲んでいる古代の土木工事の遺跡である。明治42年に発見されるまでは九州にしか存在されていないとされていた。谷間を横切る場所に水門を設け、北水門、東水門、南水門、西水門が発見されている。

茅葺きの門: 随身門(仁王門)

駐車場に戻り、西の石城神社へ向かう。まず茅葺屋根の門(随身門または仁王門と言うらしい)をくぐるが、その手前に神籠石(こうごいし)の説明がある。それは大きな石を一列に並べたもので、谷間では石垣を築いているとある。その先の石城神社(いわき)は、日本神社ほどではないが、整備されている。ただし、その先の広場は雨で泥だらけ。月ノ峯への案内表示はなく、マップを見て、西水門に向かう。月ノ峯のピークを左から巻いていき、東側の展望所に出て、そこから下って西水門。ここでは斜面の段差が低いためか、神籠石は石垣でなく、並べられているだけ。

石城神社

西水門

月ノ峰頂上(四等三角点)

さて、月ノ峯はどこだ?何度かいったりきたりし、展望所のところから月ノ峯へ登る踏跡と赤リボンを見つける。案内表示は何もないが、これだろう。灌木の中の狭い踏跡を辿ると、果たしてその奥に三角点があった。月ノ峯350.1mの小さな頂上標識もある。諦めずに探してよかった。

 烏帽子岳

烏帽子岳

山口の烏帽子岳の頂上は紅葉の林の中の二等三角点のみの簡素な頂上。一方、すぐ隣のピーク、大将軍には祠があり、眺望もよい。南西にある赤松ヶ平は更に眺望がよく、方位盤もたくさん。散歩するのに良い山に違いない。

大将軍の鳥居

石城山から北西に向かうと、行く手に烏帽子岳が見えてきた。雨もすっかり止み、青空が見えている。北側には「鶴の里」というのがあり、駐車場があり、登山スタイルの人もいるので、そこに車を停めてみたが、どうも違う。鶴の飛来地のようだ。車道に戻り、東に向かうと、烏帽子岳登山口の標識を発見。右折する。しかし、その道は徒歩専用らしく、車では先まで入れない。引き返し、更に東に向かうと、烏帽子岳ウッドパークへの林道入口がある。

黄葉の道(ブナ?)

林道には「赤松ヶ平頂上まで4.7km」という表示があり、烏帽子頂上への案内はない。不安だったが、カーナビで烏帽子頂上を確認しながら前進。着実に近づいていく。そして烏帽子岳への登山道が記載してある案内のある駐車場に着き、そこから歩き始める。15時過ぎ。「大将軍」という表札のかかった鳥居をくぐって稜線への登山道を登る。頂上まで520m。雨は上がっている。道は稜線に達して左に曲がり、稜線を登る。ドウダンツツジの標識があるがもう花はない枯れた潅木。

大将軍・頂上

黄色の目立つ林の道を行くと分岐があり、まず右折して大将軍を目指す。大将軍への最後の登りには手すりの階段がついていたが、振り返るとこんもりした紅葉の烏帽子岳が見えた。ここからはエボシじゃないな。大将軍の頂上は東と南が開けた眺望のよいところで、祠と石灯籠に石の頂上標識やベンチ、なぜか赤い郵便ポストがある。見渡す限りの山々の同定は難しいが、南東の平らな山がたぶん石城山。琴石山や銭壺山はその向こうに霞んでいる。

郵便ポスト

(案内)

・二等三角点のある山頂よりも展望の良い大将軍の峰の方が人気がある。

 大将軍から南東の風景: 周南市街、石城山

烏帽子岳の紅葉

紅葉(ブナ?)

烏帽子岳頂上

道を戻り、分岐を烏帽子に向かうと、紅葉が美しいが、烏帽子頂上は深い潅木の中に二等三角点があるだけだった。静寂の頂上。もう花も葉も落ちたドウダンツツジにシロモジというなめらかな細い幹の潅木。車に戻り、林道を更に先に進んでみる。魚切の滝400mの標識があったが、行くのは止めておく。八代口下山路1,050mの標識。赤い頭巾をかぶった地蔵。

赤松ヶ平頂上

車道の終点に車を停め、その先にある赤松ヶ平に向かう。レインウェアの代わりに白い上着を着ていく。赤松ヶ平の頂上は電波塔に広場があり、石造りの頂上標識は日時計を兼ねている、それに方位盤がたくさん。夕暮れ前の山々を同定してみる。西の温見ダムの方角は曇っていて同定不可。南には熊毛町と下松市の市街。南東には石城山の記載はあるが琴石はない。夕方で暗くなり、ぼやけていたが、そこには大将軍から見たあの平らな石城山が見えた。

赤松ヶ平の夕日

 烏帽子岳と赤松ヶ平

夕日

さて、四日目の雨の山旅も4つの山に登り、麓に下って幹線路を行くと、真っ赤な夕日。山口宇部空港に近い「道の駅ららあじす」に向かう。阿知須というのは、幼少の頃に住んでいたところで、名前だけは平仮名で覚えているが、漢字も場所も全く記憶がない。もっと山奥だと思っていたが、こんな海岸沿いだったのか。住宅地が広がり、昔とは隔世の状況なのだろうが、とにかくなつかしい。説明表示を見ると、人口9,000人の町とある。翌日の山口空港発10時前なので、山に登るのは無理と思っていたが、翌日は晴という天気予報を見て考える。秋吉台の龍護峰ならば、早朝に道の駅を出て戻って来れるだろう。そこで、携帯のアラームをセットする。