古鷹山 海と山と秋空の縦走路
広島県 古鷹山(本峰394m、三角点峰376m)、クマン岳400m 2018年11月23日
中国百名山
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県道44を北上し、内海港に来ると、海を隔てて初めて古鷹山が見えた。一目でこれが古鷹山だと分かった。道脇に停車してしばらく眺める。それは左右に尾根を連ね、たくさん並んだ尾根のピークの中央に位置する美しい姿の鋭鋒。
ヘルメットをかぶって最初は市街地の中の道。ちょっと場違い。市街地を抜け、舗装路終点にクマン岳登山口。
稜線に到達して本日最初の休憩。左(西)には大原山345m、その奥には宮島・弥山も見えていた。
ようやくクマン岳頂上に到達。クマンの鐘というのがあったので、とりあえず鳴らしてみる。クマン岳頂上からは古鷹山が見えていた。二つ並んだピークの右が本峰、左が三角点峰。古鷹山は内海港から見た美しいトライアングルの形をしており、その北斜面に岩尾根が小さく見えている。
クマン岳から南は、これでもかというほど下っていく。登山道脇にこの山で唯一見た、秋のツツジ。きれいなピンク色。そして少しで登り返し、帆立岩への分岐。遠くからでも目立ちそうな、縦長の岩が立っていた。
そして、ひょっこり切串林道に出る。そこから数十メートル西の南側に古鷹山登山口があった。古鷹山まであと1㎞くらいだが、ややきつい登り返しがこたえてくる。
古鷹山頂上直前で視界が開け、北にスタート地点の切串港とクマン岳、西に宮島・弥山、南には陀峯山らしき山を見る。離島のピークから眺める海と山と秋空のすばらしい景観。
そして古鷹山頂上に到達。岩場の一番高いところに海上自衛隊の旭日旗。北には広島港と切串港、北東には天応烏帽子岩山が見えており、東に見える三角点峰から北東に伸びる稜線上のP9・317mから白いナギが落ちているのがくっきりと見えている。それらのすぐ先から集落が始まり、切串の市街地が広がっている。こんなに自然の真っただ中にいるのに、その自然の中には人と都市が根付いている。
古鷹山頂上の北側にはこの日唯一の岩場のロープ場があり、慎重に下降。岩登りの好きな人ならきっと楽しかろう。登り返して林の中の三角点峰。林の中だが、立派な二等三角点に古鷹山の木柱頂上標識もあった。
切串林道は、心配していた車道そのものは無事で、ここからは楽チン道中を期待したが、すぐ先のカーブを回ったところで二つ目のナギ崩落に遭遇。車道がそっくり崩れ、ガードレールが宙に浮いている。こいつはひどい。崩れた車道の山側に微かな踏み跡があり、それを伝い、灌木を掴んで慎重に越える。
下流に下るにしたがい、家屋が増え、集落となり、川は深い川底を平穏に流れるようになる。人が往来し、軽トラックが走る。黄色い丸い花はイソギク?
フェリー駐車場に着き、やってきたフェリーに車で乗り、係員に料金を支払う。1,850円だったと思う。フェリーから行く手には夕暮れの広島市街を見る。建造中らしき巨船。背後には黒いシルエットの江田島が連嶺を連ねており、その中央に古鷹山が見えていた。その右の大きい塊はクマン岳だろう。夕日に輝く美しい光景。そして、わずか30分で広島港に到着。これなら1,850円の価値は十分にある。
周回9.7㎞、標高差831m
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古鷹山まではなんと70㎞。直線距離はその半分くらい(26㎞)だと思うが、離島なので、東から南に大きく回りこんで橋を渡っていかねばならない。しかも道路は混んでいた。広島湾沿いには造船所と思われる大型クレーンがたくさんあり、どこまでも続いている。今でもここは造船都市なのだ。第二音戸大橋を渡って倉橋島、早瀬大橋のループを渡って江田島。案内表示のあった陀峯山(だぼうざん)というのは、江田島の南にある438m峰で、頂上まで車道があるが、今はどうだろう。県道44を北上し、内海港に来ると、海を隔てて初めて古鷹山が見えた。一目でこれが古鷹山だと分かった。道脇に停車してしばらく眺める。それは左右に尾根を連ね、たくさん並んだ尾根のピークの中央に位置する美しい姿の鋭鋒。同時に、この形だと傾斜のきついところ、岩場もあるだろうと直感し、ヘルメットを持っていこうと決める。
江田島北端の切串地区に設定したGPS起点に行くと、そこには大きなフェリー駐車場がある。なるほど、ここに駐車すればいい訳だ、と思うのと同時に、70㎞を2時間弱かけて車を走らせてくるより、フェリーで渡った方がよっぽどいいな、ということ。大きな駐車場は半分以上埋まっていて、フェリー乗車を待つ車も数台並んでいた。ヘルメットをかぶって最初は市街地の中の道。ちょっと場違い。市街地を抜け、舗装路終点にクマン岳登山口。十分に駐車スペースはある。ここにもクマの檻。クマン岳への山道は白木山と比べて荒れていて、やや苦戦。疲れもある。樹間に古鷹山のトライアングルが見え、時々写真撮影休憩を入れ、稜線に到達して本日最初の休憩。もう温くなったホットレモンを飲み、パンを食べる。稜線の道はやや楽。だが、ところどころに岩場が出てくる。北に見えたのは似島とクマン岳の北尾根上の277m峰のようだ。右(東)には金輪島。左(西)には大原山345m、その奥には宮島・弥山も見えていた。
クマン岳手前で三つのピークを越えていくが、P1・320mを越えると行く手にクマン岳とP2・350mを見る。そのP2からは西に大原山345m、南に見えていたのは野登呂山と大黒神島の櫛ノ宇根ではなかろうか。背後には切串港とフェリーが見えている。もうあんなに遠い。P3は自覚せずに通過。ようやくクマン岳頂上に到達。クマンの鐘というのがあったので、とりあえず鳴らしてみる。登頂記念スタンプの箱の中で寝ていたウサちゃんを立たせてみる。「クマン岳の由来」という案内によると、昔からこの地区へは船による侵入が絶えず、切串の住民が自営のために木々などを使ってこの山を大きなクマに似せたらしい。クマン岳頂上からは古鷹山が見えていた。古鷹山は、二つ並んだピークの右が本峰、左が三角点峰。本峰は内海港から見た美しいトライアングルの形をしており、その北斜面に岩尾根が小さく見えている。クマン岳頂上の少し南にある大きな岩の上に登ると、東の海を隔てた対岸に天応烏帽子岩山、その手前に古鷹山の北東に続く稜線が見え、その稜線の下を通っている切串林道も見えていた。古鷹山からはあの林道に下って下山するのだが、北東稜線上のピーク(P9・317m峰)から大きなナギが落ちているのが見えた。その下では林道が土砂崩れになっているかもしれないな、と思う。(心配は当たっていた。)
クマン岳から南は格段に道が良くなるが、これでもかというほど下っていく。登山道脇にこの山で唯一見た、秋のツツジ。きれいなピンク色。そして少しで登り返し、帆立岩への分岐。数十メートル歩くと、遠くからでも目立ちそうな、縦長の岩が立っていた。そこからは眼下に海、帆立岩の背後に江田島湾の全景が見えていた。これまた絵になる構図。そこから行く手の東に見えているのはずんぐりしたP6・361mで、古鷹山はその蔭で見えていない。歩きやすい均された道を下っていくと、海上自衛隊幹部候補生学校のサビた表示。そして、ひょっこり切串林道に出る。なんだ、ここから登れば簡単だったなと思える広い舗装路。これなら車道脇に十分駐車可能だ。そこにはクマン岳登山口標識があり、そこから数十メートル西の南側に古鷹山登山口があった。古鷹山まであと1㎞くらいだが、ややきつい登り返しがこたえてくる。そして最初のナギに出会う。尾根筋に付けられた登山道がえぐられており、階段の支柱がむき出しになって宙に浮いている。残ったところを慎重に登って通過。P6・361mの手前で咲き残りのアキノキリンソウと真っ赤な紅葉(コミネカエデ?)を見る。P6を越えた先で、紅葉の山腹に張り出した岩壁を見る。たぶん古鷹山の南斜面で、背景には海と呉港付近が見えている。紅葉と岩と海の見事な景観。古鷹山頂上直前で視界が開け、北にスタート地点の切串港とクマン岳、西に宮島・弥山、南には陀峯山らしき山を見る。離島のピークから眺める海と山と秋空のすばらしい景観。
そして古鷹山頂上に到達。岩場の一番高いところに海上自衛隊の旭日旗、その隣の木柱がクマン岳への道標。その東側、少し下に岩に刻まれた古鷹山頂上標識、岩場の東の小さな広場に二つの方位盤(*1)、案内板(*2)やベンチ。東郷元帥の「五省訓」(*3)というのもある。ザックを下ろし、ひとわたり四周を撮影。北には広島港と切串港、北東には天応烏帽子岩山が見えており、東に見える三角点峰から北東に伸びる稜線上のP9・317mから白いナギが落ちているのがくっきりと見えている。その下に白い空き地に見えたのは砂に埋まったビオトープという公園だった(*4)。だが、それらのすぐ先から集落が始まり、切串の市街地が広がっている。こんなに自然の真っただ中にいるのに、その自然の中には人と都市が根付いている。
*1:八方園の方位盤は海上自衛隊の八方園にある方位盤を模倣したもので、近傍の地点に、神戸、大分からニューヨーク、ウラジオストックなど、遠い地点も記載されている。もう一つはふつうの方位盤
*2:古鷹山の由来: その昔、一隻の小舟が荒れ狂う暴風雨のため難破寸前にせまったとき、いづこよりか一羽の大鷹が現われ、波静かな入り江に導きたる後、この山中に姿を消したので、この鷹の霊を祭るため山上の大松の下に一宇の堂を建立した。その祭神(鷹宮大明神)にちなんで古鷹山という
*3:至誠に悖(もと)るなかりしか、言行に恥づるなかりしか、気力に缺(か)くるなかりしか、努力に憾み(うらみ)なかりしか、無精に亘る(わた)るなかりしか、旧海軍、海上自衛隊の学校で教えられている
今度はナッツを食べ、ポカリを飲む。GPSルートは、ここから更に東にある三角点峰に登り、そこから切串林道に下るのだが、そのルートは地理院地図にはない。古鷹山頂上の東側は崖になっているらしく、いったん北側に降り、東にトラバースしていく。ここはこの日唯一の岩場のロープ場があり、慎重に下降。岩登りの好きな人ならきっと楽しかろう。頂上直下の大岩の下に置かれた仏像は、慰霊碑らしい。コルに下ると、切串林道への下山路分岐に「通行禁止」の表示があり、少し不安。南に下る江田島町小用への下山路もあり、こちらは通行可能らしい。登り返して林の中の三角点峰。林の中だが、立派な二等三角点に古鷹山の木柱頂上標識もあった。そこには地理院地図にない、北の切串林道に下る分岐が確かにあった。ここにも真っ赤な紅葉(ハウチワカエデ?)。見上げると頭上にも紅葉(コミネカエデ?)。下っていくと左手(西)に見えてきたのはクマン岳。次いで背後に古鷹山と頂上直下の大岩を見る。
地形図を見て設定したGPSルートからやや西に逸れ、沢筋の西側で切串林道(車道)に下る。沢筋は荒れており、大きな岩が車道脇に転がっていた。心配していた車道そのものは無事で、岩を除けたのかもしれない。ここからは楽チン道中を期待したが、すぐ先のカーブを回ったところで二つ目のナギ崩落に遭遇。車道がそっくり崩れ、ガードレールが宙に浮いている。こいつはひどい。崩れた車道の山側に微かな踏み跡があり、それを伝い、灌木を掴んで慎重に越える。この踏み跡は登山者だろうか、それとも調査のときのものだろうか。決定的なナギ崩落の先の道脇の広いスペースに東屋が立っており、案内の文字はかすれて読みにくいが、「おたか広場」と書かれているようだ。記念植樹の石柱には「散る桜、残る桜も、散る桜」という良寛の句。植樹されたのは(林道案内に記載されていた)大島桜だろうか。その先に、車道を埋めているがけ崩れが数か所。車道全体を埋めているものはなかったが、これだけでも車は通れまい。三つ目のナギは道の1/3ほどが崩れているもの。アスファルトとガードレールが浮いている。
北に方角を転ずる地点は南東に下る車道との分岐になっており、三つの仏像(神像?)には花が供えられていた。車道分岐の先で、すっかり砂に埋まった公園(*4)、その先にこの大規模林道「切串線」の案内があった。四つ目のナギ崩落は沢筋の橋がまるごと無くなっていて、ほとんど水の流れていない沢を横断。ここにも砂の上に踏み跡あり。最初に出会った家屋は水をかぶったらしく、下部が損傷していた。川沿いの畑も流されている。下流に下るにしたがい、家屋が増え、集落となり、川は深い川底を平穏に流れるようになる。土塁を積み上げている箇所もあるが、これだけ深い川底なら家屋への被害は防げただろう。人が往来し、軽トラックが走る。黄色い丸い花はイソギク?
*4:「古鷹山ビオトープ」の掲示があり、昔は田んぼだったところに人工池を作り、水生動植物や野鳥が住む場所ということらしい。ここにはベニイトトンボ、コオイムシ、カワセミが住んでいるとあったが、今はどうなっているだろう。
*5:大規模林道・切串線:S53年の山火事の後に建設が始まり、S60年に開通、沿道にはゲンカイツツジ、エニシダ、大島桜などが咲き誇る、とある
フェリー駐車場に着き、着替えてからフェリーの時間を確認すると16時50分。まだ時間があるのでカーナビを設定していると、すぐに16時40分になり、フェリーに乗ることにする。料金は乗ってからというので、やってきたフェリーに車で乗り、係員に料金を支払う。1,850円だったと思う。フェリーから行く手には夕暮れの広島市街を見る。広島湾の最奥に広島の中心街のビルが建ち、高速道路が延びる。建造中らしき巨船。右手(東)にはアンテナの立つ山(絵下山?)、背後には黒いシルエットの江田島が連嶺を連ねており、その中央に古鷹山が見えていた。その右の大きい塊はクマン岳だろう。アーベントロート(夕日)に輝く美しい光景。そして、わずか30分で広島港に到着。これなら1,850円の価値は十分にある。
呉市内の木(ミズナラ?)
古鷹山まではなんと70㎞。直線距離はその半分くらい(26㎞)だと思うが、離島なので、東から南に大きく回りこんで橋を渡っていかねばならない。しかも道路は混んでいた。広島湾沿いには造船所と思われる大型クレーンがたくさんあり、どこまでも続いている。今でもここは造船都市なのだ。第二音戸大橋を渡って倉橋島、早瀬大橋のループを渡って江田島。案内表示のあった陀峯山(だぼうざん)というのは、江田島の南にある438m峰で、頂上まで車道があるが、今はどうだろう。
初めて見えた古鷹山
県道44を北上し、内海港に来ると、海を隔てて初めて古鷹山が見えた。一目でこれが古鷹山だと分かった。道脇に停車してしばらく眺める。それは左右に尾根を連ね、たくさん並んだ尾根のピークの中央に位置する美しい姿の鋭鋒。同時に、この形だと傾斜のきついところ、岩場もあるだろうと直感し、ヘルメットを持っていこうと決める。
切串フェリー港
江田島北端の切串地区に設定したGPS起点に行くと、そこには大きなフェリー駐車場がある。なるほど、ここに駐車すればいい訳だ、と思うのと同時に、70㎞を2時間弱かけて車を走らせてくるより、フェリーで渡った方がよっぽどいいな、ということ。大きな駐車場は半分以上埋まっていて、フェリー乗車を待つ車も数台並んでいた。
切串市街の道
ヘルメットをかぶって最初は市街地の中の道。ちょっと場違い。市街地を抜け、舗装路終点にクマン岳登山口。十分に駐車スペースはある。ここにもクマの檻。
みかんの木
クマン岳登山口の駐車スペース
クマン岳への山道は白木山と比べて荒れていて、やや苦戦。疲れもある。樹間に古鷹山のトライアングルが見え、時々写真撮影休憩を入れ、稜線に到達して本日最初の休憩。もう温くなったホットレモンを飲み、パンを食べる。稜線の道はやや楽。だが、ところどころに岩場が出てくる。北に見えたのは似島とクマン岳の北尾根上の277m峰のようだ。右(東)には金輪島。左(西)には大原山345m、その奥には宮島・弥山も見えていた。
古鷹山
天応烏帽子岩山(右背後は灰ヶ峰)
稜線
P1・320m手前から西と北の景観: 大原山、宮島・弥山、似島・安芸小富士、峠島、広島港、北尾根277m峰、金輪島
牡蠣の養殖場
宮島と弥山(右の峰)
切串フェリー港
クマン岳手前で三つのピークを越えていくが、P1・320mを越えると行く手にクマン岳とP2・350mを見る。そのP2からは西に大原山345m、南に見えていたのは野登呂山と大黒神島の櫛ノ宇根ではなかろうか。背後には切串港とフェリーが見えている。もうあんなに遠い。
クマン岳頂上
P3は自覚せずに通過。ようやくクマン岳頂上に到達。クマンの鐘というのがあったので、とりあえず鳴らしてみる。登頂記念スタンプの箱の中で寝ていたウサちゃんを立たせてみる。「クマン岳の由来」という案内によると、昔からこの地区へは船による侵入が絶えず、切串の住民が自営のために木々などを使ってこの山を大きなクマに似せたらしい。
クマン岳頂上のクマンの鐘
クマン岳記念スタンプのウサちゃん
三角点峰と古鷹山
クマン岳頂上からは古鷹山が見えていた。古鷹山は、二つ並んだピークの右が本峰、左が三角点峰。本峰は内海港から見た美しいトライアングルの形をしており、その北斜面に岩尾根が小さく見えている。クマン岳頂上の少し南にある大きな岩の上に登ると、東の海を隔てた対岸に天応烏帽子岩山、その手前に古鷹山の北東に続く稜線が見え、その稜線の下を通っている切串林道も見えていた。古鷹山からはあの林道に下って下山するのだが、北東稜線上のピーク(P9・317m峰)から大きなナギが落ちているのが見えた。その下では林道が土砂崩れになっているかもしれないな、と思う。(心配は当たっていた。)
クマン岳頂上付近の展望岩
クマン岳頂上付近から東の景観: 天応烏帽子岩山、P9・317m峰、灰ヶ峰、ナギ、林道、休山、呉港、三角点峰、古鷹山、P6
秋のツツジ
帆立岩
クマン岳から南は格段に道が良くなるが、これでもかというほど下っていく。登山道脇にこの山で唯一見た、秋のツツジ。きれいなピンク色。そして少しで登り返し、帆立岩への分岐。数十メートル歩くと、遠くからでも目立ちそうな、縦長の岩が立っていた。そこからは眼下に海、帆立岩の背後に江田島湾の全景が見えていた。これまた絵になる構図。そこから行く手の東に見えているのはずんぐりしたP6・361mで、古鷹山はその蔭で見えていない。
切串林道
歩きやすい均された道を下っていくと、海上自衛隊幹部候補生学校のサビた表示。そして、ひょっこり切串林道に出る。なんだ、ここから登れば簡単だったなと思える広い舗装路。これなら車道脇に十分駐車可能だ。そこにはクマン岳登山口標識があり、そこから数十メートル西の南側に古鷹山登山口があった。古鷹山まであと1㎞くらいだが、ややきつい登り返しがこたえてくる。
咲き残りのアキノキリンソウ
そして最初のナギに出会う。尾根筋に付けられた登山道がえぐられており、階段の支柱がむき出しになって宙に浮いている。残ったところを慎重に登って通過。P6・361mの手前で咲き残りのアキノキリンソウと真っ赤なモミジを見る。
真っ赤な紅葉(コミネカエデ?)
古鷹山・南斜面の岸壁
P6を越えた先で、紅葉の山腹に張り出した岩壁を見る。たぶん古鷹山の南斜面で、背景には海と呉港付近が見えている。紅葉と岩と海の見事な景観。古鷹山頂上直前で視界が開け、北にスタート地点の切串港とクマン岳、西に宮島・弥山、南には陀峯山らしき山を見る。離島のピークから眺める海と山と秋空のすばらしい景観。
古鷹山から北の景観: 宮島・弥山、クマン岳、峠島、広島港、切串港、金輪島、
古鷹山から南と西の景観: 陀峯山、櫛ノ宇根、野登呂山、宮島・弥山、
古鷹山頂上の日章旗
そして古鷹山頂上に到達。岩場の一番高いところに海上自衛隊の旭日旗、その隣の木柱がクマン岳への道標。その東側、少し下に岩に刻まれた古鷹山頂上標識、岩場の東の小さな広場に二つの方位盤(*1)、案内板(*2)やベンチ。
*1:八方園の方位盤は海上自衛隊の八方園にある方位盤を模倣したもので、近傍の地点に、神戸、大分からニューヨーク、ウラジオストックなど、遠い地点も記載されている。もう一つはふつうの方位盤
古鷹山頂上
*2:古鷹山の由来: その昔、一隻の小舟が荒れ狂う暴風雨のため難破寸前にせまったとき、いづこよりか一羽の大鷹が現われ、波静かな入り江に導きたる後、この山中に姿を消したので、この鷹の霊を祭るため山上の大松の下に一宇の堂を建立した。その祭神(鷹宮大明神)にちなんで古鷹山という
八方園の方位盤
東郷元帥の「五省訓」(*3)というのもある。ザックを下ろし、ひとわたり四周を撮影。北には広島港と切串港、北東には天応烏帽子岩山が見えており、東に見える三角点峰から北東に伸びる稜線上のP9・317mから白いナギが落ちているのがくっきりと見えている。
*3:至誠に悖(もと)るなかりしか、言行に恥づるなかりしか、気力に缺(か)くるなかりしか、努力に憾み(うらみ)なかりしか、無精に亘る(わた)るなかりしか、旧海軍、海上自衛隊の学校で教えられている
普通の方位盤
その下に白い空き地に見えたのは砂に埋まったビオトープという公園だった(*4)。だが、それらのすぐ先から集落が始まり、切串の市街地が広がっている。こんなに自然の真っただ中にいるのに、その自然の中には人と都市が根付いている。
*4:「古鷹山ビオトープ」の掲示があり、昔は田んぼだったところに人工池を作り、水生動植物や野鳥が住む場所ということらしい。ここにはベニイトトンボ、コオイムシ、カワセミが住んでいるとあったが、今はどうなっているだろう。
五省訓
古鷹山の岩に刻まれた頂上標識
古鷹山から北と東の景観: 広島港、切串港、P9・317m、ナギ、天応烏帽子岩山、三角点峰
P9・317mとナギ
頂上直下の鎖場
今度はナッツを食べ、ポカリを飲む。GPSルートは、ここから更に東にある三角点峰に登り、そこから切串林道に下るのだが、そのルートは地理院地図にはない。古鷹山頂上の東側は崖になっているらしく、いったん北側に降り、東にトラバースしていく。ここはこの日唯一の岩場のロープ場があり、慎重に下降。岩登りの好きな人ならきっと楽しかろう。頂上直下の大岩の下に置かれた仏像は、慰霊碑らしい。
三角点峰頂上
コルに下ると、切串林道への下山路分岐に「通行禁止」の表示があり、少し不安。南に下る江田島町小用への下山路もあり、こちらは通行可能らしい。登り返して林の中の三角点峰。林の中だが、立派な二等三角点に古鷹山の木柱頂上標識もあった。そこには地理院地図にない、北の切串林道に下る分岐が確かにあった。ここにも真っ赤なモミジ。見上げると頭上にもモミジ。下っていくと左手(西)に見えてきたのはクマン岳。次いで背後に古鷹山と頂上直下の大岩を見る。
真っ赤な紅葉(ハウチワカエデ?)
頭上の紅葉(コミネカエデ?)
クマン岳
下山路
切串林道登山口と荒れた沢
地形図を見て設定したGPSルートからやや西に逸れ、沢筋の西側で切串林道(車道)に下る。沢筋は荒れており、大きな岩が車道脇に転がっていた。心配していた車道そのものは無事で、岩を除けたのかもしれない。
二つ目のナギ崩落
ここからは楽チン道中を期待したが、すぐ先のカーブを回ったところで二つ目のナギ崩落に遭遇。車道がそっくり崩れ、ガードレールが宙に浮いている。こいつはひどい。崩れた車道の山側に微かな踏み跡があり、それを伝い、灌木を掴んで慎重に越える。この踏み跡は登山者だろうか、それとも調査のときのものだろうか。決定的なナギ崩落の先の道脇の広いスペースに東屋が立っており、案内の文字はかすれて読みにくいが、「おたか広場」と書かれているようだ。
散る桜 残る桜も 散る桜
記念植樹の石柱には「散る桜、残る桜も、散る桜」という良寛の句。植樹されたのは(林道案内に記載されていた)大島桜だろうか。その先に、車道を埋めているがけ崩れが数か所。車道全体を埋めているものはなかったが、これだけでも車は通れまい。三つ目のナギは道の1/3ほどが崩れているもの。アスファルトとガードレールが浮いている。
切串林道の石標
土砂崩れ
林道分岐の三人の仏像(神像?)
北に方角を転ずる地点は南東に下る車道との分岐になっており、三つの仏像(神像?)には花が供えられていた。車道分岐の先で、すっかり砂に埋まった公園(*4)、その先にこの大規模林道「切串線」の案内(*5)があった。
古鷹山ビオトープの案内
*4:「古鷹山ビオトープ」の掲示があり、昔は田んぼだったところに人工池を作り、水生動植物や野鳥が住む場所ということらしい。ここにはベニイトトンボ、コオイムシ、カワセミが住んでいるとあったが、今はどうなっているだろう。
*5:大規模林道・切串線:S53年の山火事の後に建設が始まり、S60年に開通、沿道にはゲンカイツツジ、エニシダ、大島桜などが咲き誇る、とある
四つ目のナギ崩落
四つ目のナギ崩落は沢筋の橋がまるごと無くなっていて、ほとんど水の流れていない沢を横断。ここにも砂の上に踏み跡あり。最初に出会った家屋は水をかぶったらしく、下部が損傷していた。川沿いの畑も流されている。下流に下るにしたがい、家屋が増え、集落となり、川は深い川底を平穏に流れるようになる。土塁を積み上げている箇所もあるが、これだけ深い川底なら家屋への被害は防げただろう。人が往来し、軽トラックが走る。黄色い丸い花はポンポン菊?
イソギク
荒れた小屋
川沿いの市街地
古鷹山を振り返る
切串港の石標
フェリー乗船
フェリー駐車場に着き、着替えてからフェリーの時間を確認すると16時50分。まだ時間があるのでカーナビを設定していると、すぐに16時40分になり、フェリーに乗ることにする。料金は乗ってからというので、やってきたフェリーに車で乗り、係員に料金を支払う。1,850円だったと思う。
江田島と古鷹山のシルエット
フェリーから行く手には夕暮れの広島市街を見る。広島湾の最奥に広島の中心街のビルが建ち、高速道路が延びる。建造中らしき巨船。右手(東)にはアンテナの立つ山(絵下山?)、背後には黒いシルエットの江田島が連嶺を連ねており、その中央に古鷹山が見えていた。その右の大きい塊はクマン岳だろう。アーベントロート(夕日)に輝く美しい光景。そして、わずか30分で広島港に到着。これなら1,850円の価値は十分にある。
建造中の巨大な船