谷地山 仏像が並ぶ山

青森県  181m  2018年11月18日

青森110山

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久栗坂を下っていくと、敬仁会病院の上に目指す谷地山が見えてきた。標高181m、ほんのひと登りの山だが、そこは仏像が並ぶ山だった。跨線橋の上で停止して写真を撮る。西を見ると港を出て函館に向かう津軽海峡フェリー。

歩道を行くと浅虫と湯ノ島が見えてくる。青い海に浮かぶこんもりした緑の湯ノ島は浅虫のシンボル。麓の海岸に赤い鳥居が建っている。

浅虫西の交差点で車道を渡り、500m西に戻ると、果たしてそこに陸奥護国寺の入口があった。谷地山の案内はないが、ここが登山道の一つのはず。

そこにはたくさんの仏像が並んでいた(*2)。四国お遍路八十八か所の仏像を模したもので、地蔵菩薩、千手観世音、寝釈迦、虚空蔵菩薩、十一面観世音、薬師如来、文殊菩薩、不動明王、大日如来、馬頭観世音、聖観世音、阿弥陀如来などが山道にずらりと並ぶ。

つづら折りをしばらく登り、長細い谷地山頂上に着く。手前(東側)に小さな頂上標識がぽつんとあり、北側に古びたベンチがいくつか並び、浅虫の海と海岸の景色が見えていた。海をはさんで湯ノ島が浮かび、海岸にはホテルが並ぶ風景はなかなか見事。

頂上の奥に仏像が六つ並んでおり、五番目の仏像の奥に方位盤、六番目の仏像の奥に三等三角点があった。ベンチに戻ろうとすると、赤い花が咲いているのに気づく。エゾギク?(アスター?ガーベラ?)。

帰り道、病院手前の脇道の急坂を登り、赤い鳥居に向かう。思った通り、鳥居の手前に案内板があり、鳥居の右上に散策路入口があった。赤い鳥居をくぐると、その先には稲荷神社。青い頭巾をかぶり、巻物をくわえた狐の狛犬に、子連れ狐の狛犬。

初めて登った青森の山は北八甲田・赤倉岳で2002年だから、青森110山を登るのに17年かかったことになる。日本百名山は同じく2002年の八幡平から2009年赤城山の8年だから、ずいぶん差がある。日本百名山は、標高が高く、険しくとも、ルートガイドが豊富でプランが立てやすく、登山者も多い。これに対し青森110山は、人里に近く、標高は低いが登山道がない山も多く、苦労が多かった。一番苦労したのは白神の摩須賀岳、雁森岳だと思うが、その分、感動も大きかった。相変わらず毎年登っているのは八甲田。近いこともあるが、無限の魅力のある山だと思う。

 久栗坂を下っていくと、敬仁会病院の上に目指す谷地山が見えてきた。標高181m、ほんのひと登りの山だが、そこは仏像が並ぶ山だった。
 青い海に浮かぶこんもりした緑の湯ノ島は浅虫のシンボル。麓の海岸に赤い鳥居が建っている。
黄葉(ウリハダカエデ?)
 そこにはたくさんの仏像が並んでいた(*2)。四国お遍路八十八か所の仏像を模したもので、これは地蔵菩薩
 頂上の奥に赤い花が咲いているのに気づく。シュウメイギク?(エゾギク?アスター?ガーベラ?)
風車
  7:12 青森市内発、MTB(標高5m)  8:11 陸奥護国寺入口  8:18 陸奥護国寺裏、MTBデポ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・青森市内から  8:31 北分岐  8:45 谷地山・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・陸奥護国寺裏から27分                           ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・青森市内から1時間33分  9:02 谷地山発  9:13 西分岐  9:35 陸奥護国寺裏、MTB乗車・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・谷地山から29分                                                               ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・陸奥護国寺裏から周回1時間13分  9:35 国道10:23 青森市内・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・谷地山から1時間21分                                         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・青森市内から往復3時間11分
(青森市内から陸奥護国寺裏、MTB)往路12.0㎞、標高差223m、速度10.9㎞/h、203m/h(陸奥護国寺裏から谷地山往復)   往復3.0㎞、標高差215m、速度2.3㎞(陸奥護国寺裏から青森市内、MTB)帰路9.7㎞、149m、速度12.1㎞/h、186m/h

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青森110山の最後の山にMTBで向かう。土曜に行っても良かったが、天気図を見ると日曜のほうが天気がよさそうだったので一日待った。だが、日曜の朝は曇空で、いまにも降りそう。レインウェアを着て前週とは逆に西に向かう。跨線橋の上から見る冠雪の八甲田は雲をかぶっているが、東岳は見えている。右(南)側の歩道を走るが、R7バイパス入口交差点の地下道から上がると左(北)側の歩道に出てしまう。この地下道にくるといつも方向感覚の無さを思い知らされる。途中で右(南)側の歩道に移り、久栗坂トンネルの南側の広い歩道を走る。久栗坂トンネルの北側の歩道は狭くて走りにくい。久栗坂を下っていくと、敬仁会病院の上に目指す谷地山が見えてきた。標高181m、ほんのひと登りの山だが、そこは仏像が並ぶ山だった。跨線橋の上で停止して写真を撮る。西を見ると港を出て函館に向かう津軽海峡フェリー。病院の左(西)の坂の上に赤い鳥居が見えており、それも登山口の一つだと思うが、そこには帰りによることにして浅虫に向かう。短い善知鳥(うとう)トンネルはさっきとは逆に左(西)側にしか歩道がない。車の流れの切れ目を待って車道を横断し、善知鳥トンネルを抜ける。トンネル手前に善知鳥崎の案内(*1)。

(*1)有多宇末井之梯(うとうまいのかけはし)(善知鳥崎):津軽と南部の境。親不知・子不知と並ぶ二大険路といわれた。明治9年、明治天皇の巡幸のときトンネルが開通した。

左(西)側の歩道を行くと浅虫と湯ノ島が見えてくる。青い海に浮かぶこんもりした緑の湯ノ島は浅虫のシンボル。麓の海岸に赤い鳥居が建っている。遠景には霞がかかって津軽半島の山は見えていない。右手に谷地山登山口があると思われる家屋が見えるが、そこには横断歩道はない。500mほど先の信号のある浅虫西の交差点で歩行者横断用ボタンを押して車道を渡り、500m西に戻ると、果たしてそこに陸奥護国寺の入口があった。谷地山の案内はないが、ここが登山道の一つのはず。「八幡宮、青森病院、陸奥護国寺の3箇所から登れる。どこから歩いても石仏に導かれ、山頂に達する」というのは東奥日報、青森110山の記載。そこにMTBを置いて長い階段を登っても良かったが、GPSルートはつづら折りを登っている。階段の上を見ると、山腹に車道があるようなので、右(西)に進んで住家の間を通り、MTBで車道を進む。道は急で、前2段後1段でもきつく、降りて歩く(前3段にしようとしたのだが、切り替えそこなう)。掃除しているオバサンに挨拶し、さっきの階段の上に着き、更に進んで最初の仏像と不動明王の前を過ぎ、陸奥護国寺らしきところに着く。だが、住居を兼ねているらしいので入りづらい。車庫から出ようとしている軽自動車の後を通り、建物の裏に進むと、そこから砂利道が山に向かって続き、仏像が並んでいる。たぶんこれが登山道入口だろう。建物奥にMTBを置いて歩く。

そこにはたくさんの仏像が並んでいた(*2)。仏像を設置したのは堤隆興尼。その人と思われる石像があり、最初の白い石板が羽を広げたような石碑はその人のお墓なのだろうか。そして修行僧の姿の像は空海なのだろう。正面(南)に進む。「阿波の国、発心の道場、徳島県」という標識の先に並ぶ仏像は四国お遍路八十八か所の仏像を模したもので、地蔵菩薩、千手観世音、寝釈迦、虚空蔵菩薩、十一面観世音、薬師如来、文殊菩薩、不動明王、大日如来、馬頭観世音、聖観世音、阿弥陀如来などが山道にずらりと並ぶ。正面の道はいったん頂上から離れて東に進み、つづら折りに右折する地点で北から来る道と合流し、谷地山に向かう。「谷地山山頂0.91㎞」の表示。逆方向に「高野山0.54㎞」というのは陸奥護国寺を指しているのだろう。「蝦夷館跡」という標識は何だろう(*3)。落ち葉が厚く積もった道を10mも進むと次の仏像が現われ、周囲は葉の落ちた木々。つづら折りをしばらく登り、長細い谷地山頂上に着く。手前(東側)に小さな頂上標識がぽつんとあり、奥(西側)に仏像がいくつか並んでいるが、北側に古びたベンチがいくつか並び、浅虫の海と海岸の景色が見えていた。それまで木々越しにしか見えなかった景色を、ここでやっと開けた空間の先に見ることができる。曇り空なのがちょっと残念だが、海をはさんで湯ノ島が浮かび、海岸にはホテルが並ぶ風景はなかなか見事。

(*2)堤隆興尼と石仏: 伝説が多く残っている里山は36(昭和11)年に大きく変わった。堤隆興尼が、ふもとに陸奥護国寺を開山したからだ。開山のいきさつを三世住職堤尚義さん(58)は次のように語る。「隆興尼は久栗坂生まれで、夫は北海道でニシン漁を大規模に営んでいた。お金を蓄えたので、隆興尼はニシンの供養のため寺を開いた、と聞いている」和歌山県の高野山遍照尊院の分院として開き、四国八十八カ所を摸して、寺から山頂への周回道に88基の石仏を設置した。八十八カ所を模したのは「四国は遠いから、その代わりにお参りできるように」という隆興尼の発想だった。石仏には番号と寺名が刻まれている。これは八十八カ所巡りの順番と同じ寺名だ。そして、その寺の本尊が石仏で表現されている。(東奥日報、青森110山)

(*3)蝦夷館跡: 「坂上田村麻呂が蝦夷征伐をしたとき、谷地山で苦戦。そこで谷地山にねぶたを置いて蝦夷をおびき出し征伐した(東奥日報、青森110山)」という話と何か関係あるのだろうか?

三角点が見当たらないので一番高そうな頂上の奥の仏像のところに行くと、「土佐の国、修行の道場、高知県」の標識の先に仏像が六つ並んでおり、五番目の仏像の奥に方位盤、六番目の仏像の奥に三等三角点があった。方位盤は水と落ち葉で見えなかったが、北側以外は木々に遮られて景色は見えない。国道を走る車の音は聞こえるが、車道は見えない。ベンチに戻ろうとすると、赤い花が咲いているのに気づく。キクだろうか。ベンチにザックを下ろして腰を下ろし、ホットレモンを飲む。まだ沸かしてから2時間くらいだったから熱くて飲めないかなと思ったが、そうでもなかった。この日はコールマンの小さなザック。眼下に見える国道は正面で緩くカーブしており、東から来るときに車から谷地山頂上が見えるのだろう。もう一箇所、北西方向にも国道が一部見えるところがあり、そこから見上げれば谷地山頂上が見えるはず。西側から下って陸奥護国寺に戻れるのかちょっと心配。病院側に降りてしまうかもしれない。しかも、この下りの最中に小雨が降り出す。こんなことなら前日に登っておけばよかったと思いながら、仏像を一つづつ写しながら下る。薬師如来が多い感じだが、四国八十八仏と同じはず。つづら折りが北に向かうと安心し、南に方向を変えると不安になったが、やがて西分岐に出て、北の道に入る。そこで南に向かえば病院方面なのだろう。道標はなく、分岐は四差路だったが、北に下る道は一つだけだった。真っ赤な紅葉。

西分岐からはほぼ山腹をトラバースしてゆき、途中で頂上で見たのと同じ浅虫の景色を見る。このときは天気は回復し、少し青空が広がって大倉岳が見えていた。トラバース路はやがて下りになり、陸奥護国寺の裏の薬師如来のところに出た。ここが八十八番、ちょうど周回して陸奥護国寺に戻ったことになる。仏像の前に供えられた色とりどりの風車。MTBに戻り、坂道を下る。陸奥護国寺の本堂には寄らず。国道まで下り、500m浅虫側に戻るのも面倒なので、車の流れの切れ目に車道の西側に渡る。その箇所は人家があるためか、中央分離帯がない。広い歩道に乗って青森方面に向かうと、ツーリングの男性が一人。病院手前の久栗坂交差点で車道の東側に渡り直し、病院手前の脇道の急坂を前3段、後1段で登り(今度は切替成功)、赤い鳥居に向かう。思った通り、鳥居の手前に案内板があり、鳥居の右上に散策路入口があった。とりあえず赤い鳥居をくぐると、その先には稲荷神社。青い頭巾をかぶり、巻物をくわえた狐の狛犬に、子連れ狐の狛犬。彫り師のアイデアだろうか。MTBを置いて散策路を少し登ってみる。「自然遊歩道ルート案内図」に記されているのは、まさにさきほどの西分岐につながる道で、谷地山頂上から西に下り、北分岐から八幡宮に至っていた。足元にはアカツメクサ。散策路を少し登って引返し、MTBに戻って帰路につく。

今度は病院のところから久栗坂トンネルまでが緩い登り。なかなかトンネル手前のシーフード店が見えてこない。車で走っていると結構な登り坂に感ずるが、MTBだとそれほど急とは感じられない。だが、足が重い。途中まで3段、苦しくなって2段に落とし、最後は1段で登り切り、トンネルに入る直前に二人目の自転車に会う。トンネルの中では歩いている人を一人追い抜く。平坦なところは3段か4段。今度はバイパス入口交差点の地下道を正しくくぐって左側の歩道に出て、跨線橋の上で停止して冠雪の八甲田をもう一度見る。

初めて登った青森の山は北八甲田・赤倉岳で2002年だから、青森110山を登るのに17年かかったことになる。日本百名山は同じく2002年の八幡平から2009年赤城山の8年だから、ずいぶん差がある。日本百名山は、標高が高く、険しくとも、ルートガイドが豊富でプランが立てやすく、登山者も多い。これに対し青森110山は、人里に近く、標高は低いが登山道がない山も多く、苦労が多かった。一番苦労したのは白神の摩須賀岳、雁森岳だと思うが、その分、感動も大きかった。相変わらず毎年登っているのは八甲田。近いこともあるが、無限の魅力のある山だと思う。

MTBとコールマン・ザック

青森110山の最後の山にMTBで向かう。土曜に行っても良かったが、天気図を見ると日曜のほうが天気がよさそうだったので一日待った。だが、日曜の朝は曇空で、いまにも降りそう。レインウェアを着て前週とは逆に西に向かう。跨線橋の上から見る冠雪の八甲田は雲をかぶっているが、東岳は見えている。右(南)側の歩道を走るが、R7バイパス入口交差点の地下道から上がると左(北)側の歩道に出てしまう。この地下道にくるといつも方向感覚の無さを思い知らされる。途中で右(南)側の歩道に移り、久栗坂トンネルの南側の広い歩道を走る。

鉄道と八甲田と曇り空

冠雪の八甲田

谷地山

久栗坂トンネルの北側の歩道は狭くて走りにくい。久栗坂を下っていくと、敬仁会病院の上に目指す谷地山が見えてきた。標高181m、ほんのひと登りの山だが、そこは仏像が並ぶ山だった。跨線橋の上で停止して写真を撮る。西を見ると港を出て函館に向かう津軽海峡フェリー。病院の左(西)の坂の上に赤い鳥居が見えており、それも登山口の一つだと思うが、そこには帰りによることにして浅虫に向かう。

津軽海峡フェリー

鉄道トンネルの上の谷地山

善知鳥(うとう)トンネル

短い善知鳥(うとう)トンネルはさっきとは逆に左(西)側にしか歩道がない。車の流れの切れ目を待って車道を横断し、善知鳥トンネルを抜ける。トンネル手前に善知鳥崎の案内(*1)。

(*1)有多宇末井之梯(うとうまいのかけはし)(善知鳥崎):津軽と南部の境。親不知・子不知と並ぶ二大険路といわれた。明治9年、明治天皇の巡幸のときトンネルが開通した。

善知鳥崎の案内

湯ノ島

左(西)側の歩道を行くと浅虫と湯ノ島が見えてくる。青い海に浮かぶこんもりした緑の湯ノ島は浅虫のシンボル。麓の海岸に赤い鳥居が建っている。遠景には霞がかかって津軽半島の山は見えていない。右手に谷地山登山口があると思われる家屋が見えるが、そこには横断歩道はない。500mほど先の信号のある浅虫西の交差点で歩行者横断用ボタンを押して車道を渡り、500m西に戻ると、果たしてそこに陸奥護国寺の入口があった。谷地山の案内はないが、ここが登山道の一つのはず。「八幡宮、青森病院、陸奥護国寺の3箇所から登れる。どこから歩いても石仏に導かれ、山頂に達する」というのは東奥日報、青森110山の記載。そこにMTBを置いて長い階段を登っても良かったが、GPSルートはつづら折りを登っている。階段の上を見ると、山腹に車道があるようなので、右(西)に進んで住家の間を通り、MTBで車道を進む。道は急で、前2段後1段でもきつく、降りて歩く(前3段にしようとしたのだが、切り替えそこなう)。掃除しているオバサンに挨拶し、さっきの階段の上に着き、更に進んで最初の仏像と不動明王の前を過ぎ、陸奥護国寺らしきところに着く。だが、住居を兼ねているらしいので入りづらい。車庫から出ようとしている軽自動車の後を通り、建物の裏に進むと、そこから砂利道が山に向かって続き、仏像が並んでいる。たぶんこれが登山道入口だろう。建物奥にMTBを置いて歩く。

浅虫西の交差点

陸奥護国寺の門

階段の上から見下ろす

最初の仏像

不動明王

陸奥護国寺裏

墓?

落葉樹と秋空

そこにはたくさんの仏像が並んでいた(*2)。仏像を設置したのは堤隆興尼。その人と思われる石像があり、最初の白い石板が羽を広げたような石碑はその人のお墓なのだろうか。そして修行僧の姿の像は空海なのだろう。正面(南)に進む。「阿波の国、発心の道場、徳島県」という標識の先に並ぶ仏像は四国お遍路八十八か所の仏像を模したもので、地蔵菩薩、千手観世音、寝釈迦、虚空蔵菩薩、十一面観世音、薬師如来、文殊菩薩、不動明王、大日如来、馬頭観世音、聖観世音、阿弥陀如来などが山道にずらりと並ぶ。

(*2)堤隆興尼と石仏: 伝説が多く残っている里山は36(昭和11)年に大きく変わった。堤隆興尼が、ふもとに陸奥護国寺を開山したからだ。開山のいきさつを三世住職堤尚義さん(58)は次のように語る。「隆興尼は久栗坂生まれで、夫は北海道でニシン漁を大規模に営んでいた。お金を蓄えたので、隆興尼はニシンの供養のため寺を開いた、と聞いている」和歌山県の高野山遍照尊院の分院として開き、四国八十八カ所を摸して、寺から山頂への周回道に88基の石仏を設置した。八十八カ所を模したのは「四国は遠いから、その代わりにお参りできるように」という隆興尼の発想だった。石仏には番号と寺名が刻まれている。これは八十八カ所巡りの順番と同じ寺名だ。そして、その寺の本尊が石仏で表現されている。(東奥日報、青森110山)

堤隆興尼像?

空海像?

阿波の国の木標

黄葉(ウリハダカエデ)

五番・地蔵菩薩

正面の道はいったん頂上から離れて東に進み、つづら折りに右折する地点で北から来る道と合流し、谷地山に向かう。「谷地山山頂0.91㎞」の表示。逆方向に「高野山0.54㎞」というのは陸奥護国寺を指しているのだろう。「蝦夷館跡」という標識は何だろう(*3)。落ち葉が厚く積もった道を10mも進むと次の仏像が現われ、周囲は葉の落ちた木々。

(*3)蝦夷館跡: 「坂上田村麻呂が蝦夷征伐をしたとき、谷地山で苦戦。そこで谷地山にねぶたを置いて蝦夷をおびき出し征伐した(東奥日報、青森110山)」という話と何か関係あるのだろうか?

谷地山への道標(北分岐)

蝦夷館跡の標識

寝釈迦

黄葉(ブナ?コナラ?ダンコウバイ?)

十番・千手観世音

十二番・虚空蔵菩薩

谷地山頂上

つづら折りをしばらく登り、長細い谷地山頂上に着く。手前(東側)に小さな頂上標識がぽつんとあり、奥(西側)に仏像がいくつか並んでいるが、北側に古びたベンチがいくつか並び、浅虫の海と海岸の景色が見えていた。それまで木々越しにしか見えなかった景色を、ここでやっと開けた空間の先に見ることができる。曇り空なのがちょっと残念だが、海をはさんで湯ノ島が浮かび、海岸にはホテルが並ぶ風景はなかなか見事。

谷地山頂上標識

頂上からの景観

鴎島(ごめ)

土佐の国の木標

三角点が見当たらないので一番高そうな頂上の奥の仏像のところに行くと、「土佐の国、修行の道場、高知県」の標識の先に仏像が六つ並んでおり、五番目の仏像の奥に方位盤、六番目の仏像の奥に三等三角点があった。方位盤は水と落ち葉で見えなかったが、北側以外は木々に遮られて景色は見えない。国道を走る車の音は聞こえるが、車道は見えない。ベンチに戻ろうとすると、赤い花が咲いているのに気づく。キクだろうか。ベンチにザックを下ろして腰を下ろし、ホットレモンを飲む。まだ沸かしてから2時間くらいだったから熱くて飲めないかなと思ったが、そうでもなかった。この日はコールマンの小さなザック。眼下に見える国道は正面で緩くカーブしており、東から来るときに車から谷地山頂上が見えるのだろう。もう一箇所、北西方向にも国道が一部見えるところがあり、そこから見上げれば谷地山頂上が見えるはず。西側から下って陸奥護国寺に戻れるのかちょっと心配。病院側に降りてしまうかもしれない。しかも、この下りの最中に小雨が降り出す。こんなことなら前日に登っておけばよかったと思いながら、仏像を一つづつ写しながら下る。薬師如来が多い感じだが、四国八十八仏と同じはず。つづら折りが北に向かうと安心し、南に方向を変えると不安になったが、やがて西分岐に出て、北の道に入る。そこで南に向かえば病院方面なのだろう。道標はなく、分岐は四差路だったが、北に下る道は一つだけだった。真っ赤な紅葉。

三角点

谷地山頂上の西側

エゾギク?(アスター?ガーベラ?)

文殊菩薩

不動明王

伊予の国の木標

大日如来

馬頭観世音

西分岐からはほぼ山腹をトラバースしてゆき、途中で頂上で見たのと同じ浅虫の景色を見る。このときは天気は回復し、少し青空が広がって大倉岳が見えていた。トラバース路はやがて下りになり、陸奥護国寺の裏の薬師如来のところに出た。ここが八十八番、ちょうど周回して陸奥護国寺に戻ったことになる。仏像の前に供えられた色とりどりの風車。MTBに戻り、坂道を下る。陸奥護国寺の本堂には寄らず。国道まで下り、500m浅虫側に戻るのも面倒なので、車の流れの切れ目に車道の西側に渡る。その箇所は人家があるためか、中央分離帯がない。広い歩道に乗って青森方面に向かうと、ツーリングの男性が一人。

谷地山・中腹からの景観: 湯ノ島、鴎島、茂浦島、浪打山、屋敷山

湯ノ島

大倉岳

紅葉(ハウチワカエデ)

十一面観世音

八十八番・薬師如来

周回路の終点と薬師如来

風車

稲荷神社

病院手前の久栗坂交差点で車道の東側に渡り直し、病院手前の脇道の急坂を前3段、後1段で登り(今度は切替成功)、赤い鳥居に向かう。思った通り、鳥居の手前に案内板があり、鳥居の右上に散策路入口があった。とりあえず赤い鳥居をくぐると、その先には稲荷神社。青い頭巾をかぶり、巻物をくわえた狐の狛犬に、子連れ狐の狛犬。彫り師のアイデアだろうか。MTBを置いて散策路を少し登ってみる。「自然遊歩道ルート案内図」に記されているのは、まさにさきほどの西分岐につながる道で、谷地山頂上から西に下り、北分岐から八幡宮に至っていた。足元にはアカツメクサ。散策路を少し登って引返し、MTBに戻って帰路につく。

青頭巾をかぶり巻物をくわえた狐の狛犬

子連れ狐の狛犬

自然遊歩道ルート案内図

今度は病院のところから久栗坂トンネルまでが緩い登り。なかなかトンネル手前のシーフード店が見えてこない。車で走っていると結構な登り坂に感ずるが、MTBだとそれほど急とは感じられない。だが、足が重い。途中まで3段、苦しくなって2段に落とし、最後は1段で登り切り、トンネルに入る直前に二人目の自転車に会う。トンネルの中では歩いている人を一人追い抜く。平坦なところは3段か4段。今度はバイパス入口交差点の地下道を正しくくぐって左側の歩道に出て、跨線橋の上で停止して冠雪の八甲田をもう一度見る。

アカツメクサ

初めて登った青森の山は北八甲田・赤倉岳で2002年だから、青森110山を登るのに17年かかったことになる。日本百名山は同じく2002年の八幡平から2009年赤城山の8年だから、ずいぶん差がある。日本百名山は、標高が高く、険しくとも、ルートガイドが豊富でプランが立てやすく、登山者も多い。これに対し青森110山は、人里に近く、標高は低いが登山道がない山も多く、苦労が多かった。一番苦労したのは白神の摩須賀岳、雁森岳だと思うが、その分、感動も大きかった。相変わらず毎年登っているのは八甲田。近いこともあるが、無限の魅力のある山だと思う。

問合せ・コメント等、メール宛先: kawabe.goro@meizan-hitoritabi.com