宮島・弥山 様々な国の人々の集う神の山
広島県 弥山(最高点535m、三角点530m)、駒ヶ林509m 2018年11月24日
(弥山)中国百名山
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フェリーからは行く手の宮島の弥山が隣の駒ヶ林と並んで見えていた。ここから見る宮島は、海岸沿いに市街の建物が並び、その背後にいくつものピークを連ねた山稜がにょっきり聳えている構図。あれを登るのは楽ではなさそう。
やがてフェリーは厳島港に着き、大勢の観光客と共に上陸。いろんな国籍の外国人が入り乱れ、日本人と思っていた人がスマホにしゃべっているのは外国語。町屋通りを行くと正面に五重塔。紅葉谷公園に入ると紅葉の真っただ中。
獅子谷駅から観光客に混じって弥山に向かう。頂上直前で視界が広がり、背後に見えているのは南東方向の海と江田島。秋空の下に濃い青の海。そこに浮かぶのは小黒神島と大黒神島。江田島の上には野登呂山に古鷹山も見えていたようだ。
パワースポット、恋人の聖地(*1)として知られている霊火堂は整然とした二重の塔。脇にお守り授与所があり、御利益を求めて訪れる人々。消えずの火の灰で作られたねがい地蔵・ごめんね地蔵というのは小さい地蔵さんたちの団体。いいことありそうだ。
到達した弥山頂上は広大な平べったいい岩の頂上で、三角点530mがほつんと中央に、そこからやや離れた最高点535mと思われる大岩の側に、この山にしてはえらく地味と思える木柱の頂上標識が立っている。はしゃいでいるのはアジアの団体さん。
西に駒ヶ林が見えていて、頂上に人がいるのが見える。あそこにも行っておきたい。駒ヶ林の奥に見えているのは羅漢山や安芸冠山のようだ。方角からすると、羅漢山の左に見える尾根が三倉岳ではなかろうか。秋空はもう薄暮に変わろうとしている。
夕暮れが迫り、駆け降りてゆく。三鬼堂のあたりに赤いベレー帽にサングラスをかけたグレた小僧の石像。バーベルを持ってるのもいる。私の次に小僧を撮ろうとしている外人さんはアメリカ人?
歩きやすい平坦な道は次第に階段や岩の多い道となり、突然開けて平べったい一枚岩の駒ヶ林頂上に着く。弥山のシルエットの向こうに夕日のアーベントロート。
階段を駆け下りていき、暗くなってきたのでヘッドランプを点灯。終盤は右岸を延々下り、ついに左岸に明かりのついた建物が見え、やがて商店街の人混みに混じりフェリー港に着き、すぐに乗り込む。
夜空に浮かぶ雲の月。夜に映る町の明かり。夜の海を行く宝石のフェリー。
(頂上駅から駒ヶ林)往路2.6㎞、標高差337m、速度2.3㎞/h、297m/h(駒ヶ林から厳島港)帰路3.6㎞、標高差96m、速度3.4㎞/h
弥山頂上
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県道289から県道189を南下してR2に出るまでは順調だったが、R2は途中から渋滞。海を隔ててすぐ近くに宮島が見えているが、最初に正面に見えているのは南西にある岩船山466mで、弥山は駒ヶ林と並んでずっと奥(北東)に見えていたが、近づいていくといったん駒ヶ林の陰に見えなくなり、その駒ヶ林も423m峰の向こうに頂上だけが見えている。宮島に渡る船はたくさんあり、最初に寄ったところは大鳥居・観光コースだというので引返し、フェリーのある港に右折する。結局、乗ったのはJRでなく松大汽船のフェリー。手前にあったJRの駐車場は満車で、空くのを待つ車が長蛇の列だった。松大汽船の駐車場も満車表示だったが、入れ替わりのところにうまく入れた。すさまじい混雑。車を持っていく必要はないので駐車場に停め、チケットを購入したが、往復360円というのは安い。
フェリーからは行く手の宮島の弥山が隣の駒ヶ林と並んで見えていた。ここから見る宮島は、海岸沿いに市街の建物が並び、その背後にいくつものピークを連ねた山稜がにょっきり聳えている構図。あれを登るのは楽ではなさそう。もう午後2時を過ぎていたので、ロープウェイで登ることにしよう。対岸の厳島港からは別のフェリーがやってきてすれ違い、弥山の下には大鳥居が見えている。その周囲には群衆。やがてフェリーは厳島港に着き、大勢の観光客と共に上陸。宮島にきたのはこれが二度目。前回は大鳥居までの観光だった。今回も前回と同じく、観光客の群集に混じって港の建物から商店街に入り、GPSを見ながら弥山に向かう。いろんな国籍の外国人が入り乱れ、日本人と思っていた人がスマホにしゃべっているのは外国語。町屋通りを行くと正面に五重塔。ロープウェイ駅は意外に遠く、何度か間違えた末、駅に向かう観光客の流れに乗る。紅葉谷公園に入ると紅葉の真っただ中。これだけ人がいるため、駅手前で整理券が配られていて、それをもらって駅で待つ。下りは1時間待ちだが登りは10分程度だという(結局20分待ち)。片道1,000円というのはちょっと高いなあ。やけに回転が速いと思ったら8人乗りのゴンドラ。背後には港と広島の町。ゴンドラの中でスティックを出し、手袋もはめて準備万端で出たが、なんと榧谷(かやたに)駅で乗り換え。ここは往復ロープウェイだったが、距離は短く、ほとんど水平移動。
獅子谷駅から観光客に混じって弥山に向かう。スティックをポクポクいわせて速足で進み、観光客を追い越していくが、東コルまで下って登り返していくと、ところどころで林が切れて見える景色が絶景なので、足を止めて撮影。谷の向こうの獅子谷駅がもうあんなに遠い。その背後には海と島。もっとゆっくり見たかった。登り返した途中にあった弥山本堂と霊火堂はじっくり見ていく。やや簡素なたたずまいの弥山本堂。パワースポット、恋人の聖地(*1)として知られている霊火堂は整然とした二重の塔。脇にお守り授与所があり、御利益を求めて訪れる人々。茶釜の湯を飲んでみるんだった。消えずの火の灰で作られたねがい地蔵・ごめんね地蔵というのは小さい地蔵さんたちの団体。いいことありそうだ。その他にも、マフラーを巻いた不動明王に赤いベレー帽の小僧。その先には三鬼堂、観音堂、文殊堂が現われ、くぐり岩をくぐる。頂上直前で視界が広がり、背後に見えているのは南東方向の海と江田島。秋空の下に濃い青の海。そこに浮かぶのは小黒神島と大黒神島。江田島の上には野登呂山に古鷹山も見えていたようだ。西にはもう夕日になりそうな太陽。
(*1)霊火堂: 806年に弘法大師が修行をした時に焚かれた護摩の火が1200年以上たった今でも「消えずの火」として燃え続けていることから、恋愛・縁結びのご利益があるといわれています。また、この火で沸かされている大茶釜の湯を飲むと万病に効くと言われています。(全国パワースポットガイド)
到達した弥山頂上は広大な平べったいい岩の頂上で、三角点530mがほつんと中央に、そこからやや離れた最高点535mと思われる大岩の側に、この山にしてはえらく地味と思える木柱の頂上標識が立っている。それにしても、5mも差があるようには見えない。はしゃいでいるのはアジアの団体さん。「周回路」というのを下ると干満岩(*2)というのがあったが、そのまま下る道だったので、引返して頂上に戻る。北側の展望台はもう閉まっていたが、トイレを借り、周囲を写し、帰路につく。西に駒ヶ林が見えていて、頂上に人がいるのが見える。あそこにも行っておきたい。駒ヶ林の奥に見えているのは羅漢山や安芸冠山のようだ。方角からすると、羅漢山の左に見える尾根が三倉岳ではなかろうか。秋空はもう薄暮に変わろうとしている。
(*2)干満岩: 岩穴の水は満潮の時には溢れ、干潮の時には乾く不思議な穴で、水は塩分を含んでいる。弥山七不思議の一つ
夕暮れが迫り、駆け降りてゆく。三鬼堂のあたりに赤いベレー帽にサングラスをかけたグレた小僧の石像。バーベルを持ってるのもいる。私の次に小僧を撮ろうとしている外人さんはアメリカ人?弥山本堂から快調に駆け降りていて、ふとGPSを見ると、ルートから逸れているのに気づく。なんてことだ。下山路は弥山本堂から西だった。辛い登り返し。弥山本堂から広い道を西に下ると夕日が地平線に沈んでいく。仁王門を過ぎ、暗くなり始めていて、もうヘッドランプ必至の状況だったが、西コルから駒ヶ林に向かう。速足で登っていくと、下ってくる二人に会う。やっぱり登っている人はいたのか。少し元気づけられる。歩きやすい平坦な道は次第に階段や岩の多い道となり、突然開けて平べったい一枚岩の駒ヶ林頂上に着く。ここにも岩のくぼみに石の階段。最高点の脇の土の上に二つの案内標識。(*3)(*4)
(*3)駒ヶ林: 宮島の山塊は大別すると弥山・駒ヶ林・岩舟山の集まりで、地質はいずれも花崗岩類である。駒ヶ林の山頂部は35mx10mの岩石床で表土はない。駒ヶ林の西面は高さ約50m、長さ約450mの断崖が伸び、傾斜は約85度の一枚岩で、岩登りのトレーニングの場となっている。駒ヶ林は弘治元年(1555年)の厳島合戦の古戦場の一つで、龍ヶ馬場の攻防として知られている。
(*4)龍ヶ馬場(駒ヶ林): 弘治元年(1555年)十月一日に始まった厳島合戦は、毛利軍の奇襲が功を奏し、たちまちにして大勢は決した。敵の勇将弘中三河守は弥山に立てこもって抵抗し、毛利軍はこれを落とせなかったが、兵糧攻めの作戦により、ついに弘中三河守も力尽きた。
ザックを下ろしてヘッドランプを取り出し、周囲を撮影し、帰路につく。弥山のシルエットの向こうに夕日。西コルのところに二人連れの観光客がいたのには驚いたが、誰かを待っている様子だった。階段を駆け下りていき、暗くなってきたのでヘッドランプを点灯。ヘッドランプの上からかぶるときついヘルメットのバンドを調整しながら、なおも下ると、やがて林を抜けて明るくなったのでいったんヘッドランプを消し、ウォークマンを鳴らす。ここも沢沿いは荒れていたが、整然と整備されていて、沢底を横断するときもコンクリ・ブロックの上を楽に歩けた。終盤は右岸を延々下り、ついに左岸に明かりのついた建物が見え、それが大聖院の一角だった。大聖院の正門から市街地となり、やがて商店街の人混みに混じり、おみやげを一つ購入。餌をやる子供に群がる鹿の群れ。フェリー港に着き、乗り口を確認し、すぐにフェリーに乗り込む。モンベル・シューズを脱ぎ、中に入った小石を落とす。今回のモンベルは、歩いていると右足の親指の上に痛みが走るので、つま先立ちにならぬよう、親指を内側に曲げるようにしていた。左足はそうしなくても痛まないのが不思議。無意識に右足はつま先立ちぎみに歩いているのだろうか。左足の方は、紐をきつく結ぶとくるぶしが痛み、これは紐を緩める以外にどうしようもないようだ。夜空に浮かぶ雲の月。夜に映る町の明かり。夜の海を行く宝石のフェリー。
R2(西側)から見た宮島: 駒ヶ林、弥山、502m峰、岩船岳
駒ヶ林と423m峰
県道289から県道189を南下してR2に出るまでは順調だったが、R2は途中から渋滞。海を隔ててすぐ近くに宮島が見えているが、最初に正面に見えているのは南西にある岩船山466mで、弥山は駒ヶ林と並んでずっと奥(北東)に見えていたが、近づいていくといったん駒ヶ林の陰に見えなくなり、その駒ヶ林も423m峰の向こうに頂上だけが見えている。
フェリー乗船
宮島に渡る船はたくさんあり、最初に寄ったところは大鳥居・観光コースだというので引返し、フェリーのある港に右折する。結局、乗ったのはJRでなく松大汽船のフェリー。手前にあったJRの駐車場は満車で、空くのを待つ車が長蛇の列だった。松大汽船の駐車場も満車表示だったが、入れ替わりのところにうまく入れた。すさまじい混雑。車を持っていく必要はないので駐車場に停め、チケットを購入したが、往復360円というのは安い。
フェリーからの景観:
厳島港、弥山、駒ヶ林、423m峰
駒ヶ林とフェリー
フェリーからは行く手の宮島の弥山が隣の駒ヶ林と並んで見えていた。ここから見る宮島は、海岸沿いに市街の建物が並び、その背後にいくつものピークを連ねた山稜がにょっきり聳えている構図。あれを登るのは楽ではなさそう。もう午後2時を過ぎていたので、ロープウェイで登ることにしよう。対岸の厳島港からは別のフェリーがやってきてすれ違い、弥山の下には大鳥居が見えている。その周囲には群衆。
大鳥居と群衆
弥山、駒ヶ林と大鳥居
厳島港
やがてフェリーは厳島港に着き、大勢の観光客と共に上陸。宮島にきたのはこれが二度目。前回は大鳥居までの観光だった。今回も前回と同じく、観光客の群集に混じって港の建物から商店街に入り、GPSを見ながら弥山に向かう。いろんな国籍の外国人が入り乱れ、日本人と思っていた人がスマホにしゃべっているのは外国語。
町屋通りと五重塔
町屋通りを行くと正面に五重塔。ロープウェイ駅は意外に遠く、何度か間違えた末、駅に向かう観光客の流れに乗る。紅葉谷公園に入ると紅葉の真っただ中。これだけ人がいるため、駅手前で整理券が配られていて、それをもらって駅で待つ。下りは1時間待ちだが登りは10分程度だという(結局20分待ち)。片道1,000円というのはちょっと高いなあ。
ロープウェイ紅葉谷駅
弥山山頂史跡めぐりの案内
ゴンドラ
やけに回転が速いと思ったら8人乗りのゴンドラ。背後には港と広島の町。ゴンドラの中でスティックを出し、手袋もはめて準備万端で出たが、なんと榧谷(かやたに)駅で乗り換え。ここは往復ロープウェイだったが、距離は短く、ほとんど水平移動。
ロープウェイ乗換(榧(かや)谷駅)
ロープウェイ獅子谷駅
獅子谷駅から観光客に混じって弥山に向かう。スティックをポクポクいわせて速足で進み、観光客を追い越していくが、東コルまで下って登り返していくと、ところどころで林が切れて見える景色が絶景なので、足を止めて撮影。谷の向こうの獅子谷駅がもうあんなに遠い。その背後には海と島。もっとゆっくり見たかった。登り返した途中にあった弥山本堂と霊火堂はじっくり見ていく。やや簡素なたたずまいの弥山本堂。
弥山途上から南東の景観:
大奈佐美島、古鷹山、野登呂山、小黒神島、櫛ノ宇根、
弥山本堂
霊火堂
パワースポット、恋人の聖地(*1)として知られている霊火堂は整然とした二重の塔。脇にお守り授与所があり、御利益を求めて訪れる人々。
(*1)霊火堂: 806年に弘法大師が修行をした時に焚かれた護摩の火が1200年以上たった今でも「消えずの火」として燃え続けていることから、恋愛・縁結びのご利益があるといわれています。また、この火で沸かされている大茶釜の湯を飲むと万病に効くと言われています。(全国パワースポットガイド)
おねがい地蔵、ごめんね地蔵
消えずの火の灰で作られたねがい地蔵・ごめんね地蔵というのは小さい地蔵さんたちの団体。いいことありそうだ。その他にも、マフラーを巻いた不動明王に赤いベレー帽の小僧。その先には三鬼堂、観音堂、文殊堂が現われ、くぐり岩をくぐる。頂上直前で視界が広がり、背後に見えているのは南東方向の海と江田島。秋空の下に濃い青の海。そこに浮かぶのは小黒神島と大黒神島。江田島の上には野登呂山に古鷹山も見えていたようだ。西にはもう夕日になりそうな太陽。
三鬼堂
観音堂と文殊堂
くぐり岩
最後の石段
三角点
弥山・最高地点?
到達した弥山頂上は広大な平べったいい岩の頂上で、三角点530mがほつんと中央に、そこからやや離れた最高点535mと思われる大岩の側に、この山にしてはえらく地味と思える木柱の頂上標識が立っている。それにしても、5mも差があるようには見えない。
弥山・頂上標識
弥山から北西の景観: 三倉岳、羅漢山、駒ヶ林、寂地山?安芸冠山
干満岩
「周回路」というのを下ると干満岩(*2)というのがあったが、そのまま下る道だったので、引返して頂上に戻る。北側の展望台はもう閉まっていたが、トイレを借り、周囲を写し、帰路につく。
(*2)干満岩: 岩穴の水は満潮の時には溢れ、干潮の時には乾く不思議な穴で、水は塩分を含んでいる。弥山七不思議の一つ
駒ヶ林
西に駒ヶ林が見えていて、頂上に人がいるのが見える。あそこにも行っておきたい。駒ヶ林の奥に見えているのは羅漢山や安芸冠山のようだ。方角からすると、羅漢山の左に見える尾根が三倉岳ではなかろうか。秋空はもう薄暮に変わろうとしている。
駒ヶ林頂上
サングラス小僧
夕暮れが迫り、駆け降りてゆく。三鬼堂のあたりに赤いベレー帽にサングラスをかけたグレた小僧の石像。バーベルを持ってるのもいる。
リフティング小僧
日没
弥山本堂から快調に駆け降りていて、ふとGPSを見ると、ルートから逸れているのに気づく。なんてことだ。下山路は弥山本堂から西だった。辛い登り返し。弥山本堂から広い道を西に下ると夕日が地平線に沈んでいく。仁王門を過ぎ、暗くなり始めていて、もうヘッドランプ必至の状況だったが、西コルから駒ヶ林に向かう。
駒ヶ林頂上
速足で登っていくと、下ってくる二人に会う。やっぱり登っている人はいたのか。少し元気づけられる。歩きやすい平坦な道は次第に階段や岩の多い道となり、突然開けて平べったい一枚岩の駒ヶ林頂上に着く。ここにも岩のくぼみに石の階段。最高点の脇の土の上に二つの案内標識。(*3)(*4)
駒ヶ林の案内
(*3)駒ヶ林: 宮島の山塊は大別すると弥山・駒ヶ林・岩舟山の集まりで、地質はいずれも花崗岩類である。駒ヶ林の山頂部は35mx10mの岩石床で表土はない。駒ヶ林の西面は高さ約50m、長さ約450mの断崖が伸び、傾斜は約85度の一枚岩で、岩登りのトレーニングの場となっている。駒ヶ林は弘治元年(1555年)の厳島合戦の古戦場の一つで、龍ヶ馬場の攻防として知られている。
竜ヶ馬場(駒ヶ林)の案内
(*4)龍ヶ馬場(駒ヶ林): 弘治元年(1555年)十月一日に始まった厳島合戦は、毛利軍の奇襲が功を奏し、たちまちにして大勢は決した。敵の勇将弘中三河守は弥山に立てこもって抵抗し、毛利軍はこれを落とせなかったが、兵糧攻めの作戦により、ついに弘中三河守も力尽きた。
弥山(駒ヶ林より)
ザックを下ろしてヘッドランプを取り出し、周囲を撮影し、帰路につく。弥山のシルエットの向こうに夕日。西コルのところに二人連れの観光客がいたのには驚いたが、誰かを待っている様子だった。階段を駆け下りていき、暗くなってきたのでヘッドランプを点灯。
夜の商店街
ヘッドランプの上からかぶるときついヘルメットのバンドを調整しながら、なおも下ると、やがて林を抜けて明るくなったのでいったんヘッドランプを消し、ウォークマンを鳴らす。ここも沢沿いは荒れていたが、整然と整備されていて、沢底を横断するときもコンクリ・ブロックの上を楽に歩けた。終盤は右岸を延々下り、ついに左岸に明かりのついた建物が見え、それが大聖院の一角だった。
雲の月
大聖院の正門から市街地となり、やがて商店街の人混みに混じり、おみやげを一つ購入。餌をやる子供に群がる鹿の群れ。フェリー港に着き、乗り口を確認し、すぐにフェリーに乗り込む。モンベル・シューズを脱ぎ、中に入った小石を落とす。
夜のフェリー
今回のモンベルは、歩いていると右足の親指の上に痛みが走るので、つま先立ちにならぬよう、親指を内側に曲げるようにしていた。左足はそうしなくても痛まないのが不思議。無意識に右足はつま先立ちぎみに歩いているのだろうか。左足の方は、紐をきつく結ぶとくるぶしが痛み、これは紐を緩める以外にどうしようもないようだ。夜空に浮かぶ雲の月。夜に映る町の明かり。夜の海を行く宝石のフェリー。