妹背山 青い海と赤いハイビスカス
高知県 404m 2018年8月18日
四国百名山
331
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片島フェリー港で乗るのはフェリーではなくて定期船。荷物を持った人たち、子供連れの人たち、旅人、釣り人らが待合室に集まり、やがて乗船。
母島港(もしま)で下船。港の奥の民家の間を流れ落ちる沢沿いの階段の道を登る。高度感のある自然だらけの風景。ピンクのヒルガオ、ピンクと黄色のランタナ。
ひょっこり、広い舗装路に出る。これが県道358だったのか。港からすぐにこの県道に出るべきだった。だが、そうしていれば、あの魅力的な沢沿いの狭い石段の道や、エキゾチックな花や海の景観を見ることもできなかっただろう。
三叉路標識があり、そこからすぐ先に頂上広場があった。樹木が取り払われた広い空間の中央に頂上標識、右奥に展望台がある。白いダイモンジソウに黄色いイワオトギリ。
展望台の下にひっそりと一等三角点。展望台に登ると、樹木のために景観は限定的だが、山の緑の向こうに真っ青な海が見えていた。
ロストから復帰してから後はひたすら斜め左に下り続け、やがて林が切れたところに出ると、真っ青な空と海とが見える。真下はもう弘瀬港のようだ。
イノシシ除けと思われる木の扉を通過。県道の上にある道を伝って南に向かうと真っ赤なハイビスカス。車道の末端と思われるところに出て、灯台に続く脇道に入る。
灯台ではピンクの花と大きなソラマメのような実を見る。ハマエンドウだろうか。エキゾチックな美しさ。
灯台から戻る途中で見た、真っ青な海の上の弘瀬港と妹背山は実に見事。伐採跡が少し窪んでいるところが頂上だ。
炎天の車道を歩いて弘瀬港に着くと、子供たちが港で遊んでいる。浮き輪をもった小さな二人が埠頭から海に飛び込む。それを見ていた年長の二人が華麗に飛び込む。少年の時代の夏の情景。ここにも真っ赤なハイビスカス。
港の公園の休憩所でズボンについた雑草のタネを取っていると、頂上で会った男性が車道を歩いてやってきた。彼もやはり弘瀬への道を下り、途中でロストして車道に下ったのだという。道なき斜面を車道まで下るというのもなかなか大変だったに違いない。
やがて車がやってきたので炎天の港に向かう。何の変哲もない乗用車だったが、私が乗船すると知ると後部ドアを開けて店開き。車の主人と奥さんと山で会った男性の間で妹背山の話になる。昔は登山道をきちんと整備していたらしいが、最近は年寄ばかりになって、整備もままならないらしい。さもあろう。
帰りの定期船では二階に登り、デッキの右後の一角を確保し、真っ青な海と空の空間に少しづつ形を変えていく沖ノ島を写し続ける。白い波頭の向こうの弘瀬港、ゆったりした妹背山、南端の沖ノ島灯台、縦に連なる母島の集落、島を囲む真っ青な海、どれも忘れられぬ夏の想い出になるだろう。
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明るくなって目が覚め、スマホを見るともう五時半。昨晩、スマホの電源を入れた後、アラームをセットし忘れていた。あわてて飛び起き、服を着替え、ソバ(もしくはうどん)をかきこんで道の駅を出る。片島フェリー港で乗るのはフェリーではなくて定期船。それらしき船はもう港に停船しており、乗り場の前に窓口のある建物もある。港のまわりが駐車場らしいので、少し離れたスペースに並列駐車。とりあえずチケットを買いにゆき、沖ノ島まで1,070円を購入。7時から乗れるという。
荷物を持った人たち、子供連れの人たち、旅人、釣り人らが待合室に集まり、やがて乗船。先頭の方に並んで一階の窓際に席をとったが、二階もあればデッキもあるのに気づかなかった。定期船はするすると発進し、海の上を港から外海に向かう。頭の高さの汚れた窓ガラス越しに写真を何枚も撮るが、もちろん写りは悪い。GPSとスマホの位置アプリを起動すると、海の上をぐんぐん移動していく。結構速い。ネット情報によると、沖ノ島には母島港と弘瀬港があり人口は150人、鵜来島は20人(kochi-family.com)。最初に沖の島の北西にある鵜来島(うぐるしま)に寄港し、それから沖ノ島に向かう。海の上には大きな沖ノ島の他に、小さな島が点在している。上陸前の準備をしておかなければとメガネを外してサンオイルを塗り、メガネバンドを付け、ポリタオルを頭に巻く。今日は晴れて暑そうだ。
沖ノ島が近づき、最初に南にある弘瀬港に寄り、最後に母島港(もしま)。そこで下船。ザックからスティックを取り出し、虫スプレーをザックの前フックにぶら下げ、歩き始める。港の奥の民家の間を流れ落ちる沢沿いの階段の道を登る。沢は大きな岩が積み重なっていて迫力。その両側に民家が密集して立っており、その間の狭い石段を登る。やがて背後に青い空と青い海が見えてくる。高度感のある自然だらけの風景。ピンクのヒルガオ、港の海の向こうに浮かぶ三ノ瀬島と姫島。青紫の花にツユクサを見た先で道が途絶え、少し引返して南に見える舗装路らしき道に向かう。いったん下ったところにピンクと黄色の花(ランタナと言うらしい)、濃い紫のスミレのような花(ハナウリクサ)、黄色い大きな花(これもランタナ?)。石段を登ると狭い舗装路に出た。ここが例の県道だろうと思い、すっかり安心して歩く。が、舗装路は次第に雑草に覆われて荒れ、ツタやらササやらをかき分けての難行となる。
そしてひょっこり、広い舗装路に出る。これが県道358だったのか。ネット情報にあった通り、港からすぐにこの県道に出るべきだった。だが、そうしていれば、あの魅力的な沢沿いの狭い石段の道や、エキゾチックな花や海の景観を見ることもできなかっただろう。人生とは奇なるもの。「妹背山登山道」という真新しい道標に従い、「妹背山登山道入口」に着く。そこには軽トラックが止まっていて、歩き出そうとしている登山者がいた。登山口が分からず、軽トラックで送ってもらったらしい。軽トラックの主には少し上で会う。「滑るから気を付けて」との忠告。この日も何度か滑ったかな。
灌木の中の道はところどころルートが分かりにくい。リボンも多くはないが、時々思い出したように道標がある。いったん下りとなりすっかり壊れた小屋がある。そこから小尾根に登ると分岐標示があり、右に下ると山伏神社すだじい、とある。行ってみると閉じた祠と小さな鳥居があったが、スダジイというのはその奥にある黒い大きな老木で、シイの木のことらしい。つまり、この老木が御神体ということだろう。参拝して先に進む。弘瀬への下山路との三叉路標識があり、そこからすぐ先に頂上広場があった。樹木が取り払われた広い空間の中央に頂上標識、右奥に展望台がある。ただし広場には草が伸び放題になっていて、座って休めるところはない。白いダイモンジソウに黄色いイワオトギリ。
展望台の下にひっそりと一等三角点。立木が影を落とすので、影を落とす灌木の枝を折って三角点を撮影。そこまでするか、その価値はあるさ。展望台に登ると、樹木のために景観は限定的だが、山の緑の向こうに真っ青な海が見えていた。北の海の上に見えていたのは鵜来島、南の海の上には174m峰と沖ノ島灯台。やがて、登山口にいた男性がやってきた。展望台の上は日向で暑く、私は入れ替わりに下りにかかる。私が弘瀬に下ると言うと、そちらは荒れているようですよという男性。さっきの軽トラックの主(郵便局長らしい)からの忠告らしい。まあ、時間はたっぷりあるし、GPSもあるから大丈夫だろう。
三叉路には弘瀬の他に三浦家一族の墓と仏ヶ丘という表示があり、そちらに向かうと道が分岐していて右には「弘瀬」しか記されていない。すると、三浦家一族の墓と仏ヶ丘は左なのかな、と思いそちらに下ってみるが、やがて荒れてきたので引き返す。分岐まで戻り、弘瀬への下山路を下る。灌木の中で視界はないが、道は明瞭で歩きやすい。ところどころに出てくる分岐ではGPSを見て方角を決定。しばらくはすいすい進み、この分なら楽に降りられそうな感じ。やがて「仏ヶ丘」の標識があり、そちらに行ってみると、緩斜面に三列の小さな仏像がたくさん並んでいた。規模は大きくはないが、壮観。一番上の右端の仏像には「一番、シャカニョライ」その隣は「二番、アミダニョライ」と刻まれており、それ以外にも「四番、ダイニチニョライ」「粉川寺、千手観音」「長谷寺、十二面観世音」などなど。世界や日本の仏像を集めてみたものらしい。三浦氏というのは関東の三浦半島にいた鎌倉武士で、鎌倉を追放されて沖ノ島にやってきたという伝説が弘瀬地区に残っている。一方、母島地区にも鎌倉の山伏が開拓したという伝説があり、弘瀬と母島はそれぞれ土佐と伊予の勢力争いで島を二分し、今でも異なる伝統や風習が語り継がれているらしい(wikipedia)。
三浦家一族の墓の先、玉柄分岐の先でロスト。登山道はひたすら尾根のやや西側を斜め左に下っていくのだが、そのまっすぐな道にはところどころ斜め右に下る枝道が出ていて、それがつづら折りの道のように見える。その一つに間違って下って以降、どうやっても元の道に戻らない。横にトラバースしても戻れないので、斜め左上に登り返し、小尾根を乗越したところで登山道を発見した。ロストしてから10~15分くらいだろうか。その後はひたすら斜め左に下り続け、やがて林が切れたところに出ると、真っ青な空と海とが見える。真下はもう弘瀬港のようだ。沖に見える岩礁は室碆(ムロバエ)というらしい。日向は草が生い茂っていて岩を覆っており、岩の間の隙間にはまってうろたえる。民家の真上に出たところで、日向に出る前に休憩にする。コンクリ道の石段のところに座ってポカリを飲み、パンをゆっくり食べる。ロストしてから灯台まで行くのを諦めていたが、時間を見ると十分時間がある。というか、船が来るまですることがない。そこで灯台に向かうことにする。
イノシシ除けと思われる木の扉を通過。県道の上にある道を伝って南に向かうと真っ赤な大きな花。ハイビスカスと思われるが、自生種なのだろうか。ふいに「山ノ神社」という鳥居が現われる。奥に小さな祠があるが、山そのものが御神体なのだろう。紫や白・黄・紫のスミレに似たのはハナウリクサ。フジの花、赤い葉に白い眼玉の花(ブーゲンビリア(テリハイカダカズラ)というらしい)。県道から続く車道の末端と思われるところに出て、舗装路を少し歩いて灯台に続く脇道に入る。まったく整備されていないヤブ道。つづら折りの道を途中で間違えてまっすぐのぼってしまいロスト状態。GPSを見てつづら折りの道の方角に進み、復帰。復帰してからは比較的楽だったが、緩い傾斜がこたえる。道がこれだけ荒れていて、灯台をちゃんと管理できているのかな。
たどりついた灯台はやはり草や灌木で埋め尽くされていた。よって展望はまるでない。これでは全くの失敗だ。周囲の土手に上がってみようにも、ツタがびっしり生えていてとても踏み込めない。唯一の収穫はピンクの花と大きなソラマメのような実。エンドウの花のように見えるが、実のほうはソラマメに似ている。何だろう?ハマエンドウだろうか。エキゾチックな美しさ。灯台から下る途中、何ヶ所かで妹背山が見え、撮影。結局、灯台まで行かなくても妹背山は車道からも、弘瀬港からも見えたのだが、灯台の近くの方が良いアングルに違いない。特に、真っ青な海の上の弘瀬港と妹背山は実に見事。伐採跡が少し窪んでいるところが頂上だ。写真を拡大すると、頂上の展望台を確認できた。
炎天の車道を歩いて弘瀬港に着くと、子供たちが港で遊んでいる。大きな港では考えられないことだが、浮き輪をもった小さな二人が埠頭から海に飛び込む。それを見ていた年長の二人(小学生?)が華麗に飛び込む。はるかな昔、どこかの海岸で見たような記憶がよみがえる。少年の時代の夏の情景。港には公園もあったが、肝心の定期船の窓口が見当たらない。車道から階段を少し登ったところにある店で尋ねると、船が着く少し前に車が来てチケットを売るのだという。店で冷たい飲み物を買い、港の公園の休憩所で待つ。冷房も何もないが日差は避けられる。ここにも真っ赤なハイビスカス。ズボンについた雑草のタネを取っていると、頂上で会った男性が車道を歩いてやってきた。彼もやはり弘瀬への道を下り、途中でロストして車道に下ったのだという。GPSも持っていたのに、道を探すのはなかなか難しいらしい。それにしても、道なき斜面を車道まで下るというのもなかなか大変だったに違いない。大阪の人らしいが、仕事で秋田にも行くのだという。
やがて車がやってきたので炎天の港に向かう。何の変哲もない乗用車だったが、私が乗船すると知ると後部ドアを開けて店開き。1,330円というのは来た時よりちょっと高いがなぜだろう。それはともかく、車の主人と奥さんと山で会った男性の間で妹背山の話になる。昔は登山道をきちんと整備していたらしいが、最近は年寄ばかりになって、整備もままならないらしい。さもあろう。あの窪んだところが頂上だ、というご主人。あそこから灯台が見えたか、と聞くので、見えたと答えるが、灯台まで行った話はしなかった。
帰りの定期船では、二階に登ってみてびっくり。そこの方が空いているし、しかも視界が抜群。更に後のドアを開けてデッキに出られる。そこに陣取っている若者や親子がいたが、私もデッキの右後の一角を確保し、真っ青な海と空の空間に少しづつ形を変えていく沖ノ島を写し続ける。白い波頭の向こうの弘瀬港、ゆったりした妹背山、南端の沖ノ島灯台、縦に連なる母島の集落、島を囲む真っ青な海、どれも忘れられぬ夏の想い出になるだろう。1階に戻り、寝ていた男性に上は景色がよいことを伝え、荷物をもって二階の右側の席をとる。ガラスがはまっているが、そこでのんびり景色を見る。
片島港への道標
明るくなって目が覚め、スマホを見るともう五時半。昨晩、スマホの電源を入れた後、アラームをセットし忘れていた。あわてて飛び起き、服を着替え、ソバ(もしくはうどん)をかきこんで道の駅を出る。片島フェリー港で乗るのはフェリーではなくて定期船。それらしき船はもう港に停船しており、乗り場の前に窓口のある建物もある。港のまわりが駐車場らしいので、少し離れたスペースに並列駐車。とりあえずチケットを買いにゆき、沖ノ島まで1,070円を購入。7時から乗れるという。
沖ノ島定期船窓口
片品港の定期船すくも
荷物を持った人たち、子供連れの人たち、旅人、釣り人らが待合室に集まり、やがて乗船。先頭の方に並んで一階の窓際に席をとったが、二階もあればデッキもあるのに気づかなかった。定期船はするすると発進し、海の上を港から外海に向かう。頭の高さの汚れた窓ガラス越しに写真を何枚も撮るが、もちろん写りは悪い。GPSとスマホの位置アプリを起動すると、海の上をぐんぐん移動していく。結構速い。ネット情報によると、沖ノ島には母島港と弘瀬港があり人口は150人、鵜来島は20人(kochi-family.com)。
母島(もしま)港の定期船すくも
最初に沖の島の北西にある鵜来島(うぐるしま)に寄港し、それから沖ノ島に向かう。海の上には大きな沖ノ島の他に、小さな島が点在している。上陸前の準備をしておかなければ。メガネを外してサンオイルを塗り、メガネバンドを付け、ポリタオルを頭に巻く。今日は晴れて暑そうだ。沖ノ島が近づき、最初に南にある弘瀬港に寄り、最後に母島港(もしま)。そこで下船。
民家の間の沢沿いの道の始まり
ザックからスティックを取り出し、虫スプレーをザックの前フックにぶら下げ、歩き始める。港の奥の民家の間を流れ落ちる沢沿いの階段の道を登る。沢は大きな岩が積み重なっていて迫力。その両側に民家が密集して立っており、その間の狭い石段を登る。やがて背後に青い空と青い海が見えてくる。高度感のある自然だらけの風景。
ピンクのヒルガオ
ピンクのヒルガオ、港の海の向こうに浮かぶ三ノ瀬島と姫島。青紫の花にツユクサを見た先で道が途絶え、少し引返して南に見える舗装路らしき道に向かう。いったん下ったところにピンクと黄色の花(ランタナと言うらしい)、濃い紫のスミレのような花(パンジー?)、黄色い大きな花(これもランタナ?)。石段を登ると狭い舗装路に出た。ここが例の県道だろうと思い、すっかり安心して歩く。が、舗装路は次第に雑草に覆われて荒れ、ツタやらササやらをかき分けての難行となる。
民家の間の沢沿いの道
青紫の花(ムラサキルエリア)
民家の間の沢沿いの道の終点からの眺め
ランタナ
ハナウリクサ
これもランタナ
狭い舗装路
県道358
そしてひょっこり、広い舗装路に出る。これが県道358だったのか。ネット情報にあった通り、港からすぐにこの県道に出るべきだった。だが、そうしていれば、あの魅力的な沢沿いの狭い石段の道や、エキゾチックな花や海の景観を見ることもできなかっただろう。人生とは奇なるもの。
県道の道標
「妹背山登山道」という真新しい道標に従い、「妹背山登山道入口」に着く。そこには軽トラックが止まっていて、歩き出そうとしている登山者がいた。登山口が分からず、軽トラックで送ってもらったらしい。軽トラックの主には少し上で会う。「滑るから気を付けて」との忠告。この日も何度か滑ったかな。
母島登山口
灌木の中の道
壊れた小屋
灌木の中の道はところどころルートが分かりにくい。リボンも多くはないが、時々思い出したように道標がある。いったん下りとなりすっかり壊れた小屋がある。
山伏神社とスダジイ
そこから小尾根に登ると分岐標示があり、右に下ると山伏神社すだじい、とある。行ってみると閉じた祠と小さな鳥居があったが、スダジイというのはその奥にある黒い大きな老木で、シイの木のことらしい。つまり、この老木が御神体ということだろう。参拝して先に進む。
三差路の道標
妹背山頂上の展望台
弘瀬への下山路との三叉路標識があり、そこからすぐ先に頂上広場があった。樹木が取り払われた広い空間の中央に頂上標識、右奥に展望台がある。ただし広場には草が伸び放題になっていて、座って休めるところはない。白いダイモンジソウに黄色いイワオトギリ。
木の幹の頂上標識
妹背山の一等三角点
展望台の下にひっそりと一等三角点。立木が影を落とすので、影を落とす灌木の枝を折って三角点を撮影。そこまでするか、その価値はあるさ。
ダイモンジソウ
イワオトギリ
頂上から北の景観: 鵜来島(うぐるじま)、鼻面岬?と真っ青な海
展望台に登ると、樹木のために景観は限定的だが、山の緑の向こうに真っ青な海が見えていた。北の海の上に見えていたのは鵜来島、南の海の上には174m峰と沖ノ島灯台。
頂上から南の景観: 174m峰と海
頂上から南の景観(上の拡大): 沖ノ島灯台
やがて、登山口にいた男性がやってきた。展望台の上は日向で暑く、私は入れ替わりに下りにかかる。私が弘瀬に下ると言うと、そちらは荒れているようですよという男性。さっきの軽トラックの主(郵便局長らしい)からの忠告らしい。まあ、時間はたっぷりあるし、GPSもあるから大丈夫だろう。
仏ヶ丘
三叉路には弘瀬の他に三浦家一族の墓と仏ヶ丘という表示があり、そちらに向かうと道が分岐していて右には「弘瀬」しか記されていない。すると、三浦家一族の墓と仏ヶ丘は左なのかな、と思いそちらに下ってみるが、やがて荒れてきたので引き返す。分岐まで戻り、弘瀬への下山路を下る。灌木の中で視界はないが、道は明瞭で歩きやすい。ところどころに出てくる分岐ではGPSを見て方角を決定。しばらくはすいすい進み、この分なら楽に降りられそうな感じ。
仏ヶ丘の仏像: 二番阿弥陀如来と一番釈迦如来
やがて「仏ヶ丘」の標識があり、そちらに行ってみると、緩斜面に三列の小さな仏像がたくさん並んでいた。規模は大きくはないが、壮観。一番上の右端の仏像には「一番、シャカニョライ」その隣は「二番、アミダニョライ」と刻まれており、それ以外にも「四番、ダイニチニョライ」「粉川寺、千手観音」「長谷寺、十二面観世音」などなど。世界や日本の仏像を集めてみたものらしい。
三浦家一族の墓
三浦氏というのは関東の三浦半島にいた鎌倉武士で、鎌倉を追放されて沖ノ島にやってきたという伝説が弘瀬地区に残っている。一方、母島地区にも鎌倉の山伏が開拓したという伝説があり、弘瀬と母島はそれぞれ土佐と伊予の勢力争いで島を二分し、今でも異なる伝統や風習が語り継がれているらしい(wikipedia)
玉柄分岐の道標
ロストから復帰した地点の登山道
三浦家一族の墓の先、玉柄分岐の先でロスト。登山道はひたすら尾根のやや西側を斜め左に下っていくのだが、そのまっすぐな道にはところどころ斜め右に下る枝道が出ていて、それがつづら折りの道のように見える。その一つに間違って下って以降、どうやっても元の道に戻らない。横にトラバースしても戻れないので、斜め左上に登り返し、小尾根を乗越したところで登山道を発見した。ロストしてから10~15分くらいだろうか。
滑りやすい弘瀬への登山道
見えてきた弘瀬港
その後はひたすら斜め左に下り続け、やがて林が切れたところに出ると、真っ青な空と海とが見える。真下はもう弘瀬港のようだ。
ムロバエ(室碆)の岩礁
沖に見える岩礁は室碆(ムロバエ)というらしい。日向は草が生い茂っていて岩を覆っており、岩の間の隙間にはまってうろたえる。民家の真上に出たところで、日向に出る前に休憩にする。コンクリ道の石段のところに座ってポカリを飲み、パンをゆっくり食べる。ロストしてから灯台まで行くのを諦めていたが、時間を見ると十分時間がある。というか、船が来るまですることがない。そこで灯台に向かうことにする。
沖ノ島・観光マップのムロバエ(室碆)
弘瀬集落
休憩地点の日陰のコンクリ道
弘瀬登山口のイノシシ扉
イノシシ除けと思われる木の扉を通過。
弘瀬登山口の道標
民家の間の道
灯台に向かう
真っ赤なハイビスカス
県道の上にある道を伝って南に向かうと真っ赤な大きな花。ハイビスカスと思われるが、自生種なのだろうか。
山ノ神社
ふいに「山の神」という鳥居が現われる。奥に小さな祠があるが、山そのものが御神体なのだろう。
ハナウリクサ
紫や白・黄・紫のスミレに似たのはハナウリクサ。フジの花、
真っ赤なハイビスカス
フジの花
真っ赤なハイビスカス
車道末端
赤い葉に白い眼玉の花(ブーゲンビリア(テリハイカダカズラ))
赤い葉に白い眼玉の花(ブーゲンビリア(テリハイカダカズラ)というらしい)。
灯台に近づく
県道から続く車道の末端と思われるところに出て、舗装路を少し歩いて灯台に続く脇道に入る。まったく整備されていないヤブ道。つづら折りの道を途中で間違えてまっすぐのぼってしまいロスト状態。GPSを見てつづら折りの道の方角に進み、復帰。復帰してからは比較的楽だったが、緩い傾斜がこたえる。道がこれだけ荒れていて、灯台をちゃんと管理できているのかな。
灯台への道
草ぼうぼうの灯台
沖ノ島灯台のプレート
たどりついた灯台はやはり草や灌木で埋め尽くされていた。よって展望はまるでない。これでは全くの失敗だ。周囲の土手に上がってみようにも、ツタがびっしり生えていてとても踏み込めない。
ハマエンドウ?
唯一の収穫はピンクの花と大きなソラマメのような実。エンドウの花のように見えるが、実のほうはソラマメに似ている。何だろう?ハマエンドウだろうか。エキゾチックな美しさ。
ハマエンドウの花?
ハマエンドウの実?
灯台への道から見る妹背山
灯台から下る途中、何ヶ所かで妹背山が見え、撮影。結局、灯台まで行かなくても妹背山は車道からも、弘瀬港からも見えたのだが、灯台の近くの方が良いアングルに違いない。特に、真っ青な海の上の弘瀬港と妹背山は実に見事。伐採跡が少し窪んでいるところが頂上だ。写真を拡大すると、頂上の展望台を確認できた。
妹背山頂上の展望台(上の拡大)
白い花(クサギ)
サフランモドキ?
ダイモンジソウ
弘瀬港と妹背山
灯台方面から北の景観: 妹背山、弘瀬港、弘瀬登山口(イノシシ扉)、354m峰
弘瀬登山口付近
透明な海
港で遊ぶ子供たち
炎天の車道を歩いて弘瀬港に着くと、子供たちが港で遊んでいる。大きな港では考えられないことだが、浮き輪をもった小さな二人が埠頭から海に飛び込む。それを見ていた年長の二人(小学生?)が華麗に飛び込む。はるかな昔、どこかの海岸で見たような記憶がよみがえる。少年の時代の夏の情景。
初子の像
港には公園もあったが、肝心の定期船の窓口が見当たらない。車道から階段を少し登ったところにある店で尋ねると、船が着く少し前に車が来てチケットを売るのだという。
真っ赤なハイビスカス
店で冷たい飲み物を買い、港の公園の休憩所で待つ。冷房も何もないが日差は避けられる。ここにも真っ赤なハイビスカス。ズボンについた雑草のタネを取っていると、頂上で会った男性が車道を歩いてやってきた。彼もやはり弘瀬への道を下り、途中でロストして車道に下ったのだという。GPSも持っていたのに、道を探すのはなかなか難しいらしい。それにしても、道なき斜面を車道まで下るというのもなかなか大変だったに違いない。大阪の人らしいが、仕事で秋田にも行くのだという。
沖ノ島・観光マップ
マツバボタン
弘瀬港から見る妹背山
定期船への乗船
やがて車がやってきたので炎天の港に向かう。何の変哲もない乗用車だったが、私が乗船すると知ると後部ドアを開けて店開き。1,330円というのは来た時よりちょっと高いがなぜだろう。それはともかく、車の主人と奥さんと山で会った男性の間で妹背山の話になる。昔は登山道をきちんと整備していたらしいが、最近は年寄ばかりになって、整備もままならないらしい。さもあろう。あの窪んだところが頂上だ、というご主人。あそこから灯台が見えたか、と聞くので、見えたと答えるが、灯台まで行った話はしなかった。
弘瀬港沖から見る沖ノ島: 白岩鼻、妹背山、354m峰、弘瀬港、257m峰、沖ノ島灯台
沖ノ島灯台
海と沖ノ島と妹背山
母島地区
母島港沖から見る沖ノ島: 裸島、烏帽子崎、213m峰、367m峰、妹背山、沖ノ島灯台
戻ってきた片島港
帰りの定期船では、二階に登ってみてびっくり。そこの方が空いているし、しかも視界が抜群。更に後のドアを開けてデッキに出られる。そこに陣取っている若者や親子がいたが、私もデッキの右後の一角を確保し、真っ青な海と空の空間に少しづつ形を変えていく沖ノ島を写し続ける。白い波頭の向こうの弘瀬港、ゆったりした妹背山、南端の沖ノ島灯台、縦に連なる母島の集落、島を囲む真っ青な海、どれも忘れられぬ夏の想い出になるだろう。1階に戻り、寝ていた男性に上は景色がよいことを伝え、荷物をもって二階の右側の席をとる。ガラスがはまっているが、そこでのんびり景色を見る。