秋田県 1,179m 2010年9月25日
秋田県の山
287
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「鉱山試掘跡」という標識と「白子森2.45km」という道標。試掘跡というのは良く分からなかったが、尾根に登るルートが崩れて迂回ルートにロープが張ってあり、崩れていたところが試掘跡だったのかもしれない。ロープ場の先は意外に踏跡がはっきりしていて、ブッシュの崩壊林道よりもかえって歩きやすいくらい。白いブナの林を登っていくと、樹間に遠くピークが見える。あれが白子森なのだろうか。
背後の視界が開け、東には大仏岳、秋田駒、南には支尾根の小熊森に加え、平らな番鳥森と大石岳も見えている。そして西に、王冠の姿で見えているのは太平山。
白子森とP2とのコル付近に慰霊碑。「白子森に山道を拓くために努力した当時の国鉄職員のもの(mumyosha.co.jp)」らしい。合掌。(*)
そして広くて視界の開けた白子森の頂上に着く。二等三角点の簡素な頂上。大きな神社のある太平山とはずいぶん違うが、解放感のある良い頂上。
太平山地の最高峰、白子森はブナの林の中の自然真っ只中の山だった。
🐺🐺🐺🐺🐺
(*)慰霊碑文
友よ さあ立つんだ動くんだ
動かぬやつは 死んだ奴だ
行動のないやつに
進展等(など)?ない
主体性をもって 動くんだ
それが生きている証?だ
一益?作品集より
昭和五十九年四月十五日
熊野?一益?ここに逝く
(一部の文字、解読困難)
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八郎潟PAに車中泊した翌朝、6時半前に起床して出発。出発が遅くなったのは疲れがたまっていたせいか、白子森へは8時間くらいで往復できると踏んでいたせいか。走り出してすぐ左手に平たい三角形の森山が現れる。東側から見た双耳の姿とは全く違う形。西にはドーム形の本山が目立つ男鹿三山とその手前の寒風山。秋田中央インターで高速を降りて東に向かうと、正面に太平山のピラミッド。更に東に進んで岩見ダムに向かう。ユフォーレという温泉の案内があり、帰りに寄る。
ずっと太平山ばかり写して進み、突然、筑紫森の登山口に出会う。ダムを過ぎたあたりで砂利道となり、8時前に井出舞沢園地の広場に着く。そこは沢のほとりの林道分岐点で、広場にはテントを張った車が数台。お地蔵様に名水三内雫というのもある。分岐を右に行くと番鳥森へのルートがあり、左に行くと白子森の登山口。ガイドによると、登山口は林道からつけられているが、林道が崩壊したために途中から何キロか歩かなくてはならない。林道が改修されていることを期待したが、期待は裏切られた。
沢沿いにしばらく進んだ所で広い駐車スペース(PA1)があり、その先に「通行止」の標識が立っている。駐車スペースに数台停めてあったので、ここから先には進めないのだろうと思い、車を止め、久しぶりに登山靴を履いて出発(夏場は沢靴だった)。すると、3~4台の車がやってきて若者がたくさん乗っている。どうやらキノコ取りのようで、このあたりで散らばって探しにいくらしい。どうやら登山は私一人だけのようだが、そんなに取れるのか。その先の崩壊した林道で会った男性は、今年はキノコは悪いと言っていた。若者の一人にどこに行くのか聞かれ、白子森と答えるとびっくりしていた。
荒れた林道を歩き始めてすぐに、車が後からやってきて追い抜いていく。なんだ、まだ先まで車でいけるのか、と分かり、駐車地点まで引返す。すると、さっきの若者の群れはもういなくなっていた。キノコを探しにいずこかへ行ったらしい。場所は機密のはずだから、他人には分からないように機敏に動いているのだろう。彼らは今日の収穫はどうだったのだろう。車に乗って荒れた林道をたどる。10分弱くらい登った先のスペース(PA2)に駐車し、再び歩き始める。その先にも車が数台止めてある場所はあったが、狭くて余り良い場所ではない。マップでは「井出舞沢園地から歩いて往復10時間」となっていたが、ここまで来ればだいぶ短縮できるだろう。(結局、登りに4時間、下りに3時間、計7時間だった。)
他の車が止めてあった最終駐車地点には狭いところに5台以上止めてあったと思うが、その先で道は狭まり、更に落石で車両の進入不可になっていた。その少し先に道標が置いてあり、「白子森登山道入口まで徒歩50分」とある。ここから登山口まで50分もかからないだろう、と思ったが、実際は1時間半かかっている。そこから頂上まで2時間半。もとは林道だったはずだが、もう完全に登山道になり果てている。カバーをかけた小型バイク。こういうのが一つほしいなあ。その登山道の踏跡すら雑草で消えかけている道を進んでいくと、男性が一人下ってきた。登山だというと、この先、水が出ているので注意するようにという。キノコは取れたかと聞くと、今年は悪いという。その男性のほかにも一人か二人に出会っていると思う。荒れた林道に白いヨメナ。
荒れた道を掻き分けていくと、やがて踏跡に水が流れているところに出る。その流れは小さな滝に繋がっており、登山道はその流れから離れて続いている。ブッシュがひどくなってきて軍手をはめる。道路に埋めた太い導水管がむきだしになっている箇所を越え、その先のヤブを掻き分けるとカーブミラーが立っている。ここがかって林道だった証拠で、整備をしないと道は急速に荒れてしまう。再び水が流れている箇所を過ぎ、そして再び太い導水管がむき出しになっている箇所で沢を渡ると、その先に登山口があった。
「鉱山試掘跡」という標識と「白子森2.45km」という道標。試掘跡というのは良く分からなかったが、尾根に登るルートが崩れて迂回ルートにロープが張ってあり、念のためスティックを収納してロープを辿る。この崩れていたところが試掘跡だったのかもしれない。ロープ場の先は意外に踏跡がはっきりしていて、ブッシュの崩壊林道よりもかえって歩きやすいくらい。ただし、すぐに急な登りとなり、立ち止まっては休憩しながらの登りとなる。白いブナの林の中を登っていくと樹間に遠くピークが見えるが、あれが白子森なのだろうか。尾根が近づくと視界が開け、東側が見える。あの遠くの三つ並んだピークは秋田駒のようだ。その手前のなだらかなピークは大仏岳だろうか。そして「支尾根分岐」という表示に出会う。マップによると尾根の南に小熊森1,007mというのがあるが、踏跡はなかったと思う。行く手に東に伸びる尾根が見えていたが、それが主尾根だったようだ。黄色い花はアキノキリンソウ?
いったんコルまで下ってそれから主尾根への登りとなる。これまた苦しい登り。登山口から支尾根まで1時間、支尾根から主尾根まで40分弱と時間がかかっている。主尾根合流点という表示に到達。白子森まで0.9km、登山口まで1.55kmとある。そこから10分弱でP2・1,089mに達する。背後の視界が開け、東には大仏岳、秋田駒、南には支尾根の小熊森に加え、平らな番鳥森と大石岳も見えている。そして西に、王冠の姿で見えているのは太平山。その手前にあるはずの御衣森1,000mは主稜線の1,035m峰に隠れて見えていないようだ。そして左前方にまだ高く遠く白子森が見えている。やれやれまだあんなに遠いのか。更に10分弱、白子森とP2とのコル付近で水場の標識にレリーフのある場所に着く。レリーフは昭和59年とあり、慰霊碑だった。「白子森に山道を拓くために努力した当時の国鉄職員のもの(mumyosha.co.jp)」らしい。合掌。(*)
(*)慰霊碑文
「友よ さあ立つんだ動くんだ
動かぬやつは 死んだ奴だ
行動のないやつに 進展等(など)?ない
主体性をもって 動くんだ
それが生きている証?だ
一益?作品集より
昭和五十九年四月十五日
熊野?一益?ここに逝く 約六米前方」
(一部の文字、解読困難)
20分弱で頂上手前200mのマイナーピーク1,120mに着く。東に見えている大仏岳は左の尖りピークと右のなだらかなピークから成っているのが見えるが、その向こうの秋田駒は雲で見えなくなっている。そして広くて視界の開けた白子森の頂上に着く。二等三角点の簡素な頂上。大きな神社のある太平山とはずいぶん違うが、解放感のある良い頂上。木はないが、あいにく曇っていて遠景は見えない。晴れていれば北に森吉が見えただろう。太平山の方向には木があって見えていない。座り込んでパンを食べる。太平山地の最高峰に立ち、またひとつ気になっていた目標を達成した。
さて、13時前に頂上を出発。頂上直下の道から太平山が見え、何枚か写す。久しぶりの登山靴で、飛ぶように急坂を駆け下る。南の平野のかなたに雲に隠れているのは鳥海だろうか。P2では振り返って白子森の頂上を眺める。大きなどっしりした頂上。主尾根分岐、支尾根分岐と下ったあたりで雨がポツリおちてきて、まずザックカバーを出す。雨は強くならず、急斜面を駆け下り、ロープ場から登山口に到着。ここで、ブッシュが濡れているのでレインウェアを着込む。そこから登山道表示のある地点まで1時間半かかっているが、これは往路と同じ。
もう16時前になっていて、たくさん停まっていた車は1台しかいなくなっていた。PA2で車に戻って乗り込むと、窓ガラスに雨粒。尾根から眺めた大仏岳を翌日の目的地にカーナビ入力し、出発。林道途中の広い駐車スペース(PA1)には1台もなし。今日の収穫はどうだったのだろう。井出舞沢園地まで来ると、ここには相変わらず数台の車がいる。ここで分岐を左折し、番鳥森の沢ルートの下見に行く。その院瀬沢林道の分岐までは20分弱。そんなに悪い道ではない。院瀬沢林道も少しは登れそうだが、この日はそこまでで引返す。そこには「番鳥森」の古い道標もあった。カーナビによると院瀬沢林道分岐から番鳥森頂上までは5kmはある。ということは往復10時間くらい見ておかねばならないだろう。
井出舞沢園地、岩見ダムと戻り、温泉ラフォーレに向かう。それは近代的な温泉施設で、露天もあった。その後、夕食を買い、田沢湖畔まで降りてたつ子茶屋駐車場に車を止める。
太平山地に来たのは馬場目岳に篭沢から登った2007年以来3年ぶり。太平山地の最高峰、白子森はブナの林の中の自然真っ只中の山だった。
筑紫森
八郎潟PAに車中泊した翌朝、6時半前に起床して出発。出発が遅くなったのは疲れがたまっていたせいか、白子森へは8時間くらいで往復できると踏んでいたせいか。走り出してすぐ左手に平たい三角形の森山が現れる。東側から見た双耳の姿とは全く違う形。西にはドーム形の本山が目立つ男鹿三山とその手前の寒風山。秋田中央インターで高速を降りて東に向かうと、正面に太平山のピラミッド。更に東に進んで岩見ダムに向かう。ユフォーレという温泉の案内があり、帰りに寄る。
ずっと太平山ばかり写して進み、突然、筑紫森の登山口に出会う。
井出舞園地
ダムを過ぎたあたりで砂利道となり、8時前に井出舞沢園地の広場に着く。そこは沢のほとりの林道分岐点で、広場にはテントを張った車が数台。お地蔵様に名水三内雫というのもある。分岐を右に行くと番鳥森へのルートがあり、左に行くと白子森の登山口。ガイドによると、登山口は林道からつけられているが、林道が崩壊したために途中から何キロか歩かなくてはならない。林道が改修されていることを期待したが、期待は裏切られた。
井出舞園地キャンプ場
駐車地点1(PA1)
沢沿いにしばらく進んだ所で広い駐車スペース(PA1)があり、その先に「通行止」の標識が立っている。駐車スペースに数台停めてあったので、ここから先には進めないのだろうと思い、車を止め、久しぶりに登山靴を履いて出発(夏場は沢靴だった)。すると、3~4台の車がやってきて若者がたくさん乗っている。どうやらキノコ取りのようで、このあたりで散らばって探しにいくらしい。どうやら登山は私一人だけのようだが、そんなに取れるのか。その先の崩壊した林道で会った男性は、今年はキノコは悪いと言っていた。若者の一人にどこに行くのか聞かれ、白子森と答えるとびっくりしていた。
駐車地点2(PA2)
荒れた林道を歩き始めてすぐに、車が後からやってきて追い抜いていく。なんだ、まだ先まで車でいけるのか、と分かり、駐車地点まで引返す。すると、さっきの若者の群れはもういなくなっていた。キノコを探しにいずこかへ行ったらしい。場所は機密のはずだから、他人には分からないように機敏に動いているのだろう。彼らは今日の収穫はどうだったのだろう。車に乗って荒れた林道をたどる。10分弱くらい登った先のスペース(PA2)に駐車し、再び歩き始める。その先にも車が数台止めてある場所はあったが、狭くて余り良い場所ではない。マップでは「井出舞沢園地から歩いて往復10時間」となっていたが、ここまで来ればだいぶ短縮できるだろう。(結局、登りに4時間、下りに3時間、計7時間だった。)
道標(登り口=鉱山試掘跡、尾根取付き)
他の車が止めてあった最終駐車地点には狭いところに5台以上止めてあったと思うが、その先で道は狭まり、更に落石で車両の進入不可になっていた。その少し先に道標が置いてあり、「白子森登山道入口まで徒歩50分」とある。ここから登山口まで50分もかからないだろう、と思ったが、実際は1時間半かかっている。そこから頂上まで2時間半。もとは林道だったはずだが、もう完全に登山道になり果てている。カバーをかけた小型バイク。こういうのが一つほしいなあ。その登山道の踏跡すら雑草で消えかけている道を進んでいくと、男性が一人下ってきた。登山だというと、この先、水が出ているので注意するようにという。キノコは取れたかと聞くと、今年は悪いという。その男性のほかにも一人か二人に出会っていると思う。荒れた林道に白いヨメナ。
ヨメナ
カーブミラー
荒れた道を掻き分けていくと、やがて踏跡に水が流れているところに出る。その流れは小さな滝に繋がっており、登山道はその流れから離れて続いている。ブッシュがひどくなってきて軍手をはめる。道路に埋めた太い導水管がむきだしになっている箇所を越え、その先のヤブを掻き分けるとカーブミラーが立っている。ここがかって林道だった証拠で、整備をしないと道は急速に荒れてしまう。再び水が流れている箇所を過ぎ、そして再び太い導水管がむき出しになっている箇所で沢を渡ると、その先に登山口があった。
鉱山試掘跡標識(登山道入口、尾根取付き)
「鉱山試掘跡」という標識と「白子森2.45km」という道標。試掘跡というのは良く分からなかったが、尾根に登るルートが崩れて迂回ルートにロープが張ってあり、念のためスティックを収納してロープを辿る。この崩れていたところが試掘跡だったのかもしれない。ロープ場の先は意外に踏跡がはっきりしていて、ブッシュの崩壊林道よりもかえって歩きやすいくらい。ただし、すぐに急な登りとなり、立ち止まっては休憩しながらの登りとなる。
鉱山試掘跡??
白子森
白いブナの林の中を登っていくと樹間に遠くピークが見えるが、あれが白子森なのだろうか。尾根が近づくと視界が開け、東側が見える。あの遠くの三つ並んだピークは秋田駒のようだ。その手前のなだらかなピークは大仏岳だろうか。そして「支尾根分岐」という表示に出会う。マップによると尾根の南に小熊森1,007mというのがあるが、踏跡はなかったと思う。行く手に東に伸びる尾根が見えていたが、それが主尾根だったようだ。黄色い花はアキノキリンソウ?
ブナの急坂とロープ
ブナの細道
支尾根分岐
アキノキリンソウ?
ブナの尾根道
主尾根合流
白子森
南の情景:大仏岳、小熊森1,007m、番鳥森、大石岳
大仏岳
太平山
西に、王冠の姿で見えているのは太平山。その手前にあるはずの御衣森1,000mは主稜線の1,035m峰に隠れて見えていないようだ
太平山と主稜線
白子森
いったんコルまで下ってそれから主尾根への登りとなる。これまた苦しい登り。登山口から支尾根まで1時間、支尾根から主尾根まで40分弱と時間がかかっている。主尾根合流点という表示に到達。白子森まで0.9km、登山口まで1.55kmとある。そこから10分弱でP2・1,089mに達する。背後の視界が開け、東には大仏岳、秋田駒、南には支尾根の小熊森に加え、平らな番鳥森と大石岳も見えている。そして西に、王冠の姿で見えているのは太平山。その手前にあるはずの御衣森1,000mは主稜線の1,035m峰に隠れて見えていないようだ。そして左前方にまだ高く遠く白子森が見えている。やれやれまだあんなに遠いのか。
慰霊碑
更に10分弱、白子森とP2とのコル付近で水場の標識にレリーフのある場所に着く。レリーフは昭和59年とあり、慰霊碑だった。「白子森に山道を拓くために努力した当時の国鉄職員のもの(mumyosha.co.jp)」らしい。合掌。(*)
(*)慰霊碑文
「友よ さあ立つんだ動くんだ
動かぬやつは 死んだ奴だ
行動のないやつに 進展等(など)?ない
主体性をもって 動くんだ
それが生きている証?だ
一益?作品集より
昭和五十九年四月十五日
熊野?一益?ここに逝く 約六米前方」
(一部の文字、解読困難)
白子森頂上
西の情景:P2・1,089m、小熊山1,007m、秋田市街、太平山
下見した番鳥森の道標
温泉ユフォーレ