インドの死生観の研究―聖典・聖地・都市構造にみるインドの死生観―
インドの死生観の研究―聖典・聖地・都市構造にみるインドの死生観―
多数の犠牲者を出した平成二十三年三月十一日の大震災および原発事故は、突発的に死が訪れることは避け得ない、誰もが将来いつ死んでもおかしくないという強烈な認識をもたらし、どのように死んでいくのか、死をどのように迎えるのか、というように、死があらためて問われることになった。また、遺族にとって近親者を失ってしまったことは大きな苦しみと悲しみをもたらす。被災者の方々に寄り添うためには、被災者の方々の支援のみならず、亡くなってしまった方達をどのように受け止めるかが問題となる。そこで死生観があらためて注目されるなか、インドの死生観を探求することは大きな意義がある。
ヒンドゥー教において、死、より正確に言えば火葬は、個我(霊魂)の神々への供犠として象徴的に構成されている。すなわち、供犠は卓越した創造的行為であり、供犠者の再生をもたらすばかりでなく、宇宙を更新するものでもある。このような重大な目的に向けた手段として役立つために、供物そのもの―供犠者自身―が相応しいものでなければならないばかりか、供犠者が供物を完璧に放擲しなければならない。何故なら、供犠の本質は供犠者の捨離(ティヤーガ)であるからである。
それゆえ、死は生命の「任意」の放棄であり、肉体の「統御された」廃棄なのである。範例的な「良い死」(スマラナ)では、死に行く人は、供犠のまえの犠牲のように、死の数日前から食物の摂取を止め、ガンガー川の水と神像を洗浴した水(チャラナ・アムリタ)を混ぜたものだけを飲んで肉体を弱め、気息が肉体を離れやすいようにして、汚れた糞便のない供犠に相応しい供物になろうとする。そして、思念があとの運命を決定するかもしれないので神の名号の読誦に合わせて死に臨まなければならない。また、その時人は世俗への未練を払拭しなければならない。未練を残したまま亡くなれば、悪霊として何千年もの間さ迷わなければならないからである。さらに、臨終のとき生に固執すれば他者の生命を危険に晒すとされている。老人が死の召喚への注意を怠れば、死が家族の若い成員を連れ去るからである。「良い死」は、人が自分の能力を十分に発揮できる間に男子の孫の結婚を見届けられるような完璧な生涯を送って近親者に見守られながら死に臨めば、迎えられるとされている。死に行く人は、死への旅立ちの時間を予告しておいて、息子達を呼び寄せておき意識を集中させておいて生を捨離する。その人は死んだのではなく身体を放棄したと言われるのである。
このような死生観は死生を考察するにあたって大きな示唆を与えてくれるものといえよう。そこで最新の研究を踏まえ、インドの死生観を広く一般に提示するために本研究に着手するに至った。
本研究は、インドの宗教の八割強をしめるヒンドゥー教に着目し、教義・哲学の面よりもむしろ生活する民衆の視点から、カビールら宗教詩人の民衆への浸透、聖地ヴァーラーナスィー(バナーラス)における葬送儀礼などの詳細な研究を通じて、インドの死生観を把握する。ヒンドゥー教のさまざまな分野におよぶ聖典など、文献研究に基づく死生観の研究を行うとともに、民衆にとって死生がどのようにとらえられているかを実地に把握する。また、死後の存在について、ヒンドゥー教の神話に対して人間本来のあり方を追求するには無益であると弾劾した、十五~十六世紀の織工であった宗教詩人カビールなど、宗教詩人の存在も忘れてはならないだろう。カビール、ミーラーン・バーイー、トゥルスィーダースらの詩作についても死生観との関連から検討する。さらに、インドの都市構造の研究から、都市構造と死生との関連を検討する。そして、以上の分野での研究を総合して、インドの死生観の特色を提示する。
研究組織は以下の通りである。
研究代表者 役割分担
橋本泰元 研究所長 研究の統括、インド民衆の死生観
研究分担者 役割分担
宮本久義 研究員 インドの聖地と死生観
沼田一郎 研究員 古代インドの死生観
出野尚紀 客員研究員 インドの都市の構造と葬地の関係
本研究プロジェクトは四名の研究者によって構成され、平成二十五年度~平成二十七年度の研究計画で、それぞれの研究者が(1)インド民衆の死生観、(2)インドの聖地と死生観、(3)古代インドの死生観、(4)インドの都市の構造と葬地の関係、といった分担課題のもと、文献研究および、南インド地方の調査、ビハール州ガヤー市の祖先供養の実態調査、ヴァーラーナスィーの聖地信仰調査などの調査を行い、その成果を研究発表会やシンポジウムにおいて発表し、討議を重ねて成果の統合をはかる。
研究の初年度にあたる平成二十五年度は、上記目的を達成するため、各研究者が文献研究、調査研究を進めている。
代表者橋本研究所長は、インド民衆の死生観という分担課題のもと、ヒンドゥー教の一派シュリー・ヴァイシュナヴァ派の南インド諸地方への影響とその世界観における生死観を研究し、中世ヒンドゥー教の民衆的信仰における生死観研究を進めている。また、中世北インドのカビール思想に酷似しているスィク教の根本聖典の原典研究とそこに見られる生死観について論文の執筆を予定している。
宮本研究員は、ナーラーヤナ・バッタ作『トリスタリーセートゥ』(十六世紀)の第一編「サーマーンニヤ・プラガッタカ」の祖先供養関連の章を、他の聖地信仰関連文献(『マツヤ・プラーナ』、『パドマ・プラーナ』、『スカンダ・プラーナ』所収のマーハートミヤ)、および祖先供養関連文献を参照しつつ解読して和訳と訳注を作成し、ビハール州ガヤー等の北インドのヒンドゥー教聖地における祖先供養のあり方を考察している。
沼田研究員は、インド南西のカルナータカ州にある、シモガ市周辺およびシュリンゲーリのシャーラダーピータ(シャーラダー女神の霊場)において、ヒンドゥー教徒に1.初期ヴェーダの死後観念を知っているか。2.解脱・輪廻についてどのように考えるか。3.あなたにとって最も重要な神は? といった聞き取り調査を行っている。シモガ市はラーメーシュヴァラ寺院などのヒンドゥー教の寺院があり、シュリンゲーリは中世インドの宗教家・哲学者のシャンカラが創設したというシャンカラ派の僧院がある。
出野客員研究員は、インド建築論書を精査して都市構造と葬地の関係を解明しようと努めてきたが、視点を変えて、葬送儀礼と葬地の関係から、都市における死生観を把握しようとしている。また、十二月二十一日の研究発表例会において、「インド建築論が構築した「世界」について」という研究発表を行っている(研究発表例会の項参照)。
以下に沼田研究員の調査報告を示す。
研究調査
聖地における死生観の調査
沼田 一郎 研究員
期間 平成二十五年九月十二日~九月二十一日
調査地 インド
研究所のプロジェクト「インドの死生観の研究―聖典・聖地・都市構造にみるインドの死生観―」の研究分担「古代インドの死生観」において、インド哲学史の最重要人物であるシャンカラの伝統が生きるカルナータカ州シュリンゲーリその他の場所で、調査を実施した。当初はガンガー上流域を対象地としていたが、洪水の発生によって実施不可能となり変更した。
研究分担においては、上記プロジェクトの目的が、文献研究に基づく死生観の研究を行うとともに、民衆にとって死生がどのようにとらえられているかを実地に把握することにあることから、ヴェーダ文献等サンスクリットの古典文献を調査して、古代インド人の死生観念、来世観念を明らかにするとともに、インドに赴いて現代インドのヒンドゥー教徒の意識や実践を調査する。今回は、以下の点について聞き取り調査を行った。焦点を当てたのは「輪廻」の教説における業の善悪についての意識である。
1.初期ヴェーダの死後観念を知っているか。
2.解脱・輪廻についてどのように考えるか。
3.あなたにとって最も重要な神は?
九月十二日、京都から関西国際空港に行き、飛行機に搭乗、デリー空港に到着。九月十三日、早朝デリー空港からバンガロール空港へ、バンガロール空港から陸路でシモガ市に午後五時に到着。九月十四日、シモガ市周辺で死生観についてインタビュー。シモガ市はカルナータカ州にある地域で、高等教育に力を入れているが、ケラディ・ナーヤカ朝時代(一四九九―一七六三)に建てられたラメーシュヴァラ寺院など、ヒンドゥー教の寺院がある。
九月十五日、午前十時頃バスでシモガ出発、午後二時頃シュリンゲーリ到着。九月十六日~十七日、シュリンゲーリのシャーラダーピータ(シャーラダー女神の霊場)で死生観についてインタビュー。シュリンゲーリはシモガ市から105㎞ほど離れたところにあり、中世インドの宗教家・哲学者のシャンカラが創設したというシャンカラ派の僧院がある。
調査については、
1.一般のヒンドゥー教徒の場合
人は死ぬと神の前へ行く。そしてそこで生前の行為の善悪が判定されるのである。人間は七回再生することができる。
2.バラモンの場合(金融機関勤務)
善悪を判断するのはブラフマンである。人間の場合その基準となるのはダルマであり、それは人間にしか実践できないのだ。
3.バラモンの場合(研究者、公立の写本図書館勤務)
ブラフマン=最高アートマンはすべてを見ているので、それが善悪を判断する。
4.バラモンの場合(十代前半の少年)
わからない。(しばらくして)それはブラフマンだ。
おおよそ以上のような回答を得た。市井の民衆と、学識あるバラモン、学習途中の少年のそれぞれで回答が異なっているところが興味深い。
九月十八日、シュリンゲーリからマンガロール、ムンバイを経てデリーに移動。九月十九日、デリー市内のムスリム地区にてニザーム・ウッディーンのダルガー(聖者廟)見学およびカワッリー鑑賞。ニザーム・ウッディーンは十三世紀から十四世紀にかけてインドで活躍したイスラームの聖者で、カワッリーとは主に聖者廟で演奏される宗教歌謡である。聖者の死の意味とその影響を知る上で貴重な経験であった。九月二十日、デリー市内見学後、午後十時十五分に関西国際空港行きに搭乗。九月二十一日、関西国際空港に到着した後、京都に
帰宅。
以上、インドの死生観を把握するにあたり、有益な調査であった。