かつての多国籍企業にとっては、経済の現実と政治の現実は一致していた。国が経済単位だった。
しかし今日のグローバル企業、および変身中のかつての多国籍企業にとって、国はコスト・センターにすぎない。企業にとって、あるいは企業以外の組織にとっても、国は、戦略上も生産活動上も、経済単位ではなく、厄介の種にすぎない。
もちろん国境自体はマネジメントに取って重要な意味をもち続ける。しかし現実のマネジメントは、政治ではなく、経済の実体が規定する。(p41)
ドラッカーは、企業や企業以外の組織はその属する社会に対してそれぞれの役割を果たす、つまり成果を上げることによってその社会から存在を許されるという考え方を取っています。
社会の一員として役割を果たすという場合の「社会」が、国の範囲を超えてしまっているという現実を指摘し、国という組織が企業の足を引っ張るようなことが起きていると述べているのです。
国は、国民向けの共通サービスを提供するとともに、国民の生命・財産を守るということが主な役割といえるでしょうが、その原資は主に税金です。
国内のさまざまな組織と国とを金銭的に結びつけているのが税金です。消費税や固定資産税のように、地域が限定されているものは比較的分かりやすいのですが、法人税のように利益に対して課税されるのは国をまたぐと厄介です。
A国で設計し、B国で資材調達をし、C国で組み立てを行い、ABCDEFG国で販売を行っているグローバル企業があったとします。国をまたいだビジネス全体で利益を出していますが、個別の国に対して、例えばA国にはいくらの法人税を支払うべきでしょう。
多分ドラッカーはこのようなことを厄介ごとといっているのだと思います。
In the traditional multinational, economic reality and political reality were congruent. The country was the “business unit,” to use today’s term.
In today’s transnational—but increasingly, also, in the old multinationals as they are being forced to transform themselves—the country is only a “cost center.” It is a complication rather than the unit for organization and the unit of business, of strategy, of production and so on.
National boundaries will continue to be important. The practice of management will increasingly have to be defined operationally rather than politically.
2014/6/18