2023年1月21日例会発表要旨

中世真宗史料の僧夫婦に見る法脈と継承

―特に『三河念仏相承日記』と上宮寺周辺史料の坊守の記述を中心にー

板敷真純(中村元東方研究所専任研究員)

真宗では道場主の妻を「坊守」と呼び、中世では多くの坊守たちの活動が見られる。そしてその活動は特に道場主没後に表れ、道場の保持など多岐にわたった。もともと先行研究では、十四世紀以降の道場主の妻はほとんど史料に見られないと言われてきた。しかし真宗史料の中には、論究されていないだけで主体的に活動する中世の坊守の姿が見られる。

本研究では『三河念仏相承日記』を用いて、三河地方の坊守の動向について論究を行う。これにより日本仏教史における女性の活動の一端を明らかにすることが出来ると考える。

『三河念仏相承日記』とは、三河地方における初期真宗の門弟たちの動向を記したものである。そしてその由来は高田真仏、顕智たちが三河の薬師寺で念仏勧進を行ったことがその始まりとする。その後は顕智が三河に滞在し、念仏教化を行った結果、多くの人々が念仏の教えに帰依したことを記している。また本書は複数の別々に成立した史料をまとめて書写されたものと言われている。さらに奧書には貞治三年(1364)の記述があることから、南北朝時代に作成された貴重な史料と考えられてきた。このため貞治三年(1364)時点で既に成立していた三河の初期真宗の伝承と動向をまとめたものと言える。
まず『三河念仏相承日記』前半には、顕智の三河教化後に念仏の教えに帰依した人物の名前が記載されている。注目すべきは、最初の監帳次郎ほか、十二人の名前の後ろに「二人」の文字が見えることである。先行研究では、この「二人」の記述は夫と妻の「二人」を意味し、夫婦で念仏の教えに帰依したことを示すものと言われてきた。また『三河念仏相承日記』には、實成坊、光信坊などの法名を持つ門弟にも妻がいたことを示している。

もともと真宗では、仏光寺了源、了明尼夫婦など、早い時期に家族で道場運営を行う門弟たちの姿を見ることが出来る。つまり『三河念仏相承日記』の記事は、初期真宗において、道場主夫婦から弟子夫婦への法脈相承が複数あったことを示している。このことは当時の初期真宗では、夫婦で道場を相承し道場の運営を行っていた門弟もいたことが推察出来る。

この他、『三河念仏相承日記』の中盤と後半には、三河門徒の夫婦での高田参りや妻が先師像を安置するといった記事が確認でき、真宗では僧夫婦や僧の妻が主体となって活動していたことが示唆される。

 

新羅華厳文献所引の『華厳五教章』テキスト

佐藤厚(東洋大学文学部非常勤講師)

『華厳五教章』(以下『五教章』)は、華厳宗第三祖とされる法蔵(643-712)の作で、華厳学の基礎文献である。『五教章』にはテキスト問題があり、伝統的に日本初伝の和本、中国所伝の宋本という2種類が伝わり、①題目、②構成、③語句が異なっている。現在の『五教章』テキスト研究では、これに朝鮮半島所伝の錬本を加え、和本と宋本のどちらが原型か?が議論されている。吉津宜英博士の説が定説となっており、それを簡単にまとめれば、法蔵は和本の形のものを作ったが、澄観の教学の影響を受けた高麗で構成が変わり、それが中国にわたり現在の宋本のもとになったという説である。
発表者もこの問題に関心を持ち調べている。現在は基礎作業として、様々な文献に引用された『五教章』を対象とし、それが和本に近いのか、宋本に近いのかという観点で研究を行っている。本発表では新羅時代の朝鮮半島関連の文献である①表員『華厳経文義要訣問答』、②見登『華厳一乗成仏妙義』に引用されたテキストについて考察する。

表員『華厳経文義要訣問答』は743年以前の成立と考えられ、華厳学上の問題を様々な文献を引いて議論し、中では『五教章』も引用される。これを和本、宋本と比較した結果、校異件数150件中、和本と同じ62、宋本と同じ20、和本の異本と同じ8、独自60であった。このように和本と同じ部分が多いが独自の部分も多いことから、和本に近い独自なテキストと考えられる。
見登『華厳一乗成仏妙義』は800年代半ばの成立と考えられ、華厳学上の成仏論を智儼や法蔵の文献を引いて議論し、この中で『五教章』も引用される。そして引用の際、「五教下巻」として所詮差別を引くことから構成は和本型であることは既に指摘されている。さらに日本の寿霊の注釈を引用することから、純粋な新羅撰述ではないことも指摘されている。この中に引用された『五教章』を和本、宋本と比較した結果、校異件数40件中、和本と同じ25、宋本と同じ3、和本の異本と同じ1、独自11であった。このように和本と同じ部分が多いが独自の部分も多いことから、和本に近い別テキストと考えられる。構成は和本型である。ただ、これを日本の和本型と考えるか、新羅にあった和本型テキストと考えるかは今後の検討が必要である。

以上、二つの新羅華厳文献をとりあげた。語句の面では双方とも和本に近い別テキストと考えられた。今後は、今回の新羅時代の表員、見登と高麗時代の均如とを比較して、朝鮮半島のオリジナルテキストについて考えてみたい。

 

『マハーバーラタ』第12巻「ラージャダルマ篇」とダルマ文献の関連

沼田一郎(東洋大学文学部東洋思想文化学科教授)

『マハーバーラタ(MBh)』第12巻「シャーンティパルヴァン(寂静の巻)」は3つのサブパルヴァンからなっている。その第1部「王がなすべきこと(Rājadharma:以下Rdh)」章ではユディシュティラにビーシュマが王の務めを説く。MBhは王族同士の王位継承の闘争を描いた叙事詩であるから王の務めすなわちラージャダルマ(rājdharama)とは親和性がある。このrājadharmaは、ダルマ文献の中では『マヌ法典』においてはじめて体系的に叙述された。バラモンのヴェーダ祭式学の伝統と、世俗社会の政治経済などを主題とする「アルタ(artha)」の学とが融合したのである。『マヌ法典は』バラモン的な社会規範はヴェーダ的伝統から受け継ぐ一方で、司法裁判規定を重視し、それが後代のインド伝統法学へと発展したのであり、それは現存する『実利論』から大きな影響を受けたものと考えられる。

Rdhはの内容を整理すると、1.社会秩序の維持、2.国家の役割、3.臣下の任命、4.都市と国家の構成要素、5.バラモンとの協力関係、6.親族の重視、7.国家の階層的統治と徴税、8.王の倫理、9.戦争における戦略、10.刑罰の諸項目からなる。これは『マヌ法典』や『実利論』と重なるものであるが、司法裁判規定を欠いている。『マヌ法典』では司法裁判セクションが全体の4分の1近くを占めているのと対照的である。

先行研究としては、山崎元一、原実、井狩彌助の共同研究などがある。特に井狩等の成果はテキストの対応関係を網羅的に示した資料的に有益なものであるが、科学研究費の報告書として公表されているものはその一部分である。今後はRdhの和訳を公表しながら、MBhのrājadharmaとダルマ文献のrājadharmaの関係を明らかにしていきたいと考えている。