やるべきこと

ポケモンリーグから、もう半年。すっかりマスコミがポケモンリーグに飽きて、日々の平穏を取り戻した頃。

桜が散り、代わる代わる毎日違う花が咲く季節となった。オーカは十一歳となり、そして長年関係が断ち消えていた友人たちと復縁をしていた。

昨日の誕生日に贈られたスピアーのぬいぐるみは、大切にベッドに飾られている。本当なら抱いて寝たいところだが、あまり構うとビーすけの方が拗ねるので飾るだけだ。

「おはよう、お母さん」

「おはようオーカ。お友達待ってるよ」

「えーっ、早い!」

「オーカがねぼすけさんなんだよ」

十時を回った時計を見ながら、慌てて食事をかき込んで家を出る。そのあとすぐに荷物を一切持っていないことを思い出してばたばたと部屋に駆け上がった。

トキワの森の能力をコントロールできるようになってから、オーカの睡眠状況は格段によくなった。日中の昼寝が必要なくなったし、夜も少しだけ遅くまで起きていられるようになった。それでも変わらず朝早く起きることは苦手だし、うっかりすると一日中寝てしまう。まともに動ける時間が限られてくるせいで予定をすっぽかしてしまうことも――母に起こしてもらうとしても――なくはない。

わざとでは、ないのだけれど。

大慌てで扉を開けると、その先には一人の少女――アケビが待っていた。

「ご、ごめんねアケビちゃん、ぼく……」

「おはようオーカちゃん。ふふ、ねぼすけなのは変わんないね」

息を切らして謝るオーカに、アケビは少し笑ったあと気にせずに手を差し出す。もう他のみんなは集まってるよ、と世間話のように言って、けれどまったく焦る様子もなく歩く。

アケビは、昔よく遊んでいた女の子だ。赤茶けた髪をポニーテールにして、リボンをつけている、おしゃれな女の子。しっかり者で面倒見がよくて、だけどちょっとマイペースだから、あまり周りに流されないところがあった。だから、同い年の中でもとびきり小さくて、すぐに眠ってしまうオーカと遊ぶのも嫌な顔せず、よく妹のように世話をしてくれていた。

毎日同じ時間にオーカのことを迎えに来てくれて、こうやって手を繋いで待ち合わせ場所に連れて行ってくれるらしい。もっと子供だった頃、仲違いをする前までと同じように。

彼女の手を握っていると、本当に仲直りをしたのだと実感する。そして昔以上に広がった身長差を見て、全く同じ関係に戻れたわけではないことも、わかってしまう。

彼女の手から伝わってくる。まだ少し、どうオーカと向き合ったらいいのか悩む気持ち。同時にきっと、オーカの戸惑いも彼女に伝わっているはずだった。

「懐かしいね、こうやって歩くの」

「うん。……僕、アケビちゃんの手が好き」

「そうなの?」

「うん。また来てくれて、うれしい」

だからせめて、もう一度友達でいられることが嬉しいと伝える。ちょっとだけ手を握る力が強くなったかと思うと、体温が上がったように思えた。見上げれば、アケビの耳が赤くなっているのがよく見える。

もしもアケビたちが誕生日に来てくれなかったら。オーカは彼女たちと向かい合うことは出来ただろうか。オーカは見返したい気持ちはあっても、もう一度友達になりたいと考えたことがなかった。どんなに自身の潔白を証明したところで、受け入れてもらえるとは思っていなかったから。だからきっと、オーカからなにかすることはなかっただろう。今もあの日オーカを馬鹿にした男子を探すことさえしていない。

もう一度繋いでくれた手を握り返す。

切れた縁を、もう一度繋いでくれたアケビには本当に感謝していた。

「おはよう、オーカちゃん連れてきたよ」

「あっ、アケビちゃん、オーカちゃん!」

「おはよー!」

「おはよう」

オーカの家から十分ほど歩いた先、よく遊んでいた大きなクスノキのある場所で先に二人が待っていた。昔は長かった髪をすっかり切ったアサカ、おさげの三つ編みが綺麗なツヅラ。それから、彼女たちがそれぞれ抱えているのはコラッタとキャタピーだ。

離れていた三年の間に、彼女たちもトレーナーとなっていたと知ったのは、つい昨日のこと。丸々と太ったコラッタとつやつやとしたキャタピーは、彼女たちのバトルの実力を読み取るのに十分だった。

「今日はどうするの? 昨日と同じ、おしゃべり?」

「違うよ~。今日はね、冒険するの」

「そう! オーカちゃんもいるしね」

友達再縁記念の昨日は、一日中オーカの旅の話をしていた。せびられるままに、ジョウトへ修行に行っていた時のこと、ポケモンリーグに出ようとした時のこと、サツキと出会ったこと、カケルとメルと過ごしたこと――それらをずっと話していたから、今日は三人の今までを聞きたかったのだが。

元々オーカたちは大人しい方のグループだった。基本は誰かの家でお絵かきしたり、ごっこ遊びをしたり、たまに外に出てもマサラタウンに住み着いた人によく懐いたポケモンと遊ぶ程度だった。それなのに、まさか友達から冒険という言葉が出るとは。

驚くオーカに、彼女たちは困ったように顔を見合わせる。

「だって、昨日のオーカちゃんの話聞いたら羨ましくなったんだもん」

「たしかにバトルはできないけどさ、西の森くらいなら入れると思うんだよね」

「まぁ……たしかにあそこには、それほど強いポケモンはいないと思うけど」

「ちょっと歩いてみるだけ、大丈夫だよ」

ね、とアケビが手をひっぱる。

西の森は、子供たちはみんな入らないようにきつく言い含められる場所だ。野生のポケモンが多く、町を闊歩しているポケモンと違って人慣れしていないのがほとんどなために襲われる率も高くなる。とはいえ、ある程度の力量があればそれほど怖い森ではないことを、オーカは知っている。バッジを手に入れるだけの力量すらいらない。

丸々と太ったコラッタと、傷ひとつないキャタピーを見る。彼女たちに西の森に入れるだけの技量はない。バトルをしたことがあるのかさえ疑問だ。アケビに至ってはポケモンを持ってもいない。それでも行ってみたい、そう思わせるほどオーカの旅話は面白かったのかと思う。

――まぁ、僕が全部守ればいいかな。

森の危険と自分の力を照らし合わせて、オーカは仕方ないなと了解した。

「いいよ。でも僕から離れないでね?」

「もちろん!」

「ありがとう、オーカちゃん!」

ぱっと笑う彼女たちに頼りにされるのは悪い気分ではない。

それじゃあ、と西の森へと足を進めようとするアケビの手を離し、オーカは腰につけたモンスターボールを二つ取り出す。

しばらく訓練以外の運動をしていなかったから、多少の気晴らしになるといいけれど。二つのボールの中、ばたばたと暴れるピカチュウを見て苦笑する。旅はオーカたちにあまりにも刺激的すぎて、のどかなマサラの空気にこの子はさっぱり満足してくれなかった。

「出ておいで、ビーすけ、ピカすけ」

ボールを放ると現れる二匹の影。薄い羽を忙しなく動かす警告色の体に象牙の針を持つスピアー。それから、勝ち気に笑う黄色のねずみポケモン、ピカチュウ。その姿を見るなり友人たちは一斉に歓声を上げ、わあっと二匹に駆け寄った。

「うわーっ、ビーすけ昔見たより小さくなった?」

「かわいい~っ、ピカチュウなんて初めて見た~っ!」

「僕たちが大きくなったんだよ……。ピカすけ、噛んじゃだめだよ」

突然知らない人に触られて驚いたのか、いたずらがしたかったのかピカすけが口を開いたのを制止する。不満そうにふくれる彼女をツヅラの腕から解放して、地面に下ろしてやればまぁいいでしょうとばかりに鼻を鳴らした。自分から構うのはいいが、構われるのはお気に召さないらしい。

一方人懐こいビーすけはアケビたちを知っている分されるがままになっていた。小さい頃はみんなが見上げていたビーすけは――オーカは今でも見上げているが――飛んでいてもアケビたちと同じ目線に立っている。それが嬉しいのか、ご機嫌に色々アケビたちに話しかけているようだった。オーカや母などのトキワの森の能力がない彼女たちに話しかけてもなにも伝わらないのに、少しおしゃべりなのは昔から変わらない。

「ピカすけ、これから森に入るから、僕たちを連れて行ってくれる?」

ビーすけがやれ久しぶりだの、大きくなったねだのと話しかけているのを聞きながらピカすけにお願いする。すると、みるみるうちに悪い顔になったかと思うと高らかに言った。

「いいわ! 最高のスリルをあの小娘たちに教えてあげようじゃない!」

「スリルはいらないよ、スリルは」

ちょっとお散歩するだけだよ。そう言い含めるとピカすけはふくれ面になったが、無視してビーすけを手招きする。それと同時に、アケビたちの目が一斉に振り向くのを感じながら、オーカは仕切る。

「そろそろ行こうか。ビーすけ、みんなを守るのは任せたよ」

とん、とビーすけの針を撫でれば、彼はにっこりと頷いてオーカの周りを飛び回る。それに合わせてピカすけが先頭を陣取って行くわよ! とばかりに一鳴きした。

+++

アケビにとってオーカは、守ってあげないといけない小さな女の子だった。

同年代に比べて人一倍小さな体。放っておくとすぐに眠ってしまって、気付くと倒れていることさえあって、それを背負って運んであげるのはアケビの仕事だった。話してみれば頼りになるし利発的な彼女だったが、いつも眠そうで目を離したらどこかに消えてしまいそうな子だったのだ。それに加えて、ポケモンと話せると主張するなど、不思議ちゃんに分類されるような女の子だった。

ポケモンバトルが強くて、頭もよくて、しっかりしているのに、すぐ眠ってしまう危なっかしい不思議な子。

彼女の能力がけして嘘ではなかったことに怯えて、疎遠になってしまうまでは、アケビにとってのオーカとはそんな友達だった。

それなのに、今はどうだろう。

ねぼすけなのは変わらないが、すぐに眠ることもなく、凜とした様子でポケモンたちを従えて、今はアケビの前を歩いている。先頭を行くピカチュウも、アケビたちを守るため右隣を飛ぶスピアーも、アサカやツヅラのポケモンとは見るからにオーラが違う。

ポケモンリーグ準優勝者としての風格が、こんなに小さな体に備わっているだなんて。

信じられない気持ちだった。この子を守りたいと思っていたことが、あまりにもおこがましいものだと思い知らされていた。

「うわぁ、西の森ってこんなになってたんだ」

「ポケモンもいっぱいいるけど……みんな、出てこないね?」

「ビーすけたちがいるからじゃないかな。レベルがあまりに違うから、無理には出てこないと思うよ」

ほら、あそこでスピアーの群れが見てる。そう指を指す先に、確かにこちらを伺っているスピアーがたくさんいる。普段なら見かけただけでアケビたちが逃げるものだが、野生のスピアーたちはオーカのスピアーに睨まれて動けないようだった。先頭を歩くピカチュウを見るなり逃げていくポケモンもいて、よほどオーカのポケモンたちが強いことがわかる。

「オーカちゃん、強いんだね……」

「ね、わかってたけど……」

「旅の中では、色々襲われたり、したんだよね?」

「そうだね、色々あったかな」

聞くと、彼女は色々教えてくれる。

野生のピカチュウにお昼ご飯を奪われたこと。ゴースに乗っ取られて意識不明になったこと。サファリでボスポケモンたちに追いかけ回されたこと。

昨日は教えてくれなかった、もっと細かな話も聞かせてくれる。突然出てきたオニドリルに攫われたとか、面倒なトレーナーに絡まれたことなど。もう一年近く前になることを話すオーカの表情は、思い出話を懐かしんでいるようだった。

「怖くなかったの?」

「んー……怖かった、かも? でもポケモンたちがいたから」

最早その時の感情なんて曖昧なのか、オーカはぴんと来ない様子で首を傾げる。

どの時も勝てると思ってたから。自信を持って言い、そして勝ってきた彼女はあまりにも遠い人のように思えた。

このオーカは、自分がかつて遊んでいた子と同じ子なんだろうか? アケビは、オーカと一番仲がいいと思っていた。だがなにも知らなかったのだと、たった数日で気付いてしまった。

――あの時、オーカちゃんを避けたあたしじゃ、近付くことも難しいのかな……。

ゆっくりと胃の腑に溜まっていく、ずっしりとした罪悪感。謝って仲直りした程度じゃ取り戻せない、否、初めから縮まってなんかいなかった距離を自覚していく。

「あ、見て、なんか洞窟があるよ」

「洞窟!? マサラにそんな場所があるなんて初めて知った!」

「ええ、アサカちゃん、行くの?」

「行こうよ、ここまで来たんだから。ねぇアケビちゃん!」

好奇心旺盛なアサカが、控えめなツヅラの腕を掴んで急かす。呼ばれたアケビは状況を飲み込めないながら、慌てて後を着いていった。

+++

西の森の奥深くに現れた、謎の洞窟にオーカたちは足を踏み入れる。

オツキミ山のような整備のされていない野生の洞窟。しかしイワヤマトンネルよりは光が通っており、見る限りそこまで深くはないようだ。壁は岩ではなく土であり、もしかしたらポケモンが掘った洞穴かもしれない。この近くで巣を作るようなポケモンなら、どんなのがいるだろうか。オーカは思考を巡らせながら、襲ってくるかもしれないと警戒を続けた。

先頭を歩くピカすけも、周囲を照らしながら警戒を怠らない。しんがりを務めるのはビーすけだ。他の三人をきちんと守ってくれると信じていた。

「ここ、なんだろう……?」

「洞窟っていうより、洞穴?」

「うん、多分だけどポケモンの巣じゃないかと思う。みんな、僕から離れないで、すぐに逃げられるようにしてね」

オーカの忠告に三人が身をすくませる。どこか危険な場所に踏み入れてしまったのではないか、大人に怒られるんじゃないか。そんな恐怖をオーカはとうに忘れてしまったが、トレーナーですらない彼女たちは違うのだ。

そんな無力な一般人を連れてきたオーカには守り切る義務があった。

各々がゆっくり足音を鳴らさないように歩くようになる。進みはゆるやかになり、やがて口数も減り無音になっていく。それでも誰も帰ろうとは言わなかった。恐怖をしながら、この先が気になっていたのだ。息を飲んで、暗闇の先を探った。

鬼が出るか、蛇が出るか。

洞穴はやがてゆっくりと幅が狭くなっていく。天井も低くなりはじめて、オーカ以外の三人は中腰になってさらに進む。この高さではいざ逃げるとなったときに危ない、戻るか。そうオーカが逡巡した時だった。

目の前に、突如大きな影がぬっと現れたのだ。

「――逃げてっ!!」

とっさに叫んだ。

紫の装甲に身を包み、大きな耳は天井すれすれに広がっている。ずしりと大きな一歩を踏み出すそれの額には、濃い毒を分泌する針が生えていた。

――ニドキングたちの巣か!

きゃああああ!! と悲鳴を上げて逃げ出す声を背に、オーカは時間を稼ぐためにニドキングと対峙する。能力で場を納めてもいいが、まずは彼女たちを逃がす方が先だ。ビーすけがついていれば、おそらく大丈夫だと思うが。

「ピカすけ、でんじは!」

足止めとして、まずは体の動きを鈍らせる。ピカすけの動きに着いてこられていない、レベルはそこまで高くないだろう。だからといって油断するわけにもいかない。

オーカはじりじりと後退しながら、ニドキングに怪我をさせない程度に牽制を続けた。巣にはおそらく彼の家族がいるのだろう、ここで踏ん張らなければいけないのはお互い様だ。

――お前に恨みはないけど、ちょっとだけ僕の相手をしてもらうよ。

適度にピカすけが攻撃を退けているのを見ながら、オーカは背後の様子を伺う。避難は済んだだろうか。遠くなるとビーすけの声も聞こえにくくなる。耳を澄ませ、彼の声を探った。

そのとき、視線の端になにかが走る。

「!?」

「コータローッ!!」

アサカの悲鳴と、突如現れたコラッタがニドキングへ吶喊するのは同時だった。

小さくて丸々と太った体で懸命にもニドキングの腹めがけて体当たりをしたかと思うと、今度は必死に前歯を装甲へ突き刺そうとする。ニドキングが煩わしそうに腕を振り上げたのを見て、オーカが指示を叫ぶのとコラッタの体が吹き飛ぶのは同時だった。

「アイアンテー――しまった!」

乱暴に振り払われたコラッタを抱え、背後をもう一度確認する。避難は完了した、もうここにいる必要はない。

ピカすけ、と名を叫び逃げる。最中、巣に踏み入ってしまったお詫びにニドキングの傷を回復させながら、オーカは必死に走った。能力を使った代償に眠気が襲うのも無視して、追ってこないのも確認をしながら走った。

洞穴は走ってしまえばそこまで長くもない距離だった。一分もしないうちに出口が見えてきて、逃げていた三人がオーカを出迎えてくれる。アケビの胸に飛び込む形でオーカはゴールを迎えた。

「オーカちゃん、大丈夫!?」

「オーカちゃん、どうしよう、コータローが」

「コラッタなら、連れてきたよ。怪我はさっき治したから、大丈夫だと思うんだけど」

腕に抱えた太ったコラッタを見る。顔色は悪くない、怪我もニドキングと一緒に治してある。おやであるアサカを守りたくて飛び出したのだろうが、まったく無茶をする。もうこんなことするんじゃないぞ、と言い含めてアサカへと渡した。

無事でよかった、とコラッタを抱きしめるアサカにツヅラが寄り添う。ツヅラの肩に乗っているキャタピーも無事なようだ。洞穴を出れば危険もなかったらしく、三人に怪我もない。ひとまずオーカも胸を撫で下ろす。

「怖かったね、ニドキング……」

「ここ、ニドキングの掘った穴だったんだ」

「オーカちゃんがいてくれてよかった。ありがとう、ごめんね」

「いいよ。でも、もうそろそろ森を出よう?」

オーカが提案をすれば、三人も頷く。

そろそろお腹空いたね、とツヅラが溢した途端、緊張がほぐれたのかアサカがぐぅぅと大きな音を立てたのでみんなで笑って森を後にすることにした。

+++

お昼ご飯はアサカの家でごちそうになることになった。アサカのお母さんはオーカの顔を見るなり久しぶりとテンションを上げ、やれ小さい変わってないと盛り上がり、豪勢にもオムライスを作ってくれたのでそれをみんなで楽しく食べた。

アサカのお母さんは料理が上手で、オムレツを割るととろっとした半熟の卵がケチャップライスにかかって感動した。お店で食べるような料理を作れるお母さんがいるなんて、羨ましい。

母の料理もおいしいが、母は凝ったものは作れないのだ。そういうものを食べたいときは、大体外食になる。アサカちゃんはいいな、と漏れそうになるのはなんとか我慢した。

ふわふわのオムライスを完食し、午後はなにをしようか、とみんなで流れていたアニメを見ながら話す。アニメばかりが流れる有料チャンネルらしいそれでは、オーカが生まれる何十年も前のものがBGMとして流れていた。

「……コータロー? どうしたの?」

ぼんやりと古いアニメにみんなが注目していると、アサカがふと呟いた。

腕の中でぐったりとした様子のコラッタが、苦しそうにしている。様子がおかしいのに気付いて、全員の視線がコラッタに注がれた。

「どうしたの?」

「コータローの様子が変なの、ご飯もろくに食べてなくて……」

「おかしいな、さっき傷は……待って、毒消し探してみる」

コラッタがニドキングに殴られたのを思い出し、オーカはポシェットから毒消しを探す。傷は治したが、毒状態になっているかもしれない。トキワの森の能力で治せるのは単純な傷だけで、毒も麻痺も混乱だって治せないのだ。

探し当てた毒消しを、コラッタの口に差して注入する。普通ならこれですぐによくなるはずだが。

「コータロー……?」

「よく……なってないね?」

毒消しは確かに飲んだ。しかし、コラッタには効いた様子がない。

オーカは思考を巡らせる。毒状態ではなく、外傷も治っている、しかし状態が悪いこれは。

「病気……なんじゃない?」

「病気? さっきまで元気だったのに」

「ニドキングの毒が普通とは違った効き方をしちゃったんだ。バトルをきっかけに病気になるポケモンもいる、病院に行こう」

「オーカちゃんは治せないの?」

「僕は、治せないよ」

トキワの森の能力は超能力だ。だが効果はあまりに狭く、怪我しか治すことが出来ない。それがすごいと人は言う。だがオーカからしたらなにもできないのと同じだ。

こんな場面に立ち会ってなおさら実感した。トキワの森の能力は無力だ。

単純な毒や麻痺ややけどなら、市販の薬で治すことが出来る。しかしそれを越えたら病院で医者に見てもらうしかない。人間となにも変わらないのだ、ポケモンだって。

「わかった。……おかあさーん!」

コラッタを抱いてアサカがお母さんに駆け寄るのを見ながら、オーカは自分の無力を実感した。ポケモンバトルができたって、トキワの能力が使えたって、オーカにはなにもできない。オーカにポケモンは治せない。

とても悔しかった。やはりこんな能力は嫌いだ。できないと言うしかない、特別な力なんて信用できない。

「ごめん、みんな。今から病院行ってくるから、今日のところは……」

「うん、お大事にね」

「ありがとう。オーカちゃん、今日は楽しかったよ。連れてってくれてありがとね」

お母さんに話を通したらしい、アサカがぱたぱたと寄ってきて解散を告げる。アケビもツヅラも頷いて、全員でアサカの家を出ることにする。

家の前で病院に行く親子を見送ってから、オーカたちはとぼとぼとどこに行こうか彷徨い歩いた。続けて遊ぶには少し、空気が重い。だが少しマイペースなアケビだけは、ちょっとだけとぼけた様子でどこがいいかなぁ、と呟いていた。

「コータロー、よくなるといいね」

「うん……きゃべつが無事でよかった。コータロー途中で戻って行っちゃったもんね」

「どんなにバトルができなくても、トレーナーを守りたい気持ちは強いんだね」

「アケビちゃんはポケモン捕まえないの?」

「うん……それなんだけど……」

ツヅラがキャタピーを撫でながら、アケビに話を振るとそれまでのマイペースな様子が崩れる。少し言いよどみ、それからオーカの方を振り返った。

立ち止まった彼女と向き合う形になったかと思うと、アケビはオーカの手を取って宣言する。

「あのねオーカちゃん、あたしもポケモントレーナーになろうと思うの!」

「え? うん」

「それでオーカちゃんみたいに旅をして、強くなって、ポケモンリーグに挑戦する! オーカちゃんと同じ世界を見てみたいって、さっき思ったから!」

熱烈な宣誓にオーカもツヅラもきょとんとしてしまう。

アケビはしっかり者でマイペースな子だ。周りの流行りにもあまり興味を示さなくて、だからポケモンも持っていないんだと思っていたが、それがいきなりどうしたのだろう。オーカに触発されて旅に出たいと思ってもらえたのは、嬉しいものだが。

「だからオーカちゃん、あたしのポケモン、一緒に捕まえに行ってくれない!?」

「うん、いいよ」

今日の予定はそれになるらしい。アケビはオーカの返事を聞くなり、赤く染まった顔でほっと胸を撫で下ろす。なにを緊張することがあるんだろうか。

しかし、今日の出来事でアケビも夢を見つけるなんてすごい偶然だ。

「偶然だね、アケビちゃん。僕もさっきやりたいこと思いついたの」

「え、なぁに?」

「僕、獣医さんになろうと思うんだ」

トキワの森の能力は、ポケモンの傷を治すことしか出来ない。毒も抜けなければ病気も治せないのだ。それを思い知らされて、やはり能力に頼ることは無意味だと考えた。ならばなにをするべきか。

それは、携帯獣医として学び技術と知識を手に入れること以外にないだろう。

結局、オーカには能力なんて無視して技術と知識を身につけていくことしか手段がないのだ。こんなものに頼ろうとしているだけ時間の無駄だ、自分の力でなんとかできるようになりたかった。元々ポケモンに関わる仕事になりたいと思っていたのだし、都合もいい。

今から勉強しても間に合うかだけはやや不安だったが、これまでも勉強で手を抜いた覚えもないのでなんとかなるだろうと思っていた。

「え、獣医……?」

「うん。一緒に夢叶えようね!」

じゃあポケモン捕まえに行こうか、なにがいいの? そう聞きながらオーカはアケビの手を握って歩き始める。ディすけに乗ればトキワの森までなら足も伸ばせるだろうし、できるだけリクエストには答えてあげたい。

アケビに似合うポケモンならなんだろうなぁ、と考えていると、少し後ろでオーカちゃんって残酷、などと呟くツヅラの声が聞こえた。

+++

「おかえりなさい、お父さん」

「ただいま」

グリーンが家に帰るのはいつも夜十時を超えてからだ。いつものように眠そうなイエローが出迎えてくれる。娘のオーカがこの時間まで起きていたことは一度もなく、今日もまた例外ではなかった。

荷物を置き、食卓に行くと温められた食事が揃えられている。今日はなすの味噌汁らしい、一口飲むとようやく仕事で緊張していた糸がほぐれていく。どんなに無理をしても、徹夜をできるだけしないで帰ってくるのはこれのためだった。

「そういえばお父さん、オーカが今日、獣医になりたいって言ってたんですよ」

「ほう? それはポケモンの方か」

「ええ。だから今度参考書を買って欲しいって。まだ遊んでてもいいくらいなのに」

獣医には二種類ある。ポケモンの治療に当たる者と、ポケモン以外の動物を看る者だ。どちらも国家資格だが、携帯獣医の方がなるのは難しい。オーカは賢いが、勉強を少しでも怠れば簡単に挫折してしまうような険しい道になるだろう。

それになりたいと、言うらしい。なんとなく自分のように研究者の道に進むのではないかと思っていたが、そうならなかったのは残念というべきなのだろうか。

「なるほど、いいんじゃないか」

「でも、あの子になにをしてあげたらいいんでしょう? この辺には塾もないし……マサミくんも生物系だったけど、忙しいからあまり頼れないですよね」

「そうだな……」

獣医になるなら、大学に行くための勉強続きになる。甥のマサミはタマムシ大学で携帯獣生態学を修めていたが、オーカが進むなら携帯獣医学部だから参考程度にしかならない。グリーンの知り合いに医者がいないこともないが。

と、そこまで考えてひらめいた。娘のやる気が続くようなら、もっといいところがある。

「カロスに行かせてみるのもいいかもしれないな」

「……また留学ですか?」

「もっと先の話だ、もっと先の」

娘を手放したがらない妻が低い声になるのを、いますぐじゃないと宥める。

ジョウト留学や旅が重なっていたからか、この話でやたらグリーンは責められるのだ。もうオーカも戻ってきて、半年は家にいるのだから時効にしてほしいのだが。

「カロスのミアレシティに俺の恩師がいる。ミアレ大学ならタマムシよりレベルの高い勉強もできるだろうし、オーカが希望するなら下宿させるのも悪くない」

「……それ、何年かかるんですか? 医学部って六年制ですよね?」

「……語学留学のためにもう少し早く行くなら、最低でも八年くらいか」

「僕は絶対に反対ですよ!? なんでそんなに長く娘と離れないといけないんですか!」

「あくまでオーカが希望すればの話だ」

「行くに決まってるじゃないですか、あなたの子ですよ!?」

グリーンが祖父の研究を引き継ぐことになったとき、頼った先がカロスのプラターヌ博士だった。祖父とは兄弟弟子にあたる彼の元で学び、研究者として独立したため、彼の元になら娘を下宿にやってもいいだろうと思ったのだ。

しかし、妻のこの拒絶具合だと長い長い喧嘩が始まりそうである。タマムシ大学に行っても一人暮らしは避けられないというのに。

ため息をつきながら、最後のからあげを口に入れる。選ぶのはオーカだ、娘が希望するならいくらでも妻の癇癪くらい受け止めてやるつもりだった。