トキワシティ その1

トキワシティ。そこは、永遠の緑を名前に掲げる美しい町。

セキエイ高原へ向かう通り道でもあり、なにかイベントがあればたびたびイベントの参加者が集まる宿場町のような面も残す。しかしそれがないときは、まったくのどかな田舎町だった。

その町で、レッドはかつての約束通りにジムリーダーとして人々を守っている。

特にトレーナー教育には力を入れており、最近ではジンクスを打破して優勝者まで出たほどだ。それ以外にも上位まで行くようなトレーナーも増えてきている。

もう、昔のようにトキワの森が何者かに乗っ取られることもない。

数十年前、死にものぐるいで戦っていた時代が嘘のようだ。あまりにも平和で、今が夢なのではないかとさえ思う。

あの頃が異常だったのだと、わかっていても。

「たいくつー……」

レッドは一人呟く。今日は誰も挑戦者がいないため、溜まった書類仕事を消化していた。

十年以上続ける仕事にはもう慣れたものの、やはり書類仕事は苦手だった。とはいえ、午後はジムトレーナーたちに稽古をつける予定であるし、書類を片づけなければならないのだが。

退屈すぎてあくびを殺しきれない。しかしこんな平穏も、娘のためを思えば歓迎するものではある。

こんこん、と誰かが扉をノックする。適当な生返事をすると、失礼しますの言葉もなく乱暴に扉が開けられた。

「どもー、お久しぶりっす!」

「ゴールド!?」

ジムトレーナーを押し退けて中に事務室に入ってきたのは前髪が爆発でもしたかのようにはねた男。派手な色のパーカーを好んで着るその様子はまるで不良がそのまま成長でもしたかのようだ。

「先輩、お仕事ご苦労さまでーす」

「どうしたんだよお前、久しぶりだなあ! 仕事は?」

「しばらくバイトに任せてんすよ。娘の付き添いで寄ったんで、顔出してこー思って」

昔、共に死線をくぐり抜けた後輩。顔立ちも雰囲気も変わらないが、数年ぶりに再会した彼はやはり目に見えて年を取った。同じくらい、自分も老けたんだろうと思いながら。

今、ゴールドはコガネシティの近くで育て屋をしている。彼の娘がCMをしているものは最近カントーでも見かけるほどで、運営は意外にも上々らしいのは見て知っていた。

その影響なのか、イントネーションが随分とコガネ弁混じりになってきた。それも、長く続けている証拠だろうか。

「娘って、アオイちゃんだっけ?」

「そ。今度図鑑所有者物語を映画化するらしくって、そのオーディションに連れに」

「へぇ、二回目か」

「ブリジット役で応募してるらしいんですよ、あのちんちくりん! ブルー先輩なんて似合わないって言ったんに!」

「……そうか? 結構似合うと思うぞ」

今は亡きオーキド博士が書き残したかつての戦いの記録、図鑑所有者物語。その小説はレッドたちの予想を遙かに越える大ヒットを記録し、十五年前にも一度ドラマ化されている。

そのときはまだレッドが十歳とかのときの話までしか出版されていなかったから、きちんと映像化されるのはこれが初めてか。

それで、ゴールドの娘・アオイがオーディションに参加しているという。通るかどうかはわからないが、テレビでみる限り元気できれいな子で、ブルーの雰囲気によく似ているとレッドは思う。

「まっさかぁ。あいつうるせーし、やかましーし、色気もねーし、ブルー先輩の足下にも及びませんよ!」

「……とか言ってお前、オーディション落ちるとうるさいくせに」

「それとこれは別の話っすよ!!」

アオイは四つのときから芸能活動をしている子役だ。歌も歌うが、活動は主に舞台やドラマ。

減らず口を叩くものの、そんな娘の一のファンであるゴールドは、娘がオーディションを落ちる度に愚痴の電話をしてきた時期もあった。

それを指摘されたゴールドは必死扱いて言い訳をするが、流し続けると拗ねたように顔を背けた。

「ところで、先輩の娘さんは今どーなんすか?」

「ん? この間、ヤマブキジムを突破したって連絡が入った。もうトキワにいるってさ」

「さすが、優秀っすねー」

急に話が自分の娘の話にすり替えられ、呆れながら答える。

娘――サツキからは、つい先日連絡が入った。ヤマブキジムを突破したと。そのときに進化したという、ブラッキーのことも画面越しに見せてもらった。

その二日ほど後にはトキワに着いたという連絡も貰っている。未だ家には帰ってきていないあたり、トキワのどこかで練習をしているんだろう。

「正直……サツキが本当にバッジを集めてくるとは思ってなかったな」

「へぇ。先輩の娘さんなら、そりゃー強いだろうに」

「いや、なんていうかさ。あいつ、競争心っていうのがないから」

サツキは明るい子供だった。友達と一緒にあっという間に駆けていって、臆病だから一番に帰ってくるような。笑顔を絶やさないで、それでいで穏和で優しい、おっとりとした一面もある。

妻によく似た子供だった。

けれど似なかったのは、その競争心のなさだ。あの子の口から、ポケモンで強くなりたいという言葉は聞いたことがない。強いことを自負していたとしても。

競争心がないから、妙に手加減をするバトルをするような歪み方をした。歪む前から、言葉にできないなにかが彼女の足かせになっていることをレッドは気付いていた。

「正直、旅に出たいって言ったのも驚いたし、ポケモンリーグに出るって言ったことも驚いた。そりゃ出てくれたらなーって思うこともあったけど、言いそうになかったからそのままにもしてた」

「そんなもんですか」

「行きたい道に行ってほしかったし」

サツキがそのままでいいと思うのならレッドは否定するつもりはなかった。

サツキがリーグに出たいと言うのなら、バトルについてよく考えさせないといけないとも思っていた。

だから、旅に出る前厳しいことも言った。あれから、サツキがどんなことを考えて、どんな出会いをして、どんな風に結論を出したのかは知らない。

「でも、思ってたよりいい顔してたからさ。早く会うのが楽しみだ」

「親子対決……くぅ~熱いっすね~」

「からかうなよ」

それでも――サツキの結論を、きちんと受け止めてあげるのが父親としての勤めだと思うのだ。

それを持って、指導のし直しをするべきか、思い切り背中を押してあげるべきか。

今、サツキは佳境にいる。

そしてそれは、レッドも同じだった。

トレーナーとジムリーダーとして。

娘と父親として。

「あいつは――いつ来るかな」

親子として、今大きな分岐点にいる。

レッドはただ、その対峙の時を待っていた。

+++

サツキはヤマブキから、また二日をかけてトキワシティまでの道を歩いた。二回目のオツキミ山もトキワの森も、やっぱり普通より時間がかかった。怖かったのもあるが、それ以上にバトルの特訓をしながら通ったから。

サツキの心は、想像していたより落ち着いている。

これからサツキはレッドに旅の中で出した結論を見せなければならない。完成した姿を、見せなければならない。

――旅に出るなら、本気ってものを覚えてこい。

旅に出る前、父に言われた言葉は今もよく覚えている。

サツキはそれに対して、きちんと答えを出せたはずだ。

――ポリシーを持ってるやつだけがプロになれるの。

母に言われたそのポリシーを、サツキは見つけた。

その目標に向かって、これまでバトルスタイルを調整してきた。十分に、形になったと思われる。この短時間にしては。

そう、サツキは完成した。

この旅の中で、バトルに対するあり方を確立させた。

それを、父に見せる。そのために。サツキはもう一つやらなければならなかった。

「八月ももう半分。メーちゃん、しばらく君を徹底的に鍛えるよ」

トキワに着いて二日が経っている。それでもまだジムに行こうともしないのは、メーちゃん――カメールがまだ進化をしきっていなかったからだ。

サツキの言葉にメーちゃんも力強く頷く。やる気は十分。

サツキの手持ちは、スターミー、ピカチュウ、オニドリル、ブラッキー、ガラガラ――そしてカメール。進化の石が必要なピカチュウを除いて、進化していないのはカメールだけ。

父に挑むのに、これでは心許なかった。

サツキは父に六対六を挑むつもりだったからだ。

通常、ジムバトルは三対三。特別に望めば別のルールを適用してもらえることもある。三対三なのは、多くの人が挑戦をするジムにおいてできる限り時間を短くしたいというだけだ。

六対六を挑むのは、父にすべてを見せるため。

もちろん勝つつもりはある。だが、それ以上に父に全力で挑み全てをさらけ出して認めてもらうことこそ――サツキがやらねばならないことだと思っていた。

だからこそ。

だからこそ、メーちゃんを集中的に育てて進化を促そうとしていた。この二日。まだ、進化の兆しはない。

彼女がまだ生後三ヶ月――もうすぐ四ヶ月になるだろうか。そんな幼さゆえに進化をするのが遅くなっているのかもしれなかった。

「あ、あの……っ!」

「……ん?」

そんな風に、トキワの森にほど近い場所で訓練していたサツキの元へ、誰かが走りよってくる。

黒い髪をおさげに結い、黒ぶち眼鏡をかけた女の子。その目はランランとピンク色に光っていて、長いまつげがくるりと上を向いている。

白くきめ細やかな肌をした顔を青く染め、走ってきたせいがなだらかな胸を激しく上下させていた。

かわいらしい女の子だった。

そしてそれ以上に、見た瞬間、目が奪われるような存在感にサツキは圧倒される。

どこかで、見たような。

「お、お姉さんポケモントレーナー……ですよねっ!?」

「はい、そうです……」

「た、助けてください!」

メルとはまたベクトルの違う、派手めの美人といった容姿の美少女は蒼白な顔でサツキに乞う。

コガネ弁の女の子はサツキにすがりついて、早口でまくし立てる。

「友達とトキワの森入ったら、スピアーの群に追いかけられて……はぐれちゃったんです! うちも友達もバトルできひんから心配で……!」

「え……っ!? ポケモンは?」

「持ってる。けど、バトルなんてしたことない……! あ、あいつだって、そんな暇ないはずやもん!」

トキワの森は天然迷路。一歩踏み込めば戻ってこれず、獰猛な虫ポケモンだらけで生半可な実力のトレーナーでは通り抜けることは出来ない。

――それ自体は、フェイクだ。

しかしバトルもしたことがないような子供が、入ってはいけない程度には危険な場所なのも本当だ。

それがスピアーに襲われたともなれば。

「みんな、戻って! ……メーちゃん、ピーちゃんはあたしと一緒に」

「!」

明かり役のピーちゃん。そして鍛えている最中でサツキを容赦なくトキワの森へ引きずり込めるメーちゃん。その二匹を残してボールへと戻す。

「どこのあたりではぐれたの? 教えてくれる?」

「あ、ありがとう、お姉さん……!」

表情を喜色に染める女の子は、サツキの手を取って森の中へと誘った。

+++

「……少し時間できて、父ちゃんも遊んでこいって言ったから、うち、友達と森で遊んでたんです」

「そこで、なにかしたの?」

「ううん、ちょっと冒険ごっこしとって。入り口からそう遠くには行かんかった。スピアーを怒らせるようなことは、なにも……。ちょっと前に、猿っぽいポケモンが、ばたばた走ってって、なんだろ思ってたりしてたら、後ろからスピアーが……」

「うーん……」

女の子の事情を聞きながら、サツキはトキワの森の中を進む。

メーちゃんが勝手にどこかへ行かないように手を繋ぎ、女の子の安全を確保しながら。

辺りを見回しても、なにか変わったことがある様子はなかった。ごく普通に、あちこちにキャタピーやビードルが潜み、木にはトランセルやコクーンが張り付いている。

女の子の案内ではぐれたあたりまで来ても、それは変わらない。

「ここです。ここではぐれたんです。気付いたらはぐれてたから、どっちに行ったかはわからないけど……」

「ありがとう。……多分、あっちかな。草が踏まれたあとがあるから」

必死に走っていたとはいえ、二人は途中まで正規の道からは外れなかったらしい。だから草が踏まれた跡はよく目立った。

目立ちすぎていた、とも言える。

子供一人が通ったにしては、やけにはっきりと残っている獣道。強い違和感を感じながら、サツキはここで立ち止まる。

「……君、このあとどうする?」

「え?」

「この先は整備された道じゃないから足とか切っちゃうし、まだ友達が襲われてるなら戦闘になる。危ないし……戻るなら、今のうちだと思う」

「…………」

女の子は不安そうな顔で黙る。

彼女の身なりは綺麗だった。ただ顔がいいだけではなく、体のすみずみまで丁寧に美を守られてきたことがわかるくらいに。

服装はラフなものだったが、タイトスカートからのぞく足には傷ひとつない。サツキの切り傷や痣のたくさんある足とは違って、守られて育ってきた女の子だろうと思う。

故に。サツキは聞いた。

メルのようにポケモンが当然に守ってくれるようならば気にしない。メルは不思議と、どうしたって傷をつけられそうにない加護がある気もしていた。

しかし目の前の女の子は違う。確かに存在する女の子だ。不思議なほど濃いそのオーラは、サツキに実在を訴えかけてくる。

そんな女の子を危険に晒すわけには行かなかった。

「必ず友達を見つけるし、戻るならあたしのポケモンを貸してあげる。必ず君を守ってくれる。戻るなら今だよ」

「……行きます」

「…………」

女の子は少し迷い、そして力強く応える。

揺るがない存在感は、女の子の決意と共にさらに濃くなる。

「うちが言い出したせいであいつが襲われてるんです。だからうちは、行きます」

「わかった」

返事を聞いて、サツキはもう一体のボールを取り出す。中からでてきたのは星形のポケモン――スターミーのミーちゃん。

ミーちゃんにお願いをして、その上に女の子を乗せる。なんとなく、体に傷をつけてはいけない気がしたからだ。

「あ、あの」

「危なくなったら、ミーちゃんがすぐに避難させてくれるから。ミーちゃんの上にいてね」

戸惑う彼女を言い含めて、サツキは獣道の中に足を踏み入れる。そして、安心させる材料になればとジャケットをめくり、そこにつけたバッジを見せた。

「大丈夫。バッジ七個集められるくらいには――あたし、強いんだから!」

「! ……はい」

そうして、森を進んでどれくらいになるだろう。

この森はいつもサツキを深いところへと誘い出す。広いが故に喧噪さえ聞こえなくて、探している“お友達”の影も見つけられない。

獣道にそって進めば進むほど――どうしてか、メーちゃんは不安そうにサツキに寄り添う。

「……どうしたの、メーちゃん」

好奇心旺盛なメーちゃんはこんな森程度では怯えない。大きな音や突然現れるポケモンにびっくりすることはあれど、ただ歩いているだけで怯えることなどないのに。

「……森が怖いんと違いますか?」

「ううん、そんなことはないと思うんだけど――……」

そう、つぶやいた後。

ようやくちいさくだが声が聞こえた。虫ポケモンの日常的な声ではなく、キーキーという警戒と威嚇の声。

この森にいるはずのない――マンキーの声。

「……メーちゃん、怖い?」

だから、彼女は怯えていたのだ。

旅に出る前日、マンキーに襲われて木の上に逃げ込んでいたメーちゃん。この獣道からマンキーのにおいを感じ取っていたに違いない。

獣道が子供一人が通ったにしては異様にはっきりとした道を作っていたのもマンキーが通ったからだろう。猿っぽいポケモンとはマンキーのことだったのだ。

メーちゃんはマンキーがトラウマになっているのだろう。訓練になればと思って連れてきたが、無理をさせる必要はない。

既に役割交代を察してかピーちゃんがサツキの足下で待機していた。いつでも行けるように、サツキの出方を見ている。

「訓練はあとにしよっか。別にどうしてもここでやらないといけないこともないしね」

腰からメーちゃんのボールを出して、彼女を戻そうとするとメーちゃんは強く首を横に振る。

目には強い怯えを示しているのに、絶対に引く気のない目でサツキを見る。

メーちゃんはあの時より強くなった。サツキもいる。マンキーなどにはきっと負けないだろう。

それを多分、メーちゃんも感じている。

だから、行く。そう彼女は言う。

「わかった、行こう。ミーちゃん、少し後からついてきて。なんか喧嘩してるっぽいから」

彼女のことを信じて、サツキは続投を決める。

森の奥から聞こえるのはマンキーの声だけではなく、耳障りな羽音も多く聞こえた。間違いなく、この先では抗争が起きている。

そこに女の子のお友達もいるとしたら――巻き込まれて、逃げられない状態になっていたら。

戦うしかあるまい。

「お姉さん……」

「しー。ここから先、できるだけ喋らないで。多分スピアーかマンキーかな……戦ってるから。刺激して、君に攻撃が及んだら危ない」

「…………」

抗争を刺激しないように、サツキたちはそっと進んだ。

進んだ先に見えてくるのは、生成色の毛のまるまるとした猿――マンキーと、黄色と黒の警戒色の体を持った蜂、スピアー。

それぞれ、十匹いないくらいだろうか。一歩も引かず抗争を繰り広げていた。聞いた話から推理するなら、マンキーがスピアーたちの巣にちょっかいでもかけたんだろう。

「――いた」

その抗争の奥。木に阻まれて逃げられなくなっている少年を一人見つける。目で確認を取れば、女の子は頷いて、あれが友達だと教えてくれた。

怪我はなさそうだが、このまま突っ込めば少年まで巻き込んでしまうだろう。

サツキはミーちゃんに木の裏に隠れるように指示し、ピーちゃんとメーちゃんを連れてこっそり少年とは逆側に動いた。

そして、サツキの合図と同時にピーちゃんが大きな音を立てて火花を散らした。こちらへと注意を引きつけられるように、激しく音を鳴らせてその頬袋を震わせる。

「――――……!!」

一斉にこちらを見たスピアーとマンキーの眼孔は鋭く。

メーちゃんが一瞬、身を固くしたのを見て背中を撫でる。少し不安げにしたあと、大丈夫と言うように頷いた。

「争いはそこまでだよ! これ以上続けるなら――あたしが相手だ! メーちゃん、こうそくスピン!」

ぐるり、とスピアーとマンキーたちを一カ所へとまとめるようにメーちゃんが回転を始める。草の根までもかき分けてぎゅるる、と空を切り進む。スピアーとマンキーたちには当たらないが、確実に注意をこちらへと引きつける。

十分に少年から距離を離させたところで、女の子を乗せたミーちゃんが合図に伴って移動する。ひとまず、少年を回収できれば目的の一つは達成だ。

そのために、メーちゃんにはもうしばらくがんばってもらわなければ。

「近づかせないで、みずのはどう!」

一カ所に集められたポケモンたちが一斉に反撃をしようと詰めかけるのを、みずのはどうで押し返す。

数は多いがレベルは低い。みずのはどうに面白いほど巻き込まれ雪崩ていく。

その背後で、少年が女の子と合流を果たす。

「ミーちゃん、そのまま元の道へ戻って!」

「お姉さん!」

「その子たちをお願いね!」

ミーちゃんに乗った女の子たちを見もせずにサツキは指示を飛ばす。すっと音もなく行くミーちゃんたちを、スピアーたちは咎めることはしなかった。

みずのはどうで押し返されたスピアーたちは羽が濡れ飛びにくくなったのに不利を察したのか、それを機に森の入り口の方向へと飛び去っていく。森に紛れてしまえば十匹弱のスピアーたちも視認するのは難しくなる。

追い払うのが目的だったのだから、この点については問題ない。

「…………」

目で追わず、サツキはメーちゃんの対峙する相手をじっと見た。

マンキーたちは、スピアーたちとは違う反応を示した。

キィィィィ――――!!!

甲高い鳴き声が響きわたる。その声にびくりと身を震わせた。

――――マンキーたちが怒りを露わにする。

「メーちゃん、からにこもる!」

今までとは比べものにならないスピードでメーちゃんに襲いかかるのにサツキはそう指示するのが精一杯だった。マンキーたちは常に怒っているようなポケモンだが、それを怒らせるとさらに性質が悪くなる。

完全にメーちゃんを標的に据え、去っていったスピアーになど目もくれない。たった一匹に群がる姿はまさしくリンチと言ったもので、見ているだけでゾッとする。

「こうそくスピン――できる!? メーちゃん!!」

たとえ一匹一匹が弱くとも、それが集団になれば恐ろしい。

焦ったサツキの指示にメーちゃんは返事をしない。寸分も待たずにピーちゃんを前に出し、サツキは彼女を助けようとした。

そのときだ。

「…………!」

むくり、とマンキーたちが盛り上がった地面に押されてひっくり返る。むくむくむく、と地面が大きくなっていき、それは小さな塚ほどの大きさになっていく。

甲羅が肥大化し、上部に二カ所の穴が空き、そこから大砲がガキンと現れ出る。

四肢を出し、頭を出せば、少し前まで羽だったものが耳となり、流水を模したしっぽは短いものへとなっていた。

彼女が、起きあがる。

その顔には怯えはなく、闘志に燃えた目つきでマンキーたちを見下ろした。

「――ハイドロポンプ!!」

それに対して、サツキは感想を言う間も惜しんで叫んだ。

彼女の巨大化に怯んだマンキーたちに対して大砲が向けられる。そしてドンッ!! と大きな音を立てて勢いよく水が撃ち出された。

「――――……」

それは一瞬の出来事。

水が切れたときにはもう、起きているマンキーたちはいない。みな一様にひっくり返り、びっしょりと濡れそぼった体で目を回していた。

サツキはきちんと戦闘不能に陥っているかどうかを確認して、彼女に近付いた。

「……進化したね……メーちゃん……!!」

サツキより、一回り小さい彼女。

メーちゃんに図鑑をかざせば、“カメックス”と名前が表示される。そこにある平均身長は一.六mだったが、どう見ても一.四mあるかないかだった。

どんなに進化を遂げても、赤子な彼女はまだまだ成長途中らしい。

メーちゃんはサツキを見上げて、うれしそうに笑う。

ずっとこの時を待っていたのだから。

「怖かったでしょう。でも、がんばったね。強くなったね、メーちゃん」

少し無理をさせすぎたかもしれないと思った。

それなのにメーちゃんはいつもの笑顔でほがらかに、少し低くなった声で返事をする。成長しても図鑑のカメックスより大きく丸い瞳を細くして笑う。

マンキーに襲われて怯えていたのに、すべてが終わればにっこりと笑ってくれる。初めて会った時もそうだった。そんなメーちゃんの笑顔を見ると安心するのだ。

サツキは心を躍らせた。

これで父に挑む準備ができたと。

「……あ、ごめんねピーちゃん」

感慨に浸っていると、足下のピーちゃんが早く戻ろうと急かしてくる。マンキーがもう一度起きあがってきたら大変だと、臆病な彼は心配しているんだろう。

「さ、戻ろっか。男の子が怪我してないかとか、見ないとね」

マンキーたちは起きあがる気配を見せない。

それを確認して、サツキたちは元来た道を戻った。

+++

「お姉さん、本当にありがとうございました!」

「お姉さんのおかげで怪我もなくてすみました。ありがとうございました!」

「う、うん。無事でよかったよ……」

トキワの森の、トキワとニビを繋ぐ大通り。

そのトキワ側の入り口に戻ったとたん、女の子と少年が同時に頭を下げてサツキは圧倒されてしまった。

それは、礼の言葉にではない。

二人の、あまりの美貌にだ。

「ほんと、助かりました。追いかけてるのが自分じゃないってわかったときには僕、もう身動きとれんくて」

「あんなんうち一人で行ってたらどうにもなりませんでしたわ。森出てすぐにお姉さんいてほんまよかったー」

派手めな美人の女の子の、その友達。

少年もまた、かわいさを大いに残した整った顔立ちをしていた。

女の子とよく似た黒ぶちの眼鏡をかけて、キャップを被った男の子。同じように怪我も日焼けも知らない綺麗な肌をしていて、ボーダーのシャツがその白さをさらに際だたせている。

女の子一人だけでも美しかったのに、この二人が並んでしまうともう目の前が別世界のようだった。

まるでテレビでも見ているようだ。強い存在感を放つこの二人はサツキの目を奪って離さず、それに対して無頓着にああだったこうだったと、コガネ弁で話している。

どこかで見た気がする、この並び。一体どこだったか。

メルといい、二人といい、まったくどうしてこうも美貌の人間が軽々しく目の前に現れてくれるのだろうと、サツキはそのまばゆさに目を細めた。

「ねぇ、お姉さんは来月のポケモンリーグに出ますのん? バッジ、たくさん持っとるし」

「え、うん。そのつもり」

「ほんまですか! 僕たちリーグ見に行くんですよ! 応援してます!」

「お姉さんのバトルすごかったもん! きっといいとこ行けますわー!」

「あ、ありがとう……」

きらきらした、大きく綺麗なピンクゴールドとシルバーピンク。その二種類の目がサツキを見上げてくるといい加減心臓が辛くなってくる。

――これは、リーグでへまができない。

異様なプレッシャーを感じて、サツキは冷や汗が吹き出してきた。そんな動揺をなんとか隠して、お姉さんぶって言葉を紡ぐ。

「トキワの森は、昔から危ないって言われてるの。今度から、行くときは大人の人と一緒にね」

「はい!」

「あ、今何時? やば、もう戻らんと!」

「次なんやっけ? 打ち合わせ?」

「そんなんやったわ……げー、マネージャーから電話来たー!」

「うわなんとか言っといて。ほんならお姉さん、またリーグで会いましょー!」

ピリリリと鳴ったポケギアに二人は顔を青くして、嵐のように去っていく。

言っていた言葉からして、本当に芸能人だったのだろうか。見たことがあると思いもするはずだ。

相変わらず、名前はさっぱり思い出せないが。

「……さて。あたしたちも、休んだら特訓の続きしよっか」

二人を見送って、サツキはメーちゃんを振り返る。

メーちゃんは元気よく返事をして、にっこりと笑う。メーちゃんが進化を遂げた今、父との対決も近い。

サツキは不思議な高揚感を覚えながら、二人と同じように町へと戻る道を踏み出した。