夢まで行こう

ふ、とマサミは目を開く。前後の記憶が曖昧だった。さっきまでなにをしていただろうと考え、気付く。辺りが一面の雪景色であることに。

しんしんと降る雪の中にマサミはいた。天と地の境さえ見えないような、雲に染められきった空と、他人の介在を許さないほど純白に積もった雪の中だった。見回しても人気はなく、人の影どころか建物さえ見つからない。

いつの間にシンオウ地方へ出張に来ていただろうか。そこまで考えて、おかしなことに気付く。この雪の中だというのに寒気のひとつもしないのだ。雪に埋もれた素足は冷たさなど感じず、かといえば雪の重みもそこにはない。

ああ、これは夢なのだと考えるのにさほどの時間もかからなかった。

夢とはいえ、こうも真っ白では味気ない。なにかないだろうかと体を半周させたところで――その男はいた。

「ぁ…………」

思わず声を洩らす。

マサミの背後に立っていた一人の男。

真白き絹で織られた着物を身に纏い、その上に銀に輝く絹糸のような長い髪を流す男。雪のごとく透き通った肌には血色が見えず作り物のようでありながら、宝石のごとく赤く煌めく切れ長の狐目は、生命を強く主張する。

雪と同化しそうなほど真白い男は、しかしその美しさを霞ませることなくそこに存在していた。

男はマサミと目を合わせると、たおやかに微笑み、その細い手で手招きをする。マサミは魔力にでも動かされるかのようにふらふらと誘われ近付いた。近くで見た男はさらに美しく、雪像のようであった。マサミと変わらない背格好の男は、目の前まで来ると細い腕を伸ばし、そっとマサミを抱き締める。

瞬間、香るものに強い懐かしさを覚えたが、その正体が思い出せない。しかし不思議と抵抗する気は湧かず、髪を梳く手に目を閉じる。久しくなかった他人に触れられることへの安心感に、マサミは癒されていく気さえする。

――マサミ…………。

男が名前を呼ぶのに、安心感からまどろみ始めたマサミはそっと意識を落としていく。誰かの腕に抱かれて眠る、幼少以来の体験は手放しがたかったが、強い睡魔は構わずマサミを誘った。

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視界が明るくて目を覚ます。薄く開いたカーテンから朝日が漏れだし、マサミの目を攻撃していた。せっかくいい夢を見ていたのに、と逃げるように寝返りを打つと、寝る前はなかったぬくもりがそこにあった。

銀の美しい毛並み。それはまるで絹のように太陽で輝いている。宝石のごとく赤く煌めく瞳は、今までマサミを見ていたのか目が合うと少し慌てたように瞬きをした。

色ちがいのキュウコン――マサミの幼なじみの姿を見ると、意識が一気に覚醒していく。そして、先程まで見ていた夢の男の正体に合点がいった。

「おはよう、ロコっち。お前が夢の中まで会いに来てくれたん?」

男に感じた、安心する香り。よく馴染んだキュウコンのものだと思えば納得できる。狐とは化けるものだ、キュウコンも化けて現れたに違いない。

キュウコンは肯定するように一声鳴くと、ちゅうと唇を合わせてくる。それからペロペロと舐め始めるのに慌てて離したが、非力なマサミはあっさりとキュウコンに敷かれ、ご機嫌なキュウコンに舐め回されることとなった。

「ちょっ、待て、なんや!? キュウコン、きゅう、ろ、ロコっち! 待て! 待てー!」

普段はそんなことしないというのに、今日に限ってどうしたのか。犬のようにじゃれてくるのをどうにか引き剥がして体を起こす。

そこで目に入ったカレンダーに、ようやく理由がわかった。何故キュウコンが夢に現れ、そしてこんなにじゃれてくるのか。

「……誕生日祝ってくれてたん?」

聞くと、キュウコンはその豪奢なしっぽをぶわりと広げさせる。

2月7日。マサミの誕生日であるこの日に、キュウコンは精一杯のお祝いを捧げていたのだった。

「そか、ありがとな」

マサミは誕生日というものに意味をあまり見出だしてない。しかしこうして祝ってくれるのは、嬉しくあった。

礼にもう一度キスをして、マサミはベッドから抜け出す。

「今日は出掛けるか。な、ロコっち」

身支度をするべく寝室を出るマサミに、キュウコンは従順に寄り添う。たまの誕生日は遊びに出るのも悪くないだろう。