姉弟は別たれない
「お姉ちゃん、行っちゃうの……?」
「アニー」
少女の声で、少年の面影を宿す砂糖菓子のような言葉に呼ばれて振り返る。弟のアントワープ――アニーが、どこか不安そうな様子で立っていた。
甘ったるいさくら色の髪、透き通る柔らかな頬、丸く底の見えない湖のような水色がかった銀の目。フェルメール・アイリリスによく似た弟は、その少女か少年か不確かな美貌を悲しげに歪ませている。
いつからか姉のフェルメール――メルと身長を並べた弟は、それでも性別を一目で見抜けない可愛らしさを崩さない。メルを妖精や天使に例える人間は多くいるが、本来無性別、あるいは両性具有とされる天使に最も近いのはアニーではないかとよく思う。
天使の名にふさわしい美貌と、心優しさを持った弟。メルのなによりも大切な宝だった。
「ええ、そろそろ行くわ」
「ぼくも行きたい」
「だめよ、まだ未成年でしょう」
ラクシアの成人年齢は15歳。まだ14歳のアニーは冒険者になれない。そう怒ると幼いままの頬をふくふくと膨れさせて拗ねる。
メルは今日、冒険者として旅に出る。理由は特にない。ただ、エルフの500年というあまりにも長い寿命をぼんやりと生きるには退屈だった。他のエルフたちのようにロシレッタで生活をしていくのも、リルドラケンのカケルのように国に仕えるのもごめんだった。退屈を最も効率よくごまかすには、冒険者となるのが早いと思っただけだ。
両親はそれになにも反対しなかった。ただ一人では行かないようにと言われただけ。妖精使いのメルは一人旅には向かない。せめて前衛職の一人でもいいから仲間にしなさいと言われたくらいだった。だから、ちょうどよく知り合った貴族の娘たちが旅立つのに着いていくつもりだ。
「たまには、帰ってきてくれるでしょう?」
「どうかしら」
「お姉ちゃん……」
「ごめんなさい、そうね、目的なんてないもの。近くを寄れば帰ってくるわ」
あまりからかいすぎると泣かれてしまう。ふわりとした彼の髪を撫でて笑うと、アニーは少しほっと胸を撫で下ろした。
「アニー、元気にしているのよ」
「うん、お姉ちゃん」
ふわり、甘い香りが鼻腔をくすぐる。それから頬になにかが押し当てられるのに、キスをされたのだと理解した。
アニーはゆっくり体を離して、きゅ、と両手を祈り合わせる。
「お姉ちゃんにアステリア様のご加護がありますように」
アステリア――エルフの始祖神であり自然を司る女神。アニーの信仰するその名を胸に彼は祈る。合わせた両手に挟まれたアステリアの木の葉を象った聖印が、ほのかに輝いた気がした。
「いってらっしゃい、お姉ちゃん。すべての自然はアステリア様と共に。きっと守ってくれるから」
「いってきます、アニー。大地と空が続く限り、わたしたちは離れたりしないわ」