エピローグ

「サツキ、開けて」

「うわ、ユリカなんでそんなところから」

「玄関にマスコミが張ってて通れないのよ」

ポケモンリーグから数日。世間は未だ熱から冷める様子はない。レッドの娘が、それも父と同じ十一歳で優勝を成し遂げるという運命の奇跡に燃え上がり、執拗にサツキを追い回していた。そのせいでここ数日は家から出ることもままならず自宅に閉じこもっている状態だ。

そんな状態なせいで、ユリカはサツキの部屋の窓を叩き、二階から無遠慮に入らざるを得なくなってしまったらしい。こんな状況でなければやらない行動を、彼女はどこか楽しんでいる様子もあった。

「はい、これお土産」

「ん、なに……やだー、なんでこんなの買ってくるの」

「せっかくあなたが載ってるのよ、取っておくでしょう」

「恥ずかしいからニュースも見てないのに……」

靴を脱ぎ、中に入るなりユリカは紙袋を押しつけてくる。中身はここ数日に発刊された新聞やスポーツ雑誌の束。いずれもトップに載っているのはポケモンリーグの表彰台の写真だった。

新聞の一面を飾る、サツキ、オーカ、カルミンの並んだ写真。あのポケモンリーグの五日間は強烈に記憶に残っていながら、なんだか夢のような浮遊感もあった。サツキの部屋には、プラスチックケースに守られたトロフィーも飾られているというのに。

ポケモンリーグが終わった後。サツキがレポーターに囲まれている裏でオーカが泣いていたのを知っている。カルミンが孤児院の仲間たちと合流し、複雑そうな表情をしていたのを知っている。メルが両親と共に観戦していたらしく、しっかり怒られたのか不機嫌な様子だったのを知っている。

始まる前も、終わった後も、様々な感情が飛び交ったポケモンリーグ。その中で最後まで笑えたのは勝者一人――サツキだけだ。だから、精一杯胸を張って笑った。勝者としての責務を背負って、笑顔で記者に答え続けた。その証拠が、この新聞紙類に残っているのだった。

とはいえ、テレビへの出演などは恐ろしくてしていない。勝手にアイドルにされても困るからだ。ほとぼりが冷めるまで家に籠もっている必要があるのは非常に不満があったが、勝利を求めても特別は要らないサツキにとって大事な儀式だった。

これは親から聞いた話だが、オーカもメルも同じ状況だそうだ。特にメルが酷いらしく、逃亡ついでに今は旅行に行っているらしい。カルミンは出自も相まってドラマに仕立て上げられそうになっており、こちらもやはり逃亡している。ジムリーダーを目指すべく、ついでに武者修行をするのだと電話で話していた。それらの話を聞いてサツキも旅行をねだってみたが、仕事が忙しいと親には断られてしまった。じゃあ一人で旅に出るかと言うと、二ヶ月の旅が疲れたのでそれだけの気力はない。

ポケモンリーグが終わってからの方が、みんな忙しい日々を過ごしている。不思議なものだった。旅の中で目まぐるしく成長していって、あれほど忙しない日々はもうしばらくはないと思っていたのに。

「しかし、人気者ね。私以上なんじゃない?」

「ユリカは慣れてるからいいよね。しばらく外にも出れてないんだよ」

「トレーニングさぼるとすぐなまるわよ」

「筋トレはしてるよー、ちゃんと」

他人事のように言うユリカに、サツキはむくれる。日頃から人前に出ることの多い彼女は、マスコミのあしらい方も心得ているのだろう。見習いたいものだが、とはいえあれだけ殺到されると相手にもしたくなかった。

それから、ユリカとだらだらと話し込む。去年のポケモンリーグから、こうしてゆっくり話すのは久々のことだった。二人ベッドに座り込んで、旅のこと、バトルのこと、家のこと、今まで話せなかったあれこれを話す。一緒に居られなかった時間を埋めるように。

それらを話し終わってから、サツキはこの話を切り込んだ。

「そういえば、次のポケモンリーグも来年の今頃だって」

両親がジムリーダーであるのをいいことに、早々に得た情報。それにユリカがぴくりと反応する。

去年この話をしたときは、まさかリーグに出るのが自分だなどとは思わなかった。ユリカには敵わない、バトルは遊びでいい。そう考えていた自分が、気付けばユリカに勝ち、リーグで優勝を果たしている。世の中なにが起こるのかわからないものだ。

だからこそ、言わなければならなかった。

「ユリカ、ポケモンリーグに出てよ」

サツキは優勝を果たした。それはオーカが発破をかけ、カルミンが怒り、メルが枷を外し、ユリカが育ててくれたおかげだった。

だから。だからだ。サツキはユリカが優勝する姿を見たい。ユリカに勝った今でも、サツキにとって彼女は常に自分の先にいる、超えがたい壁なのだ。そんなユリカが、ポケモンリーグに敗北したままであるのをサツキは良しとはしなかった。

あたしはポケモンリーグで優勝したんだ。

ユリカも優勝してくれなきゃ。

酷く傲慢なお願いだった。しかし、それだけユリカを信じていた。

「あたし、ユリカが優勝するところが見たい」

今度こそ。ユリカの手を握って、言う。

ユリカは目を逸らさなかった。じっと見つめ合った後、彼女はにっと笑う。

「そうね。あなたが優勝したんだもの、私もしないといけないわね」

「ユリカ……!」

「でも、それならもう一度旅に出たいですわ」

強気に笑う彼女は語る。

ポケモンリーグに出るにしても、修行をもう一度重ねたい。改めてジムバッジを集め直すような労力を持って、自身を磨き上げたいという。ユリカはバトルも強いが、それ以外の格闘技などにも時間を割くために、ポケモンリーグに出るならば集中する時間は作りたいらしい。

再び彼女が旅に出るなら、またしばらく会える機会が減っていくのだろうか。それはなんだか寂しかった。

「カントーは回りきったし、次はジョウトかしら?」

「いいね、近いし。トージョウ合同リーグだもんね」

「ええ。だからサツキ、一緒に行かない?」

ユリカの言葉に、一瞬懐かしみを覚える。この言葉を聞いたことがあった。ユリカが旅に出る前に、サツキを誘ったことを思い出す。あの時はまだバトルに本気ではなかったし、臆病なサツキはユリカと一緒でも旅を怖がったのだ。

しかし、旅を終えた今なら言える。

「うん、一緒に行こうか」

「そう来なくちゃ。楽しみですわ、ジョウトの観光旅行」

「ポケモンリーグのための旅なのに。……ふふ、今度はゆっくり観光しながら旅したいなぁ」

くすくすと笑い合って、いつ頃行こうか、どこを見ようかなどと語り合う。一度ジムを巡りきった者同士、真剣にバッジを集める必要がない分気楽な旅になりそうだった。

そんな風に話し込んでいると、なんとなく眺めていた雑誌の一ページにふと目が止まる。ポケモンリーグの門の前で撮られた集合写真。しかし新聞とは違ってカラーで刷られたそれに、サツキは一箇所、おかしなものを見つける。

空を大きく映した写真の、端の方。見慣れない、桃色に発光したなにか。ポケモンなのだろうか、判別するにはそこだけぼけていてわかりにくい。

「ねぇ、これなんだと思う?」

「ん? ……電飾?」

「よく見てよ、空中だよ。ポケモンかなぁ……」

「でもこんなの見たことないわ。図鑑は反応しないの?」

「んー、写真じゃ読んでくれないみたい」

オーキド博士から貰った優秀なポケモン図鑑も、ただの写真ではなんの反応もしない。これほどよく撮れている写真なのに、この一点だけこんなにもぼやけているのは不自然極まりなく、二人で首を捻る。

「神様でも見に来てたんじゃない?」

「神様って」

「あら、神様は古今東西歌と踊りとバトルが好きでしょ?」

冗談めかして言うユリカにサツキはむくれる。夜に父にでも見せてみようかと思いつつ、自分の写真を見せるのは嫌だなぁと悩んでしまう。別に知らなくてもいいことではある。

「もしポケモンなら、旅の間に会えるかもしれないわ」

「……それもそうだね。じゃあ、ジョウトにはこのポケモンも探しに行こうか」

雑誌を置いて、今度はジョウトの地図を広げる。リーグの熱が冷める頃、再び旅に出るのが楽しみで仕方がない。

――答えは旅の向こうにある。

ユリカがサツキに言った言葉だ。サツキは確かに答えを見つけた。では、次に旅の中に見つけるものはなんだろうか。それを夢想しながら、今はひとときの平穏を語り合った。